事前注意
今回私が書きましたオリエント工業ショールーム見学の記録は、私の二年前の経験がもとになっておりますので、2006年現在とは、いささか様子が異なっている部分があるかもしれません。その点をご了承の上でお読み下さいませ。
ちなみにその1はコチラ、その2はコチラでございます。
本文
「ななな、なんだこの腕はーっ!?」
実は、私がショールーム見学の際に一番衝撃を受けたのは、ジュエルシリーズのお人形さんの腕を掴んだときのことでした。
腕? 腕などという比較的華やかさのないパーツになぜ?
とお思いの方もいるでしょう。しかしあなたはジュエルシリーズの腕に接したことが無い筈だ!
私たちが人間の腕をつかんだときのことを、思い出して下さい。
ひとの肌は柔らかい。肉も。ですが、私たちが腕を掴むときに感じるのは柔らかさだけではないでしょう? やわらかな皮膚と肉の奥に存在する、角張った堅い骨を、自然と感じ取るではありませんか。そして同時に、骨の重みを知るでしょう?
まさにあれです。あれとほとんど同じものを、お人形さんの腕が感じさせてくれるのです。
私が掴んだ、美咲さんの腕の中には、柔らかな皮膚と肉の奥に、確かに骨の堅さと重みがありました。あれには本当にびっくりさせられました。
あの瞬間に私の頭の中には、
「これは本物の人間の腕に違いない。それ以外のものがこのような感触と重みを伝えてくるわけがない」
という錯覚が芽生えました。背筋にはぞくりと戦慄が走り、思わず美咲さんの腕を離しかけてしまったほどです。
「ほんものだ!」
思わずそんなことを口走ってしまう私。
「この感触は、ほんものの腕だよ。だって骨があるのがわかるし!」
私がそう言うと、おにいさんはすかさず解説してくれました。
オリエント工業のラブドールさんたちのからだの中には、金属の骨格が入っていて、その上を肉に見立てられる層と皮膚に見立てられる層で覆っているのだそうです。
ですから、ただ柔らかいだけではない、リアルな感触が得られるのだとか。
そういえば私は事前にオリエント工業の公式サイトで、そのあたりのことはきちんと予習していた筈なのですが、そのあたりのことが全部頭からすっとんでしまうくらい、あの腕のリアルさ加減はすごかった。
私の大騒ぎを聞きつけて、H先生とLも、かわるがわる美咲さんの腕を掴みました。
「うわわっ」
「ひえっ、なにコレ」
驚愕の表情を浮かべる二人に、おにいさんが再びお人形さんの体内の金属骨格と肉と皮膚の解説をします。
すると、H先生が妙にさめた目つきで、美咲さんの身体を眺め始めました。
「どうしたのHくん?」
Lが尋ねると、彼は考え込むような顔をしながら言いました。
「ぼくは基本的に極真空手の人間ですが、総合格闘技のジムにも通っているじゃないですか」
「そうだね。そんで、会社の同僚のひとたちに頼まれて、空手を教えたりもしてるんだよね」
「そうなんです。で、ぼくの方針で、空手だけじゃなく、寝技や関節技も教えているんですけど、この人形、骨格もあってここまで良くできてるってことは……寝技の練習台としても、かなり使えるんじゃないかと思いまして。ほら、関節なんかも、リアルな作りでしょう」
こんな可愛らしい顔の無抵抗な人形相手に関節技や寝技をきめることを考えているのかこのひとは……ほんま、鬼やでえ。
というか、練習台としてはこの人形、あまりにも高価すぎます。
おにいさんの親切な応対に励まされ、私たちは気になる点を矢継ぎ早に質問しました。
「この身体の脇についている線はなんですか?」
「シリコンのボディは、鯛焼きのような方式で成形しておりますので、その際どうしても横の部分にそのような線が残ってしまうのです。これは不良品というわけではなく、シリコンボディの仕様でございますので、気になる方にはソフビ製のボディをおすすめいたします」
「へーっ、鯛焼き方式なのか、シリコンボディは!」
小学生の頃、社会科見学で蕎麦工場や郵便局に行ったときとは段違いの熱意で質問を繰り返す私たち。
私はそこでちょっと息を吸い込み、用意してきた質問をおにいさんにぶつけました。
「オリエント工業の製品は障害者割引がきくと聞いたのですが、本当ですか?」
「はい、もちろんです」
「実は私どもの祖父がアルツハイマーで色ボケ気味でして、祖父にラブドールをプレゼントしたいと考えているのですが、その場合は要介護度がどのくらいか証明する書類があれば、割引がききますか? それとも、障害者手帳などを提示しなければならないのでしょうか?」
私が「祖父が色ボケ」と口にした瞬間に、どのようなときも毛一筋ほどの動揺もみせなかったおにいさんが、初めて面食らったような顔をしました。
「そ、その場合ももちろん、精一杯出来るだけのことはやらせて頂くつもりでおります」
「ありがとうございます〜」
私が礼を述べると、H先生が顔をしかめながら私の袖をひき、おにいさんに聞こえないよう、小声で囁きました。
「ちょっと、シロイさん、やりすぎ。色ボケとか言うから、おにいさん明らかに困ってたじゃないすか」
「えー、だってー。そういう設定だったじゃん、もともと〜」
「それはね、『どうして今回はこちらにいらしたんですか?』と聞かれた時用の設定なんであって、何もきかれてないうちに、自分から喋る必要ゼロなんですよ!」
「そうなん? でもさあ、将来そういう理由でラブドールが必要になったときのために、一応聞いておこうかと思って。ジュエルって60万円以上するんだよ? 割引なかったら、購入するのたいへんじゃん」
「割引あってもたいへんですよ……とゆーか、実際におじいさんが色ボケになったときにラブドール買おうとしたら、他の家族が全力で止めようとすると思いますよ」
「そう? でもさあ、おじいちゃんの幸せのためにもさあ」
「仮におじいちゃんの幸せのために家族がラブドール購入を決意したとしても、ジュエルである必要ないじゃないですか。ソフビ製の20万円くらいのやつでいいじゃん!」
「そんなのつまんない。だって私は触って気持ちいいシリコン肌の、継ぎ目なしボディが欲しいんだもん。だからジュエルじゃなきゃイヤダ」
「それって、欲しがってるのシロイさんじゃないですか。おじいちゃん関係ない!」
「あ、ほんとだー」
そのときです。
「あれ……これはなんですか?」
Lが傍らの小さなテーブルの上に載せられた、肌色のチューブのようなものを指さしました。
「それはウェーブホールと申しまして、ラブドールをsexualに使うときに装着するものでございます」
うっ。
その瞬間、私はこの美しいお人形さんたちの本来の用途を思い出しました。
ウェーブホール……気になるけどなんか、これは胸と違って触りたくない。見るのも怖いぞなんとなく。
「法律を遵守するために、造形はリアルではありませんが、内部の感触はこだわりぬいて作っております」
そうですか……しかしそう言われましても……内部の感触すか……
結局Lと私は臆病者というかなんというか、ウェーブホールの内部の感触を確かめずに終わってしまったんですが、いつも勇敢なH先生はきちんと手にとってお調べになり、
「すごく良くできていました。実はぼくが今日一番リアルだと思ったのはコレかもしれません」
と教えてくれました。ありがとう。
放っておかれれば私たちはきっと、一時間でも二時間でも、時間の許す限りあのショールームに滞在し続けたかと思いますが、残念ながら見学は30分の交代制。
次に予約を入れたお客様がショールームに入ってきた瞬間に、ぎょっとしたような顔で外に飛び出していくのを見て、私たちは我に返りました。
「今のひとたち、次のお客さんだよね?」
「こんな場所で女性に会うと思っていなかったから、びっくりしたんだろうね、きっと」
「なんか悪いコトをしてしまいましたね。ごめんなさい」
頭を下げて謝ると、おにいさんは寛大な笑みを浮かべ、「気になさらないで下さい」と許して下さりました。
最後に、おにいさんは大量のパンフレットを渡して下さり*1、にこやかに、丁重な物腰で私たちを送り出してくれました。
「なんて素晴らしい応対をしてくれるひとだったんだろう……優しくて、誠実で、私にもし娘がいたら、あのおにいさんみたいなひとに任せたいよ……」
「というか、全体的にオリエント工業という会社は、志が高くて、とても誠実な仕事をしてるんじゃないかな。そういう雰囲気がすごくよく伝わってきたもの」
「ぼくは最近、株にちょっと興味があるんですけど、もしもオリエント工業が株を上場していたら、買いたい気持ちになりました。応援したいです」
口々にオリエント工業を誉め讃えながら雑居ビルを出るとそこでは、さきほど店を飛び出していった次のお客様三人組(全員男性でした)がショールームが空くのを待っていました。
「先ほどは失礼しました。どうぞ」
とすすめる私たちを、奇妙な生き物を見るような目つきで眺めるお客様たち。
「私たちは色ボケの祖父へのプレゼントとして、ラブドールを見に来たんです」
などということを彼らに話して聞かせるわけにもいかず、私たちはじろじろ見られているなあと感じながら、帰路につきました。
とりあえず、いくら語っても語り尽くせぬショールーム体験でした。
見ているうちに本気で「朱莉さんかさやかさんが欲しい」という気持ちになってしまったのですが、60万円もする人形を購入できるわけもなく、大体置き場所をどうすればいいかわからないし、周囲がドーラーとなった私を認めてくれるとも思えずに、断念致しました。
しょうがないからオリエント工業のお人形さんで作られた写真集だけでも買おうかな、とショールームに置いてあるのを見て思いましたが、勇気が出なくて買えませんでした。
「もうすぐ夏休み終わりだけどドコにも遊びにいってなーい、つまんなーい」
とお思いの18歳以上のよい子のみなさんは、オリエント工業のショールームに行ってみるのも一興かと存じます。
新たな世界が開けるかもしれません。
*1:もしかすると私の色ボケ云々の発言をきいて、「この客は冷やかしではなく、本気なのかもしれない」と判断してくださったのかもしれません。ごめんなさい、冷やかしでした。でも欲しいと思う気持ちも本物です。