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だらだら書きますので、だらだら読んでもらえるとありがたく。

「X-MEN:ファースト・ジェネレーション」をみて思ったこととか

ずっと見たかった「X-MEN:ファースト・ジェネレーション」をやっとブルーレイでみれました。
とても面白くて、いろいろ考えてツイッターでぐだぐたつぶやいていたんですが、
「この量ならブログに書けば」
と言われたので、書いてみます。
ネタバレ上等ですので、未見の方は注意してください。
あと、私はアメコミのX-MEN全然詳しくなくて、映画ひと通り見ただけなんで、その程度の人間の解釈だと思ってください。


X-MEN:ファースト・ジェネレーション」の主役は、若マグニートーと言っていいでしょう。悲哀を背負っていて、強さもあって、誰もがかっこいいと感じるであろう、いいキャラクターだったと思います。
私も途中まではものすごくマグニートーに感情移入しながら観ていて、彼の主張にいちいち共感していたんですが、実は個人的に一番興味深い人物だなあと思ったのは、チャールズ・エクゼビア(プロフェッサーX)だったのでした。


「人はミュータントを差別する。ミュータントが虐げられずに生きるためには、旧人類を滅ぼしてでも、ミュータントの世界を作る必要がある。我々に必要なのは革命だ」
という考えに至るマグニートーに対し、
旧人類とミュータントは平和に共存できる。そのためにもわれわれはよりよい人間として振る舞い、旧人類の信頼を勝ち取ろう」
と主張するチャールズ。
このチャールズの主張ははっきり言って綺麗事にしか聞こえず、悲劇に翻弄された末に結論を下したマグニートーに比べると、ずいぶん甘っちょろいこと言いやがるな、よりよい人間てなんだよ、おめえはちゃんと現実を見ろよな、と思えて仕方ないんですが、実はこれが逆なのかなあ、と思ったのです。少なくともチャールズは自分の言葉が綺麗事にしか聞こえないことを、理解してるんじゃないかと。
だってチャールズは、テレパスなのですから。
目の前に書かれた文字同然に、人の心が読めるわけですから、おのれの言葉が他人の心に食い入っていないこと、自分の主張が招く反発を、当然のように読み取っていたでしょう。
にも関わらず、親友であるマグニートー、家族として暮らしてきたミスティークと決別することになっても、おのれの主張を変えようとしない。
そこが私には、ものすごく不思議に思えたんでした。


さて、「X-MEN:ファースト・ジェネレーション」の物語上、とても重要な要素のひとつに、ミスティークのおのれの外見と能力に対する葛藤があります。
劇中で彼女は、
「チャールズは普通に見えるから、(外見を隠さなくてはならないミュータントの気持ちは)わからない」
と言います。


確かにチャールズはむちゃくちゃ裕福な家の息子で、オックスフォード大学とか行っちゃって、若くして博士号をとって教授とか呼ばれる、苦労知らずのやなぼっちゃんに見えます。
テレパシー能力使ってナンパしたりして、チャラチャラしてますしね。
だからこそ、ミュータントであるがゆえの悲劇や苦しみを背負っているマグニートーやミスティークとの間に断絶が生まれてしまったように思えますが。
実はそれがね、違うんじゃないかと。


ミスティークやハンクのような切実さは、確かにチャールズにはないんだろうけど、それは彼が差別されることの苦しみ、悲しみを知らない、排斥される辛さを知らないことにはならないと思うのです。だって彼はテレパスなのだから。
というか、人が人を差別せずにいられない心を持っていること、差別されることの辛さ苦しさを理解してるがゆえに、チャールズはミスティークに「人前で変身するな」と厳しく言い渡すんじゃないのかな……
チャールズにとって、ミスティークは大事な妹だから。妹には傷ついて欲しくないという、家族としての愛があるから。


考えてみれば、
「人からみて奇異な部分を隠したほうがいい」
というチャールズのアドバイスと、
「おのれのあり方に誇りを持て。隠すな」
というマグニートーではあきらかにマグニートーのほうが理想主義的なことを言っています。
だからこそ、ミスティークはマグニートーの言葉に心を打たれるのです。


そこで思い出すのは、幼少期のチャールズとミスティークの初対面シーンです。
チャールズは
「ママはキッチンに入らない」
「ココアを作ってくれたことなんてない」
叫ぶように言います。
私はあのシーンで、
「ああ、チャールズの親は愛情が薄いのだな」
と思いました。


だからチャールズは、「擬似家族」を作ろうとするのではないでしょうか。
見知らぬ少女を妹として受け入れ、若いミュータントたちを集めて、仲間を増やそうとする。
自分の能力を開花しきれていないミュータントたちに親身になって訓練を施すのも、のちにミュータントのための学園を作るのも、全部そう。
親の愛薄く育った彼にとって、初めて自分に家族としての愛を向けてくれたのは、ミュータントであるミスティークだった。
故にチャールズは、ミュータントを集め、愛によって繋がりをもとうとするのではないかと。


X-MENでは親に受け入れてもらえなかったミュータントがいっぱい出てくるので、愛情薄く育ったのはチャールズだけではありません。
ですがたぶん、彼らは「ミュータントだから愛されなかった」と思っているでしょう。
おそらくその理解は正しい。
けれどその中で、チャールズだけは違うのです。


チャールズはいくらでも自分の能力を隠せるし、実際隠していたでしょう。
チャールズの家族の愛情が薄いのは、ミュータントだからではなく、おそらくそこには、何の理由もないのです。
テレパスのチャールズはいくらでも親の理想の息子を演じられます。
だけど愛されなかった。
ココアすら作ってもらえないほどに、ただ無関心。


ミュータントだろうとなかろうと、裕福に生まれようと、どんな優れた能力があろうと、どれほど努力しようと、愛されないときは愛されないし、受け入れてはもらえないし、ひとかけらの関心すら勝ち取ることはできない、という厳然たる事実を、チャールズは幼い頃から、心底ふかあく理解していたのでしょう。


だからといって、チャールズはその自身の悲しみを、他のミュータントたちに語ったりはしないわけですよ。
チャールズのように隠れることが出来ず、虐げられたミュータントたちにしてみれば、自分の苦しみのほうが、はるかに大きく感じられるから。
自分も君たちとは違う苦しみを、同じように味わってきた、なんて言っても、その言葉は嘘としてしか機能しないわけです。


一方マグニートーはミュータント故にものすごい悲しみを背負わされたんだけど、母親には深く深く愛されていました。
自分の命が危うい、銃口を向けられた最中に必死に微笑みながら
「だいじょうぶよ、おちついて」
と話しかけてくれたのが、マグニートーの母です。
現にマグニートーの最も美しい記憶の中には、母親がいます。


人間を滅ぼせばミュータントの世界が築ける、というマグニートーの主張。人は差別するから滅ぼしたいという考え。実はそれこそがチャールズには「絵空事」であり「綺麗事」にみえたんじゃないでしょうか。
マグニートーが炎のような怒りと苦しみを持っているとすれば、チャールズの心の中に広がるのは、冷たくて乾いた、諦めだったのではないでしょうか。


すぐれた力があっても、絶対的に少数派のミュータントに、多数派の人間が本格的な悪意をむけてきたとき、それでも勝ち残り、自分たちの楽土が築けるなんて、ありえないだろ、というのが、テレパスとして深い人間理解をもつチャールズが到着した、当然の結論だったのでは。
無能な旧人類にどれほどの悪意があるか、苦労知らずに見えるチャールズは、実はよーく知っているのでしょう。ある意味彼は、旧人類の心に最も近い場所で生きてきたわけですから。そしてその悪意がもつパワーも、理解してしまっているのでしょう。


だったらせめて共存したほうが自分たちの生存確率は上がり、いずれは生物淘汰で勝ち残れるかもしれないのだから、そこに賭けたい、という綺麗事でもなんでもない、シビアな打算をごく自然にもっちゃうのがチャールズという人間なのではないか、と私は思ったのでした。


チャールズがマグニートーの持つ母の記憶を
「美しい記憶だ」
と言った時、抱いていたのは羨望なのでは。
マグニートーと共に行け」
とミスティークに告げたとき、感じたのは理想を抱くことのできるミスティークとマグニートーに対する憧憬の気持ちだったのでは。
マグニートーの持つような理想と、革命の意志を、チャールズは決して持つことができないのです。
そんな夢は、考えることすらできない。


考えてみれば私たちの住むこの世界はミュータントは一人もいないけれど、旧人類だけでぎっしりだけれども、別に旧人類にとっての楽園ではありません。
ミュータントだけの世界はきっと、実現してしまえば楽園でも何でもなく、戦いの後の荒廃が広がるだけの場所でしょう。


チャールズは自分の考えを、あたかも美しい理想のように語ります。
実際にはそれは、ただのシビアな打算なのに。
それでもチャールズは理想を持ちたいのだな、と私は思いました。
理想と誇りが人を救い、支えることを、チャールズは知っているから。ミスティークを救ったのは実際、マグニートーの語る理想だったわけですから。
自分が集めた擬似家族たる若きミュータントたちを救い、支えるためにも、チャールズは理想を持ち、語る必要があったのです。


「よりよい人間になる」という言葉のなんという弱さ。
「よりよい人間になる」ことで、劇的に解決される事態などないでしょう。
「よりよい人間になる」ことでは革命は起こせないのですから。
それでも「よりよい人間になる」ことが、ごくわずかずつ、じわじわと改善をもたらすことはあって。
それはとてもまだるっこしくて、そんなものに救いを求めるのは、実はとてつもない忍耐を要するし、辛いわけなんですが、それでもチャールズは、自分自身が語る理想の落とし所を、そんなところに見つけるしかなかった。
だからチャールズは綺麗事にしか思えないことを、綺麗事のように語る。


なんてことを、おとといの夜、ファーストジェネレーションみてからずっと、ぐだぐだ考えていたのでした。
うん、まあ実際にはこれはただの深読みつーか、ずれた解釈かもなーと自分では思ったりもするんですが、でもまあ、これがシロイ解釈のプロフェッサーXってことでひとつ。


X-MEN ファーストジェネレーション」は面白くてオススメな映画ですよー。
単体でも独立してみられる作りですので、前作みてなくてもいけますよーってのが本日の結論でございました。