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だらだら書きますので、だらだら読んでもらえるとありがたく。

二年間のハジマリとオワリとツヅキ〜その6〜

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本文

薬が効き始めたからといって、何もかもがきれいによくなるわけではありません。
少しずつ眠れるようになってきてはいましたが、それでもやはり、闇と共に訪れる恐怖と不安に、セキゼキさん(仮名)が押しつぶされそうになる夜もありました。
とはいえ。
辛いことが全部なくならなくても、ちょっとずつであっても減ってきている、というのは大いに励みになります。真面目に薬をのんで、できるだけ規則正しく、穏やかに暮らして、そうやって日々を積み重ねていけば、いつか何もかも元の通りになる日が来るに違いない、そう思えば、目前の辛さをなんとかやり過ごすことができます。


ある日、一緒にテレビを見ていたセキゼキさんが、ぽつりと呟きました。
「モンハンやりたいなー。モンハンならシロイと一緒に遊べるし」
テレビではちょうど、当時発売されたばかりの「モンスターハンターポータブル2nd G」(通称MHP2G)のCMが流れていたのです。
その次の週末、私はお金を下ろしてゲームショップに向かい、PSPMHP2Gのソフトを買いました。


セキゼキさんが日中、ひとりで過ごす時間を持て余して苦しんでいることを私は知っていました。
病気になって以来、セキゼキさんは活字がほとんどダメになってしまい、マンガや小説は読めなくなっていましたし、私がいない時は音が苦痛だという理由で、テレビも大半の時間、消していましたから。
そんなセキゼキさんがゲームに興味を示したというのは、そのこと自体回復の兆しのように思えて、私にはとても良いことに感じられたのです。


PSPとモンハンはそれなりの出費でしたがそれでもお金を使った甲斐はありました。
それまでのセキゼキさんは、ゾンビと人間どちらに近く見えるかというと、圧倒的にゾンビ寄りだったのに、モンハンという楽しみを手に入れてからの彼は、とうとう「どちらかと言えば人間かな」と表現できるほどに生き生きとし始めたのです。
モンハンとはなんて良いゲームなのだろと、私はひたすらに感動しました。


セキゼキさんが成り行き上私のアパートで暮らすようになってから、食事の支度は私がしていました。本音を言えば、日中家にいるセキゼキさんが家事をしてくれると楽だよなーとは思っていたのですが、そもそも彼は「人類全体」が怖くて外出ができなくなってしまったわけですから、そんな状態の人にあれこれ期待してもしょうがないよな、と諦めていたのです。
それだけに、ある日帰宅して台所に立つセキゼキさんを見つけたとき、私は驚きで呆然としました。
「簡単なものしか用意できなかったけど」
セキゼキさんが作ってくれたのは、頂き物の瓶詰めのウニを使った、和風パスタでした。
ちょっとばかり塩が薄すぎるきらいはありましたが、ウニの香りが豊かな美味しいパスタを頬張りながら、私は泣きました。
嬉しくて嬉しくて、少し前までほとんど身動きもしないで部屋の中でうずくまる日々を過ごしていたセキゼキさんが、薬のおかげで料理ができるほどに回復したのだと思うと、夢のように幸せで、ぽろぽろと涙をこぼしながら、私はスパゲティをフォークに巻き付けました。


今までの人生、美味しいものをいろいろ食べたこともあったけれど、セキゼキさんが今日作ってくれたウニのパスタが何よりも一番美味しい、とあの時私は思いましたし、今も思っています。
嬉しくて幸せで、あんなに美味しいものを食べたことはなかったなあ、と。


ウニのパスタを皮切りに、セキゼキさんは夕食の支度に積極的に取り組むようになりました。
美味しいものを食べるのが好きなセキゼキさんには元々料理人としての素質があったのでしょう。
セキゼキさんの料理の腕はめきめきと上がり、私は仕事中も夕食のことを楽しみに過ごすようになりました。


もちろん調子が悪くなる日もちゃんとあって、そんな日のセキゼキさんは料理もモンハンもできなくなったりはしましたが、それでもちょっと前に比べれば今の状態は素晴らしく良くなっています。
(なんかもう、私、このままの日々が続けばそれでいいなあ)
いつしか私は、そんな風に考えるようになっていました。
帰宅するとセキゼキさんが出迎えてくれて、美味しい夕食が用意されていて。
食後はゆっくりお風呂に入って、お風呂から上がったら二人で一緒にモンハンで遊んで。
(幸せってこういうことなんじゃないだろうか。あーなんか奥さんに専業主婦になってもらいたがる男性の気持ちがわかる気がしてきた。私、セキゼキさんに外で働いて欲しくないもんなあ)


当時の私の職場では、うつは一種の流行病のようになっていました。
私が働き始めてから一年ちょっとの間に、心身の調子を崩して休職・退職した人の数は、同じグループだけで既に7人。
うつは再発の多い病気だからなのか、やっと復職しても数ヶ月ともたずに再び姿を消す人がほとんどです。
だから私は、セキゼキさんにもう働いて欲しくありませんでした。復職してもうまくいくかどうかなんてわからない。むしろうまくいかない可能性のほうが高い。だったらこれ以上、セキゼキさんを職場のストレスに晒したくない。
それが私の願いでした。


けれど現実は甘くありません。
冷静に考えて、私の給料だけでは、ふたり分の生活を支えるのは無理です。
(だけどなあ、だからってセキゼキさんにスーパーのレジ打ちとかやってもらうわけにはいかないよね、パートの女性たちに混じるなんて浮きまくって辛いだろうし。そもそも男性も採用してくれるかどうかが怪しい)
あらためて考えると、やっぱり現代日本の男女って平等じゃないよね、と私はため息をつきました。
(つーか、私だって今の職場であと何年働けるかなんて、わからないわけだし……)


セキゼキさんがうつで倒れる数ヶ月前。
私と同じグループのある男性が、こんなことを言いました。
「シロイさんとおれって同い年だから、聞くんだけど。シロイさん、この場所で自分の十年後の姿が見える? 十年後は自分もああなっているんだろうなあ、ああなりたいなあ、と思える人が、この中にいる?
三十代後半の働き盛りのはずだよね、おれたちの十年後。でもさ、おれたちの十歳上の人たちで、幸せそうな人がいる?」
私は社内を見回し、思わず言葉に詰まりました。目に入ったのは、休職中の人間の机が寄せ集められたゴーストタウンのようなエリア。


「AさんとBさんとCさんは休職中で、残っているのはDさんとEさんとFさんだけ。いつもしわ寄せで集まってくる仕事を引き受けているDさんは、一体いつまでもつんだろうね? Eさんもそれがわかっているから、余計な仕事が自分に押し付けられないようにいつも警戒して、毎日をやり過ごしている。
仕事もばりばりこなして元気なのはFさんだけで、そのFさんも溜まったストレスでいつもイライラ、部下に八つ当たりして過ごしてるから、今度は部下がうつで休職する始末だ。あの人の部下がいなくなるのは、おれが知っているだけでもう5人目だ。
ねえ、シロイさん、十年後どうなるのか、おれは最近毎日考えてしまうんだ。自分の未来のお手本にしたい、十年後の自分はああなりたい、そんな風に思える人がいないんだ、一人もいないんだよ」


血走った目で私にそう訴えたその男性は、結局その直後、うつで出社できなくなり、休職してしまっていました。
(あの人は私よりずっと社歴が長かったから、同い年だったのにその分早く燃え尽きちゃったんだよね。セキゼキさんも同じように燃え尽きちゃったわけで……私だけが例外で丈夫に長持ちするに違いないなんて、全然思えないっす)
web制作の仕事は楽しいし、気に入っている。今現在の仕事が辛いとも苦しいとも思わない。
だけど。
自分がいつまでそう思い続けることができるのか、私にはわかりませんでした。


「現実」とか「将来」というのは厄介な敵でした。
ごはんが美味しい、モンハンも楽しい。でもそれは今日だけのことで、今の幸せがいつまでもつかわからない。
「将来」を見据えて、「現実的に」考えると、セキゼキさんが元通り働けるようになるのがいいのはわかっている。
少しずつ調子がよくなっているとはいえ、未だにセキゼキさんには眠れない夜があるのに。
休職期間は永遠に続くわけじゃない。
そんなことを考えていると、私の気持ちまでべったりと端っこから墨で塗りつぶされていくようでした。


セキゼキさんが一番苦にしているのも、「将来」と「現実」でした。
ごはんを作ったり、ゲームで遊んでいれば、しばらくの間「将来」も「現実」も心から追いやることが出来ます。
けれど、なにかの折に思い出してしまえば、もうおしまい。
恐怖と不安が手をつないでやってきて、セキゼキさんをすっぽりと覆い、じわじわと絞め殺そうとするのです。


「7月1日から復職することに決めたよ」
ある晩、突然セキゼキさんがそう言って、私を驚かせました。
「最近は薬も効いて、だいぶ調子もいいしね。今日、会社に電話して、7月から復職させてくださいって、頼んだんだ」
「た、確かに調子はよくなってきたけれども! でも本当に大丈夫? 急いで復職すると、かえって調子が悪くなるかもしれないよ?」
「大丈夫、本格的に業務に復帰するのは8月以降で、7月は一ヶ月間、リハビリで軽い作業だけして過ごすことにして貰ったから。だいたい現実的に考えて、いつまでも専業主夫やって過ごすわけにいかないだろう?」
セキゼキさんの「現実」を見据えた発言に、私は反論することができませんでした。


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