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だらだら書きますので、だらだら読んでもらえるとありがたく。

『むしろウツなので結婚かと』第21話~あなたが出した結論が正しい

 本日12月22日に『むしろウツなので結婚かと』の第21話が無料公開されました。これが最終話となります。
comic-days.com

 前回も書きましたけれど、約一年間にわたる連載におつきあいただいた皆様、ありがとうございました。
 無料公開時に合わせて更新してきた文章も、これが最後となります。

 連載中、一度こんな風に訊かれたことがありました。
「シロイさんと同じように、家族や身近な方がウツになり、どのように支えていけばいいのか、支えきれないのではないかと悩んでいる方も、読者の中にはいらっしゃるのではないかと思います。そのような方に、どんな言葉を届けたいですか? 乗り越えるためのアドバイスは何かありますか?」
 私はその時、こう答えました。
「状況は人によって様々ですから、こうすれば乗り越えられると言えるものは特に無いと思っています。あえて言うのならば、ウツの方を支えるのは大変なことですから、無理だと感じたらいつでも投げ出していいとと思うのです。それによって責任を感じなくてもよいと、私は思っています」
 私の答えを聞いた時に、質問なさった方がちょっと驚いたように目を見開いたのを覚えています。

 この『むしろウツなので結婚かと』という物語が公開されるにあたって、私が危惧していたことが二つありました。
 一つ目はセキゼキやシロイと同じような状況の方がこの物語を読んだ時に、
「この人達はうまくいったのに、自分たちがそうじゃないのはがんばりが足りないからなのか?」
 と思うこと。これについては前回書きました。
 どんなにがんばっても運が悪ければどうしようもないし、それほどがんばってなくても運が良ければなんとかなったりするものなのだから、自分のせいだと思わないでほしいと。

 そして二つ目は、シロイと似たような立場になった方が
「自分もなんとかして最後まで支えなくてはいけなんじゃないか。逃げ出しては駄目なんじゃないのか」
 と感じてしまうことです。
 これについて、今回は書きます。

 まず、セキゼキさんからすると違う意見があるでしょうが、私自身は私がいなくてもセキゼキさんはなんとかなっていたんじゃないかなあと思っています。
 物語を読んでもらえばわかるのですが、セキゼキさんが良くなったのは、医学によるサポートと休養によるものです。
 私がいなかったとしても、おそらく彼にはこの二つが与えられることになったでしょう。
 もちろんウツの人によくあることですが、セキゼキさんは当初、どちらも激しく拒絶していました。病院なんて嫌だ、休むなんて許されないと、抗い続けました。
 たまたま今回のケースでは、身近にいた私が彼を無理やり病院に引っ張っていき、会社に連絡して休職にこぎつけましたが、別にこれは他の誰が行っていてもおかしくないことです。
 働けず、電車にも乗れなくなっていたセキゼキさんは、私がいなかったとしても彼の家族や、あるいは会社の同僚の手で休まされ、病院に連れて行かれることになったでしょう。
 そのほうがシロイによる説得よりもよほどスムーズに進んだんじゃないかな、という気もしています。
 別にこれは、だから私のしたことが無価値だったと言いたいわけではありません。ウツになって最初に手を伸ばした相手が、その手を振り払わずにサポートに回ったということ自体は、セキゼキさんの精神に多少のプラスであっただろうとは思っています。
 人生なんてそんなもんでじゅうぶんです。どんなポジションだって代替可能だけれども、それでも自分がそこにいた事自体はほんのちょっとプラスだったんじゃないかなと、そう思えたら上々ですから。

 ですから今現在、劇中のシロイと同じような状況で、苦しんでいる方へ。
 あなたがそこにいて必死に支えよう、離れまいとしていることは、プラスです。状況を一気に好転させることができなくても、むしろ少しずつ悪化しているように感じることがあったとしても、実際にはプラスなのです。
 ウツは難しい病気ですから、魔法ようにいきなり何もかもよくなるようなことはありません。5000兆円もらえたらもしかするとかなり回復するかもしれませんが、そんなことは考慮に入れる必要はありません。
 今のあなたが自分がプラスであると感じられない、プラスだとしてもほんのわずかなものとしか思えないのだとしても、実はそれで大きなことなのです。だからまず、ご自分を責めるようなことはなさらないでください。

 そしてまた、もう耐えられない、離れたい、でも離れたらこの人がどうなるか、と心配して苦しんでいる方へ。
 他の誰がなんと言おうと、あなたがもう無理だ、離れるしかないと感じたのなら、それは正しい。私はそう思います。
 もう無理だと感じるということは、あなたはがんばったということです。
 離れるしかないと思ったのなら、あなたは賢く判断しているということです。
 ウツはおそろしい病気です。共倒れになることも珍しくありません。
 一番大事なのは、そのおそろしい病気から一人でも多くの人が無事に生還することです。見捨てるようで離れられないと思っている間にあなたまで倒れたのならば、犠牲者が一人増えてしまいます。
 あなたが誰よりも優先して助けなくてはならない人間が一人います。あなた自身です。頭の上のハエを追えってやつです。あなたは全力であなたをきっちりしっかり守った上でそれでも余力がある場合にのみ、他人に手を伸ばせばいいのです。
 あなたが離れた結果、相手の方に最悪の事が起こるかもしれません。
 ですがそれは、決してあなたのせいではないのです。だってあなたがいても同じようなことは起きたかもしれない。
 私がいてもセキゼキは、マンションから飛び降りました。もう数階ぶん階段をのぼっていれば、彼は死んでいました。そんなものです。
 それにあなたがいなくなったとしても、相手の方が亡くなるとは限らない。この世はなかなか複雑な因果律で動いています。もしかしたらあなたがいなくなることで病状が悪化しすぎて、相手の方は自殺することすらできなくなり、結果的に生き延びる、ということだってじゅうぶんにありえるわけですから。

 悩み苦しんだ結果、あなたが出した結論を、私は支持します。
 離れたほうが賢いと思っていても離れられない方。そういうことってありますよ。賢く振る舞うことが必ずしも良い結果に繋がるわけじゃないんですから、あなたの気が済むようにすればよい。
 がんばっているのに事態が好転せず、悩んでいる方。そういうこともありますよ。運が悪いときは、何をしても駄目なものです。少し休んでみてもよいのでは? 元気になったら、今度はうまくいくかもしれない。うまくいかなかったとしても、元気になっただけプラスでしょ? いずれにせよ、あなたは悪くありません。
 離れたくないけど、離れることにした方。あなたはとても重要な決断をしました。あなたの人生なのですから、あなたは自身を最優先する義務があります。生き延びてください。

 もしもあなたが私のごく身近な人間であれば、こんな風に支持することはできないかもしれません。
 目の前にいて、状況がいろいろ見えてしまえば、つい何かを思ってしまったりしますからね。そうしたら口をつぐんでしまうかもしれません。
 だって自分の発言で目前の状況が変化したらと思うと、責任を恐れてしまうので。
 ですが幸か不幸か、あなたは私のそばにいるわけではありませんので。ですから私は、無責任かもしれませんが、あなたを支持します。
 逃げてもいいし、逃げなくてもいい。いずれにせよ、あなたはご自身を責めないでください。
 あなたが自分をしっかり優先して、十分考えた末に出した結論ならば、それこそが正しいのです。

『むしろウツなので結婚かと』第20話~運が良いとか悪いとか

 本日12月8日に『むしろウツなので結婚かと』の第20話が無料公開されました。
comic-days.com


 最終話である21話につきましては、既に本日有料公開されております。
 約一年間にわたる連載を無事終えることができました。
 ありがとうございました。

 エピソード無料公開時に更新してまいりましたこの駄文も、今回と次回で終了となります。ですのでこの二回は、個々のエピソードに対してではなく、私が個人的に思っていることを書かせていただきます。

 現在、セキゼキさん(仮名)の症状は寛解し、IT系の正社員として無事社会復帰できております。2010年には私と結婚し、2015年には娘のノノミさん(仮名)も生まれました。
 まあなんというか「二人で力を合わせて苦境を乗り越えた幸せにたどりついた」物語ってかんじがしますよね。美談ぽく見える気がします。違うのに。
 という言い方すると、「その裏には事情があって実はとっても不幸!」と言いたがっているようですが、そういうわけでもありません。
 現時点での人生、不満も不安も苦労もそれなりにありますが、そういうのが一切ない人生というのはたぶんどこにも存在しないと私は思っていますので、いいのです。現状わりとハッピーなら満足です。
 なのになんで私はこの「美談ぽさ」にひっかかってしまうのかというと、私は自分たちが「単純に運が良かった」だけだと思っているからですね。ラッキーなストーリーではあっても、美談じゃねえよなあと。

 私はインターネットでウツの当事者の方や、その周りの方の書いた文章を目にしています。
 その中に、セキゼキさんとほぼ同時期にウツを発症したパートナーを亡くしてしまった方の文がありました。愛情と悔恨と苦痛と悲嘆のこもったその文を読んだあと、私はしばらく身動きもできなくなりました。
 その方の過去の文も遡って読みました。亡くなったパートナーへの細やかな気配りと愛情が、そこには溢れていました。手強い病について懸命に学び、必死に努力していたことが伝わってくる文でした。その方の愛情と献身がどれほどパートナーを支えていたか、想像するに難くありませんでした。
 けれどその方のパートナーは、死を選びました。
 この人と私の違いはなんだろう、と私は打ちのめされながら考え、答えはすぐに見つかりました。
「セキゼキさんは高所恐怖症だった」
 それだけなのです。セキゼキさんだって、一度は本気で死を選んだのですから。彼が高所を恐れない人間で、あと数階ぶん余計に階段をのぼっていたら、セキゼキさんはもう、この世にはいなかったのです。

 よく言われがちなことですが、人生というのは「運ゲー」としての側面をたぶんに持っているのです。あなたも私もこれまで生き延びてこられたのは、少なからず運に味方されたがゆえなのです。
 鉄骨や雷が私の上に落ちてきたことはありません。私は生涯で何度か飛行機に乗っていますが、一度も墜落しませんでした。落とし穴に足を踏み入れたこともなく、通り魔に出くわしたこともなく、不治の病に悩まされたこともなかった。。
 すべて偶然です。そういった突発的な不幸に出くわさないで済む程度には、これまでの私は運が良かった。そしてこれは、手柄でもなんでもないわけです。
「私の上には鉄骨が一度も落ちてきたことないんだよ。えっへん」
 などと胸を張って誇る人間がいたら、大抵の人は
「何言ってるんだコイツ」
 と思うでしょう。
「すごいでしょ徳が高いでしょ美談でしょ」
 と言い出したら
「はっ? どこが?」
 と呆れるでしょう。

 ですから、『むしろウツなので結婚かと』という物語は、美談ではないのです。ただ運の良かった人間が生き延びる、その過程を描いているだけなのですから。
 あの中に出てくるセキゼキもシロイも、ごく平凡な人間です。優秀でもないし強くもなく心ばえが特段優れているわけでもありません。ちょっと運が良かっただけで。
 ほんの少し何かが違っていれば、もっと不幸になっていたでしょう。

 なので原案者としてすごく思うことは、セキゼキやシロイと似たような状況の方があれを読んだとき
「どうして自分たちはまだ救われていないんだろう?」
「自分は彼らと比べて足りない部分があるのだろうか?」
 と思ったりしないといいな、ということなんです。
「ああ自分がだめだったから、あの人は帰らぬ人になってしまったのだ」
 とか
「あの人が治らないのは、そばにいるあなたが駄目だからなんじゃないか」
 とかそういうことも思わないでくれるとありがたいなあ、と。
 ただちょっと運が悪いんだ、まだ運が向いていないんだと、そう思ってほしいなあと。

 もちろん、運は全てではないです。
 私は極端な悲観と極端な楽観は実はすごく似ているのではないか、と思っています。
 自分は完全無欠の幸運に恵まれるから一切の努力をしなくても必ず願いは叶うと思う人間と、自分は不運にまみれているからどんな努力をしても必ず全ての災厄に襲われるに違いないと考える人間は、たぶん同じ選択をするはずです。
 すなわち、無為。
 結果を左右するのが運しかないのであれば、そもそもすべての努力は無駄なのです。
 だけどそれは違うんですよね。だって100%の幸運も不運も、現実には滅多にないんだから。
 完全無欠では決してない幸運を掴むためには、自分ができることはやっておいたほうがいい。
 人事を尽くして天命を待つって、言いますものね。全部運だから何をしても無駄、何もしなくてもいいってわけじゃない。
 だけどできる限りのことはやり尽くして、自分の全てを振り絞って、それでもうまくいかないことはあるのです。あってしまうのです。あるのだということを、認めましょう。
 だからあなたが、不必要に自分を責めずに済みますように。
 それが私の願いです。

『むしろウツなので結婚かと』第19話~自殺願望チェックのススメ

 本日11月17日に『むしろウツなので結婚かと』の第19話が無料公開されました。
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 ウツを患った人は、『自殺』とかいう物騒なヤツと急接近してしまうんだなということを、私はセキゼキさんにまざまざと実感させられました。
 当然のことながら私はこれが嫌で嫌で仕方なく
「お願いだから『死にたい』なんて言わないで」
 と言っていたわけですが、まあこれは今思い返すと最大級の愚策でしたね。
 だって「し」と「に」と「た」と「い」を繋げて発音することをやめたからって、心の中の死にたい気持ちは別になくなったりはしないんですから。
 ただ、こちらからはそれが見えなくなるだけです。見えないから、安心してしまう。見えないことと存在しないことは、イコールではないというのに。
 臭いものに蓋をしているだけです。そうやって偽りの安心にあぐらをかいて、何かを解決したような気持ちになって、蓋の下がどうなっているのか、私は長い間気付かないままでいたのです。
 違いますね。
 実際には、完全に気付かないでいることは無理でした。セキゼキさんの調子が悪い時はそれがわかりましたし、そうなってしまえば口に出さなくなって希死念慮が彼の中で渦を撒いているのだろうということは、さすがに予想がつきましたから。
 だけど私は疲れていたので、「死にたい」「終わらせたい」とこぼすひとに、「そんなのやめてくれ」と頼み続けてだけど何も変わらない数時間にうんざりしていたので、その厄介さから逃れるために、ただセキゼキさんに
「『死にたい』なんて言わないで」
 とお願いしていたわけです。
 本当に大事なことは「死にたい」という言葉を聞かずに済むことではなく、セキゼキさんに死なれないことだというのに、わからなくなっていたのです。

 実際にセキゼキさんから遺書めいたメールを送られ、彼が私の知らないうちに自殺未遂をしていたことを知って、私は自分が間違っていたことを悟らざるを得ませんでした。
 というか、当たり前なんですよね。
 たとえば
「○○くんと付き合うのはやめなさい。ああいう子と仲良くしないで」
「私はもう、○○くんの話がききたくありません。わかるわね?」
 みたいなことを親が言ったとして、それがまあ心からの心配によるものだったとしてもですよ。
 子供は素直に言うことを聞いてくれるとは限らない。
 人によっては親の目を盗んで、隠れて友達付き合いをするようになるでしょう。
 仮に問題の○○くんとの親交が薄れたとしても、今後は自分の交友関係を親に教えるのはやめようと、そう考えるかもしれません。
 どうせ反対される、どうせ干渉される、どうせ理解されないなら、すべて隠したほうがマシだと、そう考えるのはごく自然なことですし、正しくもあります。
 その結果、スタート時点では純粋に子供を心配しているだけだった、子供のことを知りたい、道を踏み外したりしてほしくないと思っていたはずの親は、子供に対する巨大な無理解を抱えることになるでしょう。

 自分が嫌だから不快だからという理由で、相手の気持ちや行動に闇雲に反対したり制限したりしようとすることは、結局かなり無意味なんだろうというのが、現時点での私の意見です。
 そんなことをすれば、相手は隠れてしまうだけなんですよ。締め付けを強くすれば、もっと巧妙に隠れていく。最初はあったはずの対話の可能性もうしなわれ、見えないところで想像以上に事態は酷く進行していくかもしれないのです。
 キャピュレット家のジュリエットちゃんと、モンタギュー家のロミオくんなんか、交際を反対されたせいでティーン・エイジャーがいろいろと暴走しちゃってやらかして最悪の結果になりましたでしょ。
 あれなんか、不快な気持ちをぐっとこらえて周りが一度は二人の気持ちを受け入れていたら、ティーン・エイジャーの未熟な恋でしょ、
「ねえママ……ロミオってなんか、時々すごく子供っぽいの。それに、鼻毛が出ている時があるのが気になるわ。なんだか冷めちゃった」
 みたいなことをジュリエットちゃんが言い出して、さらっと終わった可能性もあります。
 終わらなかったら? その時はその時でしょうがないでしょ、縁があったということですよ! どっちみち他人の人生をコントロールしたいという願望、かなり邪悪ですから。我が子といえども思い通りにしたらあかんよ。
 まあこんなわけのわからないif語りをしなくたって、禁酒法を制定した結果、ギャングが酒売って大儲けして、アル・カポネとか大活躍する結果に繋がっちゃったでしょ。もうそれが答えだと私は思っています。
 酒は確かに害の甚だしい飲み物ですし、嫌う人や廃絶したいと思う人が大勢いるのは理解できますが、だからって禁じればいいってものではないのです。

 というわけで、私は方針転換してセキゼキさんに「死にたい気持ち」をオープンにしてくれるよう、お願いしました。
 オープンにしてもらったら、そっちのほうが断然よかったですね。
 まずセキゼキさんの調子の善し悪しが、かなりはっきりとわかるようになりました。隠されなくなったからです。
 そしてもう一つ、マンガの中でもありますが、セキゼキさんの『自殺計画』みたいなものを事前に知ることで、対策がとれるようになったことです。
 まず計画にイチャモンをつけることで、それを実行しようという気を萎えさせることができますし、計画を知っていればそれが失敗しやすい方向に持っていくこともできます。
 たとえば作中に出てきた「床に包丁を固定してそこに倒れ込む」という方法、これはセキゼキさんが実際に何度も口にしていたやつなのですが、そんなことをもし実行しようとしたら失敗するよう、誘導をかけることができるわけです。
「床に包丁をどうやって固定するの? やっぱりガムテープかな」
 と言って、セキゼキさんにガムテープ固定方式を刷り込んだ上で、家の中にあるガムテープを全て粘着力の弱いものにすり替えておく。とかね。
 実際には、粘着力強かろうが弱かろうがそんな方法でうまく死ねるとはあまり思えませんが、そういうことをしておくと、私自身が安心できるわけです。

『むしろウツなので結婚かと』第18話~なぜひとは結婚したがるのか?

 本日10月27日に『むしろウツなので結婚かと』の第18話が無料公開されました。
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 インターネット老人会に所属する者として大昔の話をいきなり始めてしまうんですけれども、時はそう2006年。
 日本のインターネッツの中に「はてな村」と呼ばれる地域がありました。
 あの頃のはてな村では日々いろんな「論争」が繰り広げられていまして、「非モテ論壇」とかいう懐かしワードが思い出されて今私が瀕死ですが大丈夫。生き延びていろんなこと、懐かしんでいきたいですよ?
 大勢の書き手たちが生み出した大量の長文をがっつり読んでこれまでのやり取りの内容をしっかり踏まえた上で、自分の意見を長文で素早く書くことが前提となっている、たいそう参加ハードルの高いバトルでしたね、今思い返すと。そりゃもうああいうの流行らないわ、ブログに人生捧げたような人間が大勢いないとあんなの無理ですもの。
 そんでまあ2006年に盛り上がった話題の一つに「なぜ人は結婚したがるのか」というものがあったのです。

 一緒にいたいだけなら結婚という形式は必ずしも必要ないじゃんとか(元にフランスなんかは事実婚めちゃくちゃ多いですしねえ)。
 税制的に優遇されるとかそういう実利のために、結婚するわけ? とか。
 もうそもそも結婚という形式にとらわれる必要ないんじゃない? とか。
 ただ結婚したほうがいいという思い込みにとらわれているんだよ俺たちは! とか。
 なんか、そんな話がされていたんじゃなかったかなあ……?
 というか大昔過ぎて私の記憶もぼやっぼやですよ。やばい。インターネッツはログが残るから読み返せるとかいうのは錯覚ですからね、ログだってどんどん消えていくから、もうすべてが霧の中です。
 ええとまあ、それで当時の私が思った、結婚したい理由について書いた文章がこれだったんですけれども。
white-cake.hatenadiary.com


 あれから月日が流れ、セキゼキさんがウツになったとき、私は具体的で切実な理由で、またしても結婚したくなっていました。
 捜索願、出したい。
 あったりまえなのですが、家族じゃないと出せないんですよ捜索願。
 一緒に住んでいる恋人です、十年来の親友です、長年苦楽を共にしているパートナーです。
 とか名乗っても駄目なのです。
 まあ確かにストーカーだの借金取りだの悪意ある存在が身分を詐称して人探しをする可能性、めっちゃありますもんね。
 私は失踪者の家族であると、そう証明できる人間だけが捜索願を出せるというのは、けっこう妥当な話です。

 公的な証明。つまり家族。
 血縁がない人間同士が、そういう立場になろうと思ったら法的な手続きが必要なのです。
 セキゼキさんと私が成年養子縁組をするとか。
 私がセキゼキさんのご両親の養女になるとか、その逆でセキゼキさんをうちの両親の養子にしちゃうとかね。
 そんな手もありますけど、現代日本で公的証明を必要とする二人組が異性同士の組み合わせの場合は、結婚しちゃうのが一番手っ取り早いんですよね。
 そりゃ同性婚を求める人たちがいらっしゃるわけですよ。ないと困りますよねこういう手段。
 公的な証明というのは、お互いが健康で金にも困っておらず、ハッピーでいられる間はなくても無問題ですが、どちらかが病んだり怪我したり貧しくなった時には、ないとすっごくきついんです。
 捜索願いだけじゃないです。
 パートナーが倒れたときの緊急連絡先になりたいとか。
 今すぐ手術をしないと死んでしまう状態のパートナーが意識を失った状態で、だから代わりに承諾書にサインしなきゃいけないとか。
 生きるか死ぬかのぎりぎりの瀬戸際で、一歩踏み込んで相手を助けるための行動をする権利は、公的な繋がりがなければ得られないんです。

 私は結婚というものに毛筋ほどのドリームも抱かずに生きてきました。ということは全くなく、たとえばウェディングドレスを着て人生で一番綺麗になれる日っていいよなとか、新婚旅行って素敵な響きですよねラスベガス行きたいとか、まあそういうふわっとしたことは思いましたし、いいじゃんねえ! ふわふわした夢が心を支えるときもありますよねそりゃあ!? ブライダルフェアとかレストランウェディングとか、なんかそういうふわふわフレーズに憧れるでもいいじゃないか、にんげんだもの
 でもそういう理想の結婚とか結婚式とかそういうものは、ウツで調子が悪くなってちょくちょく姿を消すセキゼキさんの前ではマジでぜんぶ要らないなと感じました。結局私には、縁がなかったのだと。

 そういえば小学生くらいの頃は、「空を飛ぶ」ということに憧れて、教室の窓からぼーっと外を見てはあの空を飛びたいと、延々考えていました。
 そして周囲の大人たちが特にそういう憧れを持たずに生きていて、小学生に比べれば経済的にも恵まれていて自由もある彼らが、特に飛ぼうとしないことが、なんだか不思議でしょうがなかったのでした。
 飛行機に何度も乗るとか、パラグライダーやスカイダイビングを始めるとか、その気になればかなり「空を飛ぶ」に近いことができるはずなのに。
 私は空を飛びたいし、友達に話を聞いても「わかる! 飛びたい」という答え返ってくるし、だからきっと大人たちだって昔は空を飛びたい子供だったんじゃないかという気がするのに。
 なぜ大人になったら、そうじゃなくなるんだろう?

 そして現在、私は特に空を飛ぼうとはしない大人になりました。憧れのすべてが消えたわけではありませんが、それでもだいぶ薄くなっています。
 どうして空を飛ぼうとしないの?
 少なくとも私に関して言えばその答えは、空を飛ぶよりもやりたかったり大事だったりするものが増えてしまったからです。
 お金も時間も有限で、空を飛ぶ以外のことのほうに、それを使いたいから。

 そして似たようなことが、結婚という事柄に対しても起きました。
 お金も時間もそれほどなくて、人生で一度に結婚できる相手は一人しかいない、そういう限られたものを、私は誰にどう使いたいか。
 結婚できる相手の限定一枠は、捜索願その他のためにセキゼキさん用にする。
 お金や時間は憧れのためではなく、働くことができないセキゼキさんとの生活のために、できるだけ使わないで結婚を簡素に済ませる。
 答えはおそろしく簡単に、考えるまでもなく下りてきたのでした。

 にもかかわらず私のその答えを、プロポーズを、セキゼキさんはあっさり断ったわけなんですけれどもね。なんだよもう。

『むしろウツなので結婚かと』第17話~逃げても怖いなら攻略だ?

 本日10月6日に『むしろウツなので結婚かと』の第17話が無料公開されました。
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 身近な誰かがウツになってしまった時、一番の恐怖は自殺で、二番めは失踪なんじゃないかと私は個人的に思っています。
 単純に、私がその二つをむちゃくちゃ恐れていたというだけなんですけど。
 この恐怖にどう対応するのがよいのか、みたいな話を今回はします。

 まず自殺について言いますと、遠い昔に「完全自殺マニュアル」を読んでいたという事実は、私にとってずいぶん助けになりました。
 出版当時は賛否両論あった本ですし、たとえばウツで具合の悪かった頃のセキゼキさんがあの本をもし読むようなことがあったらと考えるとゾッとしますので、全肯定するにはためらいがあるのですが、私自身はあの本にとても感謝をしています。
完全自殺マニュアル」を読んでまず感じるのは、「自殺って思ったよりもずいぶん難しいんだな」ということです。
 たとえば公序良俗に反しないためにも具体的な名前は出しませんけれど、精神科でよく処方されるある薬の致死量は、体重50kgのひとなら4万3千錠飲んで死亡率50%などと言われています。
 選べるなら痛みのない楽な死に方をしたいとひとは思いがちなわけですけど、それは全然簡単なことではないんだなということを、「完全自殺マニュアル」は教えてくれました。
 たいてい確実に死ねるであろう方法というのは辛かったり痛かったりするし、それでもなお死ねなくて苦しみ損になったりすることもあるし、楽そうな死に方というのは成功率が低かったり実行が困難だったりするのです。
 私はセキゼキさんが自殺したらどうしようと不安になる都度、あの本の内容を思い返して気持ちを落ち着けました。。
 大丈夫、自殺はそんなに簡単じゃない。セキゼキさんが死のうとしても、だからってそれが成功するとは限らない。むしろ未遂に終われば、そこから医療保護入院の道がひらけるかもしれないんだから、あまり後ろ向きに考えるのはやめよう。
 そんな風に。
 まあ、自殺未遂で医療保護入院という道のどこが前向きなんだという気はしますけれど、それでもそう思うことで、気持ちは少し楽になったのでした。

 知識はひとを救います。自殺についての情報をいくらか持っていたということが、私をずいぶん助けてくれました。
 私は学生時代、医学部の先輩に訊いたことがありました。
 薬を飲みすぎてぐったりとした人が目の前にいたら、どうすればいいか。
 救急車を呼ぶのはもちろんとして、それ以外に何が出来るか。
 ミステリで自殺に見せかけるために大量の薬を飲ませるシーンが出てきたけど、こういうのって可能なのかなと思ったから、ふと思いついて訊いたのです。
 まさか好奇心が赴くままにしたあの質問が、十年以上経ってからむっちゃ役立つことになるとは思いもよりませんでしたよね。人生ほんと何があるかわかりません。

 先輩の答えは大体こんなかんじでした。
「じゃあ、救急車を呼んで、その到着を待っている間にできることという前提で答えるよ」
「まず、薬の包装シートが残っていないか確認すること。できればそれを持って救急車に乗るか、救急隊員に渡す。何を飲んで具合が悪くなったのかわかれば、適切な処置ができるから、薬の種類を特定できる情報は重要。包装シートが見つからなければ、お薬手帳でも薬の入っていた袋でもなんでもいいから、特定に繋がりそうなものを探しておく」
「それともう一つ。低下してしまっている意識レベルを少しでも引き上げることを試みるんだ。具体的には刺激を与える。大きな声で名前を呼んで、あとはまあ……痛覚刺激が効果的かな」
 この教えが頭に残っていたからこそ、私はセキゼキさんが薬をのみすぎて眠り込んでいる現場に遭遇した時、まず彼をひっぱたいて起こすことができました。
 その後、からの包装シートを数え、これで死ぬことはないと安心することができました。

 共倒れにならないようにしよう。
 自分まで暗い気持ちにならないで。
 ウツの人が身近にいると、よくそんなことを人に言われます。まったくもって正しい。正しいけれど、じゃあそのためにはどうすればいいのか? という具体的な部分は、あまり教えてもらえません。
 くよくよしないほうがいいとか、気の持ちようだとか、物事を明るくとらえようとか、そういう心がけみたいなことは、けっこう聞くんですけれども。
 だけど人間って、
「はーい、わかりました。だったら今日から明るいことだけ考えようとおもいまーす!」
 と宣言すればその言葉通りに明るいことだけを考えることができる生き物でしょうか?
 私は違うと思います。
 そういう事ができるひともいるかもしれないし、いたらすごいけど、だけどそういうひとばかりだったら、世の中もっと悩みは少ないはずじゃありませんか。
 考えたくないことも考えてしまうし、そこから簡単に逃げられないから、ひとは悩むんじゃないでしょうか。
 セキゼキさんが自殺したらどうしようと考えることを、私はやめることができませんでした。やめてよいとも思いませんでした。だって実際、怖くてたまらないんですから。考えるのは辛くて怖いけど、考えないで無策でいる間に取り返しのつかないことが起きるのもやっぱり、怖かったのです。
 そういう時、思い切ってその恐怖に近づき、取り組んでみるのも一つの方法なのではないでしょうか。
 わからないものをわからないまま怖がるのではなく、事実を知り、知識を蓄えて、対処法を考える。
 そんな知識や対策が実際には使われること無く立てること終わる可能性のほうが、高いとは思います。
 けれど、無駄ではありません。取り組み、学び、考えることで、ひとは闇雲に怖がることをやめ、現実に対処することができるようになるのだと、私は思います。

『むしろウツなので結婚かと』第16話~白飛びした世界

 本日9月15日に『むしろウツなので結婚かと』の第16話が無料公開されました。
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 16話の中に、シロイがアパートに向かって急ぎ、セキゼキさんの幻影を見るシーンが出て来ます。
 そのあたりのことについて、ちょっと話そうと思います。
 と言っても、自分でもアレがなんだったのか、未だにわからないのですが。

 あの日、セキゼキさんのメールを受け取ってからの私は、とにかく平静ではありませんでした。
 階段をのぼって隣のホームに渡り、電車が来るのを待っている時間がやたらに長く感じられたのは覚えています。
 ですが電車が来たときのことは、記憶にありません。
 それは今だから、過去を振り返って思い出せないというのとも、少し違います。
 なぜなら電車の中ではっとして
「いつの間に乗ったんだろう?」
 と訝しく思った記憶があるからです。気がついたら、電車に乗っていた。
 電車の中で携帯を何度も握りしめ、セキゼキさんにかけては
(電車の中からマナー違反だ。どうしよう……。)
(でも非常事態なんだ。今かけないでどうする?)
 と逡巡したのは覚えています。そんなことをしている間にもぼろぼろと涙がこぼれ、傍から見ればさぞみっともないだろうと、ぼんやり考えたことも。
 けれどその後のことは、やはり記憶にないのです。
 気がついたら私は、アパートの近くの道を、歩いていました。
 相変わらずみっともなく泣き続けており、汗もかいていました。夏の日差しに照らされたアスファルトがやたら白っぽく見え、そこに汗と涙と鼻水が落ちて、黒いしみのように見えると思いながら目線を上げた次の瞬間。
 あれが起きたのです。

 私はその時、角を曲がろうとしていました。
 その角の向こうから光が膨れ上がるのが見え、その光が世界中を真っ白に照らし出しました。
 視界全体が白飛びした、見えるのに見えない世界。
 そのどこまでも白い世界の中に、くろぐろとした長い影が地平線まで伸びているのだけが、わかりました。

 私はこれまでの人生、あらゆる神秘とほとんど無縁に生きてきました。
 オカルト話はけっこう好きなのです。コリン・ウィルソンの「世界不思議百科」は中学時代の愛読書の一つで、何度も何度も読み返しました。
 けれど私自身の上を、本物の不思議が訪れることはありませんでした。
 私は常に、味気ないくらい地に足のついた、現実的な現実しか知らずにいたのです。
 けれどあの瞬間の、あの真っ白な世界だけは違いました。

 私はあれが、予知や啓示や預言だとは思いません。
 追い詰められ、疲れた脳の見せた幻覚なのだろうと、そう考えています。
 ですがあの真っ白な世界の中で、自分の心に唐突で絶対的な理解がすとんと下りてきたことは、忘れられません。
 そしてあの理解が間違っているとも思わないのです。

 真っ白な世界は、私のこれからの人生で過ごすであろう、明るく幸福な昼が連なったものでした。
 そしてセキゼキさんがいなくなればこの先、私のすべての明るい昼の上には黒い影が落ちるのだと、私はそう悟ったのです。
 たくさんの私と、セキゼキさんが見えました。
 明るい昼の中、私はすべての曲がり角でセキゼキさんの影を見つけていました。
 道の向こうのバス停でバスを待つ人の中に立っていて。
 対向車線を走る車のハンドルを握っていて。
 見知らぬ人たちの集合写真の端で。
 駅で隣のホームを見れば。
 ショッピングモールで。
 レストランで。
 電車で通り過ぎたオフィスビルの窓際に。
 セキゼキさんの気配に、私は何度も気づくのでしょう。何年経っても何十年経ってもそれは続き、私はその度走ってその影に追いつこうとして。
 絶対に、追いつくことはないのです。
 セキゼキさんは今この瞬間、生と死の危うい瀬戸際をさまよっており、もしも彼がその淵の向こう側に落ちてしまうようなことがあれば、私の生涯には決して消えぬ傷ができるのだと、私は知りました。
 その傷が私を、セキゼキさんの影を求めて何度も走らせることになるのだろうと。

 親しい誰かとの別れというのは、どれもそういうものなのかもしれません。
 消えない傷、続く痛み。ぽっかりとあいた穴を抱えながら、もういない人の面影を見出し続けるのが、残された者の常なのでしょう。

 白い世界は始まったときと同じように唐突に終わりましたが、得てしまった理解だけが残りました。

 そして私は号泣しながら走り出したのです。
 もしも間に合わなければ今後の人生で何十回と繰り返すことになるであろう虚しい疾走の、これが最初の一回目になるのかもしれないと、そう思いながら。

『むしろウツなので結婚かと』第15話~そのひと手間がかけられない

 本日8月18日に『むしろウツなので結婚かと』の第15話が無料公開されました。
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 当時、セキゼキさん(仮名)の調子が崩れ始めていることに気づく朝ほど、最悪なものはありませんでした。
 起きて部屋の様子を見れば、不調の波の訪れがわかるのです。
 寝ようとしても眠れなかった苦闘の跡が、あちこちに残っています。本やゲームが乱雑に散らばり、全く片付けられていない。
 興味深いような気もするし、当たり前のような気もすることですが、セキゼキさんの調子が悪くなると途端に部屋は汚くなります。
 昔読んだ本に「サバイバルで最も重要な心得は、疲れ切らないことだ」という一節がありました。
 疲労困憊するまで活動した人間は、「やったほうがいいひと手間」をかけられなくなるというのです。
 たとえば雨が降りそうな空の下テントを張るならば、水はけの良い場所を選ぶとか、溝を掘るとか、そういうひと手間ですね。
 余力があれば「念の為やっておくか」と思えることをやるのが、疲れ切った人間にはたまらなく億劫になり、
「これくらいやらなくてもいいか」
 となってしまう。あるいは、
「やったほうがいいな」
 ということを思いつくことすらなくなる。
 最低限のことしかできなくなり、その積み重ねが生き延びる可能性を低くしていくと、そういう話です。
 部屋が綺麗じゃなくても死にはしないというのは本当、けれど片付いた部屋のほうが衛生的で健康な生活に繋がりやすいのも本当。
 だからセキゼキさんの調子がある程度よければ、たとえ眠れない時間があったとしても彼は、ざっと片付けてから眠りにつきます。
 けれど。
 調子が崩れ始めたセキゼキさんは、それができなくなります。ただ生きるだけで疲れ切ってしまうのでしょう。
 あとひと手間がかけられなくなり、そのために余計な手間が増え、それがわかっていながらもできない自分に苛立ち、けれどその悪循環を断ち切るだけの気力も当然のように湧かない。そういう日々がやってきていることを「散らかった部屋」が端的に示してくれるのでした。
 片付けをしながら私はしばしば、この先の数日がどうなるかを想像して、重い気持ちになりました。
 本音を言えばそういう時、私はものすごく仕事に行きたくないのでした。不調の波につかまってしまったセキゼキさんは、とても不安定で危うくなるので、できればそばに付き添っていたかったのです。
 だけど不調は、一日で終わるものではないのです。どの程度長引くかはその時によって違いましたが、短くとも数日は続きましたし、大抵は不調初日よりも二日目や三日目のほうがもっと悪くなりました。
 有休というのは枚数の限られたカードですから、ほいほい使うのは躊躇われます。調子がさほど悪くないときに休んで、もっと悪くなったときに休めないということになったら、元も子もない。
(まあたぶん今日セキゼキさんが、たとえば自殺する可能性なんて、1パーセントないくらいだろ……。)
 そう自分に言い聞かせて、これがもっと高い確率になったらその時休もうと決めて。
 けれどそう思う一方で、
(セキゼキさんのうつがよくなるまで、あとどのくらいかかるんだろうね?)
 そんな風に囁く自分がいるのも確かでした。
(1パーセントの確率で死ぬかもしれないチャレンジを、何回繰り返した頃によくなるのかな?)
(百回くらい、すぐなんじゃない? 1パーセントを百回繰り返すと、どうなるの?)
 もちろんわかっています、1パーセントを百回繰り返せば100パーセントになるわけではないってことは。
 だけどそれがなんなんでしょうね? 電卓を弾いて私が導き出したのは、半年後にはセキゼキさんは生きていない確率のほうが高いって、そういう答えなんですから。

 そして、そんなことを考えて私が落ち込んでいくというのも、またすごく良くないのでした。
 私の不調をセキゼキさんは敏感に感じ取り、自分の中でそれを増幅させていくようなところがありましたから。
 辛くて泣きたい。
 でもそれを隠さなくちゃいけない。
 私が本当の気持ちを出せる場所はどこにもない。
 セキゼキさんは私の辛さを知らない。
 知らせないために隠しているんだから当たり前だけど、でも知らないんだ!!! セキゼキさんが!! 原因なのにだよ!!!!!
 みたいな気持ちがうわあああーっと膨れ上がったこの朝、
「やだなぁ、もう」
 の一言に繋がってしまったんですよね。
 その結果、私の好不調に対してのアンテナ感度が異常に研ぎ澄まされていたセキゼキさんに、眠っていたのに届いてしまったという……。

 なんかね。
 あの朝、どうするのが正解だったんでしょうね。
 もちろんあの一言が余計だったこと、言わなければよかったってことはわかっているんですよ。
 だけどあの頃の自分が、そういう悲鳴のような一言を、一度も口に出さずに過ごすことが可能だったとは、未だに思えないんですよね。
 セキゼキさんの不調を感じ取る最悪の朝、明るく健全で堅牢な気持ちのままでいられたとは、絶対に思えないんです。
 私は必ず落ち込んだし、そのことをかけらも表に出さないのは無理だっただろうと思います。
 絶対にどこかでぽろりと出てしまっただろうと。
 だから、自分の行動が間違いだったことはわかるのに、タイムマシンでさかのぼっても、あの時間違わずに済んだ道なんてないんじゃないかと、そんな風に思ってしまうのです。
 そういう瞬間が、いくつもあるのです。