盆休み、実家に数日帰省して「ホラーとしての田舎」みたいなものについて、なんとなく考えました。私の実家、ほんとマジど田舎なので。
私自身は田舎も都会もどっちのほうが特に好き、というのはあまりなく、どちらもヤナトコとイイトコあるよね、と思っています。
ただ、都会よりも田舎のほうが怖い、と思うことが多いです。都会の怖さというのも当然あるんですが、田舎の怖さのほうが個人的にはリアリティを感じてしまうというか。
ヴァンパイアやゾンビ、狼男なんかの洋物ホラーも怖いと思ったりするけれど、それよりも吉備津の釜とか呪怨などの和物ホラーのほうがぞっとさせられるのと似たようなかんじで、田舎のほうが怖いのです。
私の中で一番怖い田舎エピソードは、知人のZ氏のお話で、なんとZ氏は周囲の人々から「人殺し」と思われているのです。
昔、ある女性が私の田舎で変死しました。Z氏はその女性と付き合っていて、彼女から数百万のお金を借りていて、他にも付き合っている女性はいて、という状況だったそうです。
そういうわけで二人はしばしば、別れる別れないだの、金返せ返せないだの、そんな話で争っていたとかなんとか。
争いが頻繁になり、二人の間の緊張状態が日毎に高まっていったある日、彼女は突然死んだ。
その後、彼女の死は事故あるいは自殺ということで、警察は処理したのですが。
Z氏と故人の愛憎の経緯を、田舎ですから周囲は知っています。
故に、Z氏が彼女を殺した、というのはわりとおおっぴらに噂されていまして、それは例えばこんな具合です。
「おめえ、R町のもんか」
「そうだ」
「R町っていたら、おめえ、Zって知ってっか? この間死んだ○○……あれはあいつが殺したつう話じゃねえか」
「ああ、まず間違いねえな。あいつは人殺しよ」
「でもよ警察は事故ってことで終わらしたらしいじゃねえか」
「田舎の警察なんざ、あてにならねえ。Zのところに話を聞きに行く事すら、してねえくらいだからな。あいつが借金作ってたのは、みんな知ってんのによ」
ほんとにね、こういうかんじで、極めてカジュアルに話されているんですわ。
この話には恐怖ポイントがいくつかあります。
まず、Z氏が本当に人殺しであった場合、そんな人が普通に野放しになっているのは、そうとうな恐怖です。
だけどもし、Z氏が殺人者じゃなかったとしたら?
「Z氏は無実なのに周囲の共通認識として人殺しと断定されている」ということになり、それはそれでとても怖い。というかひょっとしたらそっちのほうが怖い気がするのです。
Z氏が借金をしていたとか、他にも女性がいたとか、故人と揉めていたとか、そういう話はたぶん、ある程度は事実なのでしょう。
とはいえ、数百万と言われている借金の金額なんかが、本当に正確な情報なのかはわからないわけで。
田舎は住民がお互いの情報を事細かに把握しあっていたりするわけですが、把握している情報が100パーセント正しいとも限らない。
けれど結局は事実が正確かどうかということよりも、周囲の情報交換によって形成された見解こそが共通認識というか、コミュニティの中での紛れも無い「真実」になり、そしてその「真実」は基本、覆されることがない。
私はそれが、とても怖いのです。
後輩のお父さんが失踪したんですよ昔。
共通認識としてそのお父さんは「女好きだから愛人と逃げた」と言われていました。
彼が失踪したことをみんなが知っていて、その理由まで知っていて、それが真実ということになっていた。
でも、何年も経ってから、林の中で骨になって見つかったんですお父さん。
お父さんは愛人と逃げていなかったんですよ。逃げたということになっていたし、家族を始めとしたみんながそう信じていたけれど。
夫が、父が、息子が、愛人と逃げて自分たちを捨てたのだと思っていて、そんな理由で自分たちが捨てられたことを周りじゅう誰もが知っていて、
「そういえば女好きだったねえ」
なんて噂されて、家族を捨てる女好きとしての人物像がコミュニティの中で着実に作られて。
だけどお父さんは愛人と逃げたわけじゃなかったんですよ。林の中で何かがあって、家に帰れないまま、骨になってしまったんですよ。ひそやかな噂話が広がる月日、彼の体は静かに静かに朽ちていったんですよ、妻が、我が子が、両親が抱いた誤解を訂正することなんて出来ないままに。
Z氏はね、昔人殺しということになって、今も人殺しということになっていて、これから先も人殺しのままなんですよきっと。
たとえば亡くなった女性を殺した犯人というのが、他に現れたりしない限り、その「真実」はそのままなんです。
火のないところに煙りは立たないって、言いますね。
それもね、確かにそうなんだと思います。
私はZ氏が艶福家であることを知っています。
彼が子供の頃から乱暴者という評判で喧嘩っ早いことも、時々猫を捕まえていじめ殺したりしていることも、女性の下着を盗んだことがあること、酒癖の悪い酒好きであることも、酔ってパートナーの女性相手に暴力を振るったことがあることも、知っています。
知ってしまうんですよ、田舎で暮らすってそういうことなんですから。知られてしまうんですよ、そんな不名誉な事柄も。
だからまあ、私だって、Z氏は正直とても怪しいな、と思ったりする時、ありますよ。
だけどね。
喧嘩好きで暴力的で女にだらしない酒乱というのは、好ましい人物像とは言えませんけれども、どっちかというとかなりダメっぽい感じではありますけど、だからってそういう人がみんな、揉め事の相手を殺すわけじゃない。
むしろ、そういうダメっぽい人間であっても、誰のことも殺さずに一生過ごすひとのほうが多いのでは?
だからやっぱり、Z氏が人殺しかどうかなんて、わからない。
わからないのに、「真実」とされるナニカが生み出されたりするわけです。
これは、怖い。
そしてね。もう一つ私には、怖いことがあるんです。
田舎の人というのは排他的なイメージがあったりしますね。
だけど私は、それが必ずしもそうではない気がするのです。
だって、たとえば「村八分」という言葉。
八分排斥されるというのは、そりゃあ辛いだろうと思いますがその一方で、そこまで排斥されているにも関わらず、二分だけは切り離されない、切り離してもらえない、というところに個人的には闇を見る思いがするのです。
Z氏は。
人殺しと噂され、そう信じられていますけれども。
だからといって誰も彼と交わろうとしないとか、そういうことは別になくって。田舎の片隅で今も普通に暮らしています。
働いていますし、一緒に暮らす女性もいます。
周囲の人と普通に交流しています。交流しなければ、ならないんです。
それが生活するということだから。
どっちのほうが怖いんでしょうね。
人殺しと噂されていることを知りながら、それでも人と交わって生きるZ氏と。
彼が人殺しであると確信しながらも、にこやかに受け入れる周囲と。
近所の人が集まって飲む時、Z氏がやってくると時々タンスの中から下着が消えるのだと愚痴る女性の話を聞きながら、そんなことを昔、考えたものです。
コミュニティから排斥されて完全な異分子として、たとえば仙人のように孤立して暮らすことは、可能ならば「救済」だよね、と思ったりします。。
だけど実際にはそんなふうに生きることはとてもむずかしいから、居心地が悪くとも人は人と共にあらねばならない。
私は実感としてそう思ってしまっていますし、その感覚は変えられないし、そしてそのことが、時々本当に、とても怖い。
私たちが群れを作らなければ生きていけない生き物であることが、群れからの完全な孤立を望みながらも怖れてしまう、そんな風にできている私たちの心が。
どうしようもなく、怖い。
にこやかに酒を酌み交わす近所の仲間は、Z氏が席を立った途端に、また噂を囁きあうのかもしれない。
それでもZ氏は笑いながら席に戻るんです。たぶんね。
だからといって私は田舎より都会がいい、とかそういう風に思い切れもせず、「村八分」でも残る二分に救済と恐怖の双方を感じるし、都会しか知らないひとが「田舎はなー」と語る時、それが「田舎はいいよね」でも「田舎は怖い」でもどちらにせよ釈然としないまま、生きていくのだと思います。
それでまあ、このぐたぐたした文章読んだ都会の人は、
「怖い怖い言ってるだけで、何がそんなに怖いのか、きっちり書いていないじゃないか」
とお思いになったりするかもしれないんですが、私はこれ以上は、なんとなく書けないので勘弁して下さい。
なんせこのブログ、うちの「田舎」の両親も読んだりするわけなので。