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だらだら書きますので、だらだら読んでもらえるとありがたく。

花は桜で、桜は花だ

この間の土曜日は、桜並木の下を歩いて参りました。
そのとき思い出したのは于武陵の「勸酒」。

勸君金屈卮,
滿酌不須辭。
花發多風雨,
人生足別離。


君に勧む金屈巵(きんくっし)
満酌辞するを須(もち)いず
花発(ひら)けば風雨多く
人生別離足る

というか、正確には、井伏鱒二の名訳のほうを思い出したのですけどね。

この杯を受けてくれ
どうぞなみなみ注がしておくれ
花に嵐のたとえもあるぞ
さよならだけが人生だ

井伏鱒二「厄除け詩集」より

元の「勸酒」のほうは中国の作品なのですから、きっと作中の「花」というのは桜ではないのでしょうけれども、井伏鱒二さんの訳のほうを見ると、花は桜としか思えない不思議。
花に嵐、さよならだけが人生、ときたらもう、桜以外のどんな花があるの、と思ってしまいます。
土曜日みた桜は、既に散りかけでありました。桜の盛りは本当に短い。
ひとの命と同じように。そもそも、命というのは、総じて短いものでありましょう。

「私が娘二人を一緒に差し上げたのは、石長比売(イワナガヒメ)を妻にすれば天津神の御子の命は岩のように永遠のものとなり、木花之佐久夜毘(コノハナノサクヤヒメ)を妻にすれば木の花が咲くように繁栄するだろうと誓約を立てたからである。木花之佐久夜毘だけと結婚したので、天津神の御子の命は木の花のようにはかなくなるだろう」

大山積神はそのように嘆いたそうでありますけれども。
散りかけの桜の花びらはひかりを集め、ひかりを散らし、世界を白く覆い、その様子は盛りの頃よりもいっそ美しいように思え。
ならば私たちの命が花のようにはかないことも、そう悪くはないのかもしれないと、思えてくるのでありました。