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だらだら書きますので、だらだら読んでもらえるとありがたく。

愚者の決断、愚者の前進

 夫のセキゼキさん(仮名)に以前、こんなことを言われました。
「シロイって決断力があるのに判断力がない、珍しいタイプだよな。フツー判断力がない人間は失敗を繰り返すとどんどん自信を失って、決断自体できなくなっていくもんなんだぜ。それだけ判断ミス繰り返してるのに『えいやっ』と思い切って決断できちゃうの?」
 とっさに反論しようとして私が思いとどまったのには、理由があります。

 私が以前務めていた職場では「シロイさんの傘占い」というイベントがありました。
 降水確率が30~50%くらいの朝に出勤しますと、皆が殺到して
「シロイさん、傘持ってきました?」
 と、私の傘の有無を確認するのです。
「はい、天気予報で降るかもという話だったので」
 あるいは
「いえ、今日は大丈夫そうかなと思って」
 などと答える私。
 するとみんながその答えを聞いてなぜか一喜一憂します。
「よかったー、シロイさんが傘持ってきたってことはやっぱり今日降らないよ」
 とか
「どうしようシロイさんが手ぶらだ。今日降るってことじゃんこれえ」
 とかね。
 そうなのです、あの職場では皆、雨が降るか降らないか判断に迷う日は、私の傘の有無で天気を占っていたのです。
 シロイが傘を持ってくれば降らなくて、傘を持ってこない日は降ってしまう。
 そう考えられていました。
 そして悔しいことにこの傘占いは、実によく当たるのでした。
「シロイさんすごいね、やっぱり降ってきたよ。今朝、手ぶらのシロイさん見た時、傘持ってきて正解だったなと思ったんだよー。さすが当たるわ」
 とか言われたときの複雑な気持ち、皆さんおわかりいただけますか?
 かように私の決断というのは、ことごとく誤るのです。逆方向にいくのです。
 まあ、雨と傘くらいなら別に間違ったっていいんですけど、もっと重大で人生の根幹に関わるような決断も、当然のように誤りますからね。よろしくないですよ。

 学生時代、悩みに悩んで就職活動を途中で打ち切り、当時交際していた男性と一緒に暮らすために、彼の仕事にあわせて引っ越しました。
 転勤のある方でしたので、新しい仕事を見つけてはやめ、また仕事を探すことを繰り返す日々。
 そうやって数年経過した後、フラレました。
「どちらかが別れを選べば、続けることはできませんね。わかります。だけど私はこれまでに何度か別れようとしたことがありましたよね。その都度あなたに
『君と別れたら死んでしまう』
 と言われました。私はあなたに、死なれたくないから続けてきました。
 今ここで放り出されると私は家も金もなく、正直かなり死にたいような気持ちです。あなたはそれについてどう思いますか?」
 と真っ暗な気持ちで懸命に言葉を組み立ててきいてみたところ、
「すべては自己責任だから。続けると決めたのはシロイだから、その結果を引き受けるしかないよ。かわいそうだけど仕方ないよね」
 と言われたんですけど、これなんかわかりやすいですよね。
 私の判断はことごとく裏目に出ています。
 就職活動打ち切ったことも、目の前の人の手をとったことも、別れないことを選んだのも、最後にその人の温情を確かめようとしたのも、全て間違い。
 私の二十代の大半は、数多の間違った判断の上にあったのです。

 新しい職場で最初に仲良くなろうと決めた人に、嫌がらせをされたこともありました。
 退職した職場から
「戻ってきてほしい」
 と頼まれて戻ったら、わけのわからない仕事を押し付けられて理不尽に罵られ、挙げ句に給与未払いをくらったこともありました。
 ほんと恥の多い人生ですよ。間違いだらけです。私の決断は私を苦しめてばかりいる気がします。

 人に指摘されずとも私自身、まずい決断を繰り返しているという自覚はあります。
「だんだんわかってきた」
 とセキゼキさんは言います。
「それだけ間違ってもシロイの決断力が全然衰えない理由が、なんなのか。シロイはどう決断しても、どうせ間違うと思ってるんだろう? もうそういう境地だよな」
 私は頷きます。
「だよな。どんだけ迷って慎重にしてもどうせ間違うんだから、迷う時間は無駄と思ってるんだよな。その思いが決断の異常な速さを生んでるのか……確かにさっさと決断しても間違うけど、延々悩んでも間違うもんな。さすがだよ」
 また「さすが」って言われた。なんだこれもう。
「うん、まあ、おっしゃる通りなんですけれども……たださ、自分でも不思議なんだけどどっちに決めても大差がないような小さな決断だと、異常に長時間悩んじゃったりするんだよね。回転寿司でえんがわを食べるかイクラを食べるかとかだと、延々レーンを見つめながら考え続けちゃったりするんだよ」
「それは不思議じゃないだろ。そのくらいの小さな決断だったら、自分の判断力でももしかしたら間違わないで済むかもしれないっていう、淡い期待があるんだろ。ひとえに自分の判断力がまずいと自覚しているがゆえの行動だよ全部」
 セキゼキさんの言葉には納得したのですが、全くもって愉快ではありません。
 つまり私という人間には、ろくな判断力が備わっていないということです。というかそれ、早く言えば「ばか」ってやつじゃない?
 私だって学習能力ゼロというわけでもないですから、この間の失敗を生かして逆を選ぼうとか、と思うときはあります。
 ところがまあ、めぐり合わせなのか何なのか、判断力の低さゆえによくわからないんですが、とにかく逆を選んだって同じように失敗するわけです。
 ですからもう開き直って
「どうせ失敗するさ。下手の考え休みに似たり」
 というのが私の基本姿勢となっております。
 おかげで至るところ傷だらけみたいな人生を歩んでいるとも言えるのですが、利点というものがないわけでもなく、たとえば私は失敗というものに、慣れております。
 ああ、やっちゃった。と思うことが数限りなくありますが、だからといってすごく落ち込んだりはしません。
 ため息を一つついたら、やるべきことをやるだけです。雨が降ったならコンビニを探す。飲み物をこぼしたらタオルを出して拭く。道に迷ったら地図アプリを起動する。店員さんに声をかける。
 謝る。失敗したと打ち明ける。自分にできないことを認める。頭を下げる。助けを求める。隠さない。見栄を張らない。助力に感謝する。
 諦めない。失敗してもまだその先があると知る。再度チャレンジする。繰り返しを避ける。腐らない。自分で勝手に終わらせず、もう一度考えてから一歩踏み出してみる。
 そうするとまあ、ふっとうまくいく瞬間が来たりするわけです。遠回りして、時間がかかっても、なんとかなったりする。必ずではないです。なんともならないときはある。けれど、なんとかなることは案外多いというのが、私の実感です。
 それにね。間違ってもいいってのが、救いになるときもあるんですよ。
 私のそのことを教えてくれた人は、もうそれを覚えてないみたいなんですけど。

 自己責任だから仕方ないよね、とにこやかに宣った方が去って、しばらく経ったある日のこと。
 私はその日、久しぶりに会う友人と飲んでおりました。
 失恋の後ですからね、そりゃあ飲みますよ。古来からお酒と失恋は仲良しではないですか。
「いや、まあ、だからね。ぜんぶわたしがダメなのは、わかってるんですよう。わたしがばかなんだから、わたしがつらいのも、しかたないですよう~」
 お酒の力でますます馬鹿になっていく私。
「でもちょっと、ちょっとは、その。ダメなにんげんでもね。みとめてほしいとおもうんです。ダメだからこそのまちがいも、そこからなんか、ひろってくれないかと」
 自分でも何を言ってるのかわからなくなりながら、ぐだぐだと続けます。
「わかれないでといわれて、わかれなかったこと。しんでほしくない、いきててほしいとおもったことまで。ぜんぶまちがいですか。ダメですか。それってちょっと、しんどくないですか。そうおもうのも、ダメですか」
 それまで黙っていた友人が口を開きました。
「ダメじゃないだろ。ダメじゃない。というか」
 語気を強めて、友人は続けます。
「確かにシロイは間違ったんだろうけど、だからなんだ。いいじゃないか、信じたんだろ。人を信じて間違ったからダメ? 人を信じないで間違わないやつのほうが偉い? おれはそうは思わない」
 私はぽかんと口を開けました。
 まさか。
 まさかこんな風に言ってくれる人がいるとは、思いもよらず。
「シロイと違ってその元カレ? その人は、間違ってないのかもしれないけどさ。自分の人生は、いっこも傷ついてないもんな。うまくやったよ。必要なものを必要なときに得て、いらなくなったらポイって、利口だよ。でもおれは、そんなのがいいとはちっとも思わない」
 そこまで言って友人は横を向きました。
「シロイはそれでいい。ダメだとしてもいいんだ。そんなふうに利口な人間よりは、ずっといい」
 いいんだ、と繰り返した彼の声は、妙にくぐもって聞こえました。
「あれ?」
 私はびっくりして、素っ頓狂な声をあげました。
「えーなんで泣いてるのセキゼキさん。私泣いてないのに。なんでそこでセキゼキさんが涙ぐんじゃってるの?」
「あああああ、ここでそれを口に出すのは、マジでほんとにダメだからな! そこはほんとに、直したほうがいいからな!」
 そうやって私はセキゼキさんまで怒らせてしまったわけですが、そのときとてもほっとしたのです。
 そうか。
 間違ってもいいんだ。間違ったからダメってわけじゃないんだ。自分で選んだことを引き受けるってのは、そういうことでもあるんだ。
 間違っても、辛くても、それを含めてオッケーだと。そう思うこともありなんだ。

 それから更に時間が経って、セキゼキさんと結婚するかもという流れになったとき、彼はウツになって働けなくなりました。
 またしても、決断の時です。続けるべきか、ここでやめるか?
 学習能力が低い私でも、さすがにわかっていました。
 ここで間違わない決断は、利口な選択は「別れる」なのです。ここで間違ってしまえば、私は何をどれだけ失うか見当もつきません。「別れない」のはあまりにしんどく、想像しただけでうんざりしました。
 だけど。
「人を信じて間違ったからダメ? 人を信じないで間違わないやつのほうが偉い? おれはそうは思わない」
 ああそうだ、私もそう思ってしまうんだよセキゼキさん。
 セキゼキさんに言われたからっていうのもあるけど、でもたぶん元々思っていたことなんだよそれは。
 やりたくないことを選んで、嫌いな道を歩んで、それで間違わなければいいのか?
 信じることをやめて、それで傷つかないのが正解なのか?
「そもそも私は、どっちの道を選んだって間違うことが多いんだしな……」
 賢くなろうとして気の進まない方を選んで、それでも間違ったときのやりきれなさも、私は既に知っています。
 だったらもう、やりたい方を選ぶのがいいんじゃないだろうかと、私は決めてしまったのです。我ながら呆れるほどの素早さで。
 この人のそばにいたいなら、信じていたいと思うなら、じゃあそうすればいいじゃないかと。
 結果的に奇跡的に、この決断は間違いではありませんでした。少なくとも私は、そう思っています。
 正確に言えば間違ったと思ったことは、数限りなくありました。昨日は間違った、今日も間違った、明日もまた間違うだろうと思い続けて。
 その間にセキゼキさんは、三回も自殺未遂をしました。ウツってそういう病気なので。
 お先真っ暗だと思いながら、これでいいのかと迷いながら、それでも利口ではない道を選ぶことを繰り返すうちに、セキゼキさんは少しずつ良くなりました。
 気持ちの落ち込みが減り、死のうとすることはなくなり、
「もう薬を飲まなくてもいいです」
 と言われる日がやってきて。
 そこに行き着くまでには長い時間がかかりましたが、今セキゼキさんは私と結婚して、会社員として働いています。
 四年前には、娘も生まれました。
 この子に繋がるための日々だったのなら、私は今まで何も間違っていなかったんじゃないかと、そんな風に錯覚させてくれる娘が。

 だからもう私は
「正しい判断はできなくていいや」
 という感覚で生きています。
 どうせできないんです。私はたぶん、ダチョウとかペンギンとかそういう鳥なので、空は最初から飛べない。だったら飛ぼうとする時間は無駄です。走るとか泳ぐとか、自分でもできることをやったほうがいい。
 私は利口になれない。間違わないことはできない。それでいい。それはそれで受け入れる。
 それにきっと、私よりも判断力があって賢い人だって、一度も間違わずに生きることなんてできないだろうとも思うのです。
 みんな失敗するのです。失敗はありふれている。誰もそれを避けられない。
 だからまあ、今日も私はいろいろさっさと決めてしまいます。どうせ失敗するんですけど。そんなのはわかっているんですけど。
 だけどそれを嫌がって一歩も動けなくことこそが、私の最も恐れるところですので。失敗を繰り返していればたどり着けるかもしれない場所に、失敗を恐れるばかりに歩き出せないなんて、それ以上の大失敗はないだろうと思いますので。
 愚者は悩まず、ただ足を前に出します。
 えいやっ。

#「迷い」と「決断」




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