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だらだら書きますので、だらだら読んでもらえるとありがたく。

美人画報で我が身を振り返る

美人画報』の続編である『美人画報ハイパー』までもが文庫化されたというのに、今更『美人画報』を読んでいる私は本当に美に対する意識が低すぎると思います。

私は安野モヨコ先生の描くオシャレ世界はけっこう好きというか、憧れる方なので(シュガシュガルーンとか)、『美人画報』はたいへん楽しく読めたのですが……
その一方で、ちょっと落ち込みました。


なんというか、自分が普段、「美」に対して費やしている労力がいかに少ないかわかってしまうんですよねえ……
たとえば私は、ファッション誌をほとんど読まない。月一冊はファッション誌を読むという目標をかかげて、『WITH』を買っていたこともあったのですが、一ヶ月かけて一冊読み終わらないというていたらく。
だってー、ファッション誌に書いてあることって、全部言われる通りにしたら、めちゃめちゃお金かかるとしか思えないんだもん〜。私は安物スキーな性分なのです。本を日に一冊ずつ読む人間は、よそに金を回す余裕があんまりないものですから。(言い訳)
化粧品だって、あまり高いのは買ってないし、そもそも悩むのが嫌いだから、かなりテキトーな選び方で買っている……服だって化粧品だって、ちゃんと事前勉強してから買うべきだろうに、そこを大幅に怠っているからなあ……
おかげで母には「ケイキは化粧しない顔のほうがいい」とか言われる始末。えー、じゃあ私が外出前に鏡と向き合って費やしたあの時間は一体なんだったの……気合いか? 気合い注入タイムか?
そして私は自分がそういう「美に対して怠けがち」な人間であることに対して、それなりに深い罪悪感を持っておりまして、ファッション誌を読むと、そこをまぶしく照らされる気がして、とても辛いのです。
「ケイキはファッション誌を細かく読み過ぎているんだよ。さっと目を通して、気になるところだけ読めばいいの。全部真に受ける必要はないし、みんなそんなにちゃんとやってるわけじゃない」
と言われましたが。でもこの不安は消せない!


という私の「美しくなれない自分コンプレックス」みたいなものを、『美人画報』がびしびしとえぐり出すわけです。
美人画報』は、安野先生が美人を目指してがんばったり挫折したり前進したりする内容なのですが、安野先生はどうもご自分を「美人ではない」と考えているようなのですね。
ですが、私に比べると、ファッションの勉強もきちんとなさっているし、お金も費やしていらっしゃるし、あきらかに姿勢が美人!なんすよ〜。
そう、美人というのは、単に外見の問題ではなくて、美を目指すココロ、あるいは美しいココロを持った女性のことを指すんじゃないのかしら、と私は思っているのですが、そう考えると、私は明らかに美人ではない! だって美を目指すココロが弱すぎるんだもの。(ココロ自体の美しさの欠如は言うまでもないっす)
「飾ることから自由になりたい、飾らない」という思想の持ち主は、それはそれで美しいのですけれどね。虚飾から真の意味で解放されているひとの美しさというのが、本当は一番なのかもしれない。「吾ただ足るを知る」の精神。
けれど、私はまだまだそうはなれないし、心の中に「今よりちょっとは美人になりたい」、「賢くなりたい」、「優しくなりたい」、「強くなりたい」とゆーアコガレというか煩悩というか、足るを知らないココロがあるのは事実なので。そんなものはナイ、というフリをするのはたぶん、それはそれでウツクシクナイ。自分の欲にはきちんと向かい合わないと。欲しいモノは欲しいとちゃんと言って、どうすればそれが手にはいるか、きちんと考えて行動しないといけないよなあ、と思うわけです。
私は綺麗になりたいと思うココロを持っているのに、現実には怠けっぱなしだから、不美人だなあ、と自分で思います。外見だけの問題ではなく、心の点から既に不美人。


安野先生は美を目指すココロが立派で、つまりはるかに私より美人でいらっしゃるのに、それでもなおご自分を美人とはお考えになっていない。そういう方の生き様を見ると、ほんと恥ずかしいです。


断食を通して、とりあえず心身のリフレッシュ。それから少しずつ美に対しても努力していきたいモノだなあ、と私は心に誓いながら、『美人画報』を読み終えました。
……だけど私、なんでもたいてい三日坊主で終わるからなあ。不安だ。