「あのひとって空気読めないよね」
と噂されているうちが花なんじゃないのかしら。
読めない、つまりcan'tと思われているうちが。
「あのひとはイイヒトなんだけど、悪気ないんだけど、空気読めないんだよね」
そう思われている間は、まあまあ安全な気がするのです。
ですがこれが
「あのひとって、空気読まないよね」
と思われ始めると怖いですよねー。
読めないんじゃなくて、読まない。つまりそこには、意志が存在すると、相手が考え始めたら。あらあら、つーことはもしかして、その意志とやらは悪意とイコールなのかしら、という邪推が生まれるのには三秒とかからないんじゃないでしょうか。
「空気読んだ上で逆らうよね、乱すよね、かき回すよね」
「みんなの気持ちをかき乱して苦しめることが大好きなんだよ、あのひとは」
なーんて、思われたりして。
だから私は、「読めない宣言」。少しばかり鈍い人間として、適当に見くびられながら生きていくことを希望します。(公共広告機構風の、さわやかで明るい発声で)