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だらだら書きますので、だらだら読んでもらえるとありがたく。

アイラブユーと言えているかい?

「ぼくにとって小説を書くというのは、『アイラブユー』と言うための、一つの方法なんだ」
と言ったのはジョン・アップダイクでよろしかったでしょうか?
うろ覚えの記憶で申し訳ございませぬ。もしも違っていたら、さっさと指摘して下さいな。


「すべての仕事は売春であり、愛である」
と喝破したのは岡崎京子です。こちらは確信を持てる。『pink』の後書きの中に出てきます。
どちらも名言でございますね。
そして、相通じるものを持っているように思います。


私が「表現」という行為について考えるとき、この二つの言葉は、非常に重要なキーワードとなっています。
そしてこの先の文章はなんというか、あまりにも私の中の生な感情みたいなものの渦巻きですんで、私以外の人が読んでわかるのかしらー、と思うし、読まなくていいと思いますよ。ただの恥ずかしい吐露ですので、隠しちゃえ。物好き以外、進むの禁止。しかも変な長文だよ。
マジックはパフォーミングアートです。表現行為です。
私は良いマジシャンというのは、観客に愛されるマジシャンだと思っています。
「このひとの表現をもっと見たい。このひとの作る世界を楽しみたい」
観客にそう思わせるためには、愛されることが一番確実な方法なので。
それゆえに、マジシャンはアイラブユーと言えなければならない、というのが現時点での私の結論です。ジョン・アップダイクのように。岡崎京子のように。
私はあなたを愛している、あなたに愛されなくても愛している、そう伝えることが、結果的に愛される早道なのではないかと、思うが故に。
もちろん、そのように考えないマジシャン、観客を愛さないマジシャン、観客に愛されないマジシャンもいるでしょう。
けれど私は、本当に素晴らしい表現行為(マジックに限らず、全ての表現行為)の根底には、愛がなければならないと思うし、あって欲しいと願っています。それはもう、祈りにも似た気持ちで。


アイラブユーと誰かに伝えることはけれど、ひどく恐ろしい行為でもあり、危うくもあります。
なぜならそれは、自分をさらけ出す行為でもあるから。
自分を隠したまま、守ったままアイラブユーと呟いても叫んでも、それがアイラブユーであるということは、誰にも伝わりはしないのです。


「自分はこういう人間です。その上であなたを愛している。あなたたちを。あなたが気持ちを返してくれるかどうかは、あなた次第です。私はあなたに向けて、腹をさらけ出している。それを撫でるのも踏みつけるのもあなたの自由だ」


アイラブユーと伝えるというのは、そういうこと。
そして表現という行為は、突き詰めればそういう場所に行き着くように思います。


こんな風に笑い、泣き、怒り、こんな風に話す。こんな風な言葉を選ぶ、行為を選ぶ、方法を選ぶ、それが「自分」。
表現という行為を続ければ、いずれ「自分」が暴かれる。
「嘘」をつき、「壁」を築いて、「自分」を隠せば、そこで物事は止まり、決してその先には行かないし、行けない。
「嘘」と「壁」の存在は、容易に見抜かれるものであるからして。


そして考えてみれば、アイラブユーと呟くことは叫ぶことは伝えることは、「表現」という行為のみの持つ特異性ではないですね。

人類は小さな球の上で
眠り起きそして働き
ときどき火星に仲間を欲しがったりする


火星人は小さな球の上で
何をしているか 僕は知らない
(或いはネリリし キルルし ハララしているか)
しかしときどき地球に仲間を欲しがったりする
それはまったくたしかなことだ
谷川俊太郎「二十億光年の孤独」

私は眠り、起き、そして働き。
ときどき仲間を欲しがります。火星に、地球に、宇宙に。


「すべての仕事は売春であり、愛である」?
エス
そしておそらく、すべての行為が売春であり、愛である。


私はきちんと、アイラブユーと言えているだろうか?
街ですれ違う人々に。
共に働く仲間に。
助けてくれる友人に。
肩に置かれたあたたかな手に。
優しい言葉と、まなざしに。
ほほえんでくれたあなたに。
アイラブユーと言えているだろうか?
この世界に、私は、感謝しなければならないことが、たくさんある。愛しているものが、たくさん。


眠り、起き、そして働く、それらすべての行為を通して、私はアイラブユーと言いたいし、言わなければならないと思います。

私の心は踊る
虹が空にかかるのを見るとき。
幼いころもそうであり
大人になった今でもそうである
老いてからもそうでありたい
さもなければ死を願う
子供は大人の父
願わくば これからの一日一日が
自然への畏敬の念で結ばれていますように。
ワーズワース「虹」

アイラブユーと言えなくなったとき、言うに値する事柄を世界に見いだせなくなったとき、私の心は間違いなく、虹を見ても踊らないでしょう。
そしてそう、私もワーズワースと同じように、そうなるくらいならば、死を望む。
願わくばこれからの一日一日が、アイラブユーという言葉で結ばれていますように。


アイラブユー。
すべての人々に、世界に、すべての行為を通して、そう伝えることが出来れば。


キスの花束を世界中に投げかけるような気持ちで、私は「表現」という行為に携わりたいし、周囲の人々に関わりたい。
それが私の願いです。


ああ、そう、だから最後に。そして最後に。
今この文章を読んでくれた、あなたに。
アイラブユー。
本当にありがとう。