『むしろウツなので結婚かと』第10話~自分を無力と見限らない
本日4月21日に、『むしろウツなので結婚かと』第10話が無料公開されました。
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誰かを止めるのは、難しいものです。
私の知る限り、セキゼキさんが自殺未遂のようなものをしたのは、この10話で描かれたパイプ洗浄剤を飲んだ夜を含め三回です。
一回目と三回目は、私はその現場になんとか居合わせることができました。
ですが二回目は、そうではなかったのです。
(二回目と三回目の詳細については、この後のマンガの内容にも関わってきますので、ここでは伏せます)
私の知らないところで、セキゼキさんは死のうとしました。私はそんな事実があったということを、ずいぶん後になるまで知らずにいました。
運が悪ければ、本当に死んでいたと思います。その瀬戸際まで、彼は進みました。
残念ながらウツになって自殺をしてしまったという方の話は、少なくありません。
そういった悲しいケースと、回復に至ったセキゼキさんの違いが何かと言うと、私は単純に運だと思っています。
私たちは運に恵まれた。本当にそれだけのことです。
だからこそ、もしもそんなふうに身近な誰かをなくしてしまった方は、自分の対応が悪かったのかもしれないなどと、悔やまないで欲しいのです。
もちろん簡単ではないのですけれど。
どれほど自分に何を言い聞かせようと、悔やむことを止めるのはできないかもしれませんけれど。
プロフェッショナルである精神科医ですら、患者の自殺を経験している方が大勢います。
病気のことをよく知るプロが力を尽くして対応してもなお、死んでいく人たちが大勢いるのです。
そもそも他人の行動を変えたり止めたりすることが、自殺に限らず困難なのです。
「そんな相手とは別れたほうがいい」
「お酒は控えて。タバコはやめよう?」
「ダイエットしたほうがいいね。ちょっと最近太り過ぎ」
たとえばそんなことを親しい誰かに言って、
「うん、そうだね。言うとおりにする!」
とあっさりどうにかなることって、滅多にありませんよね?
真心を尽くしていても、深く思いやっていても、どれほど熱心に説いたとしても、それによって相手が翻意するわけではありません。
結局、周囲の人間というのは観客でしかないのですから。
舞台に立ち、これからの道筋を決めるのは本人でしかなく。
望み通りの物語が紡がれなかったという理由で、観客が自分を責めるのは筋違いとも言えるのです。
それでも何とかして身近な人間を止めたい、最悪を避けたいと。
そう思うことは無駄なのか? できることなど何もないのか?
私はそれも違うと思います。
正確には、そんなふうに思うべきではないと考えています。
人は自分が無力であるという実感に、耐えられないものです。自分にできることは何もないという思いは、心を深く傷つけます。
自分は何かをやっているのだ、無為に過ごしているわけではないのだと、そう思えたほうが精神衛生上、良いのです。
最悪なのは、病んでしまった方が亡くなることではありません。
それによって、共に過ごしていた人間までもが傷つき、病み、同じ道を辿ることです。
二人の人間が二人とも生き延びるのが最善。そして少なくとも一人は生き延びることができれば、それは次善と言えるのです。
まあ、クソッタレな話ではありますけどね。
あなたが一番になすべきことは、自分を守ることです。まずは、自分の頭の蝿を追え。それができてこそ、他者に力を貸すことが可能になるのだと思います。
自分の精神が少しでも楽でいられる方策を探すことを、続けてほしいと思います。
それでは、その楽でいられる方策とはなにか?
これは人によって答えがいろいろだと思いますが、私にとっては自殺とその対処法についての知識を集めることでした。
幸い今の時代はインターネットがあります。
危険を感じた時に情報を収集し備えることが、昔よりもずっと容易になっているのです。
セキゼキさんがパイプ洗浄剤を飲んだ夜。
- 服毒自殺は毒物を摂取してしまえば成功率が高いが、多くの毒物は毒物であるがゆえに味やにおいが強烈で簡単には飲み込めない。
- 家庭内で使用される洗剤などには大抵催吐作用がある
- 洗浄剤を飲み込んでしまった時、吐き戻すと酸によって喉が焼ける。吐き戻してはならない。
という知識が私にはありました。
あの夜私がパニックに陥らずに済んだのは、そのおかげだと思っています。
真に悲観すべき状況ではないだろうと判断できたから。
例えば私は、セキゼキさんが処方されている薬の致死量を調べたりしました。
「致死率50%になる量が、単純に計算して○万○千錠か……そもそも胃がはちきれるからそんなに飲めないな」
などということが一つわかる都度、どれほど心強かったか。
- 薬物や毒物を飲んで昏倒している人間を見かけたら、何を飲んだかまず確認すること。薬の空シートなどがあるならばそれを持参して救急車に乗り込もう。
これは知人の医師に教えてもらったことです。
情報がない状態で、症状から毒物を特定し対応するのは難しいのだそうで。
時間との勝負になる現場で、薬物が最初から特定できるだけでも随分の助けになるとのこと。
同じ医師に、こんなことも教えてもらいました。
- 睡眠薬を飲み過ぎて危険な眠りに落ちている人間を見つけたら、救急車が来るまでの間、声かけや刺激を与え続けて意識レベルを少しでも引き上げることが、助けになることもある。
こういった知識を何度も頭の中で振り返って、私は自分に言い聞かせました。
何もできないわけではない。
私にもできることがある。
そう思えることは、救いでした。
知識は万能ではなく、それによって絶対の安全が保証されるわけでありません。
私ができることとやらは、決定的な救いに繋がるものではなく、あくまでセキゼキさんの生存率をわずかに上げることができるかもしれない、その程度のものです。
それでもやはり、知識は私の心を慰めました。
無明とも思える闇の中、どれほど細く儚くとも、光を見いだせることができれば、私はまだ歩いていけるのだと、そう思うことができました。