小林亜星先生が以前、このようなことをおっしゃっているのを、テレビでみました。
「いいメロディがね、するっと思い浮かぶときというのは危ないんだよ。実は以前聞いたことがあるメロディを思い出しているだけだったりするんだ。それを気付かないで『おれの作曲した曲だ』なんて発表したらたいへんだから、あんまり簡単に苦もなくメロディが浮かんだ時は、まずそれが本当に自分の思いつきなのかどうか、疑ってみることから始めるんだ」
判るなア。こういうことって、確かにあるでしょうね。判ります。
世の中には時々盗作容疑で責め立てられるかたがいますけれども、その中の何割かはこのような、自覚のない盗作なんじゃないでしょうか。誰かに「それパクリじゃん」といわれて初めて気付いて、ものすごく驚いちゃったり焦ったりする姿が、思い浮かぶようです。
かく言う私も、自分がよく使う言い回しや表現が、以前に読んだ小説などの引用であることに気付いてびっくりするときがたまにあります。
「わ、今アタシ、やけに洒落たこと言ったなあ」
とか悦に入っちゃって、そのあとしばらくして昔読んだ本を読み返したら、その言い回しがほとんどそのまま出てきたりするのです。あれはなんとなく気まずい。判ってて引用するのは平気なんですけど、判らずに引用した時って、なんとなく恥ずかしい気がするのはなぜなんでしょう。
ところでその逆パターンのようなことが起こる時もあります。
つまり、例えばある日、あるフレーズ、曲、ポエムなどが、頭の中に「ぽん」と浮かぶのです。出会いはいつだって突然よね。
しかもそのフレーズ(あるいは曲、あるいはポエム)、妙に気になる。気になって気になって、時々呟いてみたりしちゃう。
突然の出会い、いつの間に心が一日中、その相手のことでしめられてしまう……これじゃまるで恋です。
「なんだろうコレ……あたしもイイトシした大人なんだし、いつまでもこんなわけのわからないものに、脳内を占拠されていてはいけないのだわ。どうすればいいのかしら」
と思い悩み、やがて
「そうだわ。きっとこのフレーズが、どこからやってきたものだか判らないからこそ、気になってしまうのだわ。元ネタが判ればすっきりして、これ以上このフレーズのことを考えずに済むのだわ」
結論づける私。
今の世の中というのはたいへん便利でそのようなときはGoogle先生になんでも聞いてみればいいのです。
ところがですよ。
ごくたまに、Google先生にお尋ねしたのに、元ネタが判らないものがでてきたりするんですよ。
Google先生が「該当するページが見つかりませんでした」とおっしゃる以上、元ネタなんてないのかしら? もしかすると私のオリジナルなのかしら。
という結論を出さざるを得ないようなときが、あるんですよ、ほんとたまにですけど。
そして現在、私の頭の中を「もみあげビリジアン」という曲のタイトルとその歌詞が、ぐるぐる回っています。
「もみあげビリジアン」
おれとおまえでケンタッキー
君とぼくならミルウォーキー
もひとつついでにマサチューセッツ
ところがどっこいカリフォルニア
※あーあーあー カニくいてえ
あーあーあー モツでもいい
生クリームを刺身にかけたら案外まろやかでウマイかもねという君をぼくは笑ったけど、
実はぼくはよくバニラアイスに醤油をかけて食べてるよ
そんなこんなでアラモの砦
意味するところは部分染めかい?
※ くり返し
そしてもみあげビリジアン
負けずにあごひげスカーレット
マヨネーズにも負けやしないし負けてたまるかっていうか、いつから勝ち負け競ってた?
ナニコレ。
困るんですよ、こういうの。こんなわけのわからない曲を作り出してしまったのが私の灰色の脳細胞だとは絶対認めたくないんです。
つーか、認めてたまるか。タイトルも歌詞もセンスゼロであること甚だしいっていうか、ブログ上だから伝わらないけどメロディもリズムも、もう何もかもとにかくひでえ。全体的に一部の隙もなくひでえ。
というわけで、こんな酷いタイトルや歌詞を考案したのは絶対に私ではありませんので(反論認めず)、Google先生のあずかり知らぬどこかに必ず元ネタがあるはずなのでございます。
あるんですよあるんですよ、無いわけないんですよ、なきゃいけないんですよ。
その幻の元ネタをご存知の方いらっしゃいましたら、ご一報願います。ほんまに頼むでえ。