本日9月15日に『むしろウツなので結婚かと』の第16話が無料公開されました。
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16話の中に、シロイがアパートに向かって急ぎ、セキゼキさんの幻影を見るシーンが出て来ます。
そのあたりのことについて、ちょっと話そうと思います。
と言っても、自分でもアレがなんだったのか、未だにわからないのですが。
あの日、セキゼキさんのメールを受け取ってからの私は、とにかく平静ではありませんでした。
階段をのぼって隣のホームに渡り、電車が来るのを待っている時間がやたらに長く感じられたのは覚えています。
ですが電車が来たときのことは、記憶にありません。
それは今だから、過去を振り返って思い出せないというのとも、少し違います。
なぜなら電車の中ではっとして
「いつの間に乗ったんだろう?」
と訝しく思った記憶があるからです。気がついたら、電車に乗っていた。
電車の中で携帯を何度も握りしめ、セキゼキさんにかけては
(電車の中からマナー違反だ。どうしよう……。)
(でも非常事態なんだ。今かけないでどうする?)
と逡巡したのは覚えています。そんなことをしている間にもぼろぼろと涙がこぼれ、傍から見ればさぞみっともないだろうと、ぼんやり考えたことも。
けれどその後のことは、やはり記憶にないのです。
気がついたら私は、アパートの近くの道を、歩いていました。
相変わらずみっともなく泣き続けており、汗もかいていました。夏の日差しに照らされたアスファルトがやたら白っぽく見え、そこに汗と涙と鼻水が落ちて、黒いしみのように見えると思いながら目線を上げた次の瞬間。
あれが起きたのです。
私はその時、角を曲がろうとしていました。
その角の向こうから光が膨れ上がるのが見え、その光が世界中を真っ白に照らし出しました。
視界全体が白飛びした、見えるのに見えない世界。
そのどこまでも白い世界の中に、くろぐろとした長い影が地平線まで伸びているのだけが、わかりました。
私はこれまでの人生、あらゆる神秘とほとんど無縁に生きてきました。
オカルト話はけっこう好きなのです。コリン・ウィルソンの「世界不思議百科」は中学時代の愛読書の一つで、何度も何度も読み返しました。
けれど私自身の上を、本物の不思議が訪れることはありませんでした。
私は常に、味気ないくらい地に足のついた、現実的な現実しか知らずにいたのです。
けれどあの瞬間の、あの真っ白な世界だけは違いました。
私はあれが、予知や啓示や預言だとは思いません。
追い詰められ、疲れた脳の見せた幻覚なのだろうと、そう考えています。
ですがあの真っ白な世界の中で、自分の心に唐突で絶対的な理解がすとんと下りてきたことは、忘れられません。
そしてあの理解が間違っているとも思わないのです。
真っ白な世界は、私のこれからの人生で過ごすであろう、明るく幸福な昼が連なったものでした。
そしてセキゼキさんがいなくなればこの先、私のすべての明るい昼の上には黒い影が落ちるのだと、私はそう悟ったのです。
たくさんの私と、セキゼキさんが見えました。
明るい昼の中、私はすべての曲がり角でセキゼキさんの影を見つけていました。
道の向こうのバス停でバスを待つ人の中に立っていて。
対向車線を走る車のハンドルを握っていて。
見知らぬ人たちの集合写真の端で。
駅で隣のホームを見れば。
ショッピングモールで。
レストランで。
電車で通り過ぎたオフィスビルの窓際に。
セキゼキさんの気配に、私は何度も気づくのでしょう。何年経っても何十年経ってもそれは続き、私はその度走ってその影に追いつこうとして。
絶対に、追いつくことはないのです。
セキゼキさんは今この瞬間、生と死の危うい瀬戸際をさまよっており、もしも彼がその淵の向こう側に落ちてしまうようなことがあれば、私の生涯には決して消えぬ傷ができるのだと、私は知りました。
その傷が私を、セキゼキさんの影を求めて何度も走らせることになるのだろうと。
親しい誰かとの別れというのは、どれもそういうものなのかもしれません。
消えない傷、続く痛み。ぽっかりとあいた穴を抱えながら、もういない人の面影を見出し続けるのが、残された者の常なのでしょう。
白い世界は始まったときと同じように唐突に終わりましたが、得てしまった理解だけが残りました。
そして私は号泣しながら走り出したのです。
もしも間に合わなければ今後の人生で何十回と繰り返すことになるであろう虚しい疾走の、これが最初の一回目になるのかもしれないと、そう思いながら。