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だらだら書きますので、だらだら読んでもらえるとありがたく。

遭遇時の心得

有名人に会ったことがある経験のあるひとって、羨ましいですよね。
生スター様を拝みたいというミーハーな欲望が、私の内側ではぐつぐつ煮えたぎっておりますよ。

やはり一番会ってみたいのはキアヌだと思うのですが、本当のところどうだろう。ちょっと考え込んでしまいました。
たとえば空港で出待ちして人混みの中に紛れ、何十分も待たされたあげくに、ボディガードに囲まれて遠くに見え隠れするスター様の姿を必死に見る。見ながら奇声をあげる……などというのは実はあまり憧れないわけです。見りゃいいってもんじゃないよな、と思ってしまう。
それではどんなシチュエーションがよいのか、自分の思う理想のスター様との出会いとは、と考えていくと、もう妄想が止められない止まらない。


まず、相手はキアヌかジェラルド・バトラーが理想です。ジェラルド・バトラーが理想のスター様になったのは、つい一年ほど前からですが。
遠目に見るだけでは不満ですので、できれば間近でお会いしたい。握手とかお願いしたい。家宝にするのでサインもいただきたいし、写真も一緒にとらせて貰えないでしょうか、毎晩拝んで眠りますので。
ここまでは、そこそこ気さくなスター様なら、やってくださることだと思います。状況によるけど。
で、その状況というのはどういうもの、と考えていくと、たとえば来日中のキアヌに街でばったり出くわしたとしても、握手とかお願いできる気がしない。

きっと来日中のスター様は毎日の取材攻勢であちこちを忙しく動き回り、ボディガードにがっちり囲まれているはずです。私がのこのこと近づいていったら、なんかすごく乱暴に追い払われるに違いない。ボディガードは邪魔です。なんとかしなければ。


ボディガードがいない状況でスター様と私は出会わなければならないのですが、それは難しい。あるいはボディガードはいてもいいけど、私がスター様に接近しても気にしないという前提が必要です。


ここで、たとえば「コネ」というものがあればいいのだ! という考えが脳裏に飛来します。
「こんちはシロイ。そういえばぼく、以前キアヌ(orジェラルド・バトラー)と知り合いになる機会があってさ。今度一緒のパーティに行くんだけど、シロイも行く? ファンだったよね」
おお! なんて素晴らしい友人だ君は。私は君の方角には生涯足を向けて寝ることがないだろうよ
と空想の中の友人に礼を述べる私。空想だからどんな礼でも述べることが出来ます。
パーティのような場所ならボディガードその他もいないだろうし、ゆっくりとスター様とお会いして握手、サイン、写真のフルコースを楽しむことができるでしょう。


でもねえ。
こういうこと考えていると、
「だったらそのパーティの前にスター様の全出演作を見ていくのが礼儀だろう」
とか
「やはり握手をしてもらったときに、最新の映画の感想くらいきっちり英語で言いたい」
とか、そんなことを考え始めてしまい、なぜかいつも
「私英語勉強しなきゃ。英語エイゴEnglish〜」
という結論が出るんですよ。なにソレ。


最初は「こんなシチュエーションでスター様にお会いできれば」から始まった思考がいつも最後は「よし英語を勉強しよう」に結びつく不思議。
大体その前にアナタ、そんなパーティとやらに連れてってくれるようなコネありの友人いないだろう。どこまでも架空のシチュエーションのために英語勉強するんかい。


さらに「毎日もっとちゃんと生きよう」とか「周囲のひとに親切にしよう」とかいう結論も同時に導き出されます。
だって笠地蔵のおじいさんみたいな生き方をしてれば、いつか
「シロイさんは本当にいいひとです。それでは恩返しのためにあなたをキアヌ・リーブスに会わせてあげましょう」
って言われるかもしれないじゃん(誰に)。


というわけで以前、私は、気が付いたら「英語で日記を書こう」とかいう本を買っていました。
悪いのはレディースデーです。
レディースデーだから映画を観に行く

オペラ座の怪人』を見てぼろ泣き

スター様にお会いしたい気運が高まる

英語勉強しよう!
という怒濤のミーハーコンボが決まってしまったのです。


結局その本、買ってから一度も開いていませんよ。無駄遣いにもほどがありすぎる。