wHite_caKe

だらだら書きますので、だらだら読んでもらえるとありがたく。

大和撫子の声 その2

モテてモテてしょうがないが故に、人生がたいへんなコジョウ・ミミエ(仮名)さんのお話第二話でございます。
第一話はコチラとなっております。


考察「大和撫子の声について」

今更これを言うのはなんなんですが、実はミミエさんは際立った美人というわけではありません。
私の友人にもミミエさんよりかわいいな、綺麗だな、と思える子は幾人もいます。
だけどその中の誰ひとりとして、ミミエさんほどにモテることはない。
じゃあミミエさんの異常なモテの理由って何なの、というのは周りの人間にとっては深い謎に包まれていました。たぶんヘテロ男性じゃないとその理由の核心はつかめないんだろうな、と私は未だに思っていますが、ミミエさんには一つ、際立った特徴がありました。


人当たりがとてつもなく良くて。
声がうっとりするような甘さと美しさを持っており。
心地よく耳をくすぐる優しくて柔らかくて感じの良い、そんな口調で話をするのです。


ミミエさんの声と口調には、なんだか凄まじいイメージの喚起力があります。
甘さ優しさ柔らかさ美しさが絶妙にブレンドされたその声は、「理想の女性」というものを目の前に現出させるような効果があるのです。
私はそれを「大和撫子の声」と心の中で呼んでいます。


大和撫子とはどんな人物なのか。
漠然としたイメージではありますが、私が思い描くのは清楚で美しく、気品があって淑やか。常に控えめに男性を立て、従順で、優しい女性です。
ミミエさんの声は、そういう声です。清楚な美しさと高い気品を匂わせ、淑やかで従順。


大和撫子の声ぇ? ふうん、シロイはそんな風に思っているんだ。おれの解釈はちょっと違うけどねえ」
セキゼキさん(仮名)に一度、そう言われたことがあります。
「えー。そうなの? じゃあセキゼキさんの解釈はどうなの?」
「うーんそうねえ。おれだったらあの声は……『空手形の声』って言うかなあ。いやこの解釈はちょっと悪意に過ぎるかなあ?」
「空手形? え、ちょっと、意味がわからないんですけど」
「だからさあ、ミミエさんの声って確かにシロイが言うように魅力的だよ。すごくお淑やかで、『この子おれの頼みはなんでもきいてくれそう!』っていう雰囲気があるよ。いや違うな。雰囲気なんて甘いもんじゃない。はっきりとそう錯覚させかねないところがある。だからこそ、それって嘘じゃん。だってミミエさんは実は『あなたの言葉に完全服従』なんて人じゃないもんね。争うのが嫌いだから、人の言う事にはあまり逆らわないところはあるけど、だからってなんでも全部言いなりになってくれるわけじゃないだろうが」
「え、だって、そんなの、当たり前でしょう? 自分に完全服従してくれる誰かなんて、フツーいないよね? ていうか、そんな人が本当にいたら逆にまずいと思うし、なんか怖い」
「全部おれの思い通りになってくれる女がいたらサイコー、いるわけないかな、でもいるといいのに。そんなふうに考えてるやつ、たくさんいると思うけど? だから自分好みに少女育成しちゃった光源氏が『男のあこがれ』とか言われちゃうわけでしょ。
もちろんそんなこと現実にできるわけないから、たいていの人間が不満を持ちながら諦めていくんだと思うけど。でもさ、完全に諦めきれていない人間が、あの声聞いちゃったら。
そりゃあ錯覚するだろうな。ついにおれの夢が叶ったとか思ってさ。だけどそんな理想とか夢とかって、嘘なんだよね。どんなに従順に見える女性だって、思い通りにならない瞬間は来るわけで。紫の上だって、一生光源氏の思い通りのお人形でいてくれたわけじゃない。その瞬間、『裏切られた騙された』って怒り狂う男もたぶん、絶対にいちゃう……だからおれはアレを『空手形の声』と呼ぶ。完全に従順な理想の女性という幻想を見せた後、必ずそれを裏切る声なんだからね」



再び就職、でもやっぱり揉めるよ編

さてさて、ついにめでたく女性ばかりの部署で働き始めたミミエさん。
とはいえ、ミミエさんの勤務先の会社の従業員が全員女性であるわけではありません。男性が大勢いらっしゃる部署も、当然のことながら存在します。
そしてミミエさんの部署は、様々な部署の相互の橋渡しのような業務を請け負う場所でもありました。
そこに待ち受けていた意外な罠。それは内線電話でした。
ミミエさんは来る日も来る日もたくさんの内線電話を取り次ぎました。あの「大和撫子の声」で。


やがて、ミミエさんの勤め先では
「○○部にかけるとすっごく甘くてやさしーい口調で取り次ぎをしてくれる女の子がいるね! どんな子なのか気になる」
と言い出す男性が現れ始めたのです。
その中の何人かは、「大和撫子の声」の主をかなり真剣に探し、あっさりとミミエさんに辿り着きました。
不幸だったのはその中にいらっしゃったある男性が不倫中の身の上であり、その不倫相手というのがミミエさんの上司にあたる女性だったこと。


当然と言っていいのかそんなわけで女性上司は、ミミエさんのことが大嫌いになりました。
あっという間に、ミミエさんの職場での居心地は悪化。同じ部署にはミミエさんに同情的な女性が多数いて、彼女たちはミミエさんをよく庇ってくれましたが、限界はありました。
女性上司の不倫相手というのは、その職場では部長クラスの方だったのですね。部長は一度はミミエさんに心を動かされかけたとはいえ、女性上司が自分を裏切れば公私両面での破滅があり得る、ということにすぐに気づきました。
というわけで部長は女性上司の機嫌をとるため、ミミエさんに対するイジメは見て見ぬふりをすることに決めました。


書類を届けるのが五分遅れたという理由で平手打ちを食らわされたり。
スカートの丈が短いという理由で三十分近くねちねちと嫌味を言われたり。
男をたぶらかすしか能がない女はさっさと辞めちまえ、と叱り飛ばされたり。
ミミエさんはもともと男性不信の気があったのですが、このころにはだんだん、女性というのも怖い存在だ、と思い始めます。
それが結果的に何かバランスをとることになったのか、ミミエさんは男性を「男性だから怖い」とはそれほど思わなくなりました。「男も女も怖いんだから、男の人って怖いとか言ってられないかんじ」と本人は後に語りましたが。
だからなのかなんなのか、ミミエさんに彼氏ができました。同じ職場の男性です。十歳以上年上のその男性は、これまで年代の近い男性の情熱あふれるアプローチに苦労してきたミミエさんにとっては、とても頼り甲斐があって、落ち着ける相手だと思えたようです。、
色々辛いけど彼氏ができた事自体はめでたいのう、と思った友人たちでしたが、結局それも甘かったり。


ミミエさんに対するイジメが急に止みました。
理由はシンプル、その会社の社長の息子が、ミミエさんに惚れてしまったからです。
女性上司もその不倫相手の部長も、会社で生きる人間として、社長令息の想い人に下手なちょっかいを出して自分たちの地位が危うくなるのは嫌だったのです。
とはいえ。
これはミミエさんにとってちっとも嬉しい事態ではありませんでした。だってミミエさんには彼氏がいるんですもの。そもそも社長令息、既婚者なんですもの。いくら社内で自分の地位を安泰させたくとも、こんな状態で社長令息の思いに応えるわけにはいきません。
おまけに社長令息にとってミミエさんの彼氏は大学の後輩にあたりましたので、彼氏は社内では「社長令息派」の人間とみなされていました。
社長令息も、将来的には自分の側近になりうる人間として、ミミエさんの彼氏に目をかけていました。社長令息からすればそんな彼氏がミミエさんと交際しているというのは、裏切り以外の何者でもないでしょう。
この状況はまずい。非常にまずい。自分たちの交際が社長令息に知られてはならない。
ミミエさんと彼氏が悩みまくったちょうどその頃、ミミエさんのお父さんが体調を急に崩されて入院しました。


ミミエさんはあっさりと介護のために退職することを決めました。
彼氏との話し合いで、ミミエさんが職場を去れば社長令息もさすがに諦めるだろうし、それからほとぼりが冷めるのを見計らって結婚するのがいいんじゃないか、という話になっていたのですね。
そもそもかなりの高給取りであった彼氏は、もともと「結婚したら仕事はやめて家庭に入って欲しい」と再三ミミエさんに言っていましたし。
仕事自体は好きで続けたがっていたミミエさんは、最初の頃は彼氏のそんな物言いに反発していたのですが、実際問題もうその職場で働き続けるのはちょっと辛すぎるね、という状態になっていましたので、彼氏の言葉に従うことにしたのです。


ところがミミエさんの退職日直前にお父様の容態が急変し、ついに帰らぬ人となりました。
悲しみに沈むミミエさんに付き添って、彼氏も通夜、告別式に参列しましたが、そこに社長令息も現れてしまったんですよ、もしかしたら憔悴したミミエさんに近寄る良いチャンスだと社長令息は思っていたのかもしれませんが、まあこれは下衆の勘繰りというものですねスミマセン。
とにかく、ミミエさんと彼氏が並んでいる様子を見て、社長令息はものすごく憮然としました。
その後忌引き休暇を終えて、最後の引継処理のために出社したミミエさんは、直接社長令息に呼び出され
「やっぱり君たち付き合ってんの? おれのことはダメなのにあいつはオーケーなのはどうしてなの? あいつよっぽどアッチがうまいの? 君はそう見えてほんとにけっこうスキモノだよね」
みたいなことを言われたりしました。ああ書いてるほうもこのあたりにきてついに頭に血が上ってきましたよ、ううううう。



寿退職で子育て編

それでもとにかくミミエさんはなんとか退職しましたが、問題はその後の彼氏。
結局社長令息にはバレてしまったんだしということで、二人はそれほど長く待つこともなく結婚したんですが、社長令息だって奥さんがいらっしゃるんだからそれほど長くはこだわるまい、きっと忘れてくれるさ、いう思惑どおりに事は運びませんでしたってゆー。
ねちねち、ねちねち、嫌味は続くよどこまでも。
仕事が嫌になってくるなあ、ああでも自分たちの住む小さな地方都市では、給料がこんなに良くて、福利厚生も整備されているような条件の良い会社は探してもないから、転職はしたくないし……そんなふうに思う旦那。
帰宅して自分を出迎えるミミエさんを見る度に、もしも自分がミミエさんと付き合っていなければこんなことにはならなかったのに、と思ったり。


程なくしてミミエさんは妊娠。
ストレスが重なっていたせいもあったのか悪阻も極めつけに酷く、何も食べられなくなった時期は点滴で乗り越えたりしながら、ミミエさんは出産に漕ぎ着けます。
「子どもができたんだってねー、ふーん、はやいねー、君たち。うちなんて最初から作ろうと思ってもなかなかできなかったけどねー、やっぱりスキモノの女は違うのかねー。ああところで景気が悪いのは君も知ってるだろ、だから子どもができたところ申し訳ないけど給料は下がってしまうんだよ悪いねえ」
とか言われる旦那。


出産後、なかなか母乳がでないミミエさん。旦那が生活費を渡すのを渋り始めて、ものすごく困ります。
「あの……今月の生活費、もう一週間以上遅れているんだけど……お金がもうなくて」
「困るなあ、まだ渡せないんだよ。五日前につなぎの資金ということで二万円渡したはずだけど、もうないの? 何に使うとお金がそんなにすぐなくなるの? あの二万であと十日くらいなんとかならない?」
「何って……だって、オムツとかもいるし。私、母乳が思ったようにでないからミルクも買わなくちゃ行けないし。光熱費も雑費も私たちの食費もあるから、二万円じゃ足りないよ」
「うーん、母乳がでないっていうのはつまり、君の責任だよね。君が母乳くらいきちんと出せるちゃんとした母親であれば、ミルク代が節約できたのは明らかだ。だったら君がすべきことはぼくに生活費をせびることじゃないよね? まず自分の責任を果たすべきだ。何がなんでも母乳を出すところから始めてくれないと。ぼくにお金を出せと頼むのは、それからの話だろう?」
「それは確かに、私だってちゃんと母乳だしたいけど! でも、生活費の額は二人で話しあって決めたわけでしょ。それを毎月六日に渡してくれる約束だよね? 私が母乳を出さないと、その約束はなくなっちゃうの?」
「そういうことじゃないよ。でもぼくだって、給料が下がって困っているんだよ。仕事上の付き合いもあるから、そうそう自分の小遣いも減らせなくて苦労してるのに、さらに君に無制限に金をせびられ続けたら、家計は回らなくなるだろう?」


そんな会話の直後に、田舎ネットワークの迅速さで、
「ミミエちゃんの旦那さん、最近連日うちの店で飲んで、女の子口説いているけど、大丈夫?」
とキャバクラ勤務中のかつての同級生から連絡が入ったりして、更にストレスを貯めるミミエさん。
キャバクラに使うお金はあっても、娘のオムツとミルク代に使うお金は惜しいんだ……と心が冷えたり。
そんなことも過去にはあったのでした。


「けれどもう今更何を悔やんでも仕方ないよね、もとの職場には戻れそうにないし、子どもはまだまだ小さいし、私は割りきって目前の育児に取り組むしかないよー」
ミミエさんは電話口の向こうで笑いました。
それは本当に仕方ないのか……? という疑問が私の脳裏を過ぎりましたが、それは言っても仕方のないこと。働き口の少ない田舎で暮らすしかないミミエさん、既に実のお父さんを失って、実家に頼ることも良しとできないミミエさんに「それは間違ってるよ」と言うことは、私にはできませんでした。
「それより、明日は久しぶりのお出かけだから、ほんと嬉しいよ。最近娘が歩けるようになったから、やっと安心してちょっとずつ外出できるようになってきたんだ」
「あ、うん。駅の近くの、オープンしたてのカフェだっけ?」
「そうそう、ちょっと路地が入り組んだところにあるから、わかりにくいかもしれないけど」
「うーん、でも高校時代そのあたりよくうろうろしたし、大丈夫だと思う。んじゃ、明日ね」


翌日。
私は駅の近くの路地裏をぐるぐると歩き回っていました。
念のため早めに家を出てきてよかった。高校時代はよくうろついた場所とはいえ、卒業してからの長い年月、見覚えのある店は姿を消し、知らない店があちこちに出来て、道すら変わっている場所もあって、目当てのカフェがなかなか見つかりません。
「うーん、なんか昼間からやけに人気が少ない道に出ちゃったなあ……おかしいなあ、このへんの筈だよね。ミミエの携帯にちょっと掛けてみるかな」
私がきょろきょろしながら携帯電話を取り出すと、突然
「嫌、やめて、何するの!」
と女性が大声を出しているのが聞こえました。
なんだなんだ、何があった? 思わずそちらのほうに走った私は、そこで信じられない光景を目にします。


十代後半と思しき一人の少年が、ベビーカーを人気の少ない袋小路に向かって引きずっていこうとしています。
数人の少年がにやにやしながら一人の女性を取り囲み、彼女の腕を掴んで、同じ袋小路に引きずり込もうとしています。
警察に通報したほうがいいかも、そう考えた私は自分が先程取り出した携帯電話を未だに握り締めていることに気づきました。
ディスプレイには「呼出中 コジョウ・ミミエ」の文字。
涙をこぼしながら少年たちに抗っている女性のバッグのポケットでは何かがピカピカと光っていて、私はそれが着信中の携帯電話なのだ、ということを理解しました。
「ええっ、嘘でしょミミエ! ちょっとマジあんたたち何やってんの、大声出すぞバカヤロー」


私がほとんど絶叫に近い声を張り上げたところで、少年たちは顔を上げてこちらを見ました。
私の声を聞きつけたのでしょう、近所の住人たちが窓を開けドアを開けて数人、顔を出しました。
「なんだよちくしょー、もういいよ、ちょっとふざけただけじゃねーか」
少年たちはそんなことを言っていた、ような気がします。とにかく彼らはあっという間にベビーカーとミミエさんから手を離し、走り去っていきました。


「嘘でしょ嘘でしょ何が起こったのミミエ」
私はミミエさんに駆け寄り、結局私たちは泣き出してしまった娘さんを連れてミミエの自宅に向かい、そこで話をすることになりました。


「最初は別にたいしたことじゃなくて……ベビーカーを押して歩いていたら、道の向こう側から男の子たちが何人か歩いてくるのが見えて。そしたらその中の誰かが『赤ちゃんだー』って言いながら、ベビーカーを覗き込んで。『かわいいなー』って。娘が誉められて嬉しかったから、私もニコニコしながら応対してて。そしたらそしたら……」
娘さんが向こうの部屋で機嫌よく一人遊びを続けているのを横目で見ながら、私はミミエさんの話を聞いていました。
「気がついたら、男の子が変な目でこっちを見てて。『おねえさん、ちょっとあっち行こうよ』とか言われて、意味がわからなくて、『えっ?』って聞き返したら、『赤ちゃん怪我させたくないでしょう』って。それでそれで……」


「なんちゅー酷い話だ」


「すごくショックだった。なんていうか、起こった事自体もすごく怖かったんだけど、ああいうふうに複数の男の人に襲われそうになったことがほんとにほんとに怖かったんだけど、それだけじゃなくて」
「私、もう、若くないのに。あの子たち、十代でしょ? せいぜいハタチそこそこくらいでしょ? あの子たちから見たら、もう私なんておばさんでしょ? だって子どもまで連れてるんだよ?」
「私、もっと若い頃、やっぱり怖い目に遭ったことあるじゃない。すごく嫌で仕方なかったけど、なんていうか、全部あと数年の我慢じゃないかと思っていたのね。三十近くなれば、自然と誰にも相手にされなくなるだろうと思っていたの……もっと言うと、それを楽しみにしている部分もあったの。だってこんなことが全部一生続くなんて、ほんとに嫌なんだもの。だから早く結婚したかったし、子どもも欲しかったし」

私は、ミミエさんの心底からの叫びを聞いたような気がしました。
ひたすら受験勉強に打ち込んでやっと入った大学を諦め。
職場から追い出されるようにして退職する羽目になり。
資格を得て働き始めた新しい職場でイジメに遭う。
そういうことは全部、ミミエさんがモテなければ起こっていなかったかもしれないことなわけで。
なのにミミエさんはこういう真剣な困りごとを相談できる相手があまりにも少なかった。
女友達に相談するとき、相手を選ばないと「モテ自慢」だと思われて疎まれる。
男性に相談すると、「じゃあおれが守ってあげるよ。だからおれと付き合って」みたいな話になって、トラブルがポケットの中のビスケット式に増大。
彼氏に相談した結果、嫉妬で暴走した彼氏が更に事態を悪化させたこともありました。


そもそも一人暮らし経験のある女性というのは、多かれ少なかれ、性犯罪に関連する恐怖みたいなものを味わったことがあったりしますが、ミミエさんの場合は、包丁を持った男に追いかけまわされるといったデッド・オア・アライブを彷徨う恐怖体験に多い時期には年に数回ほども遭遇していたりするのです。
ミミエさんはモテます。だからそれで、良い思いをしたこともありました。私はそれも知っています。ミミエさんと一緒にごはんを食べに行くと、男性の店員が私たちのテーブルだけ勘定をおまけしてくれたりしましたから。男性からプレゼントを貰ったこともたくさんあって、ミミエさんが何かで困っていると手助けを申し出る男性も大勢いて。
だけど、そういうちょっとした良い思いじゃ埋め合わせがつかないくらいのことが、ミミエさんの人生にはあまりにも多すぎました。


「さっきの男の子たちって、近所に住んでいたりしたらけっこうやばいんじゃあ……一応旦那さんに報告しておいたほうがいいかもね」
「旦那に報告?」
その瞬間、ミミエさんの声は冷ややかなものに変わりました。
「旦那に報告して、事態がよくなることがあると思うのシロイ? 子どものミルク代を出したくないから母乳を出せって言う人に? どうせまた、私が悪いって言われるんだろうな。考えただけでうんざり」
「あ……うん……それは嫌だね……ていうか、やっぱり、ちょっとそのへん旦那さん酷くありませんか」
「そうかしら?」
ミミエさんは首を傾げました。
「あの人って酷い人なの? 私はそうは思わないけど」
「え、いや、娘のミルク代ケチってキャバクラ通いとか、私はすごく嫌だけどな。これだけモテるミミエがなぜあの人を、と思うときが正直ありますです……もちろん、なんつーか、私には分からない良さが彼にはあるんでしょうけれども」
「そうね、私もあの人のああいうところは嫌よ。それにシロイが知らない良さが彼にあるってことも、たぶんないでしょうね」
「ふーん、そうなんだ……って、えええええ!?」
私は思わず大きな声を上げました。
「なんか聞いてるとミミエ、自分の旦那のこと、全然高く評価してないような気がするんですけど」
「それは心外。私は旦那のこと、高く評価してるつもりだけど? 少なくとも今まで私の周りにいた男性の中では一番だと思っている」
「いやいやいや。だけどなんか、ミミエの話を聞いているとなんつーか、そう、信頼! 旦那さんのことを信頼してないように思えるわけだよ。気のせい?」
「それは……まあ、気のせいではないかなあ。信頼はしてないよ。ぶっちゃけシロイとか、○○とか、▲▲とか、まあそのあたりの友達のほうが、ずっとずっと信頼してるよね。でもねえ、そもそも私、男性を信頼するとか、ここ十年くらい、考えた事ないわ」
「はいい? なんでそうなるですか」



考察「需要の切れない人間について

「モテ方ってホントは一種類じゃないのに、それに気付いていない人間が多いよね」
「はい? セキゼキさん何の話?」


「うーん、なんというか、『便利な』人間て、需要が切れないんだよ絶対。職場では仕事が出来る有能なやつの周りには人が大勢集まる。親切な人間、気が利く人間、聞き上手な人間、話がうまい人間、そういうひとたちは人に好かれやすくて、結局それってそういう人間は、そうじゃない人間よりも圧倒的に『便利』だからだったりするでしょ」
「うわあー、そういう言葉で片付けられると、ニンゲンカンケイ全般が途端に殺伐としたモノに見えてくるナリ……」
「あ、でも別に『便利』ってただの取っ掛かりに過ぎないんじゃないかな。そういうわかりやすいところから仲良くなって、そのうちそれだけじゃなくなるから、人の世は面白いわけで。ただ……最初から最後までずっと相手を『便利なツール』としか見ない人間というのもいるから厄介で。
人間をすべてツール扱いするやつもいて、それはそれで酷いこと。でもそういう人間ていうのはある意味わかりやすいから、見分けて避けることができるかもしれない。
でもけっこう大勢いるわりに見分けづらいのは、人間扱いする相手と、ツール扱いしかしない相手をきっちり分けちゃう人間なんだよね。そういう人間は自分が残酷なことをしている自覚が薄かったりして。おまけに他人にツール扱いされやすいタイプってのも居るんだ。そういうタイプはいろんな人間にツールとしてずっと扱われ続けて。他の人はみな人間として扱われているのに、なぜ自分だけツールなんだろう、どうすれば人間と思ってもらえるんだろうと、思いながら生きていくっていうのは……すごく辛いんだろうなあ」


「えっと、それはモテ方が一種類じゃないという話と、どうつながるんでしょうか」
「ああわかりにくかった。えっとつまりね。実はツールとして扱われやすいタイプ……仮にパシリ体質って呼ぶね、正確にはちょっと違う気もするけど。とにかくそういう人って、表面的にはモテたりするんだよね実は」
「ええっ、そうなの!? 学生時代にいじめっ子にパシらされていた人間が、その後モテモテになったりするわけ?」
「あ、いやそんな簡単なもんじゃなくてね。つまり、パシリって、ある意味『人気者』だと思わない? 人間が大勢周りに集まってくるのがパシリだもの。動機は『便利に使いたい』というそれだけだから、ぜんぜん嬉しくないけど。でもさ、誰にも思い通りにできない、もちろん便利に使うこともできない、そういう人間はほんとの嫌われ者になって、ただ孤立するだけ。ひとが集まったりはしない。
だから教師からイジメが見えづらいってのもあるかもね。いつもつるんでる友達同士に見えちゃったりしてさ。だいたい便利なパシリにたかる連中ってのは、それはそれである種の『愛着』を抱いているときもあるからね。『詐欺師がカモに対して抱くような愛情』っていうの? 便利な道具に愛着を抱くことは珍しくないよね。だからこそ自分たちは酷いことをしてるという自覚が生まれにくい」


「そんでも、これがいじめっ子がパシリ体質の人間を嗅ぎ分けて寄ってくる、という事態なら、それはやっぱり傍から見たら酷いことだってわかったりもするけど。これが『パシリ兼ダッチワイフ』とか『パシリ兼ATM』を探しているやつらが一人の人間の周りに集まってくるって状態だとわかりにくいんだなー。それは一般では『モテてる』っていわれちゃう状態だからね。
しかも『高嶺の花』タイプがモテてる状態より、実はパシリ体質がモテてる状態のほうが、わかりやすいし劇的だったりするときもあって。だって人間は拒絶されることを嫌がるもの。高嶺の花に身の程知らずに言い寄って撥ねつけられたら、やっぱり傷つくじゃない? だから高値の花に対しては、自然とみんな、慎重になる。大胆に近づけるのは、自分に自信のある人間だけ。
でもパシリ体質の人間に対しては、わりとみんな、大胆で、強引で、思い切った、押しが強い行動をとれたりする。それほど自分に自信がなくても、パシリ体質の人間ごとき、強気に押せば言う事を聞くはずだと、そう思っちゃうからねー。
そんでそういう場合って、相手が『付き合えませんごめんなさい』とか言うと、いきなり逆上しちゃうんだよね。だってそれって、そいつの主観では格下の人間の裏切りだもの。
なのに、世の中ではモテることは良いこと、とか思われちゃってるからさー。そんなキツイ形でモテてる人も辛いことばっかりなのに、それは良いことみたいに言われちゃうんだよね。下手すると本人も『これは酷いことだ』って気づかないんだよね。モテればモテるほど辛いのに、それでもこれからもモテ続けようとしちゃったりするんだよね」



コジョウ・ミミエは静かに暮らしたい

「あのね。なんか今日はもう、思い切って言うけど。シロイ、私の周りの男性を見て、今までどう思っていたのよ? モテたから選び放題って、あの中の誰をどう選べって言うのよ?
バイト先に押しかけて、こっちが勤務中で困っているのにプレゼントを押し付けてきた人を選ぶの? 私が嫌がったら途端に逆上して怒鳴りつけてきたあの人たちの中から? それとも付き合ってくれと言ったら断られたという理由で私の悪い噂を振りまいた大学の同級生たちのほうがまだマシ? お前のために婚約者と別れてやったんだからおれと付き合うべきだって、主張した上司はひょっとして誠実? 初対面で最初の一言がいきなり『ホテルに行こう』だった人たちの中に当たりが?
モテモテで選び放題だったはずの私の選択肢とやらは、数だけは多いけど、そのくせどれも選びたくないものばっかり! ああいう人たちに比べたら、今の旦那は怒鳴らないし逆上しない、無言電話もかけてこないし、包丁を持ち出すこともない、ダントツ一番素敵で良いひとじゃないの!
あの人は嘘を吐くし、浮気もする、お金にルーズな面もあるけど、それくらいしか欠点はないもの。それだけでも私は、だいぶ出来た人だと思うの、思いたいの、思うことにしたの! だってそういうことを一つもしない男の人なんて、私は知らないもの!! そんな人には会ったことがない、そんな男の人なんているはずない、いるかも知れないなんて思わない、そんな男がどこかにいるなんて、絶対に信じてなんかやるもんですか!!!」


「ああもう今日みたいな日はすごく思う、早く年を取りたい、おばさんになって、おばあちゃんになって、男の人がみんな私を放っておいてくれる、そういう人間に早くなりたい! 誰にも『モテる』なんて思われたくない!
だけどやっぱりそれはそれで怖いの、どうしても怖いの、そうなったとき私のそばに誰が残るのかわからないから、だって現に旦那はもう、他の女に興味を示してる、私が子供を産んでおばさんになったから、もう要らないって思い始めてる、きっとそう! 男の人は怖いの、でも男の人がいなくなるのも怖い、おばさんにはなりたくないの、旦那に嫌われるのは嫌なの、捨てられるのは困るの、どうしていいかわからない、わからないのよう!!!!」


私はその時初めて、ミミエさんの完全無欠な「大和撫子の声」が、きしみ、歪み、裏返り、ひび割れるのを耳にしました。
激しい感情が荒れ狂い、怒りと鬱憤が込められた叩きつけるような叫び。
そしてそうなってもなお、ミミエさんの声と口調はどこか甘く、どこかあたたかく、心地の良い柔らかさに満ちていて。
私はなんだか、泣きたいような気持ちになりました。


最後に私がミミエさんの家を辞するとき。
一歳になったばかりの娘さんがちょこちょことやってきて、
「ばいばい」
と笑いました。
娘さんはどちらかと言えば父親似だと、私はその時まで思っていました。
けれど微笑みながらそう言った女の子の声は、高く、澄んで、あたたかく。口調はあくまで優しげで甘く。私は初めて、彼女にも母親そっくりな部分があるのかもしれないと、気づきました。


娘を抱き上げたミミエさんが、玄関に立ち、私を見送りました。
月日が流れて本当に「おばさん」になれば、ミミエさんはもしかすると解放されるのかもしれない。
だけど、あの小さな女の子はその時、どうなっている?
母親の腕に抱かれてにこにことこちらを見て笑う幼女を眺めながら、「大和撫子の声」が彼女の人生を必要以上に辛いものに変えてしまわないよう、私は祈るような気持ちになったのでした。


追記(2015.12.16追記)

傘をひらいて、空をの槙野さやか(id:kasawo)さんにこのエントリをリライトしていただきました。
やまとなでしこの声 - 傘をひらいて、空を
めったにない経験をさせていただきました。ありがとうございました。