芥川賞受賞作の『蹴りたい背中』は読んでいたのですが、『インストール』は未読。流行物に疎い人間は、こうやって時期を逸するのです……
ああ、それにしても『蹴りたい背中』のときも思ったけれど、私は綿矢りささんの文章が、とても好きです。音読したらさぞ気持ちいいんじゃないかな、と思わせる文章が次々と並び、「読むって快楽」と思わせてくれるから。
するすると読めてしまうから軽い味わいで何気なく書かれているように思えるけれど、違いますよね。
人間にたとえると、
「おれってすっぴんの子が好きだから。ほら、綿矢さんとか」
とか言われるタイプの女性という気がします。
実際にはその綿矢さんはすっぴんじゃないよ、超絶テクによって生み出される高度なナチュラルメイクの達人なんだよ、仮にすっぴんだとしても彼女は毎日きっちりエクササイズとストレッチして体型を保ち、あのしっとり色白肌を保つために寝る前三時間を肌の手入れにあててるんだよ、そこまでの努力というのは既に一種のメイクじゃないかね? というかんじです。(どんなかんじだ)
うーん、なんといえばいいのかなあ。
綿矢さんの文章は、自然体ぽく見えるのですが、その自然体はワタシのごろごろだらり、怠けるって大好き、今日も生産性ゼロですみたいな生活からは絶対に生まれない自然という気がするのです。
毎日美しくも厳しい生活を送るひとが生み出す文章といえばいいのでしょうか。それはもしも私がそんな生活を送れといわれても送れないくらいの厳しさを持っている生活なのに、綿矢先生にとってはそれがフツウなの! たぶん。それが自然なの! だけどそれは本当にすごいことなの! そしてそれはもうある意味自然とはかけ離れたものなの!
……などと勝手に想像(もはや妄想かしら)だけで綿矢りさ像を自分の中に作り上げてしまいましたが、私はそのくらい綿矢さんが好きになってしまったんです。ほら、愛情って時に暴走するでしょう?
しかも綿矢りささんの文章にはエレガントな毒が含まれていて、でもそれはけっして多すぎる毒じゃなくて、とても美味。
おまけに綿矢りささん、かわいーし! 写真を見るといっそう満足、でもこんなに可愛い女性がどうして容姿だけじゃなく言葉まで磨いちゃうんですか、天は二物を与えるよずるいよちくしょう、でもいいや、綿矢さんの写真見てると、俗世の悩みもふっとぶし、不公平な世の中バンザイ、と思いました。