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だらだら書きますので、だらだら読んでもらえるとありがたく。

『むしろウツなので結婚かと』第5話~あなたのためにという言葉は、いついかなるときもウツクシクナイ

 本日1月27日に『むしろウツなので結婚かと』の第5話が更新されました。
comic-days.com

 今回は、お話の最後にセキゼキさんが(仮名)
「病院に行く」
 と言い出したときに、私が感じたことなどを書きます。

 セキゼキさんがどうして病院に行くと言い出したのか、私には心境変化の理由がわかりませんでした。
 なんだかわかんないけどこの人行くって言ってるし、ここで下手に「なんで?」とかきいたらやっぱり行かないとか言い出すかもしれないし、じゃあまあ理由なんてどうでもいいからとにかく行こう!
 と判断したのです。

 ですからまあ今回のマンガのためにいろいろ話をしたりすると、
「へえ、ホッカイルソー……わかる由もないな」
 で感じになります。
 いやまあセキゼキさんの北海道時代の話は知っていましたし、ホッカイルソーのことも聞いていましたけれども。でもだからってわからないですよ。
「小学校時代の校長先生が鍵でしたー」
 とか
「高校時代の部活の先輩の名前を出せば、説得できましたー」
 とか後から言われたようなこの気持ち。
 まあでもこの「セキゼキさんいつのまにか病院に行くって言い出したぞ事件」、いや事件ではないですが、ここには重要な示唆が含まれています。
 結局セキゼキさんを治すのはセキゼキさんだということです。

 私は当時、頑張っているつもりでいました。
 セキゼキさんを支えなくてはと思いつめていました。
 そうするとだんだん、自分が主体のような気がしてきちゃうんですよね。
 私がちゃんとやれば、しっかり頑張れば、セキゼキさんはよくなるんだ! だからもっと頑張るんだ!
 とか思ってしまうんです。
 ぜんぶ錯覚なんですけどね。
 そのことを忘れちゃうと、いろいろ辛いことになりますセキゼキさんも私も。
 私にはセキゼキさんを治すことはできない。
 主役はセキゼキさん。
 病気をよくするために病院に行くのも、薬を飲むのも、きちんと生活をするのも。
 全部セキゼキさん自身の選択。
 
 私はこう選んでほしいんだから、セキゼキさんもそう選ぶべきというのは通らないのです。
 もちろん、私はこう選んでほしいとお願いすることはできます。ですが強要することはできません。
 仮に私の強要した選択でセキゼキさんの身に何か悪いことが起きた時、私がその責任を取ることはできないのですから。
 誰だって、他人の人生や選択にきちんと責任を取ることなんてできないのです。
 人生を代わってあげることも、時間を巻き戻してあげることもできないのですから。

 そんでそこに気づくと今度は、
「じゃあ私って何なんだろう?」
「私がいなくても変わらないんじゃないの?」
 などと考えたりもするわけです。
 けれど自分が何なのかということに関して言えば、答えは案外すんなりと出ました。
 私はつまり、「観客」なのです。
 最前列の客です。
 観客だから応援することはできる、拍手をすることも、称賛することもできます。
 ですが観客は舞台に介入できない。当たり前のことです
 どんなにハラハラしても、明るい未来を願っても、舞台に立っているのはセキゼキさんであり、物語を作るのはセキゼキさんの選択なのです。

 では観客の存在は無意味なのか?
 それもまた違いますよね。
 観客がいるというその事実が、力をもたらすことはあるのです。
 一生懸命頑張って、相手のために心を砕いて、それなのに思いが届かないときはあるでしょう。
 あなたの願いとは裏腹の物語が、紡がれていくときもあるでしょう。
 だけど元々観客というのはそういうものです。
 舞台の上の誰かは、決して思い通りにはならない。
 すべての演劇、ドラマ、映画、マンガ、小説が、自分の願望通りに進行してくれるわけないですものね。
 だけどだからってひとは、物語を鑑賞することをやめたりはしないのです。

 スポーツでも同じことが言えます。
 どんなに強いチームでも、ファンの期待を裏切って負けるときはあります。
 けれどそれでファンを辞めるような人は、滅多にいません。

 セキゼキさんは、なかなか私の願い通りには動いてくれませんでした。
 だけどそれでよいのです。
 観客でしかないってことは時々さみしかったりもどかしかったりもしますけど、それでも大切な役割ではあるのですから。

5頭の子馬の写真。撮影者の周りに集まってきているのがわかる。
牧場を去る際、これまで世話をしていた子馬たちを最後に撮った写真。別れとは知らずセキゼキのそばに集まる子馬たち。