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だらだら書きますので、だらだら読んでもらえるとありがたく。

雪のバス停

雪が降ると、北で育った子供の頃のことを思い出します。
中学生のときのことです。その日は朝から雪が降り続けていました。
帰り道、私がバス停に行くと知り合いのおばあさんが、にこにこと話しかけてきました。
一時間に一本しか通らないそのバスは利用者もきわめて少なく、バス停で私はいつも一人でした。
「おでかけですか? めずらしいですね」
おばあさんは嬉しそうに笑いました。
「息子たちの顔が早く見たくて」
街に住んでいる息子一家がバスに乗って来るから待ちきれなくて迎えにきたのだと、おばあさんは言いました。
おばあさんの家はバス停から20分ほど歩いたところにありました。遠いというほどではありませんが、雪の中歩くのに楽な距離ではありません。
私たちはバスが来るまでしばらく話をしました。体の芯から冷えるような日で、私は時々その場で足踏みをしながら、暖かいバスが来るのを心待ちにしていました。
ついさっき来たばかりの私がこんなに寒いんだから、その前から待ってるおばあさんはもっと寒いんじゃないかと思った私は、急に心配になって尋ねました。
「本当に、次のバスなんですか?」
するとおばあさんは困ったような顔でわからない、と答えました。てっきり一本前で来るものだと思っていたのに、さっきのバスには乗っていなかったのだ、と。


バスが来ました。降りる客は一人もいません。私はステップを駆け上り、車内を見まわしました。
バスはほとんど空っぽで、家族連れはいません。おばあさんが運転手さんに頼む声が聞こえてきました。
「息子たちが乗ってるはずなんです。確かめさせてください」
それからおばあさんは、ゆっくりとステップを上ってきました。
おばあさんは目を大きく見開いて首を左右に動かしながら数歩進み、それから振り返って、運転手さんに謝りました。
「すみません、このバスじゃなかったようです」
おばあさんが降りるのを待って、バスが走り出しました。
私はがらがらの車内を急いで一番後ろの席に行き、窓ガラスの曇りを拭きました。
ベンチ一つない吹きさらしのバス停の脇に、曲がった腰のおばあさんが立っているのが見えました。小さくて丸い背中の上に雪がどんどん降りしきり、そのままうずもれてしまいそうです。


私はおばあさんが家に帰るのだと思っていました。こんなに寒い日に一時間も外に立っていたのです。一人暮らしで病気になったら大変ですし、あたたかい部屋に早く戻るべきなのです。
なのにおばあさんはこちらに背を向け、街へと続く道をじっと見ています。一時間後のバスを更に待つつもりなのだと気づいた瞬間、私はなぜか泣きそうになりました。
これが「親」なのだ、と私はそのとき思いました。とうの昔に成人し、結婚して家庭を持つ息子を、いくつになってもいとおしんで心配して待ち望む、こういう人を「親」と呼ぶのだと。


あれから長い月日が経ちました。さびれた田舎で路線が廃止され、あのバスはもう走っていません。バスが廃止される何年も前に、おばあさんは亡くなりました。
ですからもう、全てがとっくに終わったことではあるのですけれど、それでも私はあの雪の日のことを思い出すと、祈らずにはいられない気持ちになります。
どうかどうか次のバスからはちゃんと息子一家が降りてきて、おばあさんと会えていますように。雪の中の二時間は辛いです、おばあさんがあれ以上待たされたなんてことはあってはいけないのです、そんなことはなかったのだと、誰か私に言ってください。
おろかしくも盲目的でひたむきに気高い母親は、凍えながらもあの日確かに報われたのだと、誰か私に教えてください。


会社からの帰り、雪の中を歩きながら私は、今日もまた同じ祈りを捧げました。