『むしろウツなので結婚かと』第14話~ピンク髪ツインテメイドに変換の刑
本日7月28日に『むしろウツなので結婚かと』の第14話が無料公開されました。
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正直に言ってしまいますと、あの頃の私はセキゼキさんに対して始終腹を立てていました。
セキゼキさんが徹夜して体調を崩す都度、腹を立てました。
会社のみんなが怒っている俺なんかもうだめだ終わりにしたいどうせシロイにも迷惑をかけているとか、そういう後ろ向きなことを延々というのを聞いてはむかむかしていました。
全部病気のせいなのだということは、わかっていました。眠れないのもそうだしやたらと後ろ向きなのもそうだし、だからセキゼキさんにはどうしようもないんだってことは、理解しているつもりだったのです。
社会の接点がたったひとつ私だけになってしまったセキゼキさんは、私の気分の変化や好不調に恐ろしく敏感で、影響を受けやすくなっていました。
ですから、私が怒ると事態はいつも悪化しました。ただでさえ調子の良くないセキゼキさんがさらに絶望するようなことになるからです。
だから私はしょっちゅう腹を立てては、それをぐっと押し殺していました。
怒りをセキゼキさんに向けてはいけないということが、よくわかっていたからです。
だけど同時に、こんなひたすらな我慢が長持ちしないだろうということも、なんとなくわかっていました。
押さえつけた怒りや苛立ちが、そのまま消えることはまずないからです。
知人で以前、普段はとても穏やかなのに、何かの拍子に激烈な怒りを示す人がいました。
滅多に怒ることがない人なのに時々、おそろしく些細でどうしようもないことで長時間、いくらでも怒り続けるのです。
この話を聞いてある人が言いました。
「それは怒りのジャックポットだ。その人は日頃のストレスを抑圧して全部一つのポットに溜めていくんだろう。そして、たまたまそれが溢れるタイミングで怒らせてしまった人が、全部の怒りをかぶることになるんだよ」
怒りのジャックポット。
この表現は、あまりにもしっくりきます。実際そういうことってあるな、という気がします。
抑圧された負の感情は消えずにくすぶり続け、思わぬところで溢れ出すものなのです。 そう考えていくと、セキゼキさんに対してしょっちゅう腹を立てつつ、それを我慢するという流れが非常に良くないものであることは明らかでした。
セキゼキさん以外の人に八つ当たりするようなことになったら、理不尽で最悪ですし。
かといってセキゼキさん本人に怒りをぶつければ、地獄の釜の蓋が開くのです。
怒りのコントロールが必要でした。
私が立てた対策は二つでした。
まず、発生した怒りをアウトプットしてしまう。
人に話すのでもいいし、紙に書き出すのでもいい。
胸の中に溜め込んでいるもやもやを、一度言語化するだけでも、だいぶスッキリします。
言語化するために起きた出来事を整理していくと、自分の勘違いや思い込みに気づいて、それだけで怒りが沈静化することもありますし。
ただ、アウトプットってそれなりに面倒なんですよね。
他人に愚痴をこぼすというのも、相手の負担を考えればそれほどしょっちゅうやらないほうがいいわけで。適度な愚痴の量とタイミングを考えなきゃいけない。
紙に書き出すのだってそれなりに時間と手間を要します。
それにまあ、私のアウトプットをもしもセキゼキさんが目にするようなことがあったら、怒りを直接ぶつけるのと同じくらい、あるいはそれ以上のダメージになっちゃいますし。
というわけでこの頃私が取り組んでいた方法がもう一つ、そもそもあまりむかつきを感じないようにしようということでした。
「この現実をゲームとして考えよう。セキゼキさんはゲームのキャラだと思うことにしよう」
というのも、そのための試みの一つだったのです。
現実ではなくゲームの中の出来事、キャラクターだと思うことで心理的な距離をとることができれば、怒ることも減るだろうって考えですね。
まあ実際には当時はそこまで整理して考えていたわけではないですが。
昔住んでいたアパートで、隣の部屋にすごく怒りっぽくてしょっちゅう怒鳴り声をあげるひとが住んでいたことがありました。
とにかくいろんなことに怒って部屋の中で足を踏み鳴らしたり壁を叩いたり叫びだしたり厄介な人で、この人について詳しく書くとそれだけでショートホラーみたいになるんですが、今回は割愛します。
この隣人に一度、私はものすごく意表をつかれたことがあります。
台風の日の夜のことでした。
風が吹き雨が降り窓枠はがたがたと揺れて自然現象だけでもたいへんうるさかったのですが、それにプラスして隣人の激怒する声が聞こえてきます。
「あああああ、うっるせえんだよ!」
などと叫んでいるのが聞き取れてしまう。また音がよく抜けるアパートだったんですよね。隣人のWindowsの起動音が聞こえてしまうくらいでしたから。
どかどかっと床を踏みつけたかと思うと隣人が、ガラガラと窓を開け、ベランダに出たのがわかりました。
こんな台風の日にびしょ濡れになるだろうにどうして、と思ったのですがその疑問はすぐに氷解しました。
「うるせえんだよやめろよさっきからガタガタガタガタいい加減にしろよ!」
と彼が虚空に向かって怒鳴り始めたからです。
この隣人はとにかく物音というのに敏感で、アパートの廊下の足音やドアを開け閉めする音(どちらも音量は普通程度)が聞こえただけでもドア越しに怒鳴ったりする人でした。
その、すべての物音に対してダメ絶対許さないという精神を持った彼にとって、台風の音は耐え難いうるささだったのです。
もちろん私は驚きました。
台風に対して腹を立てたことは、私にはありませんでした
大雪や強風長雨、そういった自然現象に対して怒ったこともありません。
さて私は、セキゼキさんに対してしょっちゅう腹を立てるようになった時、このかつての隣人と、彼が台風に向けた激烈な怒りのことを思い出しました。
思えばなぜ、私は台風に対して腹を立てなかったのだろうと、考えたのです。
まず第一に、そんなことをしても意味がないというのはあります。
ですがそれを言えば、セキゼキさんも同じことです。
怒っても意味がない。
それが分かっているのになぜ、セキゼキさんが相手だと腹が立ってしまうのだろう?
そうやって考えていくとそもそも台風には言葉が通じないしな、とか思い始めます。
言葉が通じない相手に、何かを言うのが無駄だよな、と。
つまり私は、台風に対して何も期待していないのです。台風が自分の為を思ってくれるわけ無いと、最初から思っている。
そんなふうに期待がゼロであるならば、腹というのは立たないものなのだろうと、私は考えました。
例えば壁に話しかける人間は、壁が相槌を打たなくても怒らないでしょう。
穴を掘って愚痴をこぼす人間も、穴が慰めてくれないからって悲しんだりしない。
相手が人間だから、人間である以上言葉が通じてこちらの意を汲んでくれたり、相槌を打ったり慰めてくれたり願いを聞いてくれるかもしれないと思うから。
それなのにそうしてくれないから、腹が立ってしまう。
そういうことなんだろうな、と私は結論づけました。
怒っても仕方がない、ぜんぶ病気のせいだと頭ではわかっているようであっても、
局私はセキゼキさんは人間だと思ってしまいますし、人間が相手である以上、期待をゼロにすることもなかなかできない。
では、セキゼキさんをゲームのキャラだと思ってみたらよいのでは? というのが私が頭の中でやっていたことです。
これはそれなりに効果がありました。怒りはある程度抑えることができたのです。
完全に、ではありません。
ゲームキャラに対してだって私は腹を立てることがありますから、
ゲームキャラというのは現実の人間ではないけれど、かなりそれに近い存在ではありますからね。
けれど現実の人間に対する怒りで体調を崩したりすることはあっても、私自身はゲームキャラに対する怒りでそこまで酷い思いをすることはまずありません。
セキゼキさんに対する怒りは、明らかに以前よりも目減りしました。
それでもやはり、時々現実が目をそらすなとばかりにこちらに迫ってきます。
目の前にいるコイツはキャラじゃなくて人間なんだよ、と。
そんな時私は、頭の中でセキゼキさんを更に別のキャラクターに置き換えたりしていました。
漫画の中ではアニメ調のイケメンにしたりしていますが、私の怒りが高まっている時の脳内セキゼキさんはしょっちゅう、
(ああもう貴様なんざこうしてやる!)
という掛け声と共にピンク髪ツインテールでゴシック風メイド服を着用したロリ顔の巨乳美少女に変換されていました。
さらに怒りが増すと猫耳としっぽがそこにプラスされ、「にゃん♪」とか「なりぃ♪」とかそういう語尾で喋るようになり、やたらくねくねあざといポーズで上目遣いをして動き回ることにされていました。
私は一体何をやっているんだろうと、自分に呆れることもありましたが、今ならなぜ自分があんなことをしていたのか、わかります。
私はより強烈に、セキゼキさんを非人間化したかったのです。
現実の彼自身から遠ざけて、虚構の中にしか存在しないようなキャラクターに仕立て上げてしまいたかったのだと思います。