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だらだら書きますので、だらだら読んでもらえるとありがたく。

はじまりはいつも雨。たぶん終わりも

私はよく傘をなくします。傘を買っても大体三ヶ月もてばいいほうで、大抵数回使えばなくします。
そもそも傘は嫌いです。あれは邪魔なものだと思っています。
持ち歩くのも嫌、さして歩くのも嫌。雨が降ってもできるだけ傘は持たずにでかけますし、傘を持っているときに雨が降っても、よほど雨足が強くならない限りさしません。
おかげで雨が降っている日は、通行人にぎょっとした顔で見られることが多いです。
街中の人全員が傘をさしているのに、私だけ傘をとじたまま歩いているのが原因と思われます。

さて。三つ子の魂百までと申しますが、私の傘が嫌い症候群は子どもの頃から始まっていまして、高校時代は四日連続で四本の傘を紛失し、母にむちゃくちゃに怒られたりしました。
私自身も自分があまりにもしょっちゅう傘をなくすことにほとほとうんざりしており、なんとかこの悪癖を克服するすべはないものかと悩んでいました。
そして、大学一年の秋、突如転機は訪れました。


私はデパートの売り場で、素晴らしく美しい傘をみつけ、それに惚れこんでしまったのです。
今でもはっきりと覚えています。それは黒に近い濃紺の縁取りがついた優美な白い傘でした。
白地に黒の縁というのは別段珍しいデザインではなく、その後も似たような傘はたくさんみかけましたが、なぜかどの傘もあの『傘』と比べると妙にぱっとせず垢抜けない印象を受けました。
おそらくあの『傘』の色合いや形が、突出して洗練されていたのでしょう。


私は貧乏な学生でして、その傘はあきらかに分不相応に高級なものであったのですが、私は一時間ほど売り場をうろついて悩んだ挙句、ATMに走ってお金を下ろし、傘を買いました。
今まで服にしろバッグにしろ、気に入って購入したものはいくつかありますが、私があれほど強い執着を抱いたのは、あの傘に対してだけです。
おろしたお金を財布に入れるのももどかしく、札を握り締めたままレジに駆け寄ったのを覚えています。


そして、『傘』と私の蜜月が始まりました。
朝起きて、窓の外を見て、雨だと気づく。以前ならそんなとき憂鬱であったはずなのに、私は喜びの声をあげて飛び起きるようになりました。
『傘』は日傘としても使えるようなものではなく(そんなところも私は愛していたのですが)、それゆえに晴れた日に『傘』と出かけることはできない。だから私は、雨が降ると大喜びでベッドを飛び出したのです。今日は『傘』を持って歩ける、『傘』をさすことができる、と。
建物の中に入るために傘立てに『傘』をさすとき、私はいつも、胸がちくんと痛みました。『傘』と離れるのが辛かったのです。少し歩いて振り返ると、『傘』は傘立ての中でひっそりと白く輝き、微笑みながら私を見送っているように見えました。
用事が終わると、私は小走りに傘立てに駆け寄り、辛抱強く私を待っていた『傘』と再会します。それは喜びに満ちた体験で、私はとうとう傘をなくさない人間になりました。
美しい『傘』は、私の頭の中で常にうっすらとした光を帯びて存在しており、それゆえに『傘』のことをうっかりと置き忘れるようなことは、絶対に有り得なくなったのです。


『傘』のように美しい品物は、誰かが心底惚れこまずにいられないような優美な品は、持ち主が誰であろうと、平等にその美をもって仕えてくれます。
『傘』は紛れもなく私には分不相応な品でした。けれど『傘』はもっとふさわしい主人のためではなく、貧乏な学生である私の為にも、その美を出し惜しみすることはありませんでした。
静かに、忠実に、忍耐強く、私の生活を彩ってくれたのです。


ある雨の日、私は友人と出かけました。私が『傘』を開くと、彼女はほうっと息を吐き、
「何度見てもほんとに綺麗な傘だねえ」
とつぶやきました。私は『傘』が誇らしくてたまらず、美しい恋人を褒められたような気持ちになって、「ありがとう」と応えました。
その日、『傘』と私の蜜月が終わってしまうのだとは、思いもしないで。
店から出るとき、私は傘立てを見てすぐに、『傘』が消えていることに気づきました。
「かさがない」
私が青ざめた顔でつぶやくと、友人は「一緒に探そう」と間髪入れずに応え、私たちはしばらく傘立てをあらためました。
もちろん、私にはいくら探しても『傘』がそこにはないことはわかっていました。あれほど美しい物は、画然とそこに存在するか、はっきりと消えるのかのどちらかであって、他のたくさんの傘の中になんとなく埋もれてしまうなんてことは、有り得ないのですから。それでももしかしたら、と希望を抱かずにはいられなかったのです。


不意に友人が「あっ」と言いながら、一本の傘を手に取りました。
「すごい偶然、これ、シロイのと同じ傘だ……うーん、だからって、これは持ち帰りたくないよねえ……」
そこにあったのは、まぎれもなく『傘』と同じメーカー、同じデザインの傘でした。違うのは状態だけ。
私の『傘』には汚れひとつなく、すべてが新品のときのままの状態だったの対し、その傘はあちこちが汚れ、骨が大きく曲がっていたのでした。
私は本来ならば『傘』と同じだけの美しさを持っていたはずの傘が、酷使されて見る影もない姿になっていることに胸が痛みました。
玉手箱を開けた後の浦島太郎のように、『傘』の上を長い年月が通り過ぎていったような錯覚。
「同じ傘だから、間違えたんだねきっと……私はこの傘をさして帰るよ」
「ええっ、だってこの傘、ずいぶん傷んでるよ? ほんとにいいの?」
「いいよ、いいよ、同じ傘なんだから」
私にはその傘が、長年連れそった夫に、老いたからという理由で追い出され、若い女にとってかわられた往年の美女のように見えました。
『傘』もいずれはそのような目に遭うとすればあんまりだ。ならば私はせめて、この老いた傘を、もとの主人の代わりに労わろう。そんな感傷的な考えが、浮かんできてしまったのでした。


私は帰宅後、老いた傘が乾くのを待ってから、曲がった骨をなんとか伸ばし、柄についた汚れをふき取りました。傘の皺やひきつれが、だいぶ目立たなくなりました。
すべての汚れをとることはできませんでしたが、それでも老いた傘は往年の美しさをわずかばかり取り戻したように見えました。
老いた傘はそれからしばらく、私と共にひっそりと暮らしました。


『傘』が居た頃のように、雨の日が待ち遠しくなることはありませんでした。むしろ雨が降るたびに私は、老いた傘がいつまでもちこたえることができるか、不安になりました。
けれど新しい傘を買って代わりに使うのは老いた傘の誇りを傷つけることのように感じられて、私は老いた傘を使い続けました。
そして老いた傘もせいいっぱい、働き続けてくれたと思います。心なしか少しずつ、老いた傘は「老い」を振り捨て、かつての姿に戻っていくように思われました。


その雨の日、私は老いた傘と共に大勢の人が集まる場所に出かけました。
二時間後、私が帰ろうとして傘立てを見ると、今度は老いた傘が姿を消していました。
私はうろたえて老いた傘を捜し続け、その間にも人々は帰り続け、傘はどんどん減りました。
最後の数本だけが残ったとき、とうとう私は、白地に黒の縁取りの、『傘』や老いた傘とよく似たデザインでありながら、実際には与える印象がまるで異なる傘がそこにあることに気づきました。
取り違えが、また起こったのです。
『傘』や老いた傘の持つ優美さを欠きながら、それでも見た目は似ている傘を私は呆然と見つめ、それからきびすを返して、その場所を立ち去りました。
雨は相変わらず降り続けており、私の髪も衣服も靴も、すべてがぐっしょりと濡れましたが、それでも私はよく似ていながらまるで別の白黒の傘を、手に取ることはできませんでした。


それから私の傘嫌いは、いっそう拍車がかかりました。
もちろん、それからも雨の日を鮮やかに彩ってくれる洒落た傘、感じの良い傘を、私はたくさん見ました。その中の何本かを、買ったこともありました。
けれどどの傘も『傘』ではなく、老いた傘でもないのです。どの傘を手にしても私は、これは一時の代用品だと感じてしまいます。
いつかまた、『傘』のように私が心底ほれ込んでしまような傘が、目の前に現れることがあるのでしょうか。
それともあれは、学生が貧しさゆえに高級な傘を実際以上に美しく思い込んでしまったために起きた一種の錯覚で、もう一度『傘』にめぐり合えたとしても、私はあれほどの美を見出すことはできず、がっかりして終わるのでしょうか。
初恋の人との再会が、しばしば小さな失望をもたらすように。


今日も窓から見える雲はどんよりと重い。雨が降るのかもしれません。
私はきっと、傘をささずに出かけるでしょう。
愚かしい振る舞いなのはわかっていますが、それでも。