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だらだら書きますので、だらだら読んでもらえるとありがたく。

仰げば尊し、わが師の恩

これは以前、誰かのエッセイで読んだ話です。(たぶん沢木耕太郎
遠い昔に一度読んだだけなので、ちょっとうろ覚えではあるのですが……


アメリカ。ある信心深い夫婦が自分たちの娘にマドンナという名前をつけました。
信心深い両親のおかげでその娘も信心深くて清楚で控えめな一輪の野の花のような女性に育ち、自分のマドンナという名を誇りに思うようになったのですが、ある日突然、その平穏は破られたのです。
身体のあちこちをきわどく露出した、挑発的でセクシーでスキャンダラスなマドンナという歌手の登場。
しかもその下品な歌手は、慎ましいマドンナの願いとは裏腹に、ヒット曲を連発して売れに売れまくり、芸能界に確固たる地位を築いてしまいました。


「何が嫌かっていうと」
と慎ましいマドンナは語りました。
「銀行で私の名前が呼ばれるたびにみんながぎょっとしてこちらを見るのも嫌ですし、その後がっかりした顔をされるのも嫌ですけど。それ以上に」
野の花のごとき清楚なマドンナの声に、苛立ちがにじみます。
「私と彼女を重ねあわせて、私もああいうセクシーで淫らな女性だと思って誘いをかけてくる男性が増えたことが嫌なんです。
そして何よりも、その彼らが、揃いも揃って得意げに、おれって頭いいだろう、洒落た言い回しを思いつくだろう、というかんじで、
『君ってやっぱり処女みたいな女なのかい?』*1
とか言ってくるのがもう! 聞き飽きましたよ、飽き飽きですよ、うんざりですよ、やってられません……最近は改名も考えています」


でまあ、この話を読んだとき私は
「ああそりゃうんざりだろうね、世の中には気の毒なひとがいるわ」
と同情しながらも他人事としてとらえていたのですが。


その数年後。自分も彼女と似たような思いを味わうことになってしまうとは。
「シロイさんて、趣味はなに?」
「趣味ですか……あえていうなら……マジックを少々、ですかね。大学でマジックのサークルに入っていたので」
「え、シロイさん、マジシャンなの? へー、だったら今すぐ、鳩出してよ! 出せるんでしょ? クルックークルックー(鳴き真似)」
出せねえよ。毎日毎日いつでも鳩出せる準備してたら、鳩が疲れて死んじゃうよ?*2


「シロイさんて、大学とか、どこの学部? なに勉強してたの?」
「あまり勉強していないので恥ずかしいですけど、心理学です」
「マジで? 心理学? やっべー、じゃあおれもシロイさんに心読まれちゃってるのかな? へへっ」
読めねえよ。そんな、ちょっと学部で心理学かじっただけの人間が、相手の心読み放題になっちゃうなら、もうこれ以上学問として研究する必要ないだろう?


くそう。みんな揃いも揃って同じ台詞を、しかも得意げに。
「こんなうまいこというの、人類でもおれが最初のひとりだろうな、まいっちゃうぜ、おれのウィットには」
みたいな顔しやがって。違いますから。君たち超没個性的ですから。ああもう。
いいけどさ! こういう決まりきった台詞のやり取りが無難な会話ってやつで、そういうのを笑って流せるようになるのが大人の社会性だってことは判っているし、だから私は笑うけど!!
でもな、ホントは全然、面白いとは思ってないんだからな、君たちのそのネタ!。


私の知る限り、心理学とマジックを学んでいるということについて、本当にウィットに富んだ台詞をちゃんと喋ってくれたのは、高校で日本史を教えてくれたN先生だけです。
大学入学後、初めての夏休み、恩師のもとを訪ね、近況報告をした私に向かって、N先生はこう言いました。
「なに、心理学とマジック? そうかシロイ、お前は要するに大学まで行って」
と彼はちょっと眉間に皺を寄せました。
「人を欺くための方法をせっせと学んでいるんだな。グッドジョブ。その道を邁進しなさい」


N先生。おかげで私、性別詐称とかもずいぶん上手くやれるようになりました
その道を邁進しているって、ちゃんと認めてくれますか。

*1:処女みたい=「ライク・ア・ヴァージン」でマドンナのヒット曲。みなさん知ってるとは思いますが、一応。

*2:事実アマチュアマジシャンが鳩出しの練習を熱心に行いすぎて鳩を過労死させてしまうことは、ごくたまにあるのです。