明日には退所です。
静座が終わった後、私は
「もしかして今日から普通食かも! 粥じゃなくてごはんかも」
ということに気付いて、弾む足取りで部屋に戻ったのですが、実際に運ばれてきたのは粥でした。
「…まあいいや。炊いたごはんなんて、退所すればいくらでも食べられるさ。それよりもここにいる間しか食べられない粥の味を楽しめばいいのだ」
と気持ちを切り替えて食事に没頭。
メニューは粥、ゆで卵、わかめのみそ汁、のりの佃煮です。
私は自分で粥を作るときは、余ったごはんを使っているのですが、ここのお粥はちゃんとお米から作ったもののようで、たいへん上手に、美味しく出来ています。
「でもいくら美味しくても白粥だからなあ。退所したら、鶏ガラでだしとって、中華風のお粥を作りたいなあ」
などと考えてしまうのは、食い意地の張った人間の業でしょうか。
今私の頭の中には、退所したら食べたいもの、作ってみたい料理が、ブンブン音を立てて、大量に渦巻いているのです。
掃除と洗濯と終えた後は、読み終えた野沢尚の『呼人』を娯楽室に返し、次に借りる本を、慎重に吟味します。
「今日中に必ず読み終わらなきゃいけないから、さっと読める本じゃないとなあ」
考えた末にスティーブン・キングの『神々のワード・プロセッサ』を借りました。
奈良の山の上、初夏のさわやかな風を浴びながらスティーブン・キング世界に浸るというのも、けっこうオツかな、と思ったのです。(どこが)
それに『神々のワード・プロセッサ』は以前に一度読んだ本なので、読み終わらずに済んでも、全然構わないし。
ここでは、家から荷物を宅急便で療養所に送ることもできるし、療養所から荷物を家に送ることもできます。その気になれば手ぶらでやってきて、手ぶらで帰ることも出来るというわけで、これはかなり便利。
私は院長先生に頼んで宅急便の伝票と、実家に送る荷物を詰めるための小さな箱を貰って、荷造りをしました。
実は私は、ここに来るとき、荷造りにたいへん苦労したのです。ノートPCのおかげで、鞄に他の物が、全然入らない。二週間も滞在したのに、私の持っていた服はとても少なくて、かなり苦労しました。
しかもそんな状態なのに、鞄の口がしまらなくて、もうほんと、悔し涙の荷造りタイムだったのですよ。
とりあえず、読み終わった本と、水筒(水を汲むのに使った)などを実家に送り返すことで、かばんに少しでも余裕ができることを祈ります。
それにしても、これから私は、名古屋で友人の家に二泊した後は、板橋の伯母の家にお世話になって、アパート探しをする予定なのですが、服が足りるか、切実に心配になってきました。足りないぶんを買うのは構わないのですが、そしたらまた荷物が入りきらなくなっちゃうしなあ……まあそのときはまた宅急便使えばいいか。
なんとか荷造りのメドがついたところで、安心して『神々のワード・プロセッサ』を読み、そうこうしているうちに、昼食の時間がやってきました。
粥、こんにゃくと里いもの煮物、かまぼこ三きれ。
煮物がなんとも言えない醤油の色に染まってくたっとなっているのを見ると、自然と笑みがこぼれます。
里いもを箸で割り、外側は醤油色、内側は白いままになっているのを何度も眺めて楽しむ私。
かまぼこを少しずつかじって、すべすべした冷たい感触を、何度も何度も味わおうとする私。
そんな私はちょっと頭がおかしいんじゃないか、食べ物が好きすぎるんじゃないかという疑惑が、ようやく心の片隅に芽生え始めてきたのですが、「まあいっか」と思うことにしました。
午後は、ヒロシマさんに誘われて、再び部屋にお邪魔することに。
ヒロシマさんは私より高い部屋なので、室内がリフォームされており、広くて綺麗です。
私の部屋はそれに比べると……レトロな味があっていいかんじです。古き良き昭和のロマンといえばいいでしょうかね。少なくともそう考えることにします。
コタツにあたって、にぎやかに二時間ほど過ごした後、部屋に戻り、軽く本を読むことに。
原田宗典の『できそこないの出来事』を読みました。原田宗典は小説よりもエッセイのほうが好きです。中でも『十七歳だった!』は傑作だと思っているので、もしかして置いてないかな〜、と娯楽室の棚を探したのですが、見つかりませんでした。
夕食は粥、切り干し大根の煮物、卵の……なんだろうあれ、卵だけの卵とじ? 語彙が貧困なのでどう表現していいのかわからないのですが、卵の何かが出ました。考えずに、感じてください。
美味しかったです。
静座に参加すると、院長先生が
「明日で退所だよな? じゃあ、今日もこの後シャワー浴びてええよ」
と言われたので、喜んでシャワーを浴びることにしました。ここに入所してから、一日おきの入浴にも大分慣れましたが、やっぱり毎日からだを洗えたほうが嬉しい。
入浴後、娯楽室にヒロシマさんとミヤコさんがいらっしゃったので、三人で雑談。
明日にはもうこのひとたちともお別れなのだなあと思うと、寂しさが募ります。またどこかで会えるといいんですけどねえ。
ヒロシマさんは、ここから帰られたら一人暮らしを始める予定で、家と職を探すとおっしゃっていますので、実は私と同じようなかんじ。ミヤコさんも職探しを控えていますから、話題はだんだんそういう方向に。
一人暮らしで必要な家電には何が必要か、生活費を節約する方法、職を探すためにはどうすればいいのか、良い職ってなんなのか。
「現実」が音を立てて私に近づいてくるのが、はっきりと判るような気がしました。
途中でがらがらと娯楽室の戸が開いて、見回り中の大先生が顔を出しました。
大先生は、現在の院長先生のお父さんでいらっしゃるようで、毎晩八時頃になると各部屋を見回って、療養者たちに変化がないか、聞いて回るのです。
「かわりはないですか?」
「大丈夫です」
といつものように答えると、
「ああそうだ、あなたは明日退所ですね。修了証を書いてあげましょう」
と大先生はおっしゃりました。
「修了証?」
「そんなものが貰えるんだ?」
「履歴書の資格の欄に書いたら、役に立つかな?」
などと三人で話し合ったのですが、「断食六日間」て資格じゃないですよねえ……
「断食実績からわかるように、私には何事も粘り強くやり抜く忍耐力があります。身体も健康です」
とか言えばいいの? でもなんかそれってちょっと、変な女だと思われない?
その後、大先生は、修了証と、ありがたいお言葉の記された色紙を持ってきてくださりました。
「はいどうぞ」
「ありがとうございます。今までどうもお世話になりました」
と喜んで受け取ったのですが……
「こ、この色紙、達筆すぎて読めない……」
修了証は問題なく読めるのですが、色紙に書かれたありがたいお言葉が、所々しか読めません。
三人寄れば文殊の知恵と申しますので、三人で解読に励んだのですが、結局全部はわからないのです。
「断食療法は体内の過剰な栄養分のナントカと重要ナントカナントカに対する……積極的? ……わからーん!」
みたいな半端きわまりない結論に。
大先生は既に去ってしまわれましたし、というか、残ってらしたとしても、「読めません」とは言いにくいものがありますので、結局何が書いてあるのかは、よくわからないままに。
ですから、「ありがたいお言葉」というのも、本当は推測です。達筆な文字から推測するに、たぶんありがたいんじゃない?
部屋に戻り、『できそこないの出来事』を読みつつ、荷造りの仕上げ。
それでも最後まで詰められないものはどうしても出てしまうので、明日の朝は忙しそうです。
私が今、一番気になっているのは、今朝洗った洗濯物が、外が雨のせいもあって、全然乾かないということです。明日の朝までには少しはマシな状態になるかなあ……二百円で乾燥機が使えたんだから、ケチらないであれを使えばよかったなあ……
とりあえず、誰がこんなものを読みたがっているのかよくわからないまま長々と続いてきた断食日記ですが(ネットの素敵なところは「読者のニーズ」などというものを無視できることだと、私は堅く信じております)、一度ここで中断させていただきます。どうせもう、明日の午前中の分しかありませんしねー。
明日の朝退所後の私は、名古屋の友人宅に向かい、その後は上京して板橋の伯母の家に滞在してアパート探し、という予定で、ずっとよそのおうちにお邪魔させてもらうことになるので、次にネットに繋げるのがいつか、よくわからないものですから。
というわけでそもそも、このブログ自体が、しばらくお休みです。今月末あたりに実家に戻る予定ですので、そのときには一度再開すると思いますが。
明日の午前中の分を書いたら、断食療養所入所の心構え、全体の感想みたいなものもまとめて、いずれアップしたいなあと思っていますので、断食に興味のある方は、そちらも読んでいただけるといいなあ、と願っております。
それではみなさん、良い食生活を!
その後
2009年5月に再び断食に挑戦してまいりました。そのとき感じたことなどをざっくりまとめた記事はコチラとなります。