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暑さがゆるみ、秋の涼しい風が吹くようになる頃から、セキゼキさん(仮名)の調子は、はっきりとよくなりはじめました。
もともとセキゼキさんは暑さと湿気にめっぽう弱く、夏になると体調が崩れやすいところがありました。
体と心というのは密接に関連しています。体調が悪くて苦しいときに、明るく前向きな気持で生きるというのはなかなかに困難だったりしますし、精神的な不調から本当に病気になってしまう人も大勢います。
「規則正しく、刺激の少ない穏やかな生活は、うつという病気に対する薬になります。
気持ちを落ち着ける薬を飲めば、穏やかに過ごせる時間が増えます。睡眠薬を飲めば、眠れない夜が減って、規則正しい生活を送りやすくなります。
私が処方する薬は、あなたの生活を手助けする役目も持っているんですよ」
これはセキゼキさんの主治医の言葉です。
暑くて寝苦しい夜が続き、生活のリズムが崩れる。
エアコンをつけると、今度はそれが原因で体調が崩れる。
その結果、精神的に不調になり、そうなると今度は更に体調が崩れ、そんなことを繰り返しているうちに心身共に調子がぐずぐずに悪くなっていく。
それが2008年の7月から8月にかけてのセキゼキさんでした。
秋になってセキゼキさんの調子がよくなってきたのは、ウオッカという競走馬に魅せられそのレースを観るためだったというドラマティックな理由ももちろんあるんですけど、それだけじゃなくて気温が下がって体調が良くなったから、という特に面白みもない部分もかなり大きかった、ということは言っておかなければなりますまい。
2008年11月2日。
長く苦しい夏、セキゼキさんがずっと待ち続けていたウオッカのレースを観るために、私たちは久しぶりに府中の東京競馬場を訪れてました。
セキゼキさんはレースの何日も前からずっとそわそわしていました。
その日行われたのは秋の天皇賞。
日本の競馬界には八大競走と呼ばれる古くて格の高いレースがあります。秋の天皇賞もそのうちの一つであり、この名高いレースの勝者というのはほとんどが牡馬で、牝馬の勝利は稀です。
「おれが一番好きなレースが秋の天皇賞なんだ。毎年このレースを一番の楽しみにしているんだ。もしもそのレースでウオッカが勝ってくれたら」
そこでセキゼキさんは言葉を切り、
「駄目だ、期待するのが辛い」
と言いました。
「そもそもダイワスカーレットに勝てない気がするし。ああああ、不安になってきた。どうしよううううう」
ダイワスカーレットとは、出走したレースの六割以上を勝ち、勝てなかったレースでも必ず二着にはなっているという、恐ろしく絶対的な強さを誇っていた牝馬です。
彼女はまた、ウオッカの最大のライバルとも言われていました。
というか、正確には。
「ダイワスカーレットはウオッカにとってライバルというより、越えられない壁」
と考えている人のほうが多かったかもしれません。
ダイワスカーレットはウオッカと同い年であり、それゆえに彼女たちは既に三度の直接対決をしていましたが、そのうちウオッカが勝ったのは一度だけ。
「ウオッカが強いのは確かだけど、直接対決ではダイワスカーレットの勝利のほうが多いし、なにより時々大負けすることもあるウオッカに対し、安定して勝ち続けているダイワスカーレットのほうが強いんじゃないかねえ」
というのが世間の客観的なものの見方だったんじゃないでしょうか。
「ウオッカに勝って欲しい。でもダイワスカーレットがいる。ダイワスカーレットは強い。でもウオッカに勝って欲しい。けどダイワスカーレットがいる」
セキゼキさんはぶつぶつそんなことをつぶやき続けました。
「大丈夫だよー、ウオッカだってダイワスカーレットに勝ったことあるんだから」
私がそんな風に言うと、セキゼキさんはきっとこちらを睨みつけました。
「そんなのずっと前じゃん! 人間で言えばふたりとも女子中学生くらいの年代の頃の話じゃん! その後ふたりとも大人になって実力が安定してきてからは、ダイワスカーレットが勝ってるじゃん!」
「そういえば、人間でもかつてライバルと呼ばれたのに、その後は圧倒的に実力差がついちゃってる例はあるねえ。アイルトン・セナとマーティン・ブランドルとか。魔裟斗と小比類巻貴之もちょっとそんなかんじかなあ。ええっと、あと他には……」
「うわあああああああ、余計なことを言うなああああ。ウオッカはちゃんと大人になってからも活躍してるじゃないか! 安田記念勝ったじゃないか! そこまで決定的な差はついていないはずだろうがあああ」
「そうだよね、ウオッカは強いよね。だったらそんなに心配しなくていいんじゃないの」
「気楽だなシロイは! なんでそんなに気楽なんだ、おかしいぞ、君は本当にウオッカのファンなのか!?」
「いや、ファンだからこそウオッカを信じているわけですよ?」
「違う。ファンならば不安になるのが当然だ」
「不安がないわけじゃないけど、悪いイメージ抱いてももしょうがないし。言霊ってものもあるんだし、ウオッカを信じていい予想をするのがファンの務めだよ」
「それは盲信だ。ウオッカの代わりにありとあらゆる悲劇的な可能性をあらかじめ予測しておくのがファンの役目だ」
そんな会話を何度となく繰り返しているうちにいつのまにか時は過ぎます。
レースの開始を告げるファンファーレが鳴り響きました。
セキゼキさんはその頃には既に青ざめた顔色でじっと黙りこくる人になっていました。
全ての出走馬がゲートに入り、そしてゲートが開きました。
素晴らしいスピードでトップに立ち、先頭を駆けたのはダイワスカーレットでした。
「1000メートル通過時点のタイムが58秒台!?」
セキゼキさんが途中で叫ぶようにそう言ったのを覚えています。
「すごいハイペースだ。普通の馬ならこんなペースで走ったら最後、間違いなく潰れるけど……」
その先を口にせずとも、セキゼキさんの言いたいことは、私にもわかりました。
ダイワスカーレットは普通の馬ではない。
ハイペースで潰れる馬がいたとしても、それは絶対にダイワスカーレットではない。
案の定レースが中盤を過ぎて後半にさしかかってもなお、ダイワスカーレットはレースをリードし続けています。
ウオッカは中団に控え、ラストスパートのための力をたくわえていましたが、やがてじわじわと、前に向かって動き始めました。
最後の長い直線コース。
ダイワスカーレットはやはり潰れません。内側で順調に走り続けます。
外側を回ってコーナーを抜けてきたウオッカは一気に加速。ぐいぐいと差を詰め始めました。
ついにウオッカが前に出た、と思えた瞬間がありました。
けれどその一瞬後に、信じられないことが起きました。
余力など残っているはずのない驚異のハイペースで走り続けていたダイワスカーレットのスピードが、ここにきて更に上がったのです。
その時、ダイワスカーレットの馬体はすうっとしなやかに伸び、私にはそれはまるで、もっと無駄がなくてもっとスピードの出る、より完璧な走り方を、ダイワスカーレットがその場で発見したように見えました。
極限状況に追い込まれてこの馬は、新たなステージを上ったのだ。
そう思った瞬間、背筋がぞくっと冷たくなりました。
なんてこった化け物め、もうダメだ、こんなのに勝てるわけがない、というのがあの時私の考えたことでした。
私だけではなく、おそらくレースを見ていた人間全員が、あの時ダイワスカーレットの勝利を確信したのではないでしょうか。
けれどウオッカ自身は、違いました。
再びしなやかに先頭に躍り出たダイワスカーレットをとらえるために、ウオッカは更に加速したのです。
殺人的なハイペースで逃げる馬に追いすがり、追い込む過程で、ウオッカ自身もおのれの力を振り絞っていた筈なのに。
その振り絞った力を越えられたことは、彼女にとっても驚きであり衝撃であった筈なのに。
火の吹くような強烈な加速。
速く、もっと速く。前に、もっと前に。とにかくあの馬よりも前に。
ウオッカはゴールに向かって力強くまっすぐに走りました。
凄まじい歓声の中、二頭の牝馬はほぼ同時にゴールインしました。
「勝ったのはどっちだ」
誰もが興奮しきって、大声で話し合っていました。ダイワスカーレットが有利に見えた、いやいやウオッカが勝ったんじゃないか。
「結果発表はいつ出るんだろう」
セキゼキさんは相変わらず血の気が引いたような顔色でした。
写真判定の結果は何時まで経っても発表されません。既に皆、10分以上待たされています。
「早く教えてくれ……きわどいレースだったから揉めるのはわかるけど、これ以上期待させないでほしい……」
「おれはやっぱりダイワスカーレットが勝ったんじゃないかとは思う。でもウオッカもすごいレースをした。本当にすごいレースだった。だからウオッカは二着でも立派なんだ」
「ここまで時間がかかるということは、ウオッカが同着で一位になってる可能性もあるのかな」
「ああでも期待するのが辛いな」
「そんなに揉めるならもう同着にすればいいじゃないか。ふたりとも一着でいいじゃないか。そうすればウオッカも勝てるじゃないか」
「頼む、同着にしてくれ。ウオッカに秋の天皇賞を勝たせてくれ」
セキゼキさん何度も電光掲示板を見上げ、不安そうに呟きます。
「なんでウオッカが勝てるとしたらそれは同着の時のみ、みたいな前提なの? ウオッカが単独で勝ってる可能性もあると思うんだけど」
という私の言葉は無視されました。
13分半という異例とも言える長時間の審議の後、電光掲示板の一着に表示されたのは14番。ウオッカの番号でした。
この日、秋の天皇賞のレコードタイムは更新されました。二頭の牝馬は同タイムで走り、揃って記録を更新したのです。
判定に使われた写真が場内のスクリーンに大写しになり、観客はどよめきました。そこにあったのはたったの2センチ、本当にごくごくわずかな、小さな差だったのです。
けれど、そのわずかな差がもたらした違いは大きかった。
ウオッカが勝利したことをセキゼキさんが理解するのに数秒を要しました。
そして、ウオッカの勝利を確信した瞬間、セキゼキさんの目から涙が溢れました。
「うわあああああああ」
セキゼキさんは泣きながら喜びの声をあげました。
「ウオッカが勝ったあ、勝ってくれたあ、おれの一番好きなレースで、勝って欲しかったレースで勝ってくれたんだあ」
泣いていたのはセキゼキさんだけではありませんでした。
気がついたら、私もぼろぼろ泣いていました。
少しずつ調子が上向き始めていたとはいえ、それでもセキゼキさんが調子を崩すことは、秋になってからもありました。
うつというのはそういう病気だからです。振り子のように行ったり来たり、よくなったり悪くなったりを繰り返すものだから。
それでも、以前とは違うことが一つありました。
苦しみというのは永遠には続かないのだということを、セキゼキさんも私も理解しはじめていたのです。
今日はすごく辛いかもしれないけど、明日も明後日も苦しい日が続くかもしれないけど、それでもその辛さは必ず終わる。三日後か一週間後か十日後か、わからないけれど、必ず終わる。
そう思うと、夜を乗り越えるのが、少しずつ楽になりました。
私のアパートの壁には、ウオッカの写真が一枚増えました。
「この写真は、これからも増えていくと思うんだ」
セキゼキさんは壁を見上げて言いました。
「ウオッカはこれからも勝つんだきっと。期待するのが辛いって思ったけど、それでもやっぱり、ウオッカを信じないと」
不思議なもので、人間というのは何かが信じられないときは、他のものも信じられなくなる傾向があるのではないかと、私は思っています。
こんなこともできないなんて自分は駄目だ。もう自分という人間の何もかもが信じられない。だから自分の未来も信じられない。
こういう考え方は、特に珍しくありません。
実際には、そこには論理の飛躍があったりするんですが、不信の波というのは凄まじく力強いものですから、立ち止まって考えることを許さずに、そのまま人間を飲み込んでしまうんだろうな、というのが私の実感です。
でも、その逆に。何かを信じることができるようになったときは、他の何かも信じられるようになったりするんじゃないかというのが、最近私の考えていることです。
信じられる何かというのは、不信の波の中でも力強く立ち続け、流されない杭のようなものではないでしょうか。
その杭を運良く掴めれば、人は不信の波の中でも流されずに済むのです。立ち止まってしっかりと、物を考えることができるようになるのです。
その結果、他の何かを信じることもできるようになるのでしょう。
ウオッカがいなかったとしても、セキゼキさんの病気は秋には快方に向かっていたと思います。
ですがもしウオッカがいなければ私たちはきっと、事態はよくなりつつあるということを、なかなか信じられなかったのではないでしょうか。
よくなったと思うたびに悪くなることのくり返しで、私たちは疲れていました。
だからこそ、私たちはいつも疑っていたのです。調子がよくなれば、どうせまたしばらくすれば悪くなるに違いないと思っていました。
ウオッカはおそらくセキゼキさんと私が、初めて掴んだ杭だったのです。
不信の波に流されて過ごす日々は、決して楽しいものではありません。
けれどウオッカのおかげで私たちは、未来にもうちょっと希望を持ってもいいんじゃないかと、考えられるようになりました。
苦しい時間も長い夜も、それがいつか終わるのだと信じることができれば、案外なんとかなるもんだな、と私はそんな風に考えるようになっていたのです。