2008年3月27日木曜日。
16時頃、私の携帯に、セキゼキさん(仮名)からメールが入りました。
今シロイの最寄り駅の近くにいるから
帰る頃メール欲しい。迎えに行きます
平日のこんな時間、勤務中の筈のセキゼキさんが、一体なぜこんなメールを……?
何かおかしなことが起きているんじゃないかという、もやもやした不安を抱えながら、私は「わかった。職場を出たらすぐにメールする」と返信し、その日は定時になるとすぐに、職場を飛び出しました。
改札を出てすぐのところに、セキゼキさんは立っていました。
「どうしたのセキゼキさん、今日は仕事はどうしたの?」
「行けなかったんだ仕事……どうしても電車に乗れなくて今朝……ホームで何本も電車を見送って……でもどうしても足が動かなくて……」
その答えを聞いた瞬間、やはりそうか、と私は心中ひそかに呟きました。ここ数ヶ月、セキゼキさんの情緒が目に見えて不安定になっているように見えたのは、やはり気のせいではなかったのだと、私は気落ちしながら考えたのです。
「セキゼキさん、昨日は仕事行った?」
私が尋ねると、セキゼキさんはびくっと体を震わせて、かぶりを振りました。
「じゃあ、仕事行けなくなったのは昨日からだったんだね。だからウチに遊びに来たのね?」
前日、セキゼキさんはアパートの前に立って、私が帰宅するのを待っていたのでした。定時後に職場から直行してもこの時間帯に私の家に着くのは難しいんじゃないか、と思えましたので、それとなく事情を尋ねてもセキゼキさんは上の空で何も答えませんでした。
セキゼキさんはそのまま落ち着かない様子で朝を迎え、私と一緒に駅に行き、私たちはホームで別れた筈だったのですが。
あの後ずっと、この人はホームに一人立ち尽くし、乗れない電車に乗ろうと、がんばっていたのだ。
「電車に乗れないからどこにも行けなくて、ずっと駅の近くの公園にいたんだけど、そしたら会社から携帯に電話がかかってきて……電話が怖くてとれなくて……だからシロイにメールしたんだ。誰かに助けて欲しかったから……」
消え入りそうな声でセキゼキさんは呟き、私は彼が十二時間近く公園のベンチに腰を下ろしていたことに気づいて、ぎょっとしました。
いかん、これは本当にやばいことが起きている。
私はセキゼキさんを促して駅の近くの公園に入ると、セキゼキさんをベンチに座らせ、自分の携帯で会社に電話をかけました。
「お疲れ様です、シロイです。実はセキゼキのことなんですが」
セキゼキさんと私は、同じ会社の別部門の社員同士でした。おかげで見知らぬ人にイチから事情を説明しなくて済み、その時の私にとってそれはとても助かることでした。
「あ、シロイさん? なんかセキゼキさんどうなっちゃてるの? 全然連絡がとれなくてさ」
「えーと、あの、IT業界でよくあるアレだと思います。メンタルヘルスの問題……どうも昨日から電車に乗れなくなってしまっているみたいで。今は会社に電話をするのも怖い状態なようなので、私が代わりに電話した次第です」
「うわ、そういうことか……薄々そうじゃないかとは思っていたんだよなあ。電車に乗れなくなるって、かなりのレベルになっちゃってるね……うん、事情はわかったよ」
私たちの会社では、過去にも心のバランスを崩し、仕事ができなくなって去っていった人が何人かいました。
その頃、私の職場には、空っぽの机が集まってできた島が一つありましたが、それは余った机と椅子の置き場がそこだったというわけではなく、ウツで休職中の人の席が一箇所に集められた結果、ゴーストタウンのような場所ができてしまっていたのでした。
だから、私たちはそういうことに慣れてしまっていたのです。それは本当は、慣れてはいけない種類のことなんでしょうが。
「ですので、おそらく当分、セキゼキは出社自体が無理な状況だと思います」
「そうだねえ。うーん、じゃあさ、ふたりとも今どこ? ちょっとおれがそっち行くから、三人で今後の話しようよ。とりあえず今日から休職扱いにしたほうがいいでしょ? そういうの、話しておいた方がいいと思う」
「うわ、すみません。セキゼキを会社につれていくのは難しい状況なので、そうしていただけるとありがたいです。えーと、私たちは今、××駅の近くの児童公園に居るんですけど……」
それまで悄然とうなだれていたセキゼキさんがそこで突然顔を上げました。いっぱいに見開いた目に浮かんでいるのは、紛れもなく恐怖です。
次の瞬間、セキゼキさんは自分の携帯とかばんを地面に放り投げると、すごい勢いで公園を飛び出していきました。
「えええええ、なんでそうなるのおおおお。す、すみません、なんか今セキゼキが走ってどこかに行っちゃって」
「はい? どういうことシロイさん?」
「いや私も全然わからないんですけど、とにかく追いかけます。落ち着いたらこちらからまた連絡しますが、ちょっと今晩中に連絡できるかはわからないかも! すみません、一旦切りますね!」
私は返事を待たずに電話を切り、セキゼキさんのかばんと携帯を拾い上げ、走りだしました。
セキゼキさんは懸命に走っていますが、その走り方もなんだかおかしい。腕をもがくように動かし、左右の足がぶつかり合ってよろよろと体が揺れ、「恐怖で足がもつれる」というのはこういうことなのだ、と私はその時理解しました。
ですから、私も大きく引き離されることなく、彼の後ろをついていくことができました。
やがてセキゼキさんの足が鈍り始めました。当然のことです。おそらく彼は昨夜しっかり眠れていないでしょうし、一日中寒い公園に座り込んで、食事もしていなかったのですから。ちゃんと眠り、ちゃんと食べている私の方が、体力的にははるかに有利です。
セキゼキさんはついに走るのをやめて、歩き始めました。私は彼に追いついて、その隣を並んで歩きました。
カバンと携帯を渡そうとしてもセキゼキさんは顔を背け、受け取ってくれません。話しかけてもすべて無視されます。
夜の中を、セキゼキさんはずんずんずんずん、人気がないほうを選んで歩いていきます。細い路地に入り、角を曲がって更に細い路地に進み角を曲がる、そんなことが一時間以上も続いて、あたりの景色にまるで見覚えがなくなってだいぶ経った頃。セキゼキさんはやっと足を止め、低い声で尋ねました。
「シロイ、ここがどこかわかる?」
「わかんないよ。私もともと地元の人間じゃないんだから土地勘ないし。そもそも方向音痴だし」
「よかった。じゃあシロイが会社の人に電話して、ここまで呼び寄せることはできないんだな」
セキゼキさんは先程公園で、私が会社の人と結託して彼を拉致して会社に連れて帰るつもりなのではないかと、そう思い込んでしまったようなのです。
だからひたすらぐるぐると歩きまわって、自分たちの現在地がどこだかわからない状態にして、私が会社の人を呼び寄せることができないようにしたのでした。
セキゼキさんの心がそのような猜疑に満ちていることに私が呆然としていると、やがてセキゼキさんがぽつりぽつりと、話を始めました。
しばらく前から頭の中にモヤがかかったように働かなくなっていて、職場では自分が何をやっているのかわからないままパソコンの画面を見つめているうちに一日が終わる。毎日がその繰り返しで、怖くてたまらなかったこと。
もうすぐ異動する予定だったこと。新しい職場で今の自分がうまくやっていけるわけがないから、不安で仕方なかったこと。
もともと睡眠が浅い性質ではあったけれど、最近では本当に眠れなくなってしまい、寝よう寝ようとしているうちに、朝を迎えてしまうのだということ。
気分転換をしようとしても、好きだったはずの物事がまるで楽しめず、焦っているうちに時間が過ぎていくだけなのだということ。
そして何よりも何度も何度も繰り返すのは、「自分はもうダメだ」ということなのでした。
仕事が出来ない。出来ないのは仕事だけじゃなくて、本当に何も出来ないし、やりたくない。こんな自分は人間として、生き物として、完全に壊れてしまったと思う。使い物にならない、こんな人間は生きていても辛い時間が延びていくだけで、どうしようもない。早く全部終わらせたい。
そう言いながら、その一方でセキゼキさんは涙ながらに「死にたくない」と言うのでした。死ぬのは怖い、死ぬのは嫌だ、死にたくない、仕事ができる、ちゃんとした人間に戻りたいと。
でも戻れるわけがない。戻れるとは思えない。
そこで話はまた最初に戻り、セキゼキさんは「もうダメだもうダメだ」と呟き続けます。
満月だったのか半月だったのか忘れてしまいましたが、あの夜、月は明るかったという記憶があります。
空気は冷たかったけれど春は確実に訪れており、あちこちで花が咲いていました。私はセキゼキさんの言葉を聞いているのが辛くてたまらず、時々彼が黙り込む度に、月明かりに白く照らされた花を指差し、「きれいだね」と言いました。
「いい香りだね」
「もう春だね」
今までなら私のそんな言葉にも何らかの反応を返してくれたはずのセキゼキさんの目に、花は映らないようでした。
月がどれほど明るくても、花がどんなに綺麗でも、セキゼキさんの「自分を終わらせたい」という気持ちには、何の変化もありません。
けれどそれはお互い様なのだ、と私はそのとき思いました。
セキゼキさんがどんなに辛くても、私がどんなに悲しくても。月も花も、少しも変わらず美しいままなのですから。
明日の朝も日は昇り、皆の日常は同じように流れるのでしょう。セキゼキさんの職場でも、私の職場でも、同じように仕事が発生し、いつものように皆がその仕事に取り組み、そうやって社会は昨日と変わらずに動いていくのでしょう。
けれど私たちはその力強い社会の流れから、たった今落ちてしまったのだということを、そしていったんそこから落ちてしまった人間がもう一度その流れに乗るのはどうしようもなく困難なのだということを、私はその夜、ぼんやりと悟ったのでした。
うつの患者さんが要する平均的な治療期間は一年から二年だと、私はその後、何かで聞きました。
それが本当のことなのかどうかは知りません。けれど私はそれを聞いたとき、その言葉を信じようと思いました。二年間は決して短くはないように感じるけれど、それでも人生全体のことを考えれば、それほど長い期間ではない。どんなに辛くてしんどくても、たった二年間ならば乗り切ることはできるだろうと、私はそう思ったのです。
あの夜が始まりでした。
私たちの「二年間」は、月が明るくて、花の美しい、静かな春の夜に始まったのです。