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だらだら書きますので、だらだら読んでもらえるとありがたく。

『むしろウツなので結婚かと』第20話~運が良いとか悪いとか

 本日12月8日に『むしろウツなので結婚かと』の第20話が無料公開されました。
comic-days.com


 最終話である21話につきましては、既に本日有料公開されております。
 約一年間にわたる連載を無事終えることができました。
 ありがとうございました。

 エピソード無料公開時に更新してまいりましたこの駄文も、今回と次回で終了となります。ですのでこの二回は、個々のエピソードに対してではなく、私が個人的に思っていることを書かせていただきます。

 現在、セキゼキさん(仮名)の症状は寛解し、IT系の正社員として無事社会復帰できております。2010年には私と結婚し、2015年には娘のノノミさん(仮名)も生まれました。
 まあなんというか「二人で力を合わせて苦境を乗り越えた幸せにたどりついた」物語ってかんじがしますよね。美談ぽく見える気がします。違うのに。
 という言い方すると、「その裏には事情があって実はとっても不幸!」と言いたがっているようですが、そういうわけでもありません。
 現時点での人生、不満も不安も苦労もそれなりにありますが、そういうのが一切ない人生というのはたぶんどこにも存在しないと私は思っていますので、いいのです。現状わりとハッピーなら満足です。
 なのになんで私はこの「美談ぽさ」にひっかかってしまうのかというと、私は自分たちが「単純に運が良かった」だけだと思っているからですね。ラッキーなストーリーではあっても、美談じゃねえよなあと。

 私はインターネットでウツの当事者の方や、その周りの方の書いた文章を目にしています。
 その中に、セキゼキさんとほぼ同時期にウツを発症したパートナーを亡くしてしまった方の文がありました。愛情と悔恨と苦痛と悲嘆のこもったその文を読んだあと、私はしばらく身動きもできなくなりました。
 その方の過去の文も遡って読みました。亡くなったパートナーへの細やかな気配りと愛情が、そこには溢れていました。手強い病について懸命に学び、必死に努力していたことが伝わってくる文でした。その方の愛情と献身がどれほどパートナーを支えていたか、想像するに難くありませんでした。
 けれどその方のパートナーは、死を選びました。
 この人と私の違いはなんだろう、と私は打ちのめされながら考え、答えはすぐに見つかりました。
「セキゼキさんは高所恐怖症だった」
 それだけなのです。セキゼキさんだって、一度は本気で死を選んだのですから。彼が高所を恐れない人間で、あと数階ぶん余計に階段をのぼっていたら、セキゼキさんはもう、この世にはいなかったのです。

 よく言われがちなことですが、人生というのは「運ゲー」としての側面をたぶんに持っているのです。あなたも私もこれまで生き延びてこられたのは、少なからず運に味方されたがゆえなのです。
 鉄骨や雷が私の上に落ちてきたことはありません。私は生涯で何度か飛行機に乗っていますが、一度も墜落しませんでした。落とし穴に足を踏み入れたこともなく、通り魔に出くわしたこともなく、不治の病に悩まされたこともなかった。。
 すべて偶然です。そういった突発的な不幸に出くわさないで済む程度には、これまでの私は運が良かった。そしてこれは、手柄でもなんでもないわけです。
「私の上には鉄骨が一度も落ちてきたことないんだよ。えっへん」
 などと胸を張って誇る人間がいたら、大抵の人は
「何言ってるんだコイツ」
 と思うでしょう。
「すごいでしょ徳が高いでしょ美談でしょ」
 と言い出したら
「はっ? どこが?」
 と呆れるでしょう。

 ですから、『むしろウツなので結婚かと』という物語は、美談ではないのです。ただ運の良かった人間が生き延びる、その過程を描いているだけなのですから。
 あの中に出てくるセキゼキもシロイも、ごく平凡な人間です。優秀でもないし強くもなく心ばえが特段優れているわけでもありません。ちょっと運が良かっただけで。
 ほんの少し何かが違っていれば、もっと不幸になっていたでしょう。

 なので原案者としてすごく思うことは、セキゼキやシロイと似たような状況の方があれを読んだとき
「どうして自分たちはまだ救われていないんだろう?」
「自分は彼らと比べて足りない部分があるのだろうか?」
 と思ったりしないといいな、ということなんです。
「ああ自分がだめだったから、あの人は帰らぬ人になってしまったのだ」
 とか
「あの人が治らないのは、そばにいるあなたが駄目だからなんじゃないか」
 とかそういうことも思わないでくれるとありがたいなあ、と。
 ただちょっと運が悪いんだ、まだ運が向いていないんだと、そう思ってほしいなあと。

 もちろん、運は全てではないです。
 私は極端な悲観と極端な楽観は実はすごく似ているのではないか、と思っています。
 自分は完全無欠の幸運に恵まれるから一切の努力をしなくても必ず願いは叶うと思う人間と、自分は不運にまみれているからどんな努力をしても必ず全ての災厄に襲われるに違いないと考える人間は、たぶん同じ選択をするはずです。
 すなわち、無為。
 結果を左右するのが運しかないのであれば、そもそもすべての努力は無駄なのです。
 だけどそれは違うんですよね。だって100%の幸運も不運も、現実には滅多にないんだから。
 完全無欠では決してない幸運を掴むためには、自分ができることはやっておいたほうがいい。
 人事を尽くして天命を待つって、言いますものね。全部運だから何をしても無駄、何もしなくてもいいってわけじゃない。
 だけどできる限りのことはやり尽くして、自分の全てを振り絞って、それでもうまくいかないことはあるのです。あってしまうのです。あるのだということを、認めましょう。
 だからあなたが、不必要に自分を責めずに済みますように。
 それが私の願いです。

『むしろウツなので結婚かと』第19話~自殺願望チェックのススメ

 本日11月17日に『むしろウツなので結婚かと』の第19話が無料公開されました。
comic-days.com


 ウツを患った人は、『自殺』とかいう物騒なヤツと急接近してしまうんだなということを、私はセキゼキさんにまざまざと実感させられました。
 当然のことながら私はこれが嫌で嫌で仕方なく
「お願いだから『死にたい』なんて言わないで」
 と言っていたわけですが、まあこれは今思い返すと最大級の愚策でしたね。
 だって「し」と「に」と「た」と「い」を繋げて発音することをやめたからって、心の中の死にたい気持ちは別になくなったりはしないんですから。
 ただ、こちらからはそれが見えなくなるだけです。見えないから、安心してしまう。見えないことと存在しないことは、イコールではないというのに。
 臭いものに蓋をしているだけです。そうやって偽りの安心にあぐらをかいて、何かを解決したような気持ちになって、蓋の下がどうなっているのか、私は長い間気付かないままでいたのです。
 違いますね。
 実際には、完全に気付かないでいることは無理でした。セキゼキさんの調子が悪い時はそれがわかりましたし、そうなってしまえば口に出さなくなって希死念慮が彼の中で渦を撒いているのだろうということは、さすがに予想がつきましたから。
 だけど私は疲れていたので、「死にたい」「終わらせたい」とこぼすひとに、「そんなのやめてくれ」と頼み続けてだけど何も変わらない数時間にうんざりしていたので、その厄介さから逃れるために、ただセキゼキさんに
「『死にたい』なんて言わないで」
 とお願いしていたわけです。
 本当に大事なことは「死にたい」という言葉を聞かずに済むことではなく、セキゼキさんに死なれないことだというのに、わからなくなっていたのです。

 実際にセキゼキさんから遺書めいたメールを送られ、彼が私の知らないうちに自殺未遂をしていたことを知って、私は自分が間違っていたことを悟らざるを得ませんでした。
 というか、当たり前なんですよね。
 たとえば
「○○くんと付き合うのはやめなさい。ああいう子と仲良くしないで」
「私はもう、○○くんの話がききたくありません。わかるわね?」
 みたいなことを親が言ったとして、それがまあ心からの心配によるものだったとしてもですよ。
 子供は素直に言うことを聞いてくれるとは限らない。
 人によっては親の目を盗んで、隠れて友達付き合いをするようになるでしょう。
 仮に問題の○○くんとの親交が薄れたとしても、今後は自分の交友関係を親に教えるのはやめようと、そう考えるかもしれません。
 どうせ反対される、どうせ干渉される、どうせ理解されないなら、すべて隠したほうがマシだと、そう考えるのはごく自然なことですし、正しくもあります。
 その結果、スタート時点では純粋に子供を心配しているだけだった、子供のことを知りたい、道を踏み外したりしてほしくないと思っていたはずの親は、子供に対する巨大な無理解を抱えることになるでしょう。

 自分が嫌だから不快だからという理由で、相手の気持ちや行動に闇雲に反対したり制限したりしようとすることは、結局かなり無意味なんだろうというのが、現時点での私の意見です。
 そんなことをすれば、相手は隠れてしまうだけなんですよ。締め付けを強くすれば、もっと巧妙に隠れていく。最初はあったはずの対話の可能性もうしなわれ、見えないところで想像以上に事態は酷く進行していくかもしれないのです。
 キャピュレット家のジュリエットちゃんと、モンタギュー家のロミオくんなんか、交際を反対されたせいでティーン・エイジャーがいろいろと暴走しちゃってやらかして最悪の結果になりましたでしょ。
 あれなんか、不快な気持ちをぐっとこらえて周りが一度は二人の気持ちを受け入れていたら、ティーン・エイジャーの未熟な恋でしょ、
「ねえママ……ロミオってなんか、時々すごく子供っぽいの。それに、鼻毛が出ている時があるのが気になるわ。なんだか冷めちゃった」
 みたいなことをジュリエットちゃんが言い出して、さらっと終わった可能性もあります。
 終わらなかったら? その時はその時でしょうがないでしょ、縁があったということですよ! どっちみち他人の人生をコントロールしたいという願望、かなり邪悪ですから。我が子といえども思い通りにしたらあかんよ。
 まあこんなわけのわからないif語りをしなくたって、禁酒法を制定した結果、ギャングが酒売って大儲けして、アル・カポネとか大活躍する結果に繋がっちゃったでしょ。もうそれが答えだと私は思っています。
 酒は確かに害の甚だしい飲み物ですし、嫌う人や廃絶したいと思う人が大勢いるのは理解できますが、だからって禁じればいいってものではないのです。

 というわけで、私は方針転換してセキゼキさんに「死にたい気持ち」をオープンにしてくれるよう、お願いしました。
 オープンにしてもらったら、そっちのほうが断然よかったですね。
 まずセキゼキさんの調子の善し悪しが、かなりはっきりとわかるようになりました。隠されなくなったからです。
 そしてもう一つ、マンガの中でもありますが、セキゼキさんの『自殺計画』みたいなものを事前に知ることで、対策がとれるようになったことです。
 まず計画にイチャモンをつけることで、それを実行しようという気を萎えさせることができますし、計画を知っていればそれが失敗しやすい方向に持っていくこともできます。
 たとえば作中に出てきた「床に包丁を固定してそこに倒れ込む」という方法、これはセキゼキさんが実際に何度も口にしていたやつなのですが、そんなことをもし実行しようとしたら失敗するよう、誘導をかけることができるわけです。
「床に包丁をどうやって固定するの? やっぱりガムテープかな」
 と言って、セキゼキさんにガムテープ固定方式を刷り込んだ上で、家の中にあるガムテープを全て粘着力の弱いものにすり替えておく。とかね。
 実際には、粘着力強かろうが弱かろうがそんな方法でうまく死ねるとはあまり思えませんが、そういうことをしておくと、私自身が安心できるわけです。

『むしろウツなので結婚かと』第18話~なぜひとは結婚したがるのか?

 本日10月27日に『むしろウツなので結婚かと』の第18話が無料公開されました。
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 インターネット老人会に所属する者として大昔の話をいきなり始めてしまうんですけれども、時はそう2006年。
 日本のインターネッツの中に「はてな村」と呼ばれる地域がありました。
 あの頃のはてな村では日々いろんな「論争」が繰り広げられていまして、「非モテ論壇」とかいう懐かしワードが思い出されて今私が瀕死ですが大丈夫。生き延びていろんなこと、懐かしんでいきたいですよ?
 大勢の書き手たちが生み出した大量の長文をがっつり読んでこれまでのやり取りの内容をしっかり踏まえた上で、自分の意見を長文で素早く書くことが前提となっている、たいそう参加ハードルの高いバトルでしたね、今思い返すと。そりゃもうああいうの流行らないわ、ブログに人生捧げたような人間が大勢いないとあんなの無理ですもの。
 そんでまあ2006年に盛り上がった話題の一つに「なぜ人は結婚したがるのか」というものがあったのです。

 一緒にいたいだけなら結婚という形式は必ずしも必要ないじゃんとか(元にフランスなんかは事実婚めちゃくちゃ多いですしねえ)。
 税制的に優遇されるとかそういう実利のために、結婚するわけ? とか。
 もうそもそも結婚という形式にとらわれる必要ないんじゃない? とか。
 ただ結婚したほうがいいという思い込みにとらわれているんだよ俺たちは! とか。
 なんか、そんな話がされていたんじゃなかったかなあ……?
 というか大昔過ぎて私の記憶もぼやっぼやですよ。やばい。インターネッツはログが残るから読み返せるとかいうのは錯覚ですからね、ログだってどんどん消えていくから、もうすべてが霧の中です。
 ええとまあ、それで当時の私が思った、結婚したい理由について書いた文章がこれだったんですけれども。
white-cake.hatenadiary.com


 あれから月日が流れ、セキゼキさんがウツになったとき、私は具体的で切実な理由で、またしても結婚したくなっていました。
 捜索願、出したい。
 あったりまえなのですが、家族じゃないと出せないんですよ捜索願。
 一緒に住んでいる恋人です、十年来の親友です、長年苦楽を共にしているパートナーです。
 とか名乗っても駄目なのです。
 まあ確かにストーカーだの借金取りだの悪意ある存在が身分を詐称して人探しをする可能性、めっちゃありますもんね。
 私は失踪者の家族であると、そう証明できる人間だけが捜索願を出せるというのは、けっこう妥当な話です。

 公的な証明。つまり家族。
 血縁がない人間同士が、そういう立場になろうと思ったら法的な手続きが必要なのです。
 セキゼキさんと私が成年養子縁組をするとか。
 私がセキゼキさんのご両親の養女になるとか、その逆でセキゼキさんをうちの両親の養子にしちゃうとかね。
 そんな手もありますけど、現代日本で公的証明を必要とする二人組が異性同士の組み合わせの場合は、結婚しちゃうのが一番手っ取り早いんですよね。
 そりゃ同性婚を求める人たちがいらっしゃるわけですよ。ないと困りますよねこういう手段。
 公的な証明というのは、お互いが健康で金にも困っておらず、ハッピーでいられる間はなくても無問題ですが、どちらかが病んだり怪我したり貧しくなった時には、ないとすっごくきついんです。
 捜索願いだけじゃないです。
 パートナーが倒れたときの緊急連絡先になりたいとか。
 今すぐ手術をしないと死んでしまう状態のパートナーが意識を失った状態で、だから代わりに承諾書にサインしなきゃいけないとか。
 生きるか死ぬかのぎりぎりの瀬戸際で、一歩踏み込んで相手を助けるための行動をする権利は、公的な繋がりがなければ得られないんです。

 私は結婚というものに毛筋ほどのドリームも抱かずに生きてきました。ということは全くなく、たとえばウェディングドレスを着て人生で一番綺麗になれる日っていいよなとか、新婚旅行って素敵な響きですよねラスベガス行きたいとか、まあそういうふわっとしたことは思いましたし、いいじゃんねえ! ふわふわした夢が心を支えるときもありますよねそりゃあ!? ブライダルフェアとかレストランウェディングとか、なんかそういうふわふわフレーズに憧れるでもいいじゃないか、にんげんだもの
 でもそういう理想の結婚とか結婚式とかそういうものは、ウツで調子が悪くなってちょくちょく姿を消すセキゼキさんの前ではマジでぜんぶ要らないなと感じました。結局私には、縁がなかったのだと。

 そういえば小学生くらいの頃は、「空を飛ぶ」ということに憧れて、教室の窓からぼーっと外を見てはあの空を飛びたいと、延々考えていました。
 そして周囲の大人たちが特にそういう憧れを持たずに生きていて、小学生に比べれば経済的にも恵まれていて自由もある彼らが、特に飛ぼうとしないことが、なんだか不思議でしょうがなかったのでした。
 飛行機に何度も乗るとか、パラグライダーやスカイダイビングを始めるとか、その気になればかなり「空を飛ぶ」に近いことができるはずなのに。
 私は空を飛びたいし、友達に話を聞いても「わかる! 飛びたい」という答え返ってくるし、だからきっと大人たちだって昔は空を飛びたい子供だったんじゃないかという気がするのに。
 なぜ大人になったら、そうじゃなくなるんだろう?

 そして現在、私は特に空を飛ぼうとはしない大人になりました。憧れのすべてが消えたわけではありませんが、それでもだいぶ薄くなっています。
 どうして空を飛ぼうとしないの?
 少なくとも私に関して言えばその答えは、空を飛ぶよりもやりたかったり大事だったりするものが増えてしまったからです。
 お金も時間も有限で、空を飛ぶ以外のことのほうに、それを使いたいから。

 そして似たようなことが、結婚という事柄に対しても起きました。
 お金も時間もそれほどなくて、人生で一度に結婚できる相手は一人しかいない、そういう限られたものを、私は誰にどう使いたいか。
 結婚できる相手の限定一枠は、捜索願その他のためにセキゼキさん用にする。
 お金や時間は憧れのためではなく、働くことができないセキゼキさんとの生活のために、できるだけ使わないで結婚を簡素に済ませる。
 答えはおそろしく簡単に、考えるまでもなく下りてきたのでした。

 にもかかわらず私のその答えを、プロポーズを、セキゼキさんはあっさり断ったわけなんですけれどもね。なんだよもう。

『むしろウツなので結婚かと』第17話~逃げても怖いなら攻略だ?

 本日10月6日に『むしろウツなので結婚かと』の第17話が無料公開されました。
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 身近な誰かがウツになってしまった時、一番の恐怖は自殺で、二番めは失踪なんじゃないかと私は個人的に思っています。
 単純に、私がその二つをむちゃくちゃ恐れていたというだけなんですけど。
 この恐怖にどう対応するのがよいのか、みたいな話を今回はします。

 まず自殺について言いますと、遠い昔に「完全自殺マニュアル」を読んでいたという事実は、私にとってずいぶん助けになりました。
 出版当時は賛否両論あった本ですし、たとえばウツで具合の悪かった頃のセキゼキさんがあの本をもし読むようなことがあったらと考えるとゾッとしますので、全肯定するにはためらいがあるのですが、私自身はあの本にとても感謝をしています。
完全自殺マニュアル」を読んでまず感じるのは、「自殺って思ったよりもずいぶん難しいんだな」ということです。
 たとえば公序良俗に反しないためにも具体的な名前は出しませんけれど、精神科でよく処方されるある薬の致死量は、体重50kgのひとなら4万3千錠飲んで死亡率50%などと言われています。
 選べるなら痛みのない楽な死に方をしたいとひとは思いがちなわけですけど、それは全然簡単なことではないんだなということを、「完全自殺マニュアル」は教えてくれました。
 たいてい確実に死ねるであろう方法というのは辛かったり痛かったりするし、それでもなお死ねなくて苦しみ損になったりすることもあるし、楽そうな死に方というのは成功率が低かったり実行が困難だったりするのです。
 私はセキゼキさんが自殺したらどうしようと不安になる都度、あの本の内容を思い返して気持ちを落ち着けました。。
 大丈夫、自殺はそんなに簡単じゃない。セキゼキさんが死のうとしても、だからってそれが成功するとは限らない。むしろ未遂に終われば、そこから医療保護入院の道がひらけるかもしれないんだから、あまり後ろ向きに考えるのはやめよう。
 そんな風に。
 まあ、自殺未遂で医療保護入院という道のどこが前向きなんだという気はしますけれど、それでもそう思うことで、気持ちは少し楽になったのでした。

 知識はひとを救います。自殺についての情報をいくらか持っていたということが、私をずいぶん助けてくれました。
 私は学生時代、医学部の先輩に訊いたことがありました。
 薬を飲みすぎてぐったりとした人が目の前にいたら、どうすればいいか。
 救急車を呼ぶのはもちろんとして、それ以外に何が出来るか。
 ミステリで自殺に見せかけるために大量の薬を飲ませるシーンが出てきたけど、こういうのって可能なのかなと思ったから、ふと思いついて訊いたのです。
 まさか好奇心が赴くままにしたあの質問が、十年以上経ってからむっちゃ役立つことになるとは思いもよりませんでしたよね。人生ほんと何があるかわかりません。

 先輩の答えは大体こんなかんじでした。
「じゃあ、救急車を呼んで、その到着を待っている間にできることという前提で答えるよ」
「まず、薬の包装シートが残っていないか確認すること。できればそれを持って救急車に乗るか、救急隊員に渡す。何を飲んで具合が悪くなったのかわかれば、適切な処置ができるから、薬の種類を特定できる情報は重要。包装シートが見つからなければ、お薬手帳でも薬の入っていた袋でもなんでもいいから、特定に繋がりそうなものを探しておく」
「それともう一つ。低下してしまっている意識レベルを少しでも引き上げることを試みるんだ。具体的には刺激を与える。大きな声で名前を呼んで、あとはまあ……痛覚刺激が効果的かな」
 この教えが頭に残っていたからこそ、私はセキゼキさんが薬をのみすぎて眠り込んでいる現場に遭遇した時、まず彼をひっぱたいて起こすことができました。
 その後、からの包装シートを数え、これで死ぬことはないと安心することができました。

 共倒れにならないようにしよう。
 自分まで暗い気持ちにならないで。
 ウツの人が身近にいると、よくそんなことを人に言われます。まったくもって正しい。正しいけれど、じゃあそのためにはどうすればいいのか? という具体的な部分は、あまり教えてもらえません。
 くよくよしないほうがいいとか、気の持ちようだとか、物事を明るくとらえようとか、そういう心がけみたいなことは、けっこう聞くんですけれども。
 だけど人間って、
「はーい、わかりました。だったら今日から明るいことだけ考えようとおもいまーす!」
 と宣言すればその言葉通りに明るいことだけを考えることができる生き物でしょうか?
 私は違うと思います。
 そういう事ができるひともいるかもしれないし、いたらすごいけど、だけどそういうひとばかりだったら、世の中もっと悩みは少ないはずじゃありませんか。
 考えたくないことも考えてしまうし、そこから簡単に逃げられないから、ひとは悩むんじゃないでしょうか。
 セキゼキさんが自殺したらどうしようと考えることを、私はやめることができませんでした。やめてよいとも思いませんでした。だって実際、怖くてたまらないんですから。考えるのは辛くて怖いけど、考えないで無策でいる間に取り返しのつかないことが起きるのもやっぱり、怖かったのです。
 そういう時、思い切ってその恐怖に近づき、取り組んでみるのも一つの方法なのではないでしょうか。
 わからないものをわからないまま怖がるのではなく、事実を知り、知識を蓄えて、対処法を考える。
 そんな知識や対策が実際には使われること無く立てること終わる可能性のほうが、高いとは思います。
 けれど、無駄ではありません。取り組み、学び、考えることで、ひとは闇雲に怖がることをやめ、現実に対処することができるようになるのだと、私は思います。

『むしろウツなので結婚かと』第16話~白飛びした世界

 本日9月15日に『むしろウツなので結婚かと』の第16話が無料公開されました。
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 16話の中に、シロイがアパートに向かって急ぎ、セキゼキさんの幻影を見るシーンが出て来ます。
 そのあたりのことについて、ちょっと話そうと思います。
 と言っても、自分でもアレがなんだったのか、未だにわからないのですが。

 あの日、セキゼキさんのメールを受け取ってからの私は、とにかく平静ではありませんでした。
 階段をのぼって隣のホームに渡り、電車が来るのを待っている時間がやたらに長く感じられたのは覚えています。
 ですが電車が来たときのことは、記憶にありません。
 それは今だから、過去を振り返って思い出せないというのとも、少し違います。
 なぜなら電車の中ではっとして
「いつの間に乗ったんだろう?」
 と訝しく思った記憶があるからです。気がついたら、電車に乗っていた。
 電車の中で携帯を何度も握りしめ、セキゼキさんにかけては
(電車の中からマナー違反だ。どうしよう……。)
(でも非常事態なんだ。今かけないでどうする?)
 と逡巡したのは覚えています。そんなことをしている間にもぼろぼろと涙がこぼれ、傍から見ればさぞみっともないだろうと、ぼんやり考えたことも。
 けれどその後のことは、やはり記憶にないのです。
 気がついたら私は、アパートの近くの道を、歩いていました。
 相変わらずみっともなく泣き続けており、汗もかいていました。夏の日差しに照らされたアスファルトがやたら白っぽく見え、そこに汗と涙と鼻水が落ちて、黒いしみのように見えると思いながら目線を上げた次の瞬間。
 あれが起きたのです。

 私はその時、角を曲がろうとしていました。
 その角の向こうから光が膨れ上がるのが見え、その光が世界中を真っ白に照らし出しました。
 視界全体が白飛びした、見えるのに見えない世界。
 そのどこまでも白い世界の中に、くろぐろとした長い影が地平線まで伸びているのだけが、わかりました。

 私はこれまでの人生、あらゆる神秘とほとんど無縁に生きてきました。
 オカルト話はけっこう好きなのです。コリン・ウィルソンの「世界不思議百科」は中学時代の愛読書の一つで、何度も何度も読み返しました。
 けれど私自身の上を、本物の不思議が訪れることはありませんでした。
 私は常に、味気ないくらい地に足のついた、現実的な現実しか知らずにいたのです。
 けれどあの瞬間の、あの真っ白な世界だけは違いました。

 私はあれが、予知や啓示や預言だとは思いません。
 追い詰められ、疲れた脳の見せた幻覚なのだろうと、そう考えています。
 ですがあの真っ白な世界の中で、自分の心に唐突で絶対的な理解がすとんと下りてきたことは、忘れられません。
 そしてあの理解が間違っているとも思わないのです。

 真っ白な世界は、私のこれからの人生で過ごすであろう、明るく幸福な昼が連なったものでした。
 そしてセキゼキさんがいなくなればこの先、私のすべての明るい昼の上には黒い影が落ちるのだと、私はそう悟ったのです。
 たくさんの私と、セキゼキさんが見えました。
 明るい昼の中、私はすべての曲がり角でセキゼキさんの影を見つけていました。
 道の向こうのバス停でバスを待つ人の中に立っていて。
 対向車線を走る車のハンドルを握っていて。
 見知らぬ人たちの集合写真の端で。
 駅で隣のホームを見れば。
 ショッピングモールで。
 レストランで。
 電車で通り過ぎたオフィスビルの窓際に。
 セキゼキさんの気配に、私は何度も気づくのでしょう。何年経っても何十年経ってもそれは続き、私はその度走ってその影に追いつこうとして。
 絶対に、追いつくことはないのです。
 セキゼキさんは今この瞬間、生と死の危うい瀬戸際をさまよっており、もしも彼がその淵の向こう側に落ちてしまうようなことがあれば、私の生涯には決して消えぬ傷ができるのだと、私は知りました。
 その傷が私を、セキゼキさんの影を求めて何度も走らせることになるのだろうと。

 親しい誰かとの別れというのは、どれもそういうものなのかもしれません。
 消えない傷、続く痛み。ぽっかりとあいた穴を抱えながら、もういない人の面影を見出し続けるのが、残された者の常なのでしょう。

 白い世界は始まったときと同じように唐突に終わりましたが、得てしまった理解だけが残りました。

 そして私は号泣しながら走り出したのです。
 もしも間に合わなければ今後の人生で何十回と繰り返すことになるであろう虚しい疾走の、これが最初の一回目になるのかもしれないと、そう思いながら。

『むしろウツなので結婚かと』第15話~そのひと手間がかけられない

 本日8月18日に『むしろウツなので結婚かと』の第15話が無料公開されました。
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 当時、セキゼキさん(仮名)の調子が崩れ始めていることに気づく朝ほど、最悪なものはありませんでした。
 起きて部屋の様子を見れば、不調の波の訪れがわかるのです。
 寝ようとしても眠れなかった苦闘の跡が、あちこちに残っています。本やゲームが乱雑に散らばり、全く片付けられていない。
 興味深いような気もするし、当たり前のような気もすることですが、セキゼキさんの調子が悪くなると途端に部屋は汚くなります。
 昔読んだ本に「サバイバルで最も重要な心得は、疲れ切らないことだ」という一節がありました。
 疲労困憊するまで活動した人間は、「やったほうがいいひと手間」をかけられなくなるというのです。
 たとえば雨が降りそうな空の下テントを張るならば、水はけの良い場所を選ぶとか、溝を掘るとか、そういうひと手間ですね。
 余力があれば「念の為やっておくか」と思えることをやるのが、疲れ切った人間にはたまらなく億劫になり、
「これくらいやらなくてもいいか」
 となってしまう。あるいは、
「やったほうがいいな」
 ということを思いつくことすらなくなる。
 最低限のことしかできなくなり、その積み重ねが生き延びる可能性を低くしていくと、そういう話です。
 部屋が綺麗じゃなくても死にはしないというのは本当、けれど片付いた部屋のほうが衛生的で健康な生活に繋がりやすいのも本当。
 だからセキゼキさんの調子がある程度よければ、たとえ眠れない時間があったとしても彼は、ざっと片付けてから眠りにつきます。
 けれど。
 調子が崩れ始めたセキゼキさんは、それができなくなります。ただ生きるだけで疲れ切ってしまうのでしょう。
 あとひと手間がかけられなくなり、そのために余計な手間が増え、それがわかっていながらもできない自分に苛立ち、けれどその悪循環を断ち切るだけの気力も当然のように湧かない。そういう日々がやってきていることを「散らかった部屋」が端的に示してくれるのでした。
 片付けをしながら私はしばしば、この先の数日がどうなるかを想像して、重い気持ちになりました。
 本音を言えばそういう時、私はものすごく仕事に行きたくないのでした。不調の波につかまってしまったセキゼキさんは、とても不安定で危うくなるので、できればそばに付き添っていたかったのです。
 だけど不調は、一日で終わるものではないのです。どの程度長引くかはその時によって違いましたが、短くとも数日は続きましたし、大抵は不調初日よりも二日目や三日目のほうがもっと悪くなりました。
 有休というのは枚数の限られたカードですから、ほいほい使うのは躊躇われます。調子がさほど悪くないときに休んで、もっと悪くなったときに休めないということになったら、元も子もない。
(まあたぶん今日セキゼキさんが、たとえば自殺する可能性なんて、1パーセントないくらいだろ……。)
 そう自分に言い聞かせて、これがもっと高い確率になったらその時休もうと決めて。
 けれどそう思う一方で、
(セキゼキさんのうつがよくなるまで、あとどのくらいかかるんだろうね?)
 そんな風に囁く自分がいるのも確かでした。
(1パーセントの確率で死ぬかもしれないチャレンジを、何回繰り返した頃によくなるのかな?)
(百回くらい、すぐなんじゃない? 1パーセントを百回繰り返すと、どうなるの?)
 もちろんわかっています、1パーセントを百回繰り返せば100パーセントになるわけではないってことは。
 だけどそれがなんなんでしょうね? 電卓を弾いて私が導き出したのは、半年後にはセキゼキさんは生きていない確率のほうが高いって、そういう答えなんですから。

 そして、そんなことを考えて私が落ち込んでいくというのも、またすごく良くないのでした。
 私の不調をセキゼキさんは敏感に感じ取り、自分の中でそれを増幅させていくようなところがありましたから。
 辛くて泣きたい。
 でもそれを隠さなくちゃいけない。
 私が本当の気持ちを出せる場所はどこにもない。
 セキゼキさんは私の辛さを知らない。
 知らせないために隠しているんだから当たり前だけど、でも知らないんだ!!! セキゼキさんが!! 原因なのにだよ!!!!!
 みたいな気持ちがうわあああーっと膨れ上がったこの朝、
「やだなぁ、もう」
 の一言に繋がってしまったんですよね。
 その結果、私の好不調に対してのアンテナ感度が異常に研ぎ澄まされていたセキゼキさんに、眠っていたのに届いてしまったという……。

 なんかね。
 あの朝、どうするのが正解だったんでしょうね。
 もちろんあの一言が余計だったこと、言わなければよかったってことはわかっているんですよ。
 だけどあの頃の自分が、そういう悲鳴のような一言を、一度も口に出さずに過ごすことが可能だったとは、未だに思えないんですよね。
 セキゼキさんの不調を感じ取る最悪の朝、明るく健全で堅牢な気持ちのままでいられたとは、絶対に思えないんです。
 私は必ず落ち込んだし、そのことをかけらも表に出さないのは無理だっただろうと思います。
 絶対にどこかでぽろりと出てしまっただろうと。
 だから、自分の行動が間違いだったことはわかるのに、タイムマシンでさかのぼっても、あの時間違わずに済んだ道なんてないんじゃないかと、そんな風に思ってしまうのです。
 そういう瞬間が、いくつもあるのです。

『むしろウツなので結婚かと』第14話~ピンク髪ツインテメイドに変換の刑

 本日7月28日に『むしろウツなので結婚かと』の第14話が無料公開されました。
comic-days.com

 正直に言ってしまいますと、あの頃の私はセキゼキさんに対して始終腹を立てていました。
 セキゼキさんが徹夜して体調を崩す都度、腹を立てました。
 会社のみんなが怒っている俺なんかもうだめだ終わりにしたいどうせシロイにも迷惑をかけているとか、そういう後ろ向きなことを延々というのを聞いてはむかむかしていました。
 全部病気のせいなのだということは、わかっていました。眠れないのもそうだしやたらと後ろ向きなのもそうだし、だからセキゼキさんにはどうしようもないんだってことは、理解しているつもりだったのです。
 社会の接点がたったひとつ私だけになってしまったセキゼキさんは、私の気分の変化や好不調に恐ろしく敏感で、影響を受けやすくなっていました。
 ですから、私が怒ると事態はいつも悪化しました。ただでさえ調子の良くないセキゼキさんがさらに絶望するようなことになるからです。
 だから私はしょっちゅう腹を立てては、それをぐっと押し殺していました。
 怒りをセキゼキさんに向けてはいけないということが、よくわかっていたからです。
 だけど同時に、こんなひたすらな我慢が長持ちしないだろうということも、なんとなくわかっていました。
 押さえつけた怒りや苛立ちが、そのまま消えることはまずないからです。
 知人で以前、普段はとても穏やかなのに、何かの拍子に激烈な怒りを示す人がいました。
 滅多に怒ることがない人なのに時々、おそろしく些細でどうしようもないことで長時間、いくらでも怒り続けるのです。
 この話を聞いてある人が言いました。
「それは怒りのジャックポットだ。その人は日頃のストレスを抑圧して全部一つのポットに溜めていくんだろう。そして、たまたまそれが溢れるタイミングで怒らせてしまった人が、全部の怒りをかぶることになるんだよ」
 怒りのジャックポット
 この表現は、あまりにもしっくりきます。実際そういうことってあるな、という気がします。
 抑圧された負の感情は消えずにくすぶり続け、思わぬところで溢れ出すものなのです。 そう考えていくと、セキゼキさんに対してしょっちゅう腹を立てつつ、それを我慢するという流れが非常に良くないものであることは明らかでした。
 セキゼキさん以外の人に八つ当たりするようなことになったら、理不尽で最悪ですし。
 かといってセキゼキさん本人に怒りをぶつければ、地獄の釜の蓋が開くのです。
 怒りのコントロールが必要でした。

 私が立てた対策は二つでした。
 まず、発生した怒りをアウトプットしてしまう。
 人に話すのでもいいし、紙に書き出すのでもいい。
 胸の中に溜め込んでいるもやもやを、一度言語化するだけでも、だいぶスッキリします。
 言語化するために起きた出来事を整理していくと、自分の勘違いや思い込みに気づいて、それだけで怒りが沈静化することもありますし。
 ただ、アウトプットってそれなりに面倒なんですよね。
 他人に愚痴をこぼすというのも、相手の負担を考えればそれほどしょっちゅうやらないほうがいいわけで。適度な愚痴の量とタイミングを考えなきゃいけない。
 紙に書き出すのだってそれなりに時間と手間を要します。
 それにまあ、私のアウトプットをもしもセキゼキさんが目にするようなことがあったら、怒りを直接ぶつけるのと同じくらい、あるいはそれ以上のダメージになっちゃいますし。

 というわけでこの頃私が取り組んでいた方法がもう一つ、そもそもあまりむかつきを感じないようにしようということでした。
「この現実をゲームとして考えよう。セキゼキさんはゲームのキャラだと思うことにしよう」
 というのも、そのための試みの一つだったのです。
 現実ではなくゲームの中の出来事、キャラクターだと思うことで心理的な距離をとることができれば、怒ることも減るだろうって考えですね。
 まあ実際には当時はそこまで整理して考えていたわけではないですが。

 昔住んでいたアパートで、隣の部屋にすごく怒りっぽくてしょっちゅう怒鳴り声をあげるひとが住んでいたことがありました。
 とにかくいろんなことに怒って部屋の中で足を踏み鳴らしたり壁を叩いたり叫びだしたり厄介な人で、この人について詳しく書くとそれだけでショートホラーみたいになるんですが、今回は割愛します。
 この隣人に一度、私はものすごく意表をつかれたことがあります。
 台風の日の夜のことでした。
 風が吹き雨が降り窓枠はがたがたと揺れて自然現象だけでもたいへんうるさかったのですが、それにプラスして隣人の激怒する声が聞こえてきます。
「あああああ、うっるせえんだよ!」
 などと叫んでいるのが聞き取れてしまう。また音がよく抜けるアパートだったんですよね。隣人のWindowsの起動音が聞こえてしまうくらいでしたから。
 どかどかっと床を踏みつけたかと思うと隣人が、ガラガラと窓を開け、ベランダに出たのがわかりました。
 こんな台風の日にびしょ濡れになるだろうにどうして、と思ったのですがその疑問はすぐに氷解しました。
「うるせえんだよやめろよさっきからガタガタガタガタいい加減にしろよ!」
 と彼が虚空に向かって怒鳴り始めたからです。
 この隣人はとにかく物音というのに敏感で、アパートの廊下の足音やドアを開け閉めする音(どちらも音量は普通程度)が聞こえただけでもドア越しに怒鳴ったりする人でした。
 その、すべての物音に対してダメ絶対許さないという精神を持った彼にとって、台風の音は耐え難いうるささだったのです。
 もちろん私は驚きました。
 台風に対して腹を立てたことは、私にはありませんでした
 大雪や強風長雨、そういった自然現象に対して怒ったこともありません。

 さて私は、セキゼキさんに対してしょっちゅう腹を立てるようになった時、このかつての隣人と、彼が台風に向けた激烈な怒りのことを思い出しました。
 思えばなぜ、私は台風に対して腹を立てなかったのだろうと、考えたのです。
 まず第一に、そんなことをしても意味がないというのはあります。
 ですがそれを言えば、セキゼキさんも同じことです。
 怒っても意味がない。
 それが分かっているのになぜ、セキゼキさんが相手だと腹が立ってしまうのだろう?
 そうやって考えていくとそもそも台風には言葉が通じないしな、とか思い始めます。
 言葉が通じない相手に、何かを言うのが無駄だよな、と。
 つまり私は、台風に対して何も期待していないのです。台風が自分の為を思ってくれるわけ無いと、最初から思っている。
 そんなふうに期待がゼロであるならば、腹というのは立たないものなのだろうと、私は考えました。
 例えば壁に話しかける人間は、壁が相槌を打たなくても怒らないでしょう。
 穴を掘って愚痴をこぼす人間も、穴が慰めてくれないからって悲しんだりしない。
 相手が人間だから、人間である以上言葉が通じてこちらの意を汲んでくれたり、相槌を打ったり慰めてくれたり願いを聞いてくれるかもしれないと思うから。
 それなのにそうしてくれないから、腹が立ってしまう。
 そういうことなんだろうな、と私は結論づけました。
 怒っても仕方がない、ぜんぶ病気のせいだと頭ではわかっているようであっても、
局私はセキゼキさんは人間だと思ってしまいますし、人間が相手である以上、期待をゼロにすることもなかなかできない。
 では、セキゼキさんをゲームのキャラだと思ってみたらよいのでは? というのが私が頭の中でやっていたことです。
 これはそれなりに効果がありました。怒りはある程度抑えることができたのです。
 完全に、ではありません。
 ゲームキャラに対してだって私は腹を立てることがありますから、
 ゲームキャラというのは現実の人間ではないけれど、かなりそれに近い存在ではありますからね。
 けれど現実の人間に対する怒りで体調を崩したりすることはあっても、私自身はゲームキャラに対する怒りでそこまで酷い思いをすることはまずありません。
 セキゼキさんに対する怒りは、明らかに以前よりも目減りしました。
 それでもやはり、時々現実が目をそらすなとばかりにこちらに迫ってきます。
 目の前にいるコイツはキャラじゃなくて人間なんだよ、と。
 そんな時私は、頭の中でセキゼキさんを更に別のキャラクターに置き換えたりしていました。
 漫画の中ではアニメ調のイケメンにしたりしていますが、私の怒りが高まっている時の脳内セキゼキさんはしょっちゅう、
(ああもう貴様なんざこうしてやる!)
 という掛け声と共にピンク髪ツインテールでゴシック風メイド服を着用したロリ顔の巨乳美少女に変換されていました。
 さらに怒りが増すと猫耳としっぽがそこにプラスされ、「にゃん♪」とか「なりぃ♪」とかそういう語尾で喋るようになり、やたらくねくねあざといポーズで上目遣いをして動き回ることにされていました。
 私は一体何をやっているんだろうと、自分に呆れることもありましたが、今ならなぜ自分があんなことをしていたのか、わかります。
 私はより強烈に、セキゼキさんを非人間化したかったのです。
 現実の彼自身から遠ざけて、虚構の中にしか存在しないようなキャラクターに仕立て上げてしまいたかったのだと思います。