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ドアの閉じる音が聞こえた瞬間、私はびくっと体を震わせて、目を覚ましました。
(いかん、またトイレで眠ってしまった)
2008年の夏、セキゼキさん(仮名)の病気が悪化した影響で、私の睡眠時間は極端に削られていました。
仕事中、どれほど忙しく手を動かしている時でも、意識を失いかねないほど眠くなる時があり、大抵は目を覚ますためにトイレに行ってそのままそこで寝てしまう、という事態がしょっちゅう起こるようになっていました。
当然、トイレでそれほど寛いだ睡眠ができるわけはなく、二、三分で目は覚めちゃうんですが、それでもトイレで寝ていることが同僚にばれたらどうしよう、と私は毎日怯えていました。
(セキゼキさんが調子が悪い日は、会社を休んで付き添ったりもしてるから、ただでさえFさんに嫌われてるもんね……)
私は手を洗いながら、ため息をつきました。
セキゼキさんが病気になってからすぐに、私は直近の上司と同じグループのメンバーには、自分たちの状況を説明し、
「誠に申し訳ありませんが、セキゼキの病状は現在予断を許さないため、場合によっては急なお休みをいただくこともあるかもしれません。仕事に穴をあけることがないよう、最大限努力はいたしますが、それでも皆様にご迷惑をおかけする可能性はあります。本当に申し訳ありません」
と頭を下げてはいました。下げてはいましたが、しかし。
当然ですけど、それだけじゃ話は済まないんですよね。
幸い、特に仕事に穴をあけるようなことは起こりませんでしたし、むしろ心証悪化が嫌だったので受け持つ仕事量とか残業時間とか、ある程度増やしたりしたんですけど、だからって許されるわけではないのです。
「月イチ以上のペースで有給とか、ありえなくない? 私なんてここ何年も、有給使い切った事ないよ……人がせっせと働いているときに、家でなにやってんの?」
とかそういう風に言われることを避ける術はないのです。
とはいえ、優しく理解を示してくださる方のほうがずっとずっと多くて、それは本当に嬉しいことだったのですが、それでも小心な私としては、上の立場の人に嫌われるのは怖い、という気持ちは消せないわけで。
こういうのが終わるのは、いつなんだろう。
たとえば深夜に目を覚まして、セキゼキさんが苦しそうにブツブツと小声で呟いているのに気づく度に、ふっと考えることがあります。
先が見えない、光が見えない、ゴールが見えない。
(……最近、セキゼキさんがなんで「終わらせたい」って言うのか、すっごくよくわかるようになってきた気がする)
今はまだ我慢できる、なんとかやっていける、けれどそれは一時しのぎのごまかしみたいなもので、いつか何もかもが完全に駄目になってしまうだろう、という暗い予感。
この辛さにこれ以上耐えることを考えただけで気が遠くなる、だったら今すぐ終わらせたい、そうすれば辛いのも怖いのも苦しいのも全部なくなるじゃないか。
(セキゼキさんが考えていることが理解できて嬉しい! ……とか思えないよなあ、コレ。共倒れにならないように注意しないといけないんだが、けっこうそれが難しくなってきたね。まずいなあ)
セキゼキさんの負のオーラ満載の独白が始まると、どんな対応も正解にならない、というのを学んだのはその頃です。
「薬も効き目があるし、きっと何もかもよくなるよ」と明るく慰めると、「適当な気休めを言わないでくれ」と怒られる。
「そうだね、なにもかも駄目な感じだね」としんみり同調すると、二人揃ってますます暗くなって暗黒迷宮エンドレス。
「ところで、映画のエイリアンてもう続編作るべきじゃないよね」などと強引に話題を変えようとすると、「話を逸らすな」と一喝される。
じゃあ一体私はどうすればいいのよ、と叫びだしたくなることが増えました。
私は次第に、逃げ始めました。
元々私は、ストレスを感じるとトイレに行きたくなる体質なのですが、この頃は特にそれが顕著で、私はセキゼキさんの暗黒独白を何度も遮って、トイレにひきこもるようになりました。
トイレとか風呂というのは、私にとって最後の砦でもありました。トイレと風呂に入っている間は一人で過ごせるから、ストレスを感じないで済むのです。
また、セキゼキさんの話が始まった瞬間に、私がテレビをつけるということもよくありました。
セキゼキさんがテレビ番組に気をとられて、今の話を終わらせてくれればいいのに、とかなんとか、そんなありえないことを、何度も願ったものです。
もちろん、私のそういう「逃げの姿勢」というのは、セキゼキさんにもばっちり分かります。
ものすごく切実な苦しみだから話を聞いて欲しいのに助けて欲しいのになぜ逃げる、と当然セキゼキさんはそのように思うわけです。
こうして、私たちはしょっちゅう口論するようになりました。
ある晩、私がいつものように口論を遮ってトイレにこもっていると、セキゼキさんが外に出て行ってしまいました。
あまりにも閉塞感とかイライラが募ると、とっさに家を飛び出して近所の森に飛び込む、というのはその頃のセキゼキさんのよくある行動パターンでした。
その日の私は、とても疲れていました。
普段だったら慌てて自分も家を出てセキゼキさんの後を追うのですが、その日はなんだか
「疲れたら自分で帰ってくるでしょ」
となんとなく思ってしまったのです。
そのまま私は風呂に入り、風呂上りは麦茶を飲み、ひさしぶりにのんびりとした気分で、だらだら本を読み始めました。
しばらくするとセキゼキさんが、慌てた様子で家の中に飛び込んでくると、私が本を読んでいるのを見て、目を見張りました。
「シロイ、無事だったのか! 携帯に何度掛けてもでないから、てっきり何かあったのかと思ったのに」
「え、そうなの? うわ、携帯の音切ったままになってた、ごめん! 全然気づかなかったよ〜。ところでセキゼキさんはなんで私に電話をかけたの?」
セキゼキさんは一瞬口ごもりましたが、やがてぼそぼそと話し始めました。
「もうほんと、ダメだから、何もかもダメだから、とにかく死んじゃおうと思って……近所の歩道橋に行って、飛び降りれば死ねると思ったんだけど、最後にシロイと話しておきたかったから……なのに何度かけてもシロイ出ないし……もしかしたら何か起こったのかもしれないと思ったらすごく心配になって、戻ってきちゃった……」
私は予想していなかった答えにびっくりして立ち上がり、セキゼキさんの顔を凝視しました。
「ええーっ、じゃあ私、携帯の音切ってたおかげで、むちゃくちゃ助かったんじゃん! もしさっさと通話開始してたら、セキゼキさんはゴートゥヘルだったわけでしょ!」
セキゼキさんはきまり悪そうな顔をして、目を背けました。
「……かもしれないね」
その答えを聞いた瞬間、私はへなへなとその場に崩れ落ちました。どういうわけか喉の奥からはくつくつと笑いがこみ上げてきます。
私ってものすごく勘違いした人間だったんだ、馬鹿みたい、笑える。
それが、私がその時感じていたことでした。
もしも携帯の音を切っていなかったら、私は必ずセキゼキさんからの電話に出たでしょう。
それこそ、私が電話に出なければセキゼキさんは死んでしまうかもしれない、そう思い込んで慌てて携帯に手を伸ばしたことでしょう。
私はその時初めて、自分の思い上がりに気づきました。
「私が対応を間違えればセキゼキさんは死んでしまうかもしれない」
という怯えは、いつの間にか
「私が正しく対応すればセキゼキさんは助かる」
という思い込みにすりかわっていました。
セキゼキさんを救うのは自分だと、私は思っていました。私が頑張って、何もかもきちんと正しくちゃんとやらないといけないんだと。そうじゃなきゃセキゼキさんは助からないんだと。
セキゼキさんの電話を無視する、というのは私の思う「正しい対応」には当てはまらないものでした。
だけど実際には、私が電話に出なかったからこそ、セキゼキさんは助かったのです。
自分の信じる「正しい対応」とやらをしても、上手くいかないことが多くて、私はそれが辛かった。
でもそれって結局、
「私は頑張ってるんだから、ちゃんと『正しい対応』をしてるんだから、だからセキゼキさんも良くなってよ!」
と思っているから辛いんですよね。
自分が頑張ればなんとかなるというのは実は、「自分なら状況をコントロールできる」と思い込んでいるからで、だからうまくいかないのが理不尽で辛いように感じる。
それはある意味、傲慢な思い上がりとも言えます。
(勝手な思い込みで行動して、それがうまくいかないから嫌だ辛いって、本当に馬鹿みたいだ滑稽だ)
そんな風に思う一方で、私は気持ちがすとん、と楽になるのも感じていました。
私ががんばっても、運や状況が悪ければ駄目なものは駄目。だけどそれは裏を返せば、私が間違ったことをしても、運が良ければ、案外大丈夫だったりもするんだ。
たとえばそう、今夜のように。
その夜から私は、少し楽な気持ちで日々を過ごせるようになりました。
自分ならなんとかできると思うから辛いというのは、セキゼキさんに対する態度だけじゃなくて、全てにおいて言えることなのだ、と思うようになったからです。
職場で悪く思われたくない。どうすればいいんだろう、じゃなくて。
全員によく思われたいとか、神様じゃないんだから無理でしょ。
そのうち私は、セキゼキさんの終わらない暗い呟きが始まっても、それほど気にならなくなりました。
そもそも、これは病気の発作なのだから、と思うようになったのです。
病気の発作中の人に、私が「正しい言葉」をかければ調子がよくなるって、そんなわけないよね。終わるのを待つしかないよ、自分の態度や言葉で発作をおさめようとか、そんなこと考えるほうが変だよ。
そう思うようにした頃から、物事は少しずつ変化し始めたように思います。
「ウオッカの写真が欲しいんだよ」
そう言ったセキゼキさんの顔が、久しぶりにさっぱりと明るいことに私は気づきました。
「ウオッカの写真、雑誌から切り抜いて壁に貼ったろ? 辛い時あの写真を見てると、ウオッカの次のレース見たいな、と思うんだ。それまでは生きてるといいなって」
私は思わず、振り返って壁に貼られているウオッカの勇姿を見つめました。
ゴール直後、自分が勝利をおさめたことを自覚しているのか、ウオッカはどこかほっとしたような表情を浮かべているように見えます。
「ウオッカの前でおかしなことしたくないな、って思えるんだ。だから、もっとウオッカの写真があるといいなって。シロイの部屋なのにこんなこと言ったら図々しいかもしれないけど、写真、買ってもいいかな」
「もちろん!」
私は大きく頷きました。
「私もウオッカの写真、雑誌の切り抜きじゃなくて、もっとちゃんとしたやつが欲しい! 額入りのウオッカの写真を買って、ここに飾ろう! ウオッカがレースを一つ買ったら、写真を一つ増やそう!」
夜明け前の空が一番暗い、という言葉があります。
2008年の夏は、間違いなく私たちにとって、もっとも暗い時期でした。この暗闇は永遠に続き、決して終わらないのじゃないかと、そう思っていました。
けれど無我夢中でその暗い時期を過ごすうちに、気がつけば夜明けは、ずいぶんと近づいてきていたのでした。