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だらだら書きますので、だらだら読んでもらえるとありがたく。

「ムッツリスケベ」と「紳士」は違う

ふらふらネットをさまよっていたら「猥談について本気出して考えてみた」という記事を見つけました。
こういうちょっと古めの記事にいまさら触れてしまう自分ってどうなんだろう、こんなだから世間の流行に置いていかれちゃうんだろうか、などと思ったのですが、まあそのへんは気にしない方向で。

で、私がこの記事で気になったのは、本題とはあまり関係のない部分で、

なぜ、「ムッツリスケベ」は悪い事なのか。本来なら「ムッツリスケベ」は、TPOをわきまえた節操のある人間という意味であるし、エロスが日常からの乖離であるということを考えれば、むしろ「ムッツリスケベ」は正しい「性」に対する姿勢である。

ここです。この「ムッツリスケベ」に関する部分です。

私はなんで「ムッツリスケベよりいいでしょ、オープンスケベ」と言われているのか、判る気がするのです。
ただ、私とこの記事を書いた方との間には、おそらくムッツリスケベの定義に対するズレがありますが。
まず、私は「猥談などを避け、自分の性的な部分をなるべく隠そうとするひと」を別にムッツリスケベだとは思いません。
「紳士」、「純情」、「(性的な面に関する)モラリスト」、「ええかっこしい」のいずれかだと思っています。
ですから、そういう紳士を捕まえて「ムッツリスケベ」と呼び、それを悪いことだと非難する人間はあまりよろしくないなあ、と思います。
性に関するプライベートな側面を隠そうとするのは別にごく当たり前のことですからねえ。


猥談を避けたり、自分のスケベぶりを隠すだけでは、そのひとはムッツリスケベではないんじゃないかと、私は思うんですよ。ムッツリスケベというのは、もっと強烈なものです。
「なるほど、ムッツリスケベが嫌がられるのも道理だ」
という気持ちをひとに抱かせるものなんです。

ここでひとつ、私が大学に入学した年の話をしましょう。

Z先輩は普段はとても大人しくて、女性とはほとんど口を利かないシャイな男性でした。
もちろん猥談はおろか、恋愛話すら一切しません。私はZ先輩というのは、女性や色恋に対する興味をほとんど持っていない人間だと思い込んでいました。*1

ところがある飲み会で、そんなZ先輩のスイッチが突然入りました。
それまでは飲み会でも常に静かだったZ先輩がある女性に対して急に、タチの悪いセクハラを熱心に行い始めたのです。
古い話なのでちょっと細かいことは思い出せないんですが*2、私はそのとき初めて
「あ、セクハラってこういうことなんだ」
「あ、ムッツリスケベってこういうことなんだ」
と納得したのです。


私はそれまでの人生で猥談に興じるひとを見たことがありましたし、それについていけず嫌な思いをしたこともありましたし、自分のスケベ部分を丸出しにするひとに対して「それはどうなの」と思ったことがありましたが、それらの経験と比べても、そのときのZ先輩の振る舞いは圧倒的に衝撃的でした。本当にすごかった。びっくりしました。


これはおそらく私だけが感じていたことではありません。
その場にいた他の人間もみな呆然とした表情を浮かべていましたから。


あのとき私が味わった衝撃の中身は、大体こんな感じです。

「Z先輩って、普段はあんなに大人しくて女性に興味なさそうに見えるのに、本当はそうじゃなかったんだ」
「本当は相手の気持ちを無視したセクハラを強引に行いたいひとだったんだ」
「Z先輩よりもスケベそうに見える人はいっぱいいる」
「だけど大抵の場合、彼らは口だけで、『やめてよ』と言えばやめるし、本当にセクハラをしたひとはいない」*3
「でもあのときのZ先輩は『やめてよ』と言われても聞こえないフリをして、自分の欲求を満たすことにのみ忠実であるように思えた」
「怖かった」
「普段からスケベな話ばかりしているひと、セクハラばっかりしているひとなら、そういう人間は嫌いだけど、対処のしようがあるよ」
「だって周りの皆はそのひとが駄目なスケベ人間であることを知っているんだから、近寄らなければいいんだ。それが出来ないときだってあるけど、それでも『心構え』はできる」
「でも、Z先輩みたいなひとには、対処のしようがないじゃないか。現に、私は彼がただの『紳士』だと思い込んでいた」
「怖いよ、本当に。これってとても、怖いことだよ」


で、それからばばーっと月日は過ぎ去って、私はあのときのZ先輩ほど過激じゃないもののやはり、「普段は真面目そのものなのに、何かのきっかけでスイッチが入ると、普段からスケベ人間なひとたちの数段上を行くタチの悪いセクハラを強引に始める」ようなひとを何人か見ました。
そういうとき彼らの顔ははっきりと変わっていて、猥談に興じる人間特有の嬉しそうな表情を浮かべているんですが、その「嬉しさ」の度合いが、なんだか半端じゃないんです。
普段からスケベな人間が浮かべる嬉しさが10だとすると、彼らの嬉しさ度合いはおよそ84くらいのかんじです。
私はそういうときなんとなく頭の中に「発酵」という単語を思い浮かべてしまいます。
私にとってはそういう発酵している人間こそが、ムッツリスケベなのです。
そして、確かに発酵しているだけあって、彼らはオープンスケベよりよほど危険だったりします。


「ムッツリスケベよりいいでしょう、オープンスケベ」
というのは、発酵食品を缶詰に密閉するとシュールストレミング*4みたいになるから、そのくらいなら普段から外気にさらしたほうがニオイも適度に分散するし、発酵も進みにくくなるからいいんじゃない、という話なんだと思うんですよ。*5


世の中には酒が入ろうがなんだろうが、スケベな話は絶対にしないし、セクハラなんてもってのほか、というひとがいます。
彼らはムッツリスケベでありません。彼らは輝かしい「紳士」であり、「モラリスト」なのです。
少なくとも、私にとってはね。

そういう紳士を勝手にムッツリスケベと決め付けて批判するのはまったく良くない。
ムッツリスケベというのは紳士とはまったく違う、もっとすさまじくすさまじいものなのですよ。

*1:私は世の中には恋愛に興味のない人間がそれなりの数いるんだろうな、と考えています。その結果、世の中には本当は恋愛に興味があるのに強がって興味のないフリをしているひとも大勢いることのほうはつい忘れてしまいがちで、そのフリが見抜けずに失敗するときがあります。

*2:それでもZ先輩がものすごく嬉しそうな顔で可愛い女性の太ももに飛び込んで無理矢理ひざ枕をしてもらっていたのは覚えています。本当に無理矢理な膝枕だったなあ。

*3:私は大学時代に男性のセクハラに遭遇したことはほとんどないです。社会人になってからはあるけど。

*4:ニシンを発酵させて作る、世界一臭い缶詰。屋内で開けると壁の塗り替えを行わなければならない事態を引き起こす魔物。

*5:なんで発酵してしまったんだろうとか、そもそもオープン以外に発酵をさせない方法を考えろとか、だからって普段から発酵のニオイを周囲に撒き散らすなとか、そういう話はもちろんあるんですが、それは別の機会に。というか、話さないかもしれないな、結局。疲れるから。