私が子供の頃住んでいたのはたいそうな田舎だったのですが、その中でも我が家は更に辺鄙な場所にありました。
幼稚園に入るまで、妹と私はお互いだけが遊び相手でした。我が家の半径3km以内には、他に子供がいなかったからです。
そのせいでしょうか。
幼稚園に入ってすぐに私は、自分の対人スキルが同年代の子と比べて大幅に劣っていることに気付きました。
遊びの仲間に入れない。
たまに入れてもらってもどんくさくて、みんなをイライラさせてしまう。
遠いとおい昔のことなのに、入園当時にあったいろんな出来事を、私は今でも思い出せます。
それだけ毎日緊張して過ごしていたのでしょう。
自分が他の子供と上手く遊べないことに気付いた私は、自分の何がそれほどまでに駄目なのか、いっぱい考えるようになりました。
かなしくて苦しかったですが、ぎゃんぎゃん泣きながらお母さんに引きずられて幼稚園にやってくる子が他にいたりしたので、自分だけがつらいわけじゃないんだと思い、少し慰められました。あの子の方が辛そうだから、私はまだ我慢できるし我慢しなくちゃな、とぼんやり思った記憶があります。
一人で座って他の子供たちが遊んでいる様子をずっと見ていたのを覚えています。輪の中にいるときのほうが緊張するので、退屈だけど安心な気持ちでした。
時々リーダー格のエビナ(仮名)ちゃんがちらりと私のほうを見て、ばかにしたように笑ったり、悪口を言ったりするので、それがとても嫌でした。
お母さんに悪い、というのを一番強く感じました。うちのお母さんはとてもいいお母さんなのに、私がバカなせいでお母さんまでバカにされたらすごくひどい。私はもっとおりこうになってみんなと遊べるようにならないといけない。そういう決意を固めました。
私はそれから、周りの子供のやりとりをなるべく一生懸命見て、真似をするようになりました。無数のトライアンドエラーを繰り返し、遊びに入れる回数がじわじわと増え始めたあたりで私は、みんなができることができない子はすごくバカにされることと、逆にお絵かきやかけっこなどがすごくできる子は尊敬を集め、できない子がやったら許されないことも許される場合があることを学びました。こんなに初歩的なことをそれまで理解していなかったのが恐ろしいですが、遅くとも身に着かぬよりはマシというものです。
秀でることで許される道はとても魅力的でしたが、私は不器用で足が遅いので、早々に諦めました。無難を目指す道だけが残されましたので、私は親に頼んで字を教えてもらうことにしました。
四歳当時の私は、字の読み書きがまったくできませんでした。そして幼稚園にいた他の子たちは全員が既に、ひらがなとカタカナを読める状態でした。
早く字が読めるようにならないともっと仲間外れにされると、私は子供なりの危機感を抱いたのです。
娘が自分から字を習いたがったので両親は喜び、さっそく教えてくれました。
その日、またエビナちゃんは女の子を集めていました。体が大きくて力が強いエビナちゃんが、女の子たちが何をして遊ぶかをいつもぜんぶ決めていたのです。
エビナちゃんはクレヨンの箱を開け、中のクレヨンを並び替えて、みなに見せました。みなそれを見て何か言い、それから他の子もクレヨンを並び替えました。エビナちゃんはその並びを見てうなずき、ほめました。
私はそれをちょっと離れた場所から見ていました。
どうやらクレヨンをどの順番に並べると綺麗に見えるか競っているらしいと、私は推測しました。
どうしてあの子たちはそういうことがわかるんだろうと、私は泣きたくなりました。どうすれば速く走れるか、綺麗に色が塗れるか、かわいいお姫様の絵が描けるか、私以外のみんなは知っているみたいなのに、私だけが知らない。
クレヨンをどんな順番に並べれば綺麗なのかなんて、私には全然わからない。そういうことがわからないと、あの輪の中には入れないのに。
なんで私だけがこんなにものすごくバカで、わからないことばっかりなんだろう。
私はのろのろと自分のクレヨンの箱を開けました。とにかく適当にクレヨンを並び替えて、エビナちゃんのところに持っていこう。もしかしたら偶然すごくいい並びになって、一緒に遊んでもらえるかもしれないし。そんな風にはかない望みをかけたのです。
それから私はなんとなく箱のふた裏を見て、すごいことに気付きました。
クレヨンの並べ方が書いてある!
色の名前が順番に並んでる。もしかしてみんな、これを見てクレヨンを並べたのかもしれない。だから私にはどうすればいいかわからなかったんだきっと。今までは字が読めなかったから
私ははりきってクレヨンを並べ替えました。ふたに書かれている順番通りであることを示すために、クレヨンの胴体部分に書いてある「あか」とか「ちゃいろ」とか「みずいろ」などの文字が、きちんと読みやすく上に向くようにしました。
それから私は、にこにこしながらクレヨンの箱をエビナちゃんに見せました。
エビナちゃんはちょっと驚いた顔をしたあと、にこっと笑いました。
「いっしょに描く?」
エビナちゃんが場所を開けて私をお絵かきに誘い、その日から私は、遊び仲間として受け入れてもらえるようになりました。
驚いたことにその後、エビナちゃんと私はけっこうな仲良しになりました。母親同士も気が合ったので家族ぐるみの付き合いが始まり、何度か一緒に旅行に行ったりもしました。
みんなが当たり前にわかることがわからないバカな自分、という感覚は相変わらずありましたが(大人になった今でもあります)、私はだんだん、そのことが気にならなくなりました。
バカでも物知らずでもいいんです。世の中には賢くて物知りな人がいっぱいいて、おかげで役に立つ本がいっぱいあるんですから。
私のような子供は、そういう本を探して読めばいいんです。そうすれば輪の中に入っても、なんとかやっていけるのです。
私は、本が好きな子供になりました。
これが私の幼稚園暗黒時代の記憶です。
本当にずうっと大昔のことなのに、驚くほど細かく、いろんなことを覚えています。
母が広告の裏に升目を書いて、お手本になる五十音を書いてくれたのを覚えています。
その間に父が別の広告の裏に升目を作り、私はそこで字の練習をしました。その紙が黄色かったことを覚えていますし、広告がなくなったら父がわら半紙を出してきたことも思い出せます。
何回も間違えて悔しくて、カーペットに涙を落としたことも、そのカーペットがグレーで、四角い模様が入っていたことも、忘れていません
これからは一人で読めるんだと気がついて、本棚から絵本をひっぱり出したときの記憶は、特に鮮明です。
選んだのは、おじいさんが落とした手袋にいろんな動物がやってくるお話。
筋は知っていてもあらためて自分で読むと何もかもが違って感じられて、胸がいっぱいになりました。
さて。
私の記憶はこんな風にまるで昨日のことのように何もかも克明できっちりしているのに、実はすさまじく狂っているのです。
中学生のときのことです。私はエビナちゃんの家で、一緒にテスト勉強をしていました。
エビナちゃんのお母さんが、途中で私たちをリビングに呼んでおやつを出し、
「エビナもケイキちゃんも、見てごらんなさい。さっき片づけしてたら出てきたの」
と言って写真の束を広げました。
「幼稚園の頃の写真じゃん」
「なつかしー」
勉強に飽きていた私たちは、はしゃぎながら写真をめくり始めました。
「あれ?」
知らない女の子が、エビナちゃんの横に立っています。
(親戚か誰かと一緒に撮ったのかなあ)
私は更に写真をめくりました。また同じ女の子が出てきました。次の写真にも、その次の写真にも。
そこで私は、その女の子の服装が変わっていることに気付きました。
(同じ日にまとめて撮ったわけじゃない……この子は何日も何ヶ月も、ここの地域にいたんだ)
なんとなく嫌なもやもやが胸の中でふくらんだような気がして私は、エビナちゃんに訊きました。
「これ誰?」
「何言ってんの、マヤト(仮名)ちゃんでしょ?」
(全然知らない名前だ……なんで知ってて当然みたいな雰囲気……)
私が茫然としていると、エビナちゃんがびっくりした顔をしました。。
「えっ、シロイ本気で言ってるの? マヤトちゃんだよ? 忘れるとかありえないよね?」
「あの子の印象はけっこう強烈よねえ」
目を細めながらエビナちゃんママが語るところによると、マヤトちゃんというのは私と同い年の女の子で、体が大きくてとても気が強く、いつもみんなを取り仕切ってリーダーを務めていたそうなのです。マヤトちゃんにはちょっと意地が悪いようなところもあって、気に入らない子は容赦なくいじめるので、泣かされた子も多かったとか。
「それってあの……エビナちゃんのことですよね?」
失礼だとは思ったのですが、私は我慢できずにそう言ってしまいました。
「エビナちゃんは足が速くて、お絵描きも工作も上手で、だからいつもリーダーだったじゃないですか。みんなエビナちゃんの言うこと、聞いてましたよね?」
エビナ母子はきょとんとした顔をしました。
「ケイキちゃん、なにか勘違いしてない? 幼稚園の頃のエビナは体が小さいし、気も弱くて。よくいじめられていたでしょ?」
「えっ」
「泣きながら『マヤトちゃんがこわい、いじめられる』って、幼稚園行くの嫌がってね。雨の日は特にぐずったなあ。わんわん泣くエビナを、ほとんど引きずって連れてったよね。よその子やお母さんに見られるのが、恥ずかしかった。覚えてない?」
「覚えて……ます……」
白いレインコートの女の子の手を、傘を差した大人がぐいぐいとひっぱっています。女の子はやだやだと首を振り、足をふみならします。勢いの良い雨が白くけぶってあたりは妙にあかるく、その中で揺れるレインコートが白くて大きなあぶくみたいに見えたのを、私は唐突に思い出しました。
「かわいそうだね」
誰かが小声で囁きました。
「しょうがないよ」
他の誰かがもっと小さな声で囁き返しました。
それから彼女たちはちらりと横を見ると、さっと口をつぐみました。ぼーっと雨を見ていた私も慌てて口を閉じ、視線を床に落としました。
おゆうぎ室に、ゆうゆうとエビナちゃんが入ってきました。
(あれ……?)
窓の外、レインコートの女の子が、ようやく昇降口に辿り着きました。
「それじゃあよろしくお願いします」
そう言ってお母さんが背を向け、歩き始めた途端、女の子は火がついたように泣き叫びまます。
「いやだああああ」
「たすけてえええ、おかあさん、たすけてえええ」
「いやなのおお、いやなのお」
「こわいのおおお、おかあさん、こわいのよ、こわいのにい」
先生が女の子のレインコートに手を伸ばし、するりとフードが落ちました。
(こっちの顔も、エビナちゃんだ……)
私は自分の記憶を、丹念に確認しました。
確かにエビナちゃんママの言う通りです。雨が降るたびわんわんと泣き叫び、引きずられてきていたのは、エビナちゃんです。彼女の白いレインコートと赤い長靴を、私はしっかりと思いだすことが出来ました。
(だけどおゆうぎ室にもエビナちゃんいたぞ……)
みんながエビナちゃんの周りに駆け寄って、だけど私は自分もその中にまざっていいかわからなくておろおろして、それを見たエビナちゃんが唇のはしをきゅーっとつり上げて笑って。
先生にレインコートを脱がしてもらったエビナちゃんが、しゃくりあげながらおゆうぎ室に入ってきます。
(あ、ちがう)
私はそこでエビナちゃんが笑ったのは、私を見たからではないことに気付きました。
怯えきって泣くエビナちゃんの様子が面白かったから、あの子は笑ったのです。
「もしかして、私のこと仲間外れにしてたのもマヤトちゃん?」
「そうそう。なんだ、覚えてるんじゃない。マヤトちゃん、怖かったよねえ」
「いや、覚えてはいないんだけど……」
ここまでくれば、事態は明白です。
私がエビナちゃんだと思い込んでいたリーダー格の女の子は、実はマヤトちゃんだったのです。
どの場面を思い返してもやっぱり、輪の真ん中に立つリーダーはエビナちゃんの顔をしていて、写真の中の知らない女の子とは、全く結びつきません。
やられたことや言われたことは思い出せるのに、当人の顔と名前が思い出せないなんて。
「マヤトちゃん、途中でお引っ越ししちゃったものね。忘れてもおかしくないんじゃない? ケイキちゃんがマヤトちゃんと一緒だったのって、数ヶ月だけでしょう」
「あ、そっか。家が近いから、あたしは幼稚園に入る前からマヤトちゃんと遊んだりしてたもんなあ。だから覚えてるのか。そうだよねー、幼稚園のことなんて、忘れちゃうよね。ずっと昔だもん」
「いや、昔だから忘れちゃったわけではないような……」
幼稚園に入ってからの数ヵ月は、私の平凡な人生の中でもちょっとした暗黒時代で、毎日とても緊張していて、だから昔のことでも些細なことでも、本当にはっきりと覚えているんです。
初めて会ったとき、エビナちゃんママがグレーの細い毛糸で編んだセーターを着てたことだって、覚えてるんです。
エビナちゃんの赤い長靴にピンクのいちごの絵がついていたことも、思い出せるんです。
マヤトちゃんのこと以外は、ぜんぶ。
帰宅してから私は、どうして自分がマヤトちゃんのことを忘れてしまったのか、中学生なりに考えてみました。
わずか数ヵ月でいなくなったから忘れたというのは、ありそうなことではあります。私の記憶がどれほど克明であるとしても、未発達な幼児の脳を使っていたことに変わりはありません。安定した大人の脳なら到底起こらないような不可思議なことも、幼児の脳なら可能なのかもしれません。
「マヤトちゃんをエビナちゃんだと勘違いした理由も気になるけど」
マヤトちゃんがいなくなった後、リーダーになったのがエビナちゃんだったからだろうと、私は推測しました。
園児だった頃の私は、自覚以上にいろいろ拙くて、物事をわきまえられなかったのでしょう。人を役割でとらえ、個体差をしっかり認識できなかったのかもしれません。
ゆえに私はリーダーの交代劇を一人の人物の変遷と誤認し、そのまま記憶が定着した。
「だとしたら私、バカすぎる気もするけど……」
バカな子供だったからこそ、そういうことが起きたのかもしれません。
「ちょっとショック……」
私にとって幼稚園暗黒時代の記憶は、実は悪いものではなかったのです。つらいことかなしいことはたくさんあったけれども、エビナちゃんに認めてもらえたのは嬉しくて、それも大人に強制されたのではなくて、自分で考えてやったことで道が開けたというのは、思い出す度誇らしい気持ちになれるのでした。
だから「成功体験」という言葉から私が真っ先に思い出すのは、クレヨンの日のことなのです。この気持ちが今後も自分を支えてくれるだろうと、人生で最初に感じたのは、あの日だったのですから。
信じれば願いがかなうなんて、あまりにも甘っちょろいセリフですけれども、だけどあの時私が感じたのは、まさにそういう気持ちでした。
「あの気持ちはなんだったんだ……世はすべてこともなしっていう、すごく平和で満ち足りた気持ちになったっていうのに……あれがきっかけで本が好きになったのに」
私は寂しくなってしまいました。
「いやーどうかなそれ、別の可能性あるんじゃないかな」
私の話をきいた妹のサイキ(仮名)が、そんなことを言い出しました。
「どゆこと?」
「たぶんお姉ちゃん、そのマヤトちゃんとやらが、だいっきらいだったんだよね」
「まあそうかも。好きではなかったよねきっと」
「だからさ、消しちゃったんじゃないの?」
「なにそれゴルゴ? 無茶言うなよ」
「いやそういう物理的なことじゃなくてさ。存在を認めたくなくて、覚えようともしなかったんじゃないの。だから記憶からも消えちゃった」
「えー。忘れたってのはわかるけど、覚えようともしなかったてのは何さ」
「だってさ、わたしも子供だったから覚えてないだけかもしれないけど、お姉ちゃんがマヤトちゃんて子の話をしてるの、聞いたことないよ」
「……え?」
「写真だってないじゃん。エビナちゃんの家にはあったんでしょ写真。なのにうちのアルバムには、その子の写真、一枚もない。入園式の写真とか、写っていてもよさそうなのに」
「そういえば、ないね。あれ、どうしてだろ。なんでないんだろ?」
「だから、お姉ちゃんが消したんだよ。だいきらいなマヤトちゃんの写真は、こっそりアルバムからはがして、捨てちゃったの。そんでマヤトちゃんの話は、家族の前では絶対にしなかったの。幼稚園で無視されてたんでしょお姉ちゃん? 無視って存在の否定だよね。だからお姉ちゃんは自分なりにやり返そうとして、マヤトちゃんの存在を徹底的に否定したわけ」
ぞくっとしました。
「これ、簡単に確かめられるよ。お母さーん」
妹がふすまを開けて、母を呼びました。
「マヤトちゃんて覚えてる? お姉ちゃんの同学年で、幼稚園の時いた子?」
母の答えは、否でした。その後妹は父にも同じ質問をしましたが、やはり答えは否。
二人ともそんな子供のことは覚えていないし、私がその子の話をしたこともなかった気がすると、言ったのです。
「昔のことだからはっきりは覚えてないけど」
母が首をかしげました。
「エビナちゃんの話ならしてたけどねえ。エビナちゃんは足が速い、エビナちゃんはお絵描きがじょうずって、毎日言ってたのは覚えてるわねえ」
ぐらっと、足元が揺れたような気がしました。
確かに私も覚えているのです。自分が毎日エビナちゃんの話をしていたことを。
けれどそれは記憶違いなのだと思っていました。自分はマヤトちゃんとエビナちゃんを、ごっちゃにしてしまっていたのだと。
ですが母の言葉が正しいとすれば、私はまだマヤトちゃんが引っ越す前からずっと、彼女の存在を無視して、あてつけるように他の子供の話をしていたことになります。
「おまじないみたいだね」
妹が言いました。
「エビナちゃんの話をいっぱいして、マヤトちゃんのことを塗りつぶそうとしたんだね。そうやって、毎日まいにち、マヤトちゃんを消そうとして、そしたらその相手が本当に引っ越して、いなくなっちゃった。ただの偶然だけどさ、おまじないで願いがかなったみたいだよねまるで」
「おまじないっていうか、呪いじゃんそれ。消えるとか」
「そんなの、漢字で書けばどっちも同じだし」
「幼稚園児が呪うとか。なんかやだなあ」
「えー関係ないよ。子供の心が清らかとか、嘘じゃん。現にマヤトちゃんだって意地悪だったわけでー。よかったねお姉ちゃん。たった数ヶ月で引っ越してくれるなんて、おまじない大成功じゃん」
成功。
その言葉から私が思い出すのは、クレヨンの日のこと。
お絵描きに誘われたときの晴々とした、もう大丈夫なんだという気持ち。
ああよかった、がんばった甲斐があった、信じれば願いはかなうのかもしれないという、すがすがしいあの気持ち。
一体私は何を願って、かなえられたと思ったのでしょう?
私は今でも、本が好きです。
おまじないは、あまり好きではありません。馬鹿げているとか、信じられないとか、そういう理由で好まないのではなく。
「願い事をするときは心せよ。叶えられてしまうやもしれぬ」
何かの本で読んだフレーズが、頭の中でちらついてしまうからです。