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だらだら書きますので、だらだら読んでもらえるとありがたく。

『むしろウツなので結婚かと』第二話〜訂正できないのが妄想だ

 本日12月16日に『むしろウツなので結婚かと』の第二話が更新されました。
comic-days.com
 今回はその第二話の中でセキゼキさんの身に何が起きているのかという話をします。


 会社に行けなくなってしまったセキゼキさんは
「みんなおれに怒っている」
「もう許されない」
「仕事ができない自分は人としてダメだ」
 などと自分を責める言葉を口にするようになったわけですが、この過剰な罪悪感と自己嫌悪と自罰的な態度はウツの間ずっと続きました。マンガで描かれたこの夜だけではなかったのです。
 別に一日中
「おれはだめだ」
 と呟き続けているわけではありません。それに近くなるときもありますけど、せいぜい長くて数時間程度のことですよ。24時間の大半は、そんなことは言わずにいます。
 ですが行動とか考え方のベースには常に「おれはだめだ」という確固たる信念が、どすっと居座っているように思えました。
 例えばタンスの角に足の小指をしたたかにぶつけるようなことがあれば、セキゼキさんの頭も痛みでいっぱいになります。罪悪感も自己嫌悪も自罰も何もかも忘れてしまうでしょう。
 けれどそれはあくまで表面上のことで、そういう目先の刺激がなくなれば心の底に沈んでいる
「おれはだめだ」
 がまた表面に浮かび上がってくるのです。
 私は何度もセキゼキさんに
「考えすぎだよ」
 と言いました。そんなことないよ大丈夫だよ誰も怒ってないよとか、そんなこと。そういう慰めの言葉が役に立ったことは、一度もありませんでした。
 おれはもうダメとか、物がちゃんと考えられないとか、自分の能力に疑念を呈するようになってるくせに、だったら何でここで私の意見に賛同しないんだこの人は! どうせ自分が信じられないんだったら、とりあえず私の判断を全面採用してみてもいいだろうが!
 というのは結構よく思いました。
 ひたすら後ろ向きなこと考えて何かいいことあるのか? ないだろ! じゃあやめようよ!! ということも思いましたし、口にしました。
 だけどそういうのは最初から無理なことだったのです。私はずっとセキゼキさんに、不可能な選択肢を選ぶよう迫っていたのです。
 なぜならセキゼキさんのその過剰な罪悪感はそもそも、ウツのもたらす「妄想」だったからです。
 私がそのことに気づいたのは、少し経ってからのことでした。


 精神医学の世界で言う妄想には、一次妄想と二次妄想という分類があります。
 一次妄想は「なんでそんな突拍子もないことを信じ切っているのかわからない」もの。第三者には了解できない妄想のことです。

  • 秘密組織に狙われて盗聴されている
  • 毒電波であやつられている
  • 自分はナポレオンである

 などです。

 そして二次妄想は、第三者からみても「なんでそういう思い込みを持つようになったかなんとなくわかる」妄想です。

  • 仕事でミスをしてしまった→職場の人はみんな自分を嫌っているに違いない
  • 身体がだるくてやる気がわかない→自分は不治の病で死に瀕しているに違いない

 などです。

 この分類はあくまで便宜的なものであり、一次妄想にも本人なりの根拠と理路があったりしますので、実際にはきれいに分かれるものではないのですが、一応こう分けます。
 そして統合失調症では一次妄想が多く見られるのに対し、ウツで見られる妄想は基本的に二次妄想であるというのが特徴となります。


 セキゼキさんが
「おれはもうだめだ」
 と落ち込むとき、その思い込みは私にとって突拍子がなくて理解不能なものではありませんでした。
 三十代の働き盛りの男性が仕事に行けなくなったらそりゃ落ち込むだろうな。
 いきなり仕事に穴をあけたら、会社の人間にどう思われてるか気になってもおかしくないよな。私だって病欠したら職場のこと気になったりするし。
 そういう一定の理解があったからこそ私は、
「それはちょっと考えすぎだよ」
 とセキゼキさんを説得しようとしたわけです。もしも仮にセキゼキさんが、
「外出すると『機関』がおれの命を狙ってくる」
 とか
「盗聴器で頭の中の考えを抜き取られてしまう」
 とか、そういう一次妄想らしいことを言っていたのならば、私は最初から彼を説得しようとはしなかったでしょう。
 もともと私は、妄想というものについての知識を少し持っていました。不熱心な学生ではあったけれど一応心理学を専攻していましたし、知人に精神科医がいたこともありましたし。精神医学をきちんと体系立てて学んだわけではありませんので、それはあくまで素人の半端な聞きかじりに過ぎませんでしたが。
 それでもその聞きかじりの知識も、ないよりはマシだったのです。


「会社だけじゃない、家族だっておれに怒っている」
 とセキゼキさんが言い出したあたりで私は、
(さすがにこれはおかしいな?)
 と気づきました。会社の人間のことを信じられないのはまだわかりますが、家族のことまで疑うのはあまりにも病的に感じられたのです。
 実際、セキゼキさんの家族はこういうことで人を責めるような方たちではありませんでしたし。
(にも関わらずこの人は、家族が激怒していると思い込んでる。無根拠に。いくらなんでも罪悪感がすごすぎる。この病的な罪悪感の凄さはもしかして……)
 罪業妄想、という言葉を私はやっと思い出したのです。


 ウツの妄想は以下の3つに分類されます。

  • 自分が病気であると思い込む「心気妄想」
  • 自分は酷いことをしてしまった罪深い存在であり、罰されるに違いないと信じ込む「罪業妄想
  • 自分にはお金がないと思う「貧困妄想」

 これらはまとめて「微小妄想」と呼ばれ、自身をネガティブに過小評価する妄想です。


 セキゼキさんの
「みんなが怒っている。おれは許されない」
 という思い込みが罪業妄想であると気づいた時点で、さらに私がもう一つ思い出したことがありました。
(妄想は訂正できない……!)


 そう、精神医学の世界では妄想とは「訂正不能な誤った信念である」と定義されているのです。
「あなたはナポレオンの生まれ変わりではないよ、フランス語が話せないでしょう」
 と言われて
「言われてみればそうだね。軍事的才能も特にないしね」
 と思えるのであれば、どんなに突拍子がなかろうがそれは妄想ではないのです。
 どんな証拠を出しても、どれほど完璧に論破され説得されてもなお、その信念を覆すことはできないからこそ、それは「妄想」と呼ばれるのです。
 私はセキゼキさんの思い込みがなんとなく説得できそうな気がしてしまったのですが、それは間違っていたのです。
 自分の言葉が通じない、何の役にも立たないことを辛く感じていましたが、全部当たり前のことでした。だって彼は病気で、それは妄想だったんですから。
 どうして少しは知識があったはずなのに、セキゼキさんが妄想を抱いていることに気づかなかったのか?
 それはやはり私の中にも、セキゼキさんが病気であるという現実を認めたくない思いがあったからです。セキゼキさんが妄想を持っているなどと思いたくはなかったのです。
 言葉が届かない場所に彼が行ってしまったということを、知りたくなかった。
 セキゼキさんとはいろんな話をたくさんしました。
 これまでも話した、これからも話すだろう。話していてこんなに楽しくて、言葉がよく通じる人はいないと、私はそう思っていました。いろんなことが分かり合える人だと。
 だから話していたかった。話し続けて納得しあえるようになりかった。それがもうできないのかもしれないと思うと、かなしくておそろしくて、辛かったのです。
 けどまあ。
 だからって現実を認めないということは、何の救いにもならないんですよね。どんなにしんどくても今の状態をきっちり把握しないと、前に進むことは難しいのです。
 あーこの人は病気なんだ、妄想が出てしまっているんだ、この悲しくて辛くてしんどい思い込みは、私の言葉によって何とかできるものではないんだ。
 考えすぎだよといくら言われたって、そもそもそういう病気だからどうしようもないんだ。
 そう認めたとき私はやっと、少し楽になったのです。
 私の行動指針は変わりました。
 妄想を訂正することができないのならば、そもそも説得を試みることが無駄でした。そんなことをするくらいなら、セキゼキさんの足の小指を掴んでタンスの角にぶつけ続けるほうがマシなくらいです。
 妄想にとらわれないよう、目先の刺激でセキゼキさんの考えをそらし続ける。
 そう決めてしまえば、無益な説得よりもずっとそちらのほうが楽で、やりがいもありました。
 ご飯おいしいね、このゲーム面白いね。
 そういうことで頭が占領されているうちは、セキゼキさんの妄想も心の底の方に沈んでいてさほどの悪さはしないのですから。
 日常の中のささやかな喜びを見過ごすことなく積み重ねること。
 しんどい日々をやり過ごすためには、そんなとても平凡なことがとても重要だったりしたのでした。

公園のベンチの写真です。ベンチの横には木があります。
電車に乗れなくなったセキゼキさんが12時間近く座り続けていた公園のベンチ。