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だらだら書きますので、だらだら読んでもらえるとありがたく。

『むしろウツなので結婚かと』第11話~一番つらかった夏の話

 本日5月19日に、『むしろウツなので結婚かと』第11話が無料公開されました。
comic-days.com

 読んでいると、この夏が一番苦しかったなあと思いますね。
 私にとってもそうでしたけど、セキゼキさん(仮名)にとっても、おそらくそうだったでしょう。
 なんせこの頃のセキゼキさんは、毎日どうなるのか予想がつかなかったのです。
 病院に行く前のほうが未治療なぶん病状はたぶん一番悪くて、それゆえのしんどさがありました。
 ですがセキゼキさんの行動や状態について、予想はついていたのです。
 日中ゾンビのように座り続け、夜になると布団の中でブツブツ呪いみたいな言葉を繰り返す。
 これが毎日繰り返されることがわかっていますから。
 希望なんてものはどこにも感じられない真っ暗な時間でしたが、事態がそこから動かないのですから、それは安定でもあったのです。
 私が帰宅するとセキゼキさんはいつも私の予想通りの場所に、予想通りの格好で座っていました。
 
 ですが復職が失敗して荒れ始めてからのセキゼキさんがどんなふうに自分を出迎えてくれるか、私には想像がつきませんでした。
 穏やかな笑顔で
「おかえり」
 と言い、おいしい夕飯と一緒に待っていてくれるときもある。
 
 沈んだ様子で
「……ごはん何も作れなかった」
 と出てくるときもある。
 
 週末、楽しそうにお菓子とジュースを用意して、
「今日は一緒にモンハンやろう!」
 とはしゃぐときもある。
 
 眠っているときもありました。
 セキゼキさんの調子が悪くなると、睡眠リズムは崩れました。
 眠れないことが多かったですが、ひたすら長時間眠る時もありました。
 昼寝をしているセキゼキさんは、夜眠っていないセキゼキさん同様に不穏であり、私はセキゼキさんの寝顔を見るのが苦しいと思うときがありました。
 
 調子が崩れ始める手前にその兆候に気づきたいと思っていましたが、これは難しかった。
 人間は誰もが演技をします。
 心配して、という演技もあるし、心配しないで、という演技もあります。
 どこからが演技で、どこまでが演技なのかという話もあります。
 こうありたいと願う自分に近づけようとするのは、それも演技と言われてしまうのか?
 手負いの獣が外敵を警戒して、ぎりぎりまでなんでもないフリを貫くように。
 セキゼキさんは自分の調子が、実際よりも良いように見せたがりました。
 穏やかに過ごしているように見えている裏で、少しずつ調子がうつりかわっていく時。
 それでもセキゼキさんは
「まだ大丈夫」
「おれは平気」
「心配しないでいい」
 そんなふうに振る舞いたがりました。
 私自身、セキゼキさんの調子が良い方が嬉しいから、今日は大丈夫だと思いたいから、セキゼキさんのその演技にしばしば乗りました。
 自分の調子が悪くなっていくのが嫌で仕方ないからこそ、調子が良い自分のままでいたいセキゼキさん。
 それは演技であり、信じてはならない嘘だったのでしょうか?
 むしろ祈りや願いに近い、信じるべきものだという気もして。
 私は彼の言葉を、態度を、疑わないでいたかったのです。
 
 結果として、早めの自重、早めの対策は難しくなりました。
 私はしばしば、傘がないのに突然降り出す豪雨に見舞われたような気分になりました。
 さっきまでは晴れていたのに理不尽だ、と感じるように。
 天気予報を見ようともせず、空の遠くに広がる黒雲を無視して、歩いてきたのは自分だったのに。
 
 欺瞞が、事態をより悪くしていました。
 
 こうありたい、こうあってほしいという願いを、現実と混同してはならなかったのです。
 願いをかなえるためにはまず、現状がどれほど願いと隔たった状態にあるのか、理解しなくてはなりませんでした。
 
 振り子のようによくなったり、悪くなったりを繰り返しながら、ウツの回復過程は進みます。
 事態が改善しつつあるのが嘘ではなくても、振り子がうんと悪い方に振れることはあるのです。それもしょちゅう。
 そこにどれほどの危険が潜んでいるのか、良い状態なんてものがいかに短く儚いものなのか、私がそれを本当に理解するまで、ここからしばらくかかったのでした。

5月25日に「むしろウツなので結婚かと」の第一巻が発売されます

 すがすがしい初夏の季節となりましたがって言いたいんですけど朝夕冷えるわりに日中暑くて、もう何を着たらいいか途方にくれる日々なんですが、皆様はいかにお過ごしですか?
 さて2019年5月25日に、『むしろウツなので結婚かと』の単行本第一巻が発売されます。

むしろウツなので結婚かと 解説付き

むしろウツなので結婚かと 解説付き



 現在コミックDAYSで連載中のこの作品は
「アラサー男女がそろそろ一緒に住んでお互いの両親に挨拶しようとか言ってたら、彼氏がウツになってさあ大変。一寸先は闇ってコトワザを実地で学んでいます!」
 みたいな内容でして、私が当ブログで書いた話を原案として、『鉄子の旅』『みんなのあるある吹奏楽部』の菊池直恵さんにコミカライズしていただいたものです。
 単行本化にあたって、私自身の書いた解説もプラスされています。

 もうこういう文章、どう書けばいいかわからないんですが、とりあえず菊池直恵先生のファンの方は、必読の書だと思います。
 重くなりがちな話をやわらかな絵柄で読みやすく、そのくせ迫るリアリティと緊迫感がしっかりある、卓越した手腕でまとめてくださっていると、一話ごとに感謝しながら読んでおります。
 本当に、菊池先生にコミカライズしてただけてよかった。ありがとうございます。

 えっと、あとは、まあ、こう、元ネタ的な部分についてですけど。
 このお話は、とても平凡なものなんです。
 勇者も英雄も賢人も魔法使いも冒険者も復讐者も魔王も殺人鬼も名探偵もいません。
 平凡な人間の、平凡な記録です。
 けれどだからこそ、読んでみてもよいのではないかと思います。
 ウツというのは誰にとっても遠い話ではない、自分が無事でも周りの人がどうなるかなんてわからない世の中ですから。
 ウツに苦しんだ経験のある方、今も苦しんでいる方は大勢いて、その人たちの大半は、やはり平凡な人間だろうと思うのです。
 平凡な人間が、平凡ゆえに四苦八苦しながらもそれでもなんとかなっていくことがあるのだと、この作品が伝えてくれるといいなあと思います。
 そしてその結果、どこかの誰かがごくわずかなりともラクになってくれたら、とても嬉しいじゃありませんか。
 もしもこの文章を読んで少しでも興味を持ってくれた方がいらっしゃったら、手にとっていただけると幸いです。
 よろしくお願いいたします。

『むしろウツなので結婚かと』第10話~自分を無力と見限らない

 本日4月21日に、『むしろウツなので結婚かと』第10話が無料公開されました。
comic-days.com


 誰かを止めるのは、難しいものです。

 私の知る限り、セキゼキさんが自殺未遂のようなものをしたのは、この10話で描かれたパイプ洗浄剤を飲んだ夜を含め三回です。
 一回目と三回目は、私はその現場になんとか居合わせることができました。
 ですが二回目は、そうではなかったのです。
(二回目と三回目の詳細については、この後のマンガの内容にも関わってきますので、ここでは伏せます)
 私の知らないところで、セキゼキさんは死のうとしました。私はそんな事実があったということを、ずいぶん後になるまで知らずにいました。
 運が悪ければ、本当に死んでいたと思います。その瀬戸際まで、彼は進みました。
 残念ながらウツになって自殺をしてしまったという方の話は、少なくありません。
 そういった悲しいケースと、回復に至ったセキゼキさんの違いが何かと言うと、私は単純に運だと思っています。
 私たちは運に恵まれた。本当にそれだけのことです。
 だからこそ、もしもそんなふうに身近な誰かをなくしてしまった方は、自分の対応が悪かったのかもしれないなどと、悔やまないで欲しいのです。
 もちろん簡単ではないのですけれど。
 どれほど自分に何を言い聞かせようと、悔やむことを止めるのはできないかもしれませんけれど。
 プロフェッショナルである精神科医ですら、患者の自殺を経験している方が大勢います。
 病気のことをよく知るプロが力を尽くして対応してもなお、死んでいく人たちが大勢いるのです。

 そもそも他人の行動を変えたり止めたりすることが、自殺に限らず困難なのです。
「そんな相手とは別れたほうがいい」
「お酒は控えて。タバコはやめよう?」
「ダイエットしたほうがいいね。ちょっと最近太り過ぎ」
 たとえばそんなことを親しい誰かに言って、
「うん、そうだね。言うとおりにする!」
 とあっさりどうにかなることって、滅多にありませんよね?
 真心を尽くしていても、深く思いやっていても、どれほど熱心に説いたとしても、それによって相手が翻意するわけではありません。
 結局、周囲の人間というのは観客でしかないのですから。
 舞台に立ち、これからの道筋を決めるのは本人でしかなく。
 望み通りの物語が紡がれなかったという理由で、観客が自分を責めるのは筋違いとも言えるのです。

 それでも何とかして身近な人間を止めたい、最悪を避けたいと。
 そう思うことは無駄なのか? できることなど何もないのか?
 私はそれも違うと思います。
 正確には、そんなふうに思うべきではないと考えています。
 人は自分が無力であるという実感に、耐えられないものです。自分にできることは何もないという思いは、心を深く傷つけます。
 自分は何かをやっているのだ、無為に過ごしているわけではないのだと、そう思えたほうが精神衛生上、良いのです。

 最悪なのは、病んでしまった方が亡くなることではありません。
 それによって、共に過ごしていた人間までもが傷つき、病み、同じ道を辿ることです。
 二人の人間が二人とも生き延びるのが最善。そして少なくとも一人は生き延びることができれば、それは次善と言えるのです。
 まあ、クソッタレな話ではありますけどね。
 あなたが一番になすべきことは、自分を守ることです。まずは、自分の頭の蝿を追え。それができてこそ、他者に力を貸すことが可能になるのだと思います。
 自分の精神が少しでも楽でいられる方策を探すことを、続けてほしいと思います。

 それでは、その楽でいられる方策とはなにか?
 これは人によって答えがいろいろだと思いますが、私にとっては自殺とその対処法についての知識を集めることでした。
 幸い今の時代はインターネットがあります。
 危険を感じた時に情報を収集し備えることが、昔よりもずっと容易になっているのです。

 セキゼキさんがパイプ洗浄剤を飲んだ夜。

  • 服毒自殺は毒物を摂取してしまえば成功率が高いが、多くの毒物は毒物であるがゆえに味やにおいが強烈で簡単には飲み込めない。
  • 家庭内で使用される洗剤などには大抵催吐作用がある
  • 洗浄剤を飲み込んでしまった時、吐き戻すと酸によって喉が焼ける。吐き戻してはならない。

 という知識が私にはありました。
 あの夜私がパニックに陥らずに済んだのは、そのおかげだと思っています。
 真に悲観すべき状況ではないだろうと判断できたから。

 例えば私は、セキゼキさんが処方されている薬の致死量を調べたりしました。
「致死率50%になる量が、単純に計算して○万○千錠か……そもそも胃がはちきれるからそんなに飲めないな」
 などということが一つわかる都度、どれほど心強かったか。

  • 薬物や毒物を飲んで昏倒している人間を見かけたら、何を飲んだかまず確認すること。薬の空シートなどがあるならばそれを持参して救急車に乗り込もう。

 これは知人の医師に教えてもらったことです。
 情報がない状態で、症状から毒物を特定し対応するのは難しいのだそうで。
 時間との勝負になる現場で、薬物が最初から特定できるだけでも随分の助けになるとのこと。

 同じ医師に、こんなことも教えてもらいました。

  • 睡眠薬を飲み過ぎて危険な眠りに落ちている人間を見つけたら、救急車が来るまでの間、声かけや刺激を与え続けて意識レベルを少しでも引き上げることが、助けになることもある。

 こういった知識を何度も頭の中で振り返って、私は自分に言い聞かせました。
 何もできないわけではない。
 私にもできることがある。
 そう思えることは、救いでした。
 知識は万能ではなく、それによって絶対の安全が保証されるわけでありません。
 私ができることとやらは、決定的な救いに繋がるものではなく、あくまでセキゼキさんの生存率をわずかに上げることができるかもしれない、その程度のものです。
 それでもやはり、知識は私の心を慰めました。
 無明とも思える闇の中、どれほど細く儚くとも、光を見いだせることができれば、私はまだ歩いていけるのだと、そう思うことができました。

『むしろウツなので結婚かと』第9話~風呂上がりの麦茶は最高だ

 本日3月31日に、『むしろウツなので結婚かと』第9話が無料公開されました。
comic-days.com


 9話の内容とは時期的にやや前後するのですが、ウツがきっかけでセキゼキさんが料理にハマっていった頃の話をしようと思います。

 ウツが寛解して社会復帰した現在もセキゼキさんは料理が好きで、休みの日は必ずと言っていいくらい台所に立ちます。
 この話をきいた人はたいてい
「うわー、羨ましい。そしたらシロイさん、週末はお料理休めるねえ」
 などと言ってくれます。
 私もこの意見に反対するつもりは毛頭なく、素晴らしいことだと思っていますし、セキゼキさんに対して深く感謝しています。
 ですが。
 人間て贅沢ですね、それでもなにかしらこう、自分の中にひっかかるものがあったりするんですから……

「どのご家庭にもひとつは常備していただきたい」ものなんですかコレは?

 例えばこの頃、こんなことがありました。
「わあー、これおいしいなあ。どうやって作ったの? 塩コショウ、鶏ガラスープ、オイスターソースが少し……以外にも何か使ってるよね? なんだろうこの風味」
紹興酒だよ」
「ああーなるほどこのふわっと広がる香りがそうかって……うち紹興酒なんかあったっけ?」
「なかったから買った。あればいろいろ使えるから」
「あ、そっかー、だよねー。使えるよね」
 などと何気なく会話しながらも、私の頭の中はやかましくパニック気味でした。
紹興酒!? 何に使うのか今わたし思いつかないんだけど??? 常備してるのみんな?)
(わわ、私がど田舎出身だからついていけてないの? これが関東のやり方なの?)
 この後私は、セキゼキさんに気づかれないよう友人知人に常備調味料についていろいろ尋ねて回ることになります。

その後在庫管理表作ったらデータが飛びました

 そしてまた、こんなこともありました。二人でスーパーに行った時の話です。
「あ、ちょっとスパイス系、買い足していい?」
「いいよー」
 というやり取りの後、またしても私を小さなパニックが襲います。
 私はもともと、スパイスやハーブはそれほど豊富に使いこなしている人間ではなく、コショウとハーブミックスとマジックソルトくらいしか常備していなかったのです。
 ですが、セキゼキさんは違いました。
「バジルってまだあったっけ?」
「あったと思う」
オレガノとパセリはあったよね」
「たぶん」
「クミンシードが切れてるんだよね。パウダーのクミンはあるけど」
「クミンが二種類あるのうちには?」
クローブがあったのは覚えてる。タラゴンはどうだっけ?」
「しらない……」
「カルダモン、まだ残ってる? マジョラムは?」
「わからない……」
「フェネグリークとフェンネルシード、新しく買ってもいいかな?」
「フェ……なに? 北欧神話に出てくるでっかい狼?」
 セキゼキさんが料理を始めてから、スパイス類の在庫管理が一気に厳しくなりました。全く把握できません。
「シロイも料理作る時、スパイスとかハーブとかどんどん使って。おれが買ったからって、なんか遠慮してるみたいだから」
 遠慮じゃない。それは断じて遠慮じゃないんだ。
 何をどう使えばいいのか、そもそもどこに何があるのか、わかってないだけなんだ。
 というか、これも関東のやり方なの? 私には膨大としか思えないこのスパイスやハーブ類を、各家庭でどのように管理してるの?

おのれの怠惰に向き合えと言わんばかりの

 あるいは、こんなこともありました。
「今日はひさしぶりに私が作るねー……いやだから。私が作るって。なんで横にいるの? 台所狭いんだけど」
「いや、参考にしようと思って。やっぱり料理はシロイの方が先輩だからさ。手際とかいろいろ、横で見て学びたくて」
 もうこの時点で緊張がすごいのです。紹興酒とスパイスとハーブを使いこなすこの人の前で、私の何が参考になるというのか。とはいえ、
「うーん、やっぱり全般的な手際はシロイのほうがいいなあ。包丁の使い方もうまいし」
 などと言われると悪い気はしません。ちょっと得意になっているところで
「シロイのみじん切り、ずいぶん粗いな。なんで?」
 とセキゼキさんの無邪気な質問が私を襲います。
 なんでって、なんでっておめえ……そんなこと訊く? ねえ、訊く?
「あ、ああ……うん、つまり、そうだ。ほら、私、玉ねぎの存在感が残っている方が好きなんだよ、だからさ」
「なるほどなあ。さすが。おれそういうこと考えないでつい細かく刻んじゃうよ」
 ごめん、嘘。本当は細かいみじん切りが面倒くさいだけなんだ。
 さすがじゃない。全然さすがじゃないんだ。
 だからキラキラした目でメモを取るのをやめてほしい。

 まあでも、このへんの話はね。
 いいんですよ別に。それほど大したことじゃないので。
 私が手こずったのはもっと別のことです。

ガラスの仮面がかぶれない

 セキゼキさんの料理を食べる都度、私は嬉しい気持ちでいっぱいでした。
 彼の料理はおいしいですし、家に帰るとごはんが待っているってとても幸せなことですし。
 私はいつも、セキゼキさんのごはんを褒めました。喜びと感謝を伝えたかったし、私の言葉が一日中家で孤独に過ごすセキゼキさんの励みになることを願っていたからです。
「いただきまーす。うーん、今日もおいしい」
「……ふむ。シロイ、今日の料理はイマイチなんだな」
「なんでそうなるの!? おいしいよ、おいしい。ていうかおいしいって言ってるじゃん!」
「でも心の底からは『おいしい大好き箸が止まらない』とかは思ってないだろう」
「こ、心の底からってなに?」
「この間作った海鮮丼ほど好きではないんだろ?」
「あの海鮮丼は傑作だったじゃん。確かにあっちのほうが美味しかったけど、今日のごはんもおいしいよ。ていうか毎日あの出来のごはんは求めないよ」
「やっぱり、あの海鮮丼よりは落ちるんだな。もう少し早く火を止めて余熱で火を通せばよかったのかな? それともシロイの好みに合わせて玉ねぎを粗く刻むべきだった……?」
「おいしいから! じゅうぶんおいしいから! 家庭料理だよ? 毎日家で食べるごはんに、至高とか究極とか、私は求めないよ?」
「でもできれば至高や究極に近いほうがいいじゃないか」
 そう。セキゼキさんが料理にはまって本当に嬉しかったし、おいしいし、幸せだったのですが、このやり取りがほぼ毎日繰り返されるのは面倒だったのでした。
 セキゼキさんは私の口調や表情、箸のスピードなどを細かに観察して、
「おいしい! 大好き! 死刑前夜にはコレが食べたい!」
 と言わんばかりの反応を示さないと、自分の料理について細かく反省会を始めるのです。
 これはきつい。だって私がごはんを作るときもあるんですよ! 志低く、「食えればよかろうなのだァァッ!!」と思って作成してるんですよこっちは。
 そんな私が、山岡士郎ライクな人にごはん出したくないでしょ! 至高とか究極とか目指してそうな人に!!
「おれが好きでやってるだけだから。シロイは別にそうじゃなくていいから」
 とは言ってくれるんですけど、言われたからって簡単にそう思えるかって言うとそうじゃないんですよ。
 それに十分もおいしいものに対して細かく反省が入り続けるのって、なんかすごく胸が痛いのです。

 というわけで私はごはんを食べた時の
「おいしい!」
 というコメントに説得力をいかにして宿すか、すごく研究するようになりました。
 なんでしょうねこの研究、他の場面で役に立つ時あるんですかね? グルメリポーターになるくらいしかもう思いつかないんですけど。

 まず、タイミングは重要です。
 おいしいの一言は、早くても遅くてもいけません。
 口に入れた直後、まだ舌が味を感じていないタイミングでフライング気味に褒めてしまう人たまにいますけど、あれは駄目です。
 かといってタイミングが遅れすぎるのも致命的。
 それほどおいしいわけじゃないけど礼儀として褒め言葉を一応かけといた、みたいな雰囲気が漂ってしまうのです。

 あとは、言い方ですよね。「おいしい」の一言にどれほどの感情をこめられるか。
 私は試行錯誤を重ねた末に、夏限定ですがすごくリアリティのある「おいしい」が繰り出せる手法を開発しました。
 私はこの手法の存在を、長い間秘密にしてきました。
 セキゼキさんに知られてしまえば、二度と使えなくなってしまうからです。
 ですが最近のセキゼキさんは、そこまで自分の料理に対して厳しさを見せないようになってきました。あの頃あんなにこだわっていたのは、もしかして病気の影響もあったのでしょうか。
 というわけで、ここにその手法を公開します。

 駅からアパートまでなるべく早足で歩く、これがスタートです。
 そして、帰宅したらすぐ風呂に入ります。そうやって、汗をなるべくたくさんかくのです。
 その後、水分を摂らずに食卓につきます。
 それから一口目のご飯をもぐもぐと噛んで飲み込むタイミングで、コップに入った麦茶を一口、ぐいっと飲み下すのです。よく冷えたやつを。
 夏、汗のかいた体で風呂上がりに飲む麦茶は神がかって美味いものです。体がコレを求めていた! という味がします。
 ですからこの麦茶を飲み下したタイミングで出る「おいしい」にはリアリティがむちゃくちゃあります。というかリアルそのものです。
 これはもう、酔っ払ったシーンを演じるために実際に酒を飲んでしまうみたいなものです。
「こんなの……演技じゃない。おれは演技をすることから……逃げてしまった」
 もし私が役者だったら、そんなふうにおのれの演技力の敗北を嘆いたかもしれません。
 けどまあ、幸いにして私には、そういう後ろめたさはありませんでした。
 私がこの手法を編み出してからは、セキゼキさんの自作料理反省会が開かれる頻度はぐっと下がりました。
 この文章をここまでお読みになったあなたの周りに、自身の作成する料理への要求基準が非常に高く、あなたの演技を簡単に見抜いてしまうタイプの方がいらっしゃるようでしたら、是非この手法をお試しください。

三段の壁取り付け式スパイスラック。棚いっぱいに小瓶が並んでいる。
セキゼキさんにスパイスラックプレゼントしたらたいそう喜びました。

『むしろウツなので結婚かと』第8話~治ってなくても気は焦る

 本日3月17日に『むしろウツなので結婚かと』の第8話が更新されました。
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 セキゼキさんの症状が落ち着き始め、ウォッカも勝ち、私たちは喜びで自信を深めていくことになりました。
 ああよかった、もう大丈夫、これから病気はどんどんよくなっていくだろう、未来に希望はあるもんね!
 という気持ちになってしまったのです二人とも。
 とはいえ、セキゼキさんが復職を決めたときには、私は大いに焦りました。
「まだ働くとかそういう段階ではないよね?」
 私が言うと、
「なんとかなるよ。なんとかする」
 とセキゼキさんは答えるのでした。
 だけど「なんとか」ってなんでしょうね? 何をすればなんとかなるんでしょうね?
 ウツは休息が大事と言うし、睡眠時間をもっと増やしてごろごろする時間を増やせば、そのぶん早く治るのかな?
 薬を二倍のめば、加速度的によくなる?
 鍼やお灸でウツがきれいに治るかも?
 ウツを一気に治す手術を受ければ、お金はかかるけどあっという間に元通り?
 どれも全部、ありえません。なんとかする方法なんてどこにもないのです。
 それなのにセキゼキさんは「なんとかする」と言った。
 結局それは、「がんばる」ということです。今までのように仕事はできないかもしれないけれど、そのぶんの穴は「がんばって」工夫して埋める。そうすればきっと働ける。
 そういうつもりで言っているのです。
 辛いかもしれない、苦しいかもしれない、それもなんとか「がんばって」耐えてみる。
 そういう気持ちも含まれています。

 よくウツに「がんばれ」は禁句って言いますよね?
 それは何故なのか私なりに考えてみると、ウツになった人はもう「がんばれない」からだと思うのです。
 なのに本人はそれを「自覚していない」あるいは「自覚することを拒む」、もしくは「自覚した上で自責する」からだと。
 がんばれる人にとっては、「がんばれない」というのがどういうことか理解するのは、とても難しいことです。
 私も自分がそうなったわけではないですから、本当に分かっているわけではないと思います。
 ですが、がんばれない人ががんばろうとするのがいかに危険であるかは、想像できます。
「ペンギンは泳いでいる。君も鳥だろう?」
 と言ってスズメを氷の海に投げ込んだら?
「鳥というのは空を飛ぶ生き物だよ本来」
 と諭して高い窓辺からペンギンを追い立てたら?
 がんばれない人間ががんばろうとしたときに目にするのは、そういう風景だと思うのです。

 安田記念後のセキゼキさんは、規則正しく過ごそうと努めるようになりました。一日一回は外に出て近所のスーパーなどに行き、ごはんを作って洗濯機を回して、掃除をしました。
 私は驚きました。
「意外だわー、セキゼキさんて掃除とか嫌いだと思ってた。遊びに来ると部屋の中やたら散らかるし、片付けもマメじゃないよなあって。違ったんだね」
 と私が言うとセキゼキさんは、
「違わないよ。家事は別に好きじゃない。でも家の中でただじっとしてても、働けるようにはならないだろ。何かできることをしないと」
 と答えました。
 この人こんなに真面目だったんかい、と私はまたしても驚きました。
 いや、セキゼキさんにはいろいろ美点があるのは知っていましたが、こういう健気とも言えるような生真面目さを持った人ではないと思っていたんですよね。
(信じられん。私ならこの段階で復職とか絶対しないなー。ていうかそんなに仕事が好きだったんだっけ?)
 と私は疑問を抱いていたのですが、たぶんそういうことじゃないんですよね。
 真面目とか仕事が好きとか、そういう問題ではなくて。
 えーと。
 世の中には運動が嫌い、体を動かすのが億劫、ジョギングなんて悪夢で、歩くのだってできるだけ避けたい、みたいなこと言う人いっぱいいますよね。
 彼らの発言はは嘘でも何でもなく、心からの本音で。
 でもだからといってその人たちは、両足骨折しても気にしないということはないはずです。
 足なんかあったって使いやしないよ、歩けなくなったって問題ない。などとは思わないはず。
 あんなに嫌って避けていたはずなのに、歩いたり走ったりがまたできるようになりたいと、そう願うんじゃないでしょうか。

 真面目とか仕事が好きとか、そういうのは関係ないのです。セキゼキさんは働ける自分に戻りたかったのでしょう。
 だけどそれは両足が折れた人が、その状態で歩きまわろうとするようなものでした。 あの時の私は、セキゼキさんの復職を喧嘩してでも止めるべきだったと思います。それが正解でした。
 けれどその一方で、セキゼキさんはどこかで自分の足が砕けてしまったことを実感する必要があったのだろうとも思うのです。
 もう自分には「がんばる」という機能はないこと、その状態で働くなんて無謀であること。セキゼキさんはそう理解することを拒んでいました。
 周りが何を言っても、頑固に「がんばれる自分」なのだと信じていた。
 だとするとああいう形で自分の限界を確認しなければどのみちどこにも進めなかったのかもしれないと、今ではそう思っています。

『むしろウツなので結婚かと』第7話~前よりマシでも治ってはいない

 本日2月24日に『むしろウツなので結婚かと』の第7話が更新されました。
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 スーパーラッキーで合う薬がスピーディーに見つかったセキゼキさん(仮名)。じゃあコレで何もかもオッケーで心安らかに過ごせるようになったかというとちょっと違ったんだよね、というのが今回の話です。

 薬の力でセキゼキさんの生活は、何とか落ち着きました。
 夜はそれなりに眠れるようになり、昼もそこそこ落ち着いて過ごせるようになりました。
 この頃セキゼキさんが自分の症状について語った言葉を、私は今でも覚えています。
「毎日ずっと苦しい。腹の中で真っ赤に焼けた鉄のイバラがのたうち回っているみたいなんだ。薬はすごい。効き始めると鉄のイバラがすーっと冷えて、静かになる」
 この言葉で印象深いのは、鉄のイバラとやらが消えていないという点です。
 セキゼキさん以外の人たちがどんなふうに感じているのかはわかりませんが、少なくともセキゼキさんにとってはこんな感じだったそうなのです。
 薬は確かに効きますしありがたいものですが、全ての問題を解決してくれるわけではないのです。
 ずっしりと重く鋭い棘を持った鉄のイバラは、冷えて静かになったとはいえ腹の中にあって、消えない。

 この時期、私たちの暮らしは少し前に比べればだいぶ落ち着いてきました。
 平和で穏やかで満ち足りた、と言えないこともない暮らし。
 一方で私たちはこの暮らしが薄氷の上にかろうじて成立しているものであることを、共に理解していました
 眠れるようになった、料理もできるようになった。それはすごい。
 けれど調子が悪くなってほとんど一歩も動けないような日も依然としてあるし、テレビも見られず、本やマンガは読みたくても読めない。
 それはやはり「健康」とか「正常」とか、そういう言葉からは遠い状態なのでした。
 不安定で危なっかしくて、一歩踏み外せばかんたんに冷たい深みに落ち込んでしまうであろう、かりそめの平和。

 私はこの頃、セキゼキさんの回復をただ喜んでいました。
 けれどセキゼキは、回復できていない部分あることに、焦り続けていました。
 そう言うとセキゼキさんが悲観的で私が楽観的な人間のようですが、そう単純でもないのです。
 セキゼキさんは
「早く治りたい」
 とよく言っていました。
 ですが「治る」とは一体、どういうことなんでしょうね?
 治るというのが元通りになるということだとすればそんなことはもうないんじゃないか。と私はこの時点で思っていました。

 私の職場には心を病んで休職する人が、大勢いました。
 その中の何人かは数ヶ月や数年の時を経て、また仕事に戻ってきます。
 休職する人も復職する人も、私は大勢見ました。
 けれどその中に復職してからまた元通り働けるようになった人は、一人もいませんでした。
 戻ってきてもしばらくするとまた調子を崩し、いなくなってしまう人ばかりだったのです。
 なぜそうなってしまうのかは、私にはわかりませんでした。
 単純に労働環境が悪いからかもしれません。別な場所であれば、問題なく働けたのかも。
 それもともこの病気になると、一日八時間の労働というのがそもそも無理になってしまう可能性もあるよな。
 などと考えていることを、私はセキゼキさんの前では口にすることができずにいました。

 セキゼキさんが
「早く治りたい」
 と言う都度私は
「精神科の世界では治るって言わないんだよ。病状が穏やかになることをさす『寛解』という言葉を使うんだよ」
 と言いました。
 そうするとセキゼキさんは納得のいかないような顔をして
「ちょっとした用語の違いなんてどうでもいいよ」
 などと返すのでした。
 けれどこれは単純な用法の違いではない、と私は考えていました。
 病気になってセキゼキさんの人生は変わってしまったのだ。
 この変化は不可逆性のもので、だから「元通り」なんてことはありえない。
 そもそも人生というのはそういうものだ。「卒業」したり、「就職」したり、「成長」したり、一方通行の変化が起こり続けるものなんだ。
 だったらその中には薄氷の上でしか暮らせなくなるような、そんな変化もあるだろう。
 その変化を受け入れて、どうすればうまく薄氷の上で暮らしていけるのかを模索する。
 それが寛解ということなんじゃないか。
 私はそう思っていたのです。それは「諦め」にとても近いものでした。
 多くを望まないほうが、楽だったのです。

 マンガの中にもありますがこの頃の私は、
「もうこのままでいい」
 と思っていました。
 そこそこ平和で穏やかな時間であればもうそれでいい、と。
 もちろんそれはセキゼキさんを満足させる考えではありませんでした。
 だってそれじゃ、結婚は無理だ。子供は絶対に持てないし、生活はカツカツでそれがずっと続いて、上がり目なんてない。
 そんなのいいわけがない。
 おれはどうしたって元のように働けなくちゃいけない。
 それがセキゼキさんの言い分でした。
 その気持ちも、私にはよくわかりました。私だってこれからずっと自分たちは薄氷の上で暮らすしかないのかと思うと、痛みを感じずにいられなかったからです。

 結論から言えば、私たちはふたりとも間違っていました。
 セキゼキさんが期待したように、完全に元通りの自分になる日は来ませんでした。
 けれど私の諦めのように、回復があの時点で止まることもなかったからです。
 そしてまた、完全に元通りではないということも、それはそれで悪いことでもありませんでした。
 自分の希望する通りにいかないことに絶望するのも、そのほうが楽だから簡単に諦めるのも、どちらも違うんですよね。
 変化を認めることは、諦めや絶望とは違うのです。
 希望を抱くためには、変化を拒絶しなければいけないわけでもないのです。

 ところであの頃、日中の孤独が辛い時間の経つのが遅いと訴えるセキゼキさんのために、私は自分の持っているおすすめマンガをピックアップしたのですが、何を考えて山岸凉子の「天人唐草」や「夜叉御前」を勧めてしまったんでしょうか。

天人唐草

 明るく無邪気な響子は、保守的で厳格な父親のもと、抑圧されて育つ。その結果、控えめでおとなしく他者の目を異常なまでに気にする女性になってしまう。
 真面目ではあるが、誰とも打ち解けることはできず、ひたすら内にこもる弱々しい響子。
 自分の人生に向かい合えず、世界から逃げるように生きる彼女を悲劇が襲う。
 すべての拠り所をうしなった彼女は、狂気の世界に解放される……
 平凡な人間が、どこにでもありそうな出来事の連続で容赦なく追い詰められ、狂気に堕ちていく救いの無さ。後味の悪いサイコホラー。

夜叉御前

 引っ越してきた家に鬼が住んでいることに気づく、15歳の少女。鬼に怯えながらも、幼い弟妹や病身の母に負担をかけまいと、気丈に振る舞う。
 密やかな苦しみは続き、鬼はあの手この手で少女を攻撃する。
 クライマックス。これまでオカルトと思わせてきたこの物語は、現実の苦しみに耐えきれなくなった少女が作り出した幻想であったことが暴かれる。
 鬼に襲われながらの暮らしのほうがまだしも救いがある、そう思わせる現実とは一体……!?
 終盤の大ゴマとそれに続く「お前も死ぬのだよ紀子!」以上に怖いシーンがある漫画が、ちょっと思いつかないレベルに怖い。

「ごめん、読めない」
 と言われ、
「あんなにマンガが好きだったセキゼキさんが読めないなんて」
 とショックを受けたのですが、あらためてあらすじを振り返るとそりゃ精神状態の悪い人が読めるマンガじゃないだろ、なんでそういうのばかりよりすぐったの、私はバカなの? としか思えません。
 とりあえず、「鉄子の旅」を買っててよかったです。

花を見ていた少年

 中学生の時、大幅に遅刻して先生に遅刻の理由を尋ねられ
「花を見ていました」
 と答えた同級生がいました。
 彼のこの返答に教室はざわめき、それまで怒りを浮かべていた先生も
「なにおまえその……風流なの……?」
 と一瞬毒気を抜かれたようになったのが印象に残っています。
 彼の名前はドウシくん(仮名)。ドウシくんには他にも楽しいエピソードがあります。
 やはり中学の時のこと。理科の時間、先生がNHKのドキュメンタリー番組を見せたことがありました。
「驚異の小宇宙・人体 『生命誕生』」
 というその番組は、精子卵子の出会いや胎児の成長を克明に追ったドラマチックなものでした。
 中学生たちはみなけっこう真剣に感動しながらその番組をみていました。特に三億という膨大な数の精子卵子を求めながらもそのうちの99%までは死滅していくというくだりは、なかなか衝撃的なものでした。
 番組が終了し教室に少しずつざわめきが戻り始めたそのとき、ドウシくんが自分の胸のあたりをおさえながら
「三億分の一でたどり着いたのか……よくがんばったな、おれ」
 とつぶやいたのが聞こえました。
 そのしみじみとした実感のこもった口調が妙におかしくて、みなが笑いました。
 私はこの二つのエピソードが好きで、よく人に話しました。どちらもなかなかウケがよく、そこそこ笑いのとれる鉄板エピソードとなったのでした。

 ドウシくんと私は幼馴染みです。
 幼稚園から始まって中学を卒業するまで、ずっと同じクラスでした。
 それはドウシくんだけではなくて、私たちの故郷はど田舎だったためにずっと一つのクラスで同じメンツと顔を合わせて育ちましたので、クラスメート全員が幼馴染なわけですけど。

 幼稚園の頃、私は落ちこぼれでした。
 不器用で工作やお絵かきは下手くそ。
 かわいらしいお洋服を着ていたり、素敵な髪型だったりもしない。
 足は遅いし、よく転ぶ。
 なんの取り柄のないこども。それが私でした。
 別にだからといって悩んだり苦しんだりしていたってほどでもなかったんですが、やっぱり少しは悲しかったんですよね。
 小学校に入学した私はほどなくして、どうやら自分は勉強はそれなりにできるらしいということに気づきました。
 これはとても嬉しかった。自分にも何かひとつぐらいできることがあるのだと、その時初めて感じたのです。
 そして小学校一年のある日、私たちは生まれて初めて作文を書くことになりました。
 私は本を読むのが好きな子供でした。ですから何かを書くという体験が興味深く感じられ、わくわくしていました。
 宿題の作文を夢中になって書き上げ、得意になって母親に見せに行くと、彼女は赤鉛筆を手にとりました。
「これはこのままでいい? それともよくする?」
 母は尋ねました。
「この作文をこのまま持っていっても、先生が怒ったりすることはないし、何の問題もないと思う。だけどもし、ケイキがもっと良い作文を書きたいと思うなら、お母さんが少し手伝ってあげる。どうする?」
 私はそれまで知らなかったのですが、独身時代の母はフリーの編集者兼ライターだったそうなのです。
「てつだって」
 と私は頼みました。
「よくなるなら、よくしたいよ作文。そのほうがたのしいもん」
 すると母は赤鉛筆でどんどんと修正を入れ始めました。
「ここ、ただなんとなく改行しているでしょう。そうじゃないの。ほんとはぜんぶ意味があるの」
「この文章は本当に要るかな? さっきと同じことを書いているだけじゃない?」
「こっちは逆にもっと説明しないと読む人はわからないんじゃない?」
 私は驚きました。
 自分の文章がなんだかうまくまとまっていないことには、薄々気づいていたのです。どうすればいいかわからなかっただけで。
 母の手が入ると、みるみるうちに言葉はきちんと並び、生き生きと情景を物語るようになりました。
 なんて面白いんだろう。
 私は母の言葉に従って作文を直し、それをまた彼女に見せ、更に修正を重ねました。
 やっと赤鉛筆が入らない作文を書き上げた時は、確かな達成感がありました。
 その作文を提出して数日後、私は職員室に呼ばれました。
「ケイキちゃんの作文とても良かった。がんばったね」
 先生はまず褒めました。
 私は嬉しくてニコニコしていたのですが、先生がちっとも笑っていないことに気づいて、自分も笑うのをやめました。
「だからこそ先生は、最初にケイキちゃんにお話をしなければいけないと思いました」
 と彼女は言いました。
「この間みんなに出してもらった作文は、その中から一本だけ、一番いいのを選んでコンクールに出すことになっています。ケイキちゃんの作文は本当によく書けていた。でもケイキちゃんの作文は、コンクールには出しません。ドウシくんの作文をコンクールに出します」
 いつも笑っている先生が、その時は苦しげな表情を浮かべていました。
「二人とも本当にとても良い作文だったから、先生はすごく悩みました。どちらを選べばいいのか、ずっと考えていました。先生は今回ドウシくんの作文を選んだけれど、ケイキちゃんの作文もすばらしかった。先生がそう思っていることを、伝えておかなくてはいけないと思ったんです」

 数ヶ月後、クラス全員の作文が冊子にまとめられ、各家庭に配られました。
 私は父がその冊子を読みながら楽しそうに笑っているのを見ました。
 覗き込むとそこには、ドウシくんの名前がありました。
「お父さん、ドウシくんの作文そんなに面白いの?」
 私はそこで初めて父に、自分の作文が先生には選んでもらえなかったという話をしました。
 すると父は感心したような顔をしました。
「なるほど、先生は正しいなあ。おれもそうすべきだと思う。ケイキの作文は悪くないけど、どちらかを選ぶならやっぱりドウシくんだよ」
 どうして、と私は訊きました。
「テクニックの話だけで言えば、ケイキの方がずっとうまいんだよ」
 と父は言いました。
「うまくまとまった、いい作文だ本当に。だけどドウシくんの作文は、そういうんじゃないんだよ」
 それから父はドウシくんの作文の中の一箇所を指しました。
「ここを見てごらん」
 ドウシくんの作文は友達の誕生会に招かれて、みんなで楽しく遊んだ時のことを書いたものでした。
 父が指差した箇所には、こうありました。

 たくさんのごちそうがならんでいて、とてもおいしそうでした。ぼくはいやしいので、早く食べたくてもじもじしました。

「ケイキはね、うまく書こうとしてるんだよ。上手で良い作文を書こうとしてる。それは別に悪いことじゃない、当たり前のことだ。
 でもね。ドウシくんは良い作文を書こうとか上手に書きたいとか、そういうことは考えていない。
 ただお誕生会がどんなに楽しかったか、そのことをありのままに伝えようとしているだけなんだ。
 ドウシくんは、自分を良く見せようとしない。だから『ぼくはいやしい』と書ける。それがすばらしい。
 チェーホフっていう、外国の偉い人がいるんだけどね。その人は『雨が降ったら雨が降ったとお書きなさい』って言ったんだ。本当にその通りだと思う。だけどそんなふうに書くことは、実はとても難しい。
 それがドウシくんには出来ているんだ。すごいことだよ」
 小学一年生には父の言葉は難しく、すべてをその場で飲み込むことはできませんでしたが、私の頭の中にずっと残り続けました。

 ドウシくんはあしがはやいし、ボールなげもうまいし、できることがいっぱいある。
 それなのに作文でもわたしよりずっとすごいなんて、そんなのずるいじゃないか。
 わたしはドウシくんよりももっと、良い作文を書けるようにならなきゃ。

 そんなふうに考えた私は、それから作文コンクールの入賞作がまとめられた文集を見つけて読みました。難しい漢字が並んだ上級生の作文も、大人に字を教えてもらいながら、懸命に読みました。
 読書感想文コンクールの文集も読みました。過去のコンクールの文集も読みました。休み時間、私は教室の本棚に張り付いて、文集をひたすらに読み続けました。

 その甲斐があったのでしょうか。
 ドウシくんの作文がコンクールに出されたのは、小学校一年生の時ただ一度のことでした。
 翌年、コンクールに出す作品として選ばれたのは私の作文でした。その次の年も、その次の次の年も。私の作文は毎年のように、コンクールに送られるようになりました。
 大体において他の子供たちにとって、作文などというのは手っ取り早く終わらせたい課題に過ぎなかったのです。少しでも良い作文を書こうなどと思っている人間は、私だけでした。
 作文コンクールで私は入賞し、表彰状を貰いました。もっと良い賞が欲しい、と私は渇望しました。
 そうして小学校六年生の時にとうとう、特選をもらうことができました。文集のトップに、私の作文が載ったのです。
 嬉しいはずなのに、私の心の底はずっと冷えたままでした。
 だって私の作文を読んだ父が、ドウシくんの作文を読んだ時のように目を細めながら笑うことはなかったのです。
 あんな風に手放しに褒めてもらえることもなかった。
 その頃には、自分でもだんだんわかってきていました。
 良い作文を書こう、少しでも良い賞を貰おうとする私の努力は、どこかがひどく間違っているのだと。

 そして中学生になり、遅刻したドウシくんが
「花を見ていました」
 と言ったとき私はみんなと一緒に笑いながら、打ちのめされていました。
「なんだよそれ」
「平安貴族かよ」
「言い訳になってねえ」
 みんなそんなことを言っていて、私も同じようなことを言って笑いながらもその裏で、
(あーだからドウシくんはすごいんだ)
 と感じていました。
 遠い昔の父の言葉の意味を、私はやっとその時理解したのです。
 ちょっと気の利いた人間なら遅刻の理由なんて、いくらでも適当にでっち上げるでしょう。
 体調が悪かったとか言って、先生の怒りを回避しようとするでしょう。
 でもドウシくんはそんなことはしません。
 花を見ていたから花を見ていたと、ただありのままに答えるのです。そんなことを言ったらどう思われるだろうとか、よく思ってもらえるようなことを言おうとか、ドウシくんはそんなことを考えないのです。
 言葉で取り繕ったり飾ったり、ドウシくんはしない。しようと考えることすら、ない。
 私は自分が今までやってきたことがいかに愚かしかったかに気づき、恥ずかしくなりました。
 過去の入賞作を読み込んで審査員に受けそうな型を見つけて、それに合わせた作文を書く。私がこれまでしてきた努力というのは、そういうものでした。それはドウシくんの在り方から、なんと遠いのか。
 それから私は、作文コンクールで上位入賞をしようとする努力を一切やめました。
 大人が好きそうな題材、好きそうな言葉、好きそうな書き方を模索するのではなく、ただ自分が面白いと思うものだけを書くと決めたのです。
 それでもやはり、うまく書きたいという気持ちは消えないのですけれど。すべての飾りを捨て去ることも、結局はできないのですけれど。
 だけど考えてみれば、虚飾を嫌う姿勢というのもそれ自体が飾りです。
 ドウシくんはきっと、飾ることが嫌だということすら思わないはずです。
 飾ろうなんて最初から思わない。あるいは
「もちろん自分だって人からよく思われたいよ」
 と正直に認めるのがドウシくんだと思います。
 なんてね。
 所詮、私はドウシくんのような人間には絶対になれないので、本当はちっとも彼のことがわかっていないんでしょうけど。
「花を見ていました」
「よくがんばったなあ、おれ」
「ぼくはいやしいので」
 どの言葉も本当の気持ちがあまりにも素直に表現されたものだからこんなにも鮮烈な印象を残すのだと、私は思いました。
 私はこれらの言葉を忘れない。
 この先何十年か続く人生の最後まで、思い出として持ち続ける。
 私はドウシくんに負けている、勝てない。
 私は飾らない人間にはなれないし、そのくせそんなそんな自分を見透かされたくないと思い続けるだろう。飾りの多い人間だと思われたくないがために、飾り気のない人間を演じたりするかもしれない。
 この敗北は、生涯続く。
 だけど私にもわかることはあって、ドウシくんは正直で誠実で心の柔らかい、いいやつなんだってことはわかる。それがどんなにすごいことかも。そういう人間になりたいと思うし、なれなくても憧れることはやめられない。
 だから、よかった。負けてよかった。自分が負けていることを知っている限り私は、この憧れを抱え続けることが出来る。
 この憧れが胸の中にあるだけで、自分のことがマシに思える。
 だってドウシくんに憧れるってことは、いいやつを目指すってことだもの。これは悪くない。全然悪くないよ。
 ドウシくんは、私にとっての恩人だ。

 中学を卒業して別々の高校に行って、それきり私たちの人生は離れました。
 会うこともほとんどなくなりました。元々親しい友人であったわけでもないですし。
 それでも十二年間も一緒のクラスだったという繋がりは残ります。
 私たち同級生は、全員ドウシくんの結婚式に招待されました。
 素晴らしい式でした。
 新郎新婦は似合いの美男美女で。
 みんながニコニコしていました。
 ドウシくんを祝うために駆けつけた人たちが大勢いました。
 高校の仲間、大学の仲間、職場の仲間。みんながドウシくんははいいやつだ、幸せになってほしいと、笑っていました。
 あたたかくて美しいエネルギーに満ちた、幸せな日でした。

 そこからさらに数年、ドウシくんから電話がありました。
「来年同窓会をやろうと思うんだ、おれが幹事で。ケイキちゃんは参加できますか?」
 私はすぐに「行く」と返しました。
 即答だったので、ドウシくんは少し驚いたようでした。
「そんなにすぐ決めていいの? 用事とか大丈夫?」
「大丈夫だよ。万難排して行きますよ」
 と私は言いました。ドウシくんが幹事なんだから、と心の中で付け加えながら。
 ドウシくんは
「助かります。じゃあ他のやつらにも電話をかけなきゃ。それじゃあまた」
 と言って電話を切りました。
 それが最後になりました。
 その数ヶ月後にドウシくんは死んでしまったからです。
 あまりにも急なことで、何の心当たりもなかった私は、驚きました。
 電話で話した時は元気だったし、病気とも怪我とも聞いていなかったのに、どうしてそんなことに?
 私の問いに、答えは返ってきませんでした。
 ドウシくんの死因は伏せられていたのです。
 けれど伏せられるという事実がすでに雄弁です。
 ドウシくんの職場はひどいパワハラの横行する場所だったということを、私はしばらくして知りました。
 以前彼が働いていた会社は、ドウシくんに合った、働きやすい場所だったようです。
 ですが結婚して子宝に恵まれ家を建てたドウシくんは、別の会社からもっと良い収入でこちらに来ないかと誘いを受けた時、その誘いにのったのです。
 たぶん家族のためを思ったのでしょう。そういう人でしたから。
 ドウシくんの職場でドウシくんと同じように亡くなった人間は、他にもいたのだという話も後から聞きました。
 ドウシくんのお葬式にその職場の人は一人も来ていなかったそうです。以前勤めていた会社の人たちは、大勢来ていたというのに。
 その頃プライベートで色々なことがあった私も、結局ドウシくんの葬儀には行けませんでした。
 そのことがひどく辛くて私は、葬儀の日には風呂場で一人泣きました。
 私はいつかドウシくんのお母さんのところにお線香をあげに行きたいのですが、よりによってドウシくんの亡骸を見つけてしまったのはお母さんだったということもあって、別人のようになってしまったのだと聞きました。
 私がドウシくんのお母さんに最後に会ったのは、あの結婚式でした。記憶の中の彼女は、輝くような笑顔を浮かべています。
 フロックコートを着たドウシくんとその隣の綺麗な奥さんを眺める彼女の目は、うっとりと細められていました。
 この美しい幸せな記憶が、どうしようもない悲しい現実に上書きされてしまうのが嫌で、私は今だに線香をあげに行けずにいます。
 こんなの言い訳にもなってないって、自分でも思いはするんですけど。

 ドウシくんと彼の言葉のことは、この先何十年も抱えて行くだろうと思った通り、未だにしっかりと覚えています。
 だけど本当はこの思い出は全部、微笑むためのものだったのです、
 悲しかったりやりきれなかったりする時に思い出して、ちょっといい気持ちになるものだったのです。
 それらはすべて、今では痛みに変わりました。
 生きていて欲しかった。
「よくがんばったなあ、おれ」
 そう言ってたじゃないかドウシくん。そのよくがんばって辿り着いた三億分の一に、こんな結末を迎えさせないでくれよ。
 生きていて欲しかった。
 ドウシくんが真面目ながんばりやだったのを、私は知っている。他人の言葉や気持ちをどこまでもまっすぐに受け止めるタチだったことも。どちらも美点なのに。
 パワハラが横行する職場でそんなドウシくんがどれほどつらい思いをしたのか、まともに考えるとおかしくなりそうだ。
 生きていて欲しかった。
 私はドウシくんに敗北して、これは生涯続くと思って、でもそれが嬉しかったのに。
 この憧れはずっと、私は力づけてくれるものだったのに。
 これが自分勝手な言い分なのはわかっているから、それは謝る。ごめんなさい。だけど。
 生きていて欲しいんだよ。今もそうなんだよ。あの日からずっと、そう思っているんだよ。
 私は今もドウシくんに負け続けているのに、ドウシくんはもう、この世にはいないのです。