そろそろゴールが近づいてきました。
昨夜は横になってから眠りに落ちるたびにいやな夢を見てはっと目を覚まし、またうとうとし始めると悪夢に起こされることの繰り返しで、たいへん落ち着かない夜でした。
「寝た気がしない……起きたくない……」
などと思ったのですが、
「でも、静座のあとは朝ご飯だから! ゆで卵つくから!!」
と考えた途端に、頭がすっきりお目覚めモードになりました。
今の私は本当に、食べ物で動かされる人間になってしまいました。たぶん、「チョコレートあげるよ、ついておいで」と言う誘拐犯がいれば、素直についていくと思います。
静座後の待望の朝ご飯は、お粥とゆで卵とおかかと豆腐のみそ汁。
ひさしぶりに豆腐を食べたら、豆の味がはっきりわかるのに驚きました。口の中で豆腐がやわらかく崩れるたびに、舌が激しく喜びます。
食後しばらくは、家から持参したボブ・グリーンの『街角の詩』を読んでいました。
私はこの本がとても好きで、一時期、外出先で読む本がなくなったときの用心のために、常にかばんの底に江國香織の『つめたい夜に』か『街角の詩』のどちらかを入れて歩いていました。
この二冊の本ならば、何度読んでも楽しめるし、少しだけ読んでやめることができるので、つなぎの読書にぴったりだと考えていたのです。
もう何年も読んでいなかったのですが、再読すると、『街角の詩』はやはりいい。
読み切ってしまうのがもったいないので、ここで一度中断することにします。
部屋の掃除を済ませ、今度は娯楽室から借りてきた首藤瓜於の『脳男』を読みながら洗濯。
眺めの良いベンチで腰を下ろして読書するのは最高だよねー、などと思っていると雨が降ってきてしまい、部屋に引っ込まなくてはならなくなったのが残念でしたが。
『脳男』を読み終わったあたりで、ちょうどよく昼食が運ばれてきました。
粥、きゅうりとかにかまの酢の物、肉じゃがから肉を抜いたようなじゃがいもとにんじんと玉ねぎの煮物。
ひさしぶりに食べたじゃがいもとにんじんは、うっとりするほど柔らかく、いい味です。にんじんのやさしい甘みには、泣きたくなってしまうくらい。
食後、小雨ですが、もう気にしないことにして散歩に出かけました。
近くにケーブルカーが通っているので、それに乗って山頂を目指し、そこからゆっくり山を下りようと考えたのです。
ですが、駅についてわかったことは、ケーブルカーの本数は少なくて、一時間近く待たないと次の便が出発しないということでした。
仕方ないので、近くの町並みを歩き回ることに。喫茶店を見かけるたびに、コーヒーを飲みたい気持ちが強烈にこみあげてくるのですが、我慢します。
しかも、そのあたりには何故か「料理旅館」という看板をかかげた旅館が、たくさん並んでいるのです。
料理旅館という存在を、私は今まで知らずに過ごしてきたのですが、これはかなり気になる。
「美味しい料理が売りの旅館ってことだよねえ、やっぱり。楚々とした風情の和服美人の女将と、きりりと凛々しい腕利きの板前さんがもてなしてくれるのかなあ……いいなあ。ぜひ一度行ってみたいなあ、料理旅館」
しかもまたその料理旅館というのは大抵、なかなか風情のある建物なんですよね。開け放たれた玄関をのぞき込むと、ぴかぴかに磨き込まれた木の廊下が見えたりして。
私の心の中に、新たな憧れスポットができました。
散歩の後、私の部屋にヒロシマさんがやってきました。
「これ貸してあげる」
といって差し出された本は、『生協の白石さん』。喜んで受け取りました。
その後の私は、『生協の白石さん』と、リリー・フランキーの『日本のみなさんさようなら』をにやにやと笑いながら、続けて読みました。
一人で本読んで、泣いたり笑ったりする女って、たぶんすごく不気味だと思うの。だからあなたの婚期は順調に遅れるのよ。
という誰かの声が一瞬聞こえたような気がしましたが、無視します。
入浴、読書、昼寝。
そんなことをしているうちに順調に時間は過ぎ、夕食に。
粥、トマト二きれ、そしてお椀一杯のうどん。
今まで何を食べても「まさにこれを待っていた」と思い続けていた私ですが、うどんは本当に待っていました。待ち望んでいました。正確に言えば、「麺類早く食べたいな。いつ食べられるのかな」と思っていたのです。
麺は早く食べないとのびてしまうという教えを無視して、まずは粥とトマトを食べます。楽しみは後にとっておくのがいいのです。
ゆっくりと粥を口に運び、トマトを噛みしめながら、うどんを見つめてほくそ笑みます。もうすぐお前を啜ってやるからな!
麺を一本一本箸でつまみながら啜ります。口の中で麺が暴れるのが楽しい! つゆの香りが胸一杯に広がるのが嬉しい!
あれ、でもよく考えると粥とうどんて炭水化物ばっかりじゃないこの食事? みたいなことを考えた人はいると思いますが、そんなのどうだっていいじゃない。
静座の時間、今日から新しく女性が一人加わりました。
東京からいらしている彼女は、職業がスキーのインストラクターとのことですので、仮にユキコさんとお呼びすることにいたしましょう。(トウキョウさんはさすがに変じゃん)
ユキコさんは、ちゃんと仕事のあるひとでした。カナガワさん、ミヤコさん、ヨコハマさんのような無職仲間ではなかった。ちょっと意外さを感じたのですが、考えてみればそれが当たり前です。
ユキコさんがお部屋に戻ってしばらくした八時頃、
「テレビすらない今の環境で私は、浦島太郎のように全てのニュースから遠ざかっているのです」
という私のつぶやきを聞いたヒロシマさんが
「じゃあうちの部屋にテレビ観においでよ」
と誘ってくださったので、おじゃますることに。なんかこういうの、わくわくするなあ。
NHKで歌番組を一時間ほど見て、久しぶりの文明の味を楽しみました。
その後、部屋に戻って、『呼人』の続きを読みながら寝ることに。
今日は変な夢を見ずに済むといいのですが。おやすみなさい。
(十四日目へ)