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だらだら書きますので、だらだら読んでもらえるとありがたく。

ブログが作るヌーディストビーチ

職場で私の隣の隣の隣の席に座ってらっしゃるグワ課長(仮名)は、実はネットの世界ではけっこうな有名人でいらっしゃるのです。
「シロイさん、今度『グワ日常茶飯事』(仮題)で検索かけてみなよ。グワ課長のブログ見つかるよ」
などと普通に周囲のひとに教えられたりして。グワ課長のブログは万人に向けて開かれており、職場でもぜんぜん隠してないのですね。
「これがグワ課長のブログ……あれ、私このブログ知ってるぞ」
それは私が以前、はてな注目のエントリーを適当に見て回っているときに訪れたことのあるブログでした。定期訪問するほどのお気に入りにはならなかったものの、書いてある内容には好感を抱いた記憶があります。
「というか、よく見りゃ課長、ブログに写真も置いてるじゃないか。気づけよ自分。どれちょっと腰を据えて読んでみるか………………あれ?」
なんでだかわからないけど、ものすごく落ち着かない。グワ課長のブログ、なぜだかぜんぜん読めない……。ブログ主の正体を知る前は普通に読めたブログなのですから、記事の内容が原因で落ち着かないわけではないのは確かです。
じゃあなんで。どうしてこんなに落ち着かないのか、まるでわからない。わからないという事実が更に私を混乱させます。


グワ課長の職場での雰囲気はクールな切れ者キャラというかんじです。
しかしグワ課長は決してそれだけのひとではなく、ユーモアというかお茶目というか、そういう部分も持ち合わせていらっしゃるということが、話をするとわかります。
んで。
グワ課長のブログは冷静で落ち着いていて、鋭さを秘めた切れ者っぽいビジネス風味のブログなのですが、そこに趣味の話とかがほどよくブレンドされているので堅い印象があまりなく、とっつきやすく好感度高めです。職場のグワ課長の印象とあまり変わりません。
だけどだけど。
それではブログ主としてのグワさんとグワ課長がまったく変わらないかかというと、それもやはり違うのですね。
たとえばグワ課長のブログには少女漫画のレビューとか、2ちゃんねるコピペ改変ネタとかが載っているわけですが、職場でグワ課長がそういう話をするかといったらしないわけです。
職場のグワ課長の堅さと柔らかさのブレンドが8:2だとすると、ブログは6:4みたいな。
ブログのグワ課長と職場のグワ課長は、確かに同一人物なのですが、見え方が少し違うわけです。職場で触れ合うだけなら絶対に見えないはずの角度のものを、ブログを通して覗き見る事ができるのです。


覗き見る。
なるほど、だから私は落ち着かないのか、覗きをしている気持ちになってしまうから、謎が解けたな、と私は納得しかけたのですが、しかし考えてみるとやはりそれも違う。
覗きというのは、見られたくなくて隠しているはずのものを無理矢理見ることだと思うのですね。着替えとか入浴シーンとか。
しかしグワ課長のブログは完全オープン制。見てよい範囲のものしか置いてない。まったく隠してないし、無理矢理じゃない。
なのに落ち着かない。ナゼ。


と、ここまで考えて気づいたのですが、私もブログを持っています。もしも私がブログを持っていない立場で課長のブログを見つけたらどうでしょう。今のように落ち着かない気持ちだったでしょうか?
「たぶん違う……」
おそらくブログ持ちじゃない私がグワ課長のブログを見つけたら、何も考えず嬉々としてそれを読むでしょう。感想を課長に語ったりするでしょう。


どうやら私が落ち着かないのは、
「グワ課長は職場の顔もブログの顔もオープンにしている」
「それに対して私はブログのことは職場ではひたかくし」
ということに対する後ろめたさがあるからのようです。
後ろめたさ、というとちょっと違うのですが。
私はグワ課長のブログを読んでいると、「ヌーディストビーチに迷い込んだたった一人の着衣人」みたいな気持ちになるのですねどうやら。


私は自分が職場でブログを隠していることは正当であると確信しています。毎日服を着て生活しているのと同じくらいに当然のことだと思っています。
ですが。
以前、ラスベガスでショーガールたちが乳丸出しでにこやかに晴れやかに誇らしげに堂々と踊っているのをみたとき私は、
「生まれたままの姿をさらして何が悪いの? 隠すほうがむしろ不自然じゃなくって?」
と言われている気がして、着衣状態で観客席にいる自分の存在が妙に恥ずかしくなったことがあるのですが、あれと同じかんじ。


なぜブログを隠す?
隠すようなことを書いているのか?
心オープンに生きようぜハレルヤ!
まずはその重たい衣服を脱ぎ捨てるところから始めようぜ、オーイエー!!


と言われているかんじ? 言われてないけど。
いやいやいや、なんか危険、すごく危険、やっぱり隠すべきものはあるよ世の中には絶対あるよ、あるってばあるってばあるってば!
私にこんな葛藤を味わわせるこのブログはなるべく避けるんだ、読むのをやめろっ!!
という指令が脳の奥から出ているようです。だから落ち着かないんだと思います。今気づきました。

しかしこういうのって、ほんと現代社会特有の心理っぽい気がしますね。私の他にも同じような悩みを抱いている方は、いらっしゃいますか?
三十年前のサラリーマンは絶対にこんなこと考えなくてよかったんでしょうけどねえ。