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だらだら書きますので、だらだら読んでもらえるとありがたく。

『むしろウツなので結婚かと』第9話~風呂上がりの麦茶は最高だ

 本日3月31日に、『むしろウツなので結婚かと』第9話が無料公開されました。
comic-days.com


 9話の内容とは時期的にやや前後するのですが、ウツがきっかけでセキゼキさんが料理にハマっていった頃の話をしようと思います。

 ウツが寛解して社会復帰した現在もセキゼキさんは料理が好きで、休みの日は必ずと言っていいくらい台所に立ちます。
 この話をきいた人はたいてい
「うわー、羨ましい。そしたらシロイさん、週末はお料理休めるねえ」
 などと言ってくれます。
 私もこの意見に反対するつもりは毛頭なく、素晴らしいことだと思っていますし、セキゼキさんに対して深く感謝しています。
 ですが。
 人間て贅沢ですね、それでもなにかしらこう、自分の中にひっかかるものがあったりするんですから……

「どのご家庭にもひとつは常備していただきたい」ものなんですかコレは?

 例えばこの頃、こんなことがありました。
「わあー、これおいしいなあ。どうやって作ったの? 塩コショウ、鶏ガラスープ、オイスターソースが少し……以外にも何か使ってるよね? なんだろうこの風味」
紹興酒だよ」
「ああーなるほどこのふわっと広がる香りがそうかって……うち紹興酒なんかあったっけ?」
「なかったから買った。あればいろいろ使えるから」
「あ、そっかー、だよねー。使えるよね」
 などと何気なく会話しながらも、私の頭の中はやかましくパニック気味でした。
紹興酒!? 何に使うのか今わたし思いつかないんだけど??? 常備してるのみんな?)
(わわ、私がど田舎出身だからついていけてないの? これが関東のやり方なの?)
 この後私は、セキゼキさんに気づかれないよう友人知人に常備調味料についていろいろ尋ねて回ることになります。

その後在庫管理表作ったらデータが飛びました

 そしてまた、こんなこともありました。二人でスーパーに行った時の話です。
「あ、ちょっとスパイス系、買い足していい?」
「いいよー」
 というやり取りの後、またしても私を小さなパニックが襲います。
 私はもともと、スパイスやハーブはそれほど豊富に使いこなしている人間ではなく、コショウとハーブミックスとマジックソルトくらいしか常備していなかったのです。
 ですが、セキゼキさんは違いました。
「バジルってまだあったっけ?」
「あったと思う」
オレガノとパセリはあったよね」
「たぶん」
「クミンシードが切れてるんだよね。パウダーのクミンはあるけど」
「クミンが二種類あるのうちには?」
クローブがあったのは覚えてる。タラゴンはどうだっけ?」
「しらない……」
「カルダモン、まだ残ってる? マジョラムは?」
「わからない……」
「フェネグリークとフェンネルシード、新しく買ってもいいかな?」
「フェ……なに? 北欧神話に出てくるでっかい狼?」
 セキゼキさんが料理を始めてから、スパイス類の在庫管理が一気に厳しくなりました。全く把握できません。
「シロイも料理作る時、スパイスとかハーブとかどんどん使って。おれが買ったからって、なんか遠慮してるみたいだから」
 遠慮じゃない。それは断じて遠慮じゃないんだ。
 何をどう使えばいいのか、そもそもどこに何があるのか、わかってないだけなんだ。
 というか、これも関東のやり方なの? 私には膨大としか思えないこのスパイスやハーブ類を、各家庭でどのように管理してるの?

おのれの怠惰に向き合えと言わんばかりの

 あるいは、こんなこともありました。
「今日はひさしぶりに私が作るねー……いやだから。私が作るって。なんで横にいるの? 台所狭いんだけど」
「いや、参考にしようと思って。やっぱり料理はシロイの方が先輩だからさ。手際とかいろいろ、横で見て学びたくて」
 もうこの時点で緊張がすごいのです。紹興酒とスパイスとハーブを使いこなすこの人の前で、私の何が参考になるというのか。とはいえ、
「うーん、やっぱり全般的な手際はシロイのほうがいいなあ。包丁の使い方もうまいし」
 などと言われると悪い気はしません。ちょっと得意になっているところで
「シロイのみじん切り、ずいぶん粗いな。なんで?」
 とセキゼキさんの無邪気な質問が私を襲います。
 なんでって、なんでっておめえ……そんなこと訊く? ねえ、訊く?
「あ、ああ……うん、つまり、そうだ。ほら、私、玉ねぎの存在感が残っている方が好きなんだよ、だからさ」
「なるほどなあ。さすが。おれそういうこと考えないでつい細かく刻んじゃうよ」
 ごめん、嘘。本当は細かいみじん切りが面倒くさいだけなんだ。
 さすがじゃない。全然さすがじゃないんだ。
 だからキラキラした目でメモを取るのをやめてほしい。

 まあでも、このへんの話はね。
 いいんですよ別に。それほど大したことじゃないので。
 私が手こずったのはもっと別のことです。

ガラスの仮面がかぶれない

 セキゼキさんの料理を食べる都度、私は嬉しい気持ちでいっぱいでした。
 彼の料理はおいしいですし、家に帰るとごはんが待っているってとても幸せなことですし。
 私はいつも、セキゼキさんのごはんを褒めました。喜びと感謝を伝えたかったし、私の言葉が一日中家で孤独に過ごすセキゼキさんの励みになることを願っていたからです。
「いただきまーす。うーん、今日もおいしい」
「……ふむ。シロイ、今日の料理はイマイチなんだな」
「なんでそうなるの!? おいしいよ、おいしい。ていうかおいしいって言ってるじゃん!」
「でも心の底からは『おいしい大好き箸が止まらない』とかは思ってないだろう」
「こ、心の底からってなに?」
「この間作った海鮮丼ほど好きではないんだろ?」
「あの海鮮丼は傑作だったじゃん。確かにあっちのほうが美味しかったけど、今日のごはんもおいしいよ。ていうか毎日あの出来のごはんは求めないよ」
「やっぱり、あの海鮮丼よりは落ちるんだな。もう少し早く火を止めて余熱で火を通せばよかったのかな? それともシロイの好みに合わせて玉ねぎを粗く刻むべきだった……?」
「おいしいから! じゅうぶんおいしいから! 家庭料理だよ? 毎日家で食べるごはんに、至高とか究極とか、私は求めないよ?」
「でもできれば至高や究極に近いほうがいいじゃないか」
 そう。セキゼキさんが料理にはまって本当に嬉しかったし、おいしいし、幸せだったのですが、このやり取りがほぼ毎日繰り返されるのは面倒だったのでした。
 セキゼキさんは私の口調や表情、箸のスピードなどを細かに観察して、
「おいしい! 大好き! 死刑前夜にはコレが食べたい!」
 と言わんばかりの反応を示さないと、自分の料理について細かく反省会を始めるのです。
 これはきつい。だって私がごはんを作るときもあるんですよ! 志低く、「食えればよかろうなのだァァッ!!」と思って作成してるんですよこっちは。
 そんな私が、山岡士郎ライクな人にごはん出したくないでしょ! 至高とか究極とか目指してそうな人に!!
「おれが好きでやってるだけだから。シロイは別にそうじゃなくていいから」
 とは言ってくれるんですけど、言われたからって簡単にそう思えるかって言うとそうじゃないんですよ。
 それに十分もおいしいものに対して細かく反省が入り続けるのって、なんかすごく胸が痛いのです。

 というわけで私はごはんを食べた時の
「おいしい!」
 というコメントに説得力をいかにして宿すか、すごく研究するようになりました。
 なんでしょうねこの研究、他の場面で役に立つ時あるんですかね? グルメリポーターになるくらいしかもう思いつかないんですけど。

 まず、タイミングは重要です。
 おいしいの一言は、早くても遅くてもいけません。
 口に入れた直後、まだ舌が味を感じていないタイミングでフライング気味に褒めてしまう人たまにいますけど、あれは駄目です。
 かといってタイミングが遅れすぎるのも致命的。
 それほどおいしいわけじゃないけど礼儀として褒め言葉を一応かけといた、みたいな雰囲気が漂ってしまうのです。

 あとは、言い方ですよね。「おいしい」の一言にどれほどの感情をこめられるか。
 私は試行錯誤を重ねた末に、夏限定ですがすごくリアリティのある「おいしい」が繰り出せる手法を開発しました。
 私はこの手法の存在を、長い間秘密にしてきました。
 セキゼキさんに知られてしまえば、二度と使えなくなってしまうからです。
 ですが最近のセキゼキさんは、そこまで自分の料理に対して厳しさを見せないようになってきました。あの頃あんなにこだわっていたのは、もしかして病気の影響もあったのでしょうか。
 というわけで、ここにその手法を公開します。

 駅からアパートまでなるべく早足で歩く、これがスタートです。
 そして、帰宅したらすぐ風呂に入ります。そうやって、汗をなるべくたくさんかくのです。
 その後、水分を摂らずに食卓につきます。
 それから一口目のご飯をもぐもぐと噛んで飲み込むタイミングで、コップに入った麦茶を一口、ぐいっと飲み下すのです。よく冷えたやつを。
 夏、汗のかいた体で風呂上がりに飲む麦茶は神がかって美味いものです。体がコレを求めていた! という味がします。
 ですからこの麦茶を飲み下したタイミングで出る「おいしい」にはリアリティがむちゃくちゃあります。というかリアルそのものです。
 これはもう、酔っ払ったシーンを演じるために実際に酒を飲んでしまうみたいなものです。
「こんなの……演技じゃない。おれは演技をすることから……逃げてしまった」
 もし私が役者だったら、そんなふうにおのれの演技力の敗北を嘆いたかもしれません。
 けどまあ、幸いにして私には、そういう後ろめたさはありませんでした。
 私がこの手法を編み出してからは、セキゼキさんの自作料理反省会が開かれる頻度はぐっと下がりました。
 この文章をここまでお読みになったあなたの周りに、自身の作成する料理への要求基準が非常に高く、あなたの演技を簡単に見抜いてしまうタイプの方がいらっしゃるようでしたら、是非この手法をお試しください。

三段の壁取り付け式スパイスラック。棚いっぱいに小瓶が並んでいる。
セキゼキさんにスパイスラックプレゼントしたらたいそう喜びました。