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だらだら書きますので、だらだら読んでもらえるとありがたく。

女子校出身者が娘を女子校に入れたがるワケのうちの一つかなあ。

私はもし自分が娘を持ち、彼女がうんと美人かうんとブサイクのどちらかだったら女子校への進学をすすめたいと思っています。そんで、そのどちらでもない親のひいき目からすれば世界一ラブリーだけれども世間的にはまあ並みだよね的な女の子であれば、共学に進学してほしいなと、昔からそのように思っています。
この思いが自分の個人的な経験から形成された偏った考えであることはじゅうじゅう承知していますので、漠然と「思う」だけで、実際にはどうこうするつもりはないんですけど。


私自身は、高校のみ女子校で過ごしました。なので、女子校というものにはメリットがあるな、と思っています。
色恋に関わることなく清らかに過ごせるとかじゃないですよ。女子校だろうとなんだろうと、行動力があって恋愛に興味がある子は、普通に恋人を作りますからね。
私の思う女子校のメリットの第一は、自立心が養われやすいところです。女子生徒しかいないので当たり前ですが、力仕事を含めたすべての作業は、女同士でなんとかするしかありません。その結果私たちは、男性に頼らなくてはならない作業というのは、世の中ほとんどないのだということに気付きました。高いところのものは脚立に登ればとれますし、重い荷物は友人と協力して運べばいいわけで、金槌やのこぎりを扱うのにY染色体は要りません。
大抵のことは自分でなんとかできる、という感覚を持つのはいいものです。自分は女だからあれができない、これもできないと思うより、ずっとずっといいことだと思っています。


そしてもう一つのメリット。女子校の中では容姿によって評価され、振り回されることが少ないのです。
もちろん女子校であっても美しい容姿というのは一つの能力ですから、評価されます。されますがしかし、それはあくまでワンオブゼムとしての評価であり絶対的なものではないというのが、女子校最大の特長だと思うのです。
成績優秀、スポーツが得意、話が面白い、人柄が練れているなどの能力に比べて容姿だけが特別視されたりはしないと言いましょうか。
そんでまあこっからは私の偏見なんですけど、他の能力がいくら優れていても容姿がよろしくない女の子は、共学校では冷たく扱われがちなんじゃないでしょうか。これ、やっぱり偏見だといいなあ。事実じゃない方が当然嬉しいです。


中学時代の私は、小規模校だからほとんど意味がない話ではありますけれど、学年で一番勉強ができました。体は丈夫で、家族仲も良好、気の合う友人もいましたので、自分のことはまあまあハッピーな人間だと思っていました。ゆえに、周りの男の子たちに毎日ブスブス言われても、さほど苦にしていませんでした。
ところがある男子生徒に、
「シロイってなんで笑ってられんの? そこまでブスなんだから何をどう頑張ったって幸せにはなれないのにさ。まさか自分でも結婚できるとか思ってないよね?」
みたいなことを心底不思議そうな顔で言われた時は、ずっしりきましたよね。悪意に満ちたかんじではなく、純粋に疑問を抱いてる様子が彼の表情にはあふれていまして、その無邪気さが余計にきつかったです。
ブスってのは他の美点をすべて打ち消しにするほどの大きな欠点なの? 何がどれだけ出来ても、がんばっても、ブスは絶対に幸せになれないの?
そんな疑問が頭の中をぐるぐると回りました。


小学校の頃は大半の男の子と良くも悪くもないけどまあフツーという関係を築いていて、向こうがこっちを一方的に値踏みしたりダメ出しをしたりということは、あまりなかったように思うのです。
それなのに、中学に入ってから男子生徒たちはやたらと寄り集まってひそひそ話に興じ、女子生徒を見てにやにや笑いながら、あの子はかわいい、シロイはブスでクズでなんで生きてんの、みたいなことを聞こえよがしに口にするようになったわけです。


今になればまあ、当時の中学生男子たちの気持ちもわからないではないというか、若い人間が何かと容姿を重要視しがちなのはある程度あたりまえだよなあ、と思うんですけどね。
色気づくって言葉ありますけど、まさにそういう時期ですからね。相手の肉体に興味を抱かずにいられない大自然のスイッチが、ポンと入った直後だったわけで。そりゃあ相手の肉体にばかり目を向けますよね。オンになったスイッチとしばらく付き合った後でなければ、人間はそれだけじゃないんだなんて考え方ができなくたって仕方ない。
もちろん、だからといってそういう価値観で他人を値踏みして傷つけて楽しむことがいけないのは確かです。だけど未熟だからこそ、若い人間はしばしばその手の残酷さを発揮してしまうんだと思います。男女を問わず、ね。
この手の価値観を生涯だらだらと引きずって、何かと他人を断じて見下さないと生きられない人もいますけれども、それはまた別の話です。


まーとにかく同年代男子の変化に少なからず傷ついた私にとって、女子高はとても安らげる場所でした。女の子たちは私を、ブスであるがゆえに無価値な人間という風には扱いませんでした。自分にはそれなりに取り柄も価値もあるのだという感覚を、私は女子高で取り戻したのです。
というわけで、もしも私の娘が容姿が美しくないという理由で値踏みされ傷ついたならば、私は女子校をすすめたいのです。
そしてまた、私の娘の容姿が奇跡的にとんでもなく素晴らしかった場合。その場合も、女子校に行ってもらえると安心です。すばらしい美貌の主だけど頭も性格も何もかもが悪いみたいな女性は、それでも若いうちはちやほやしてくれる人間に事欠かないんじゃないかと思うんですよね。そうなってしまうと、彼女の人間性はとんでもなくスポイルされてしまうかもしれません。
人間だれしも年をとりますし、そうなってくると顔立ちより顔つきの方がずっと重要になります。だからこそ若さや美しさを至上とする価値観を内面化してしまうと大変です。どれほどの美女であっても加齢には勝てませんから。自分の価値観に、後から苦しめられることになります。
顔だけで自分をちやほやする人間が少ない女子校環境で過ごすことで「時分の花」ではなく「まことの花」の価値を知って育てて欲しいと、そのように思います。


容姿に関係なく娘は女子校に入ってほしい、という考え方もあります。並みの容姿の持ち主であっても、外見至上主義に振り回されることはありますからね。
ただね。
外見だけに振り回されずに済む女子校的価値観の世界は確かに魅力的です。だけど、あの世界に永遠に留まることはできないんですよ。いずれ外界に出て行かなくてはならない。
外界がシビアであればあるほど、早い段階で適応していくことも、とてつもなく重要です。
値踏みされること、それによって軽んじられること、内面を無視されること、どれも嫌な経験ではありますが、そういうことに溢れているのが娑婆世界です。
それに自分が値踏みされ消費されることを嫌う人間であっても、気付けば他人を値踏みし、消費することはあるんですよ。よくないことではありますが、それはどうしたって誰もが心のうちに持つ一側面です。
ならば値踏みされるのはある意味お互いさまであること、だからといってそれを許したり認めたりしていいのか考える必要があること、お互いを消費してしまうとしてもそれだけではない関係も築けること、消費という関係性が人を救う場合もあってしまうことなどを、ひとつひとつ学んでいくことはとても大事ですよね。そういうのはきっと、共学環境下のほうが学びやすいと思うのです。


また、女子校的価値観に染まってしまうと、警戒心を適正なレベルで持つのが、とても難しくなります。警戒心過小か過剰の、どちらかになりやすい。
「自分がいるときはアパートの鍵、かけたことないです。だって家にいるんだから空き巣もこないでしょうし」
こんなことを言った女の子は当時18歳で、女子校出身者でした。私は
「いやいや危ないよ、あなたの入浴中に知らない男の人が入ってきたりしたらどうするの? のぞかれるだけで済んだら御の字だよ?」
と言ってみたのですが、彼女はびっくりした顔で、
「どうしてシロイさんはそんな怖いことが思いつくんですか? 考えすぎじゃありません? 男の人は人間じゃないとでも思っているんですか?」
とか言われてものすごく「汚れちまつた悲しみに」気分になりました。


もちろん、女子校出身者の全員がここまで世間知らずなわけじゃありませんし、家庭での教育などで補えるとは思いますけれども、生の男性を知らないがゆえの過剰なピュアさみたいなものを実際に目の当たりにするとぞっとしますね。
ここまで極端な例じゃなくても、「男性のシタゴコロを想定する」こと自体を思いあがりであり、相手にとって失礼な行為であると思って警戒心過小になっていくのは、女子校出身者にはしばしばあることだと思っています。
その逆に、警戒心が過剰に暴走してしまうのもありがち。これ、短期的にみれば安心なんですけど、長期的に見ると警戒心過小な子よりもまずいときがあります。
過小な子は男性と知り合い、親しくなるチャンスを得やすいからです。生身の男性と実際に接する中で、自分の中の男性観を現実とすり合わせて行くことができます。実際、世の男性はなんだかんだいって紳士的な方のほうが多いと私は思っていますし、仲良くなったら即危険というケースはあまり多くないのではないでしょうか。(これもずれてる?)
過剰な子は、男性と親しくなりづらいため、現実に即した男性像というものを構築することが難しくなります。歪んだ他者イメージを抱くことは危険です。また、過剰な警戒心を抱いて生きることは、心を疲弊させます。疲れきったところにつけこむ人間というのはいますし、そうなってしまうと今までの過剰警戒はなんだったの、今思い切り騙されてんじゃんアンタ、みたいな話になるのもありがちです。


また、ちょっと意外かもしれませんが、女子校出身であるがゆえに同性にしてやられる場合もあります。
「男性の前だと態度がころっと変わる、裏表の激しい女性」というのが、当たり前ですが女子校にはいません。いたとしても、観測できません。
そうなるとまあ、そういうタイプの女性にいろんなかたちで翻弄されたりするんですよ。


そう考えると、女子校的価値観しか持たない、共学環境を知らずに育つというのは、いろいろな意味で危険なのです。
美醜のどちらであっても極端な容姿の主であれば女子校をすすめたいと私が思うのは、女子校的価値観しか知らない危険よりも、自己愛が適正でなくなり、セルフイメージが歪んでしまうのを恐れるからです。
ですが、人並みの容姿であれば、そこまで自己愛やセルフイメージが狂う危険性は高くない気がするので、現実社会全般に対してそれなりの警戒心を養っていってほしいと、そう思っているんですよね。


私は共学の高校に通ったことないから実態をよくわかっていないし、私の思う女子校的価値観というのは、あくまで母校の校風の話であって、他の女子校とは違う可能性もあるんですけどね。とにかく娘を女子校に行かせたいかどうか問題については、大体こんな風に考えているわけです。
あと、漠然となんですが、息子の場合はどのような容姿に生まれついたとしても、できれば共学に行かせたい、男子校には行かせたくないとなんとなく思っています。根拠を訊かれても自分でもわからないんですが。
男子校出身者の方で、男子校に行ってよかった、男子校オススメとか、そういう意見がありましたら、聞いてみたいなあとも思います。