作家の坂東眞砂子さんが定期的に子猫殺しをしていることを告白した文章を読んだら、ふと思い出したことがありました。
とりあえずこの話、あちこちで話題になっていますねえ。
ココとか、ココとか、ココとか。他にもきっといっぱいあるんでしょうけど、フォローしきれていません。
シロイ家は猫好きですので、私が小学高学年くらいの頃から、猫がいなかった時期がほとんどありません。
マイケルJr.というのは、我が家で飼った二代目の猫でした。なんで後ろにジュニアがついているのかというと、初代の猫がマイケルという名前でしたので、それを継いだからなんですが、それはまったく本題ではない。
初代のマイケルがいなくなった後、我が家では
「全身真っ白な猫って綺麗だよね。次はそういう猫が飼いたいなあ」
と言っていたら、たまたま知り合いのうちで、全身真っ白な子猫が生まれたのです。
「全身真っ白な子猫いるよ。欲しい?」
と言われ、
「欲しい」
と答えたら、
「じゃあもうちょっと経って、母猫と離せる状態になったら、あげよう」
と言われたわけです。
そして、その真っ白な子猫がいよいよ我が家を訪れた日、私たちは愕然とすることになったのです。
その子猫はたいへんに愛らしい顔立ちの、器量の良い猫で、毛並みは確かに真っ白でしたが、どういうわけか、その毛が大量に抜け落ちて、全身がまだらに禿げかけていたのです。
「皮膚病なのか。だったら獣医に連れて行かなくては」
と私たちはパニックしかかったのですが、子猫を譲ってくれた方の話では、そうではないとのこと。
実は、私たちに子猫を譲って下さった方の家には、雌猫が二匹いました。そしてその二匹の雌猫は、ほぼ同時に子どもを産んだのです。
生まれた子猫の数は、合わせて九匹。
飼い主の方は、シロイ家が引き取ることが確定していた真っ白な子猫以外の八匹を、すぐに殺しました。
その結果、生き残った真っ白な子猫は、二匹の母親から、九匹分の愛情を、一身に受けることになってしまったのです。
二匹の母猫は、行き場を失った愛情を込めて、真っ白な子猫を執拗なくらいにかわいがりました。
舐めて舐めて舐めて毛繕い、舐めて舐めて舐めて毛繕い、舐めて舐めて舐めて……
その結果、子猫の真っ白な毛は無惨に抜け落ちてしまい、体調にも異変をきたすようになりました。
このままでは子猫が過剰な愛情によって殺されてしまう、と考えた飼い主さんは、離乳が済んでから引き渡すつもりだった子猫を、早めにシロイ家に寄越したのです。
で、まあ、私がナニを言いたかったかというと、どうやら雌猫というのは、産んだ子猫は育てたがっているらしいね、ということなんですわこれが。
獣の雌にとっての「生」とは、盛りのついた時にセックスして、子供を産むことではないか。
もし猫が言葉を話せるならば、避妊手術なんかされたくない、子を産みたいというだろう。
などと坂東眞砂子さんは書いてらっしゃるワケですが、私の経験から勝手に推測するに雌猫は、セックス、出産だけではなく、育児もしたがっているみたいよどうやら、と思ったのですね。
私はたとえば、
「子猫は『なんでぼくがこんなめに……たすけておかあさん』と思いながら死んだに違いない。かわいそう」
みたいな、ロマンチックなことを言い出す気は毛頭ございません。
そんでたぶん、そういうことをすると、坂東眞砂子さんは、鬼の首を取ったように喜ぶんじゃないかな、とも思います。
「避妊手術をされたけど、うちの猫は幸せだ」
などと誰かが言えば、坂東さんはきっと、
「それはあなたの勝手な思いこみで、自己投影でしょう」
とおっしゃるような気がします。
ちなみに、現在シロイ家で飼われている猫はメスで、避妊手術済みで、じゅうぶん幸せそうに見えますが、そういう風に批判されると、私はちょっと辛いのも確か。
物言わぬ動物の内面を勝手に人間の基準で推し量り、自己の思いを投影して、擬人化するのは、避けがたいこととはいえ、やはりエゴイスティックな行為であるとは思いますし。
避妊手術、去勢手術によって猫の自然をハクダツしている人間としての負い目は、私も背負っておりまするがしかし。
「獣の雌はセックスして出産したがっている」
というのだって、ケモノ側の意思確認が行えない以上、勝手な推測であることには変わりないですよねい。
そしておそらく、それはある程度、坂東さん自身の自己投影でもあると思うのですよ。
人間だって、ケモノですからね。人間という動物の雌として生まれた坂東さんご自身の思いが、ある程度投影された見解が、「雌猫はセックスと出産を求めている」なんじゃないかと思います。
そんで、「育児も求めているらしいよ?」というところに考えが行き着かないのも、坂東さんご自身のお気持ちがそのような方向を向いていないからでございましょう。憶測ですけれども。
私自身は、全身の毛がまばらに抜け落ちたマイケルJr.の姿がいまだに脳裏に焼き付いていますから、
「雌猫というのは、産んだ猫のことは育てたがっているのではないか」
と考えます。この見解にも、ヒト科のメスであるシロイ・ケイキの思考が、ある程度投影されているのかもしれません。ですが、たとえ私が「子育てなんてくそくらえ」派の女だったとしても、やはり、あの二匹の母猫のことを思い出せば
「私は子育てしたくないけど、猫はしたがっているように思える」
という結論に達する気が致します。
だからまあー。
本当に雌猫にメスとしての生をまっとうさせるのが目的ならば、セックスと出産を経験させるだけじゃなく、育児も経験させるべきなんじゃないの、そこまでやっていない以上、結局ご自身の見解がどうあれ、坂東さんもハンパですよ、と思った次第。