実家に帰省した私の眼前に、父が三冊の本を並べ、こう言いました。
「我が妻が図書館に出向き、面白そうなものを選び出してきてくれたのが、これらの書物だ。おれは既に三冊とも読み終えており、どれも甲乙つけ難い面白さだった。君も一冊読んでみてはどうかね?」
私は素直にその中から一冊の本を手にとって読みました。
そして「うわ……この本驚くほどつまらねえ!」という感想を持ったのです。
「この本を面白いと評価するとは……父君の書物の好みもだいぶ変わったんじゃないのか? 彼の心にいかなる変化が起きたというのか」
読了した書物を前に私がそのように思い悩んでいると、にこにこしながら父が声をかけてきました。
「おっ、その様子だとどうやら読み終わったな。どうだった?」
どうしよう。正直な答えは父を傷つけることになるかもしれない。
「うーん、そうだな……まあまあかな」
私が曖昧な答えを返すと、父はこう言いました。
「へー、そうなんだ。おれはその本、めちゃめちゃつまらなかったけどな」
な、なんだってー!?
「え、じゃあどうして読む前に教えてくれなかったの? そしたら私、他の二冊を読んだのに」
「そうなの? だけど他の二冊もすんげえつまんないよ。三冊とも同じくらいつまらなくて、おれびっくりしたんだもん」
「ちょ、ちょっとダディ、あなた『三冊とも甲乙つけ難い面白さ』って言ったじゃん」
「うん。だから、甲乙つけ難く面白さのレベルが低いところで一緒なんだよ」
「だったら甲乙つけ難く全部つまらないって言ってくれませんか」
「だってお前、そう言ったら読まないだろ」
「うん、そうだね」
「それじゃ駄目だよ。おれはこの三冊の本を『あーつまんねえ、読みたくねえ』と思ったのに、我が妻が『あたしがせっかく選んだ本なのよ』とか言うから我慢して読んだわけ。悔しかったんだよなあ。おれはその悔しさを娘に判って貰いたかったのよ。だから面白いって言うしかなかった」
「いや、そのりくつはおかしい」
「それにさ、おれはこの本を読んで『つまんねえ。なんだこの本』という気持ちを抱くもの同士で、被害者友の会を結成したかったんだよね」
「何その被害者友の会って」
「いやーこういうとき気持ちを分かち合える仲間がいると、人間は大分救われるもんなんだよ。おれは救われたいし、お前だって救われたいだろ? もうこうなった以上、お前が救われるには、おれと一緒にその本の悪口を思い切り言い合うしかないんだ。そうすれば二人ともすっきりできる。夜もぐっすり眠れるし、メシだって旨くなるぞ。さ、娘よ、その本を読んだときに味わった不満を、思う存分父にぶつけるんだ」
そのとき私の脳裏をよぎったのは”Don’t trust over 30.”(30歳以上の人間を信じるな)という言葉でした。
考えてみれば父も還暦を超え、もはやダブルスコア。30歳の人間の二倍以上信頼のならない古狸だということになるわけです。(そんな計算はない)
そのようなことも考えに入れず信じた私が、あまりにも浅はかでありました。
「……それにしたってダディ、あなた大人げないぜ! キング・オブ・大人げないぜ!」
とりあえずその後、そのつまらない本の悪口を、私たち二人は存分に言い合い、父の目的は見事に達成されたわけですけれども。