この間の週末、ネットをふらふらしてると夏休みの宿題についての記事が目に入って、もうそんな時期かあと思ったわけなんですけれども、そういえば私は親に宿題の手伝いを頼んだりはあまりしませんでした。
むしろ逆に、隙あらば娘の宿題を奪っていこうとする父親に目を光らせていたという思い出があります。
私の父ネコヒコ(仮名)は美大出身だったせいもあるのか、とにかく器用で手先を使った作業が大好きでした。小さな電気炉で七宝を焼いたり、油絵も描いていましたし、休みの日には習字や篆刻(俳句や日本画のサインがわりに押されるハンコを彫ること)、刻字(木材などに文字を彫ること)などに一日中打ち込んだりしていました。
そんな彼にとって、娘の宿題はなにかとてもイイモノに見えたらしいです。
「いいなーいいなー、ちょっとおれもやってみたい。水面の部分、そこだけおれに塗らせて。山とか森はケイキがやっていいから」
などと謎の譲歩を見せつつなんとか関わろうとする父親。
私はといえば残念ながら器用な父にはちっとも似ず、むしろ学校でも気の毒がられるほどダントツに不器用でしたから、最初は喜んで手伝ってもらったのでした。
休み明け、私は学校でクラスメートに「ずるーい」と糾弾されました。
当たり前です。
ネコヒコは子供の宿題だからそれなりに下手っぽく仕上げるということを、あまり考えませんでした。というか単純に「自分もやりたい」という情熱をそのまま画用紙にぶつけてくれやがりましたので、結果として私の稚拙な絵は一部分だけ異様に達者な仕上がりとなり、学芸会のお芝居に紛れ込んで熱演する新劇の役者みたいな不調和ぶりが誰の目から見ても明らかだったのでした。
私はクラスメートの批判と自分の父親には子供の宿題を上手く手伝う機能がないという現実を厳粛に受け止め、次からはもう絶対父には頼まないということを心に誓いました。
しかしながらそれ以降、
「冬休みなら書き初めの宿題あるだろ? なに書くの? おれも書いていい?」
「夏休みの自由研究の代わりに工作とかどうかな? 木製のコースターを作ってみたんだけどさ」
父はやたらと娘の宿題に関わろうとするようになりました。
「もうお父さんには手伝ってもらえないよ。ズルって言われるもん」
私に拒絶された父は、妹にも同様の声かけを行ったのですが、
「絶対イヤ! お父さんは宿題に一切手出ししないで!」
姉の失敗を目の当たりにしている妹は、私よりよほど強硬な態度で父の介入を拒むのでした。
しょんぼりとうなだれる父の姿を見ているうちに私は、なんだか気の毒になってしまいました。
「わかった。じゃあ書き初めは自由課題で好きな字を書いていいって言われてるから、お父さんがお手本書いてよ」
目を輝かせる父。いきいきと書き初めする父。書き終わった半紙を並べながら「どれがいいと思う?」と訊く父。選出が終わったら「じゃあこれを学校に持ってけ」と胸を張る父。
「だからあ!」
怒る私。
「お父さんのは! もってけないって言ったでしょ! ズルでしょ! 私の宿題でしょこれは、お父さんのじゃないでしょ!」
「そうだけど……せっかく書いたし……先生の意見もききたいし……」
なんで先生の意見ききたいんだよ、あんた教え子じゃないだろうと言いたい気持ちをぐっとこらえ、私は言いました。
「じゃあ、私のじゃなくてお父さんが書いたってことで持ってくよ。それでもいい?」
「それでいい。いやー楽しみだなあ」
なにがどう楽しみなんだよ、と思いながらも私は事態がおさまったことに安堵しました。
というわけで私はそれ以降も父お手製の木製コースターだの工作だの書き初めだのを、「父のです。なんか持ってけっていうんです」と言って休み明けに持参するようになったのでした。
田舎の少人数の学校だったからでしょうか、先生たちも「へーそうかあ」というかんじで生あたたかく受け入れてくれました。内心では「変な父親だなあ」くらいには思っていたでしょうが、私もそう思っていましたから問題ではありません。
さて、私が中学生の時のこと。
私は生来の不器用さがたたり、美術の課題の進行が大幅に遅れていました。
課題というのは鏡の枠作りでした。木製の枠に下絵を描き彫刻刀で彫ってやすりをかけ、塗装したら鏡をはめて出来上がり、というものです。
この下絵描きと彫る段階で私はむちゃくちゃに手間取っており、他の生徒たちが七割がた彫り終わっているというのに三割くらいしかできていなかったのでした。
いい機会だから持ち帰って夏休み中できるだけ作業を進めて九割くらい彫り終わった状態で新学期に臨もうと、私はそう考えました。
夕食の片づけが終わると新聞を敷き、茶の間で彫りものを始める娘を見た父は、一気に色めき立ちました。
「なにそれ宿題? 手伝ってほしい?」
「おれ彫るの好きだなあ。おれのほうがいい彫刻刀持ってるしなあ」
「一つアイディアがあってな。との粉を塗る時、墨を混ぜて黒っぽくするんだよ。そのほうが重厚で渋くて、いい仕上がりになるぞう! これはもう決まりだな、との粉も墨もニスもあるし、ここはひとつ父に任せて……」
「だからあ!」
怒る私。
「ダメに決まってるでしょ、何オリジナリティ出そうとしてんのこれ学校の課題だよ!? 言われたとおりやればいいの、それができるかどうかが見られてんの! つうかこのど下手な下絵しかできない人間がいきなりそんなアーティスティックな工夫施したら、不自然すぎて即座にズルってバレるでしょうがあああああ!」
「で、でもそのほうが良い作品がさ……」
「作品の良さなんてどうでもいいんだよおおォォォォオ! ただ無難にこなしたいだけなんだよ私はさあアアァァァァ!」
「そっか……」
肩を落とす父ネコヒコ。
それからも父は私が彫りものをしているとその横に陣取り、羨ましそうにしながら
「ちょっとだけ、ちょっとだけだから彫らして。な? 今度の日曜一日だけでいいから!」
などと言い続けましたが、私は彼の願いを却下しました。
「言っとくけど、勝手に触んないでねコレ。絶対いじらないでね!」
私はそう念を押したのですが、「うん」と頷く父の顔には「隙あらば!」という気持ちがあふれていましたので、とても不安でした。
とはいえサラリマンとして毎日出勤しなければいけない父が、夏休み満喫中の中学生の目をかいくぐるチャンスはまずありません。この分ならなんとかなりそうだ、と油断していたある日のことです。
「そうだった私、今年は地域の弁論大会に出なきゃいけないんだった……」
よりによって大会は日曜開催でした。
「お父さん、今日私出かけて夕方まで帰れないけど、その隙に美術の課題を進めたりしたら、絶対ダメだよ?」
「うん、お前の言いたいことはわかってるぞ」
「絶対だよ! 私が困るんだからね!」
「娘を困らせたくはないなあ」
「信じたよ? 信じたからね! じゃあ、いってきます」
私もまだ若かったというか未熟だったというか、父親を疑っちゃわるいなという気持ちがどこかに残っていたんですよね。
「ただいまー」
「おう! おかえり!」
やたらと瞳を輝かせた父に出迎えられた瞬間、胸中で嫌な予感がふくらみました。
「なんじゃいこりゃあ!」
足元から崩れ落ちる私を見ながら、嬉しそうに父が話します。
「な、やっぱりとの粉を黒っぽくしたほうがいい仕上がりだろ? あとはこのまま数時間、明日の朝には乾いてるからさあ……」
「やるなって言ったじゃん! やっちゃダメって言ったじゃん! あんなに念押したのにお父さんのバカああ!」
「悪かった。でもどうしても我慢できなくてさ……」
「うるさいうるさい、どうすんのコレえ、二学期からどうすんの私ぃ」
「先生に相談したらどうだ。全部おれのせいにしていいよ」
「いいよじゃなくて、ほんとに100パーセントお父さんのせいですけど!?」
「うん、そうだ、その通りだな。だからその通り先生に話しなさい。正直は美徳だからな」
結論から言いますと、なんとかなりました。
過去に私が書き初めだのなんだのを「父が」と言って学校に持ってきた実績があったため、
「ほんとにやりたがりのお父さんなんだな」
と美術教師もあっさり納得してくれたのです。
クラスメートにはやっぱりちょっと「ずるーい」と言われましたけど、
「ずるい? なにが? みんなほんとに私と同じ目に遭いたい? こんなのバレるに決まってるし、下手したら先生に怒られて最初からやり直しもありえるなって覚悟したのに?」
と切り返しましたら、みな理解してくれました。
問題があるとしたら二学期、みんなが黙々と彫りものを進めている間、何もやることがなくて私が異常に手持無沙汰になってしまったことくらいですけど、まあそんなのはね。適当に暇つぶしすりゃーいいだけで。
というか、最初の気まずさを乗り越えてしまえばこれはこれで悪くなかったな、と思うようになりましたよね私も。ニガテな課題が気がつけば完成しちゃうなんて、魔法みたいというかドラえもんみたいというか、すべての子供が抱く叶わぬ願いじゃないですかそんなん。
それが結果的にかなり不本意な形とはいえ一応かなったと言えなくもないわけですから。
ただ一つ問題があるとしたら、
「フツー親って子供の不正を厳しく摘発する側じゃないの? 率先して不正をしたがる親って一体……」
という疑問を私が抱いてしまったことなわけですけど、
「どうせばれるんだからズルのうちにも入らないってことか? 私のトク全然ないもんな」
と考えることでこれも自己解決しました。
とりあえず
「親だって人間」
「人間だから完璧じゃないし聖人君子とも限らない」
「だからといって悪い親なわけでもない」
「人生は面白ければおおむねオッケー。物事はなんでも考えよう」
ということを夏休みの宿題とそれに伴う不正によって、私は学んだように思います。
お父さん、いろいろ文句言いたいところはあるけれど、それでも一応ありがとう。