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だらだら書きますので、だらだら読んでもらえるとありがたく。

『むしろウツなので結婚かと』第12話~ぶっ殺すと言っても殺していない凡人たち

 6月9日に『むしろウツなので結婚かと』第12話が無料公開されました。
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 正直な話、当時別れることは何回か考えましたよねそりゃあ。
 ただ、考えたから何だって話ではあるんですよ。
 まあーたとえばですけど。
 上司にムカついちゃって
「こいつ死なねーかな」
 と心の中で一瞬でも毒づいたことのある人は、挙手なさいって話でして。

 別に上司じゃなくてもいいですけど、クラスメートでも親戚でも知人でも同僚でも教師でも見知らぬ他人でも。
 とにかく
「こいつ死なねーかな」
 は思っちゃう時があったっていいじゃないか、にんげんだもの
 とりあえず
「死なねーかな」
 と何度上司に対して思っても、実際に実行に移す人は稀ですよね。いたらニュースになりますし。

 この手の空想ってのは、けっこうやってる人多いんじゃないかと思いますね。
 こんな学校やめてやる。
 明日退職願を叩きつけてやるんだ。
 こんな家もう出てく。
 こいつとはもう二度と会わねえ。
 離婚だ離婚、三行半だ!。
 きっぱりすっぱり絶縁したるぜ。
 みたいにね。

 昔、友人と話していたときに彼女が
「最近、上司の殺害計画を立てていてさ」
 と話し始めたことがありまして。
 叱責されることが重なって、心中密かに
「こいつ死なねーかな」
 を繰り返すうちに、
「どうせなら本当に殺すにはどうしたらいいかを考えてやる」
 と思うようになったのだとか、物騒なことを淡々と語る彼女。
 空想ですからね、理想は高く。完全犯罪を目指したそうなんです。
「いやーそしたらまあ、大変だよね完全犯罪! 職場近辺で死んだら、私が疑われそうじゃん! だから仕事とは無関係な印象をつけるためにも、上司の自宅周辺とかで殺すのがいいかなって思ったわけ。でもすげー遠いのよその家! 会社帰りにあとつけて殺して帰ると、私が終電に間に合わないくらい。そんで、殺人があった日にいつもと違う行動してるやつは怪しいでしょ。定時に帰宅したはずの私が、終電ぎりぎりとか始発で帰宅したらもうおかしいじゃん。そこから詰まっちゃって」
 そうやってああでもないこうでもないと、散々空想を弄んだ彼女は
「完全犯罪はたぶん無理。他の手段もいろいろ考えたけど、かなり無理がある」
 という結論に至ったわけです。
「てことは実際には、『もう我が身がどうなってもいいからこいつだけは殺す』という覚悟を持たないと犯行には踏み切れないんだなあって。そしたらそれはやっぱり嫌なんだよね」
 上司の命と引き換えに自分の人生のこれからをふいにはできないという、当たり前の気づき。
 そこまで上司の存在価値を高める必要はないな、という悟り。
 それからその友人は上司にむかついたときは
「この人がこれ以上私をむかつかせて、死なばもろともというくらい追い詰めてきたら、一か八かで以前の計画を実行してやろう。あの計画はいざというときの備えにしよう」
 と思うようになったそうです。
 そう思い始めた途端、怒り狂った上司を前にしても
「今はまだ我慢できるし、いよいよ我慢できなくなったら、私には例の計画があるから」
 と考えるようになって、なんだかとても穏やかに叱責を受けることができるようになったとか。そういうものなんでしょうか。
 そうこうするうちにうちに気がついたら上司が
「最近すごく素直になったなお前」
 と言い出し、前よりも優しく穏やかになってきたので、いつの間にか殺意自体が消えてしまったそうです。

 まあ、この友人の話はちょっと珍しい例ではあるんですけど、この手の関係性をリセットするような空想って、それ自体が関係継続に役立っていたりもするんじゃないかと、私は思っています。
 心の中で好き勝手にしてると、それだけでちょっと落ち着いてきたりするので。
 そうやって荒れ狂う感情がおさまってしまえば
「とはいえ実際に殺すわけにはいかないしな……」
 というごくまっとうな気付きが、やってきたりする。
 だから、どれほど物騒で残酷でくだらなくて一方的でどうしようもない空想に思えても、むげに否定するもんじゃないよなと思ったりするのです。
 泥の中から蓮が咲くように。
 なんて言い方をすると大仰なんですが、そういうドロドロした空想が心の健康を保って、綺麗な上澄みを生み出してくれたりするんじゃないかと。

 というわけでこの頃の私が
「セキゼキさんと別れてやる!」
 という空想を弄んだことは、一度や二度ではないわけです。
 でもそれが本当に本物の「別れる」という決意につながったことは少なかった。
 怒りと悲しみがぐちゃぐちゃした中でああでもないこうでもないと考えること自体が、関係を続けるための選択なんですよね。

 私がセキゼキさんと本気で「別れよう」と思ったのは、一度だけです。
 そういうときは心が意外と静かなもんなんだって、知りましたよね。
 決意がすーっとおりてくる。
 もうそれしかないと思うし、そのために必要な手順が自然と思い浮かぶ。
 計画は迷いなくすらすらと立てられます。
 夢想ではなく空想ではなく、ただこの先を予想して。
 リセットを夢見ることで継続しようとする逆説の空想の中では私は、嘆き悲しむセキゼキさんの姿を思い描いて溜飲を下げたりするのに。
 そんなものは思い描かず、この先のことはもう知らないと思うだけ。

 いつもなら怖気づいてしまうあたりを通り越しても、頭はなおも働き続けます。
 崖下に落ちないよう必死に伸ばしている人の手を離すことができるだろうかという、いつもの問いが自分に投げかけられた時、私はいつもと違う答えを返しました。
「だって離さないと二人共落ちるし。二人共落ちるなら一人だけでも残ったほうがマシだっていう、ただの算数の問題だよねこれは」
 そんな風に、決意を固めた静けさの中では、全てが別の見え方をします。もっと明確で、冷静に考えられるのです。

 その後結果として私は、このときは「別れる」ことを選ばなかったのですが。
 あの奇妙に静かで平穏な「算数の問題」だという意識は残り続けました。
 どんなことからも、得られる学びはあるものですね。
 友人が上司の殺害計画から、そこまで上司の存在価値を自分の中で高めなくていいという気付きに至って、ぐっと楽になれたように。
 このとき「算数の問題だ」と思えたことは、のちのちまで私の助けになりました。
 人としてどうなんだとか、倫理的に振る舞いたいとか、常識的な人間だと思われたいし自分でも思いたいといった、普段は捨て去ることのできないごちゃごちゃした意識を全て捨て去り、ただの「算数の問題」として目前の状況をシンプルにとらえること。
 この考え方は関係の解消ではなく、継続のためにも役立つものだったからです。


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