私の母は、私が物心つく前から毎朝
「ゲットアップ、ソージョー」
と言いながら起こしに来てくれるひとでした。
子どもの頃は他に比較の対象というものを持ちませんから、私は
「どこの家の母親も『ゲットアップ、ソージョー』と言いながら子どもを起こすのかなあ」
くらいに思っていました。
「ゲットアップ、ソージョー」という言葉の意味は全くわからないけど、おまじないみたいなものなんだろうと推測して。
その推測が誤りであることに気付いたのは、小学校高学年の頃です。
「ゲットアップ」が英語で「起きろ」という意味であることを知ったのです。
(あれ……それじゃあお母さんは毎朝、「起きろ、ソージョー」と言いながら起こしにきていたのか?
え、ちょっと待って、じゃあ「ソージョー」ってなに? おまじない? でもそれって考えづらいよなあ。
それともアレかな、「ゲットアップ、僧正」って言っているのかな、母は。「僧正さん、起きなさい」って。
ううーん、だけどそれもないよなあ。だって私、僧正じゃないもん。そのことだけははっきりしているもん。
それじゃ「層状」? それとも「騒擾」? まさか「相乗」かな? いやいやいやいや、どれもないだろう。だってわたし、層状でも騒擾でも相乗でもないもん。
待てよ、考えてみれば、ゲットアップは英語だ。だったらきっと、ソージョーも英語なんだ。なんだろうソージョーって)
私は父のもとに相談に行きました。
「うむ……お前たちがいつそのことを疑問に感じるかと思っていたぞ」
父は重々しく、そう言いました。
「実はおれにも、あのひとが何のつもりで毎朝ああ言ってるのか、よく判らないのだ」
えーっ。父なのに。父は母の伴侶なのに。あなた自分のベターハーフが毎朝意味のわからないことを口走るようになって十年以上経つっていうのに、それをずーっと放置してたんですか?
「待て。おれだってただ手をこまねいていたわけではない。仮説は立てたぞ」
それではその仮説とやらを聞かせて頂きましょう。
「お母さんは『ゲットアップ、ソルジャーズ』と言っているのではないか、というのがおれの仮説だ」
ほほう。それはなかなか……
「だろう? これはイイ線いってる仮説だと思うぞ。たぶんお母さん、昔軍隊が出てくる映画を見たんじゃないか? 上官が朝、『ゲットアップ、ソルジャーズ』とか言いながら、新兵を起こしにくるシーンのある映画を。それでずーっとその映画の真似をしてるんじゃないか」
おお。
私は父の仮説に感心しました。どうして母が毎朝律儀に十年以上もその映画の真似を続けているのか、という問題は残りますが、とにかくその仮説は正しそうに思えます。私は父を誉め讃えました。
すると父は私の賞賛に気をよくして、さっそく母のもとに行き、仮説の裏付けをとろうとしました。
母は父の仮説を一刀両断しました。
「え、『ゲットアップ、ソルジャーズ』? 違う違う、なにソレ。私はあくまで『ゲットアップ、ソージョー』って言ってるの」
「そうなのか? それじゃあ『ソージョー』ってなんなんだ?」
仮説がはずれていたことに気落ちしながら父がそう尋ねると、母はため息をつき、こう言いました。
「決まってるじゃない。象使いの少年の名前よ。インドの。他にどんな『ソージョー』がありうるの?」
決まってるんだ、それ。
つーか、ソージョー誰?
さてさて、ソージョーとは無関係に、私は現在、実家に帰省中でございます。
田舎の空気は爽やかですし、夜はエアコンなしでも涼しく快適に眠れますし、星だって綺麗ですよ。
これで母が「ゲットアップ、ソージョー」と言って起こしに来てくれれば完璧なのでございますけれど、なぜか母は「ソージョーは象使いの少年である」という衝撃の事実を家族に伝えた後は、「ゲットアップソージョー」という言葉を使わなくなってしまったのでした。
追記
その後、父と二人で母に確認をとったところ、ソージョーは、母が中学時代の英語のリーダーの教科書に出てきたんだそうです。
そんな元ネタ、誰にも判るわけないじゃないか。