朝6時50分に、琴曲「春の海」のメロディが流れてきたので目を覚ましました。
朝の静座が7時からなので、慌てて身支度をし、広間に向かったのですが、私が入室する直前に「チーン」という音が室内から響き、院長が般若心経を読み上げ始めた声が聞こえました。
遅れて入っていくのって恥ずかしいので、参加を断念します。
7時20分頃に、部屋に朝食が運ばれてきました。
ここでは食事は部屋に運ばれてきたものを参加者が自室で食べるシステムになっています。皆で集まって食堂で食べるのだろうと予想していたので、ちょっと驚きましたが、考えてみると、断食中で水しか飲めない方や、退所直前の普通食に方が混ざって食事をするというのは、悲劇の種を蒔くことになりそうですよね。各自部屋で食べるというのは、その点非常に安全な気がします。
茶碗一杯のお粥。豆腐とわかめのみそ汁。小皿に入ったおかか。
これが朝食です。確かに昨日の夕食よりも量が減っているようです。
みそ汁がおいしかったですが、おかかだけで味のない白粥を食べるのは、少し辛いような。全体の量は少ないのに、私はお粥をもてあましてしまいました。
昨日に引き続き、今日もたいへん眠いです。
外はきれいに晴れ渡って青空が広がり、ふとんに横たわって窓の外を眺めると、自分の身体が空の中に浮かんでいるような気がします。
療養所の周囲には緑が多いので、小鳥のさえずりがにぎやかで、とても気持ちが良い。
11時過ぎに昼食が運ばれてくるまで、部屋でうとうとしながら過ごしました。
昼食のメニュー。
茶碗いっぱいの粥。小皿に胡瓜の酢の物。小鉢におから。
どれもおいしかったです。私はおからが好きなので、嬉しかった。
食後、療養所の周囲を散歩してみることにしました。
本当は水を飲んでできるだけ動かないで過ごす方がよいらしいのですが、明日から本断食が始まれば本格的に動けなくなりますので、その前に外出してみたかったのです。
療養所は山の上のほうにあるので、足下に奈良の町並みが広がり、景色がたいへんすばらしい。
一時間ほどあちこちを歩き回りました。
散歩から帰ってしばらくたった14時過ぎ頃、「お風呂にどうぞ」と声がかかりました。
良かった、今日はわすれられなかった。散歩で汗もかいたから、ここで無視されたら本当に辛かった。
風呂上がりに浴室の脇の掲示を見ると、「本断食中は洗髪厳禁です。入浴も基本的に禁止です。申し出て許可を得た上で、シャワーのみ可」との文字が。
それでは私は、明日から風呂も入れないわけです。頭も洗えない。
楽しかったけど、明日は散歩はナシだなあ。汗かくもんなあ。
入浴後、コインランドリーで洗濯をしました。
本を読みながら洗い終わりを待ったのですが、景色の良い場所での読書はとても気分がよかったです。
今のところ、ごはんはおいしいし、のんびりゆったり過ごせています。
食事が少ないのでお腹は減るのですが、それもまだ辛さを感じるほどではないし、楽勝かも……と思っていたら。
「夕食です」
との声と共に運び込まれてきたものは。
コップ一杯の重湯。そして、梅干しが一粒。
それだけ。
ある程度覚悟していたことだったのに、一瞬声がでないくらいの衝撃。
たとえば昨年末、酷い風邪にかかって、食べたものを全部吐いたあのときも、私はもうちょっと食べ物らしいものを食べていたというのに。(そんなことだから断食道場に来ることになったのかなあ)
こ、これが本断食突入前最後の食事なのか……てかこれ、食事っていうかなあ……
この重湯と梅干しの記憶を頼りに、これからの六日間の本断食を乗り切るのか……
今までは食事が運ばれてきたときはすぐに手をつけていたのですが、今回はしばらくコップを見つめて過ごしました。重湯の表面からは、静かに湯気が上がっています。
そうだ。
写真を撮ろう。携帯で写真を撮って、知り合いにメールしよう。
そして私が味わった衝撃を、少しでも感じてもらおう。
というわけで五人ほどにメールを送信。
こういう時、きっとホストは「この辛さは君の顔を思い浮かべて乗り切るよ」とか殺し文句をちりばめたメールを送るんだろうな、という妄想が頭をよぎりましたが、私は一般人ですので、ごくフツウな文面のメールを送りました。
「あのひとにも送りたいなー、でも携帯のメアド知らないなー。PCなら知ってるんだけどなー。どうして携帯のメールをPCに送るのはふさわしくないような気がしちゃうのかなあ。この現象を研究してみたいな」
などと暇人のみが持ちうる研究意欲を抱きながら、いよいよ「いただきます」。
「うっ」
重湯に口をつけてすぐに、それが今までの粥とは違って、本当に「湯」に近いこと、するすると飲める液体で、食べ物っぽくないことにあらためて気付かされました。
たった十秒で飲めると噂のウィダーインだって、もっと濃いのに。
箸で梅干しの果肉を少しずつ摘んで食べました。ううっ、梅干しおいしいよう。
最後は梅干しの種をしゃぶりながら重湯を飲み干しました。
「これが最後の食事?」
とつぶやいた直後に以前見た例のニュース、
「断食などを含む食事療法を受けていた27歳女性が死亡し……」
というのが頭をよぎり、「最後=最期=死」という連想が起こったので慌てて
「これが断食前最後の食事? 終わったらまた重湯だうれしー。退所したらケーキ食べに行かなきゃ」
と無意味に言い直した私は、立派な日本人というか、言霊信者です。
食後しばらくすると、再び眠くなってきました。
本当に不思議なのですが、療養所に入ってからは、ちょっと気を抜くと眠くなるのです。
六時からの静座も不参加(二日目にして朝夕不参加か…)して、眠りました。
水分をたくさんとって、できるだけ動かないようにするよう指示されていますから、寝てばかりの私は模範的な入所者のはずです。
目が覚めると、かなりの空腹でした。
お腹がきゅるきゅる言ってます。よかった個室で。こんな腹の音、他人に聞かれるわけにいかないもの。
それにしても、お腹が空いたなあ……この空腹、満たせないんだよなあ、六日間も。
六日間! それって長くない? 大丈夫なの、私?
出発前は無邪気に「いい体験だよ」くらいに思っていたのに、いざ本番が近づいてくるとなんだかちょっとせつなくなってきました。
そうだ、こういうときは読書に限る。
『殺人の教室』は洗濯中に読み終わってしまったから、恩田陸先生の『黒と茶の幻想』を読もう。
恩田陸先生のいいところは、話の雰囲気作りがうまいとか、ヒキが強いとか色々あるけど、なんといっても食べ物がおいしそうなところがいいんだよね〜。
……って、駄目じゃん。今そんなの読むべきじゃないじゃん。
まだ七時か。夜は長いな。
そしてまだ二日目。この先も長い。
(三日目へ)