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だらだら書きますので、だらだら読んでもらえるとありがたく。

二年間のハジマリとオワリとツヅキ〜その10〜

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本文

2007年5月27日の日本ダービー
セキゼキさん(仮名)と私は、コースの内側から、レースを観戦していました。
1番人気馬と2番人気馬が興奮してオーバーペースで潰れる中、自分のペースをきっちりと守ってゆうゆうと先頭に立ったのは、アサクサキングスという人気薄の馬でした。
素人目からも、このアサクサキングスって馬が絶対勝っちゃう流れに見える、と私は思っていました。「紅一点の果敢な挑戦」とやらは、やはり無謀に終わったのか、まあ現実なんてそんなものだろうな、とも。
最後の直線にさしかかってもアサクサキングスはしっかりとセーフティリードを保っており、疲れた様子もありません。
このリードを覆せる馬は出てこないだろうな、と私が思ったその時。
後方の馬群から一頭、飛び出してきた馬がいました。
「うそだろ!?」
セキゼキさんが叫んだのが聞こえ、その頃にはその馬は既に私たちのすぐ目の前に差し掛かっており、そして更に、加速しました。
目前でロケットが点火したような迫力。
そんなことはありえないのに、私はその瞬間、会場いっぱいに「ドン」という爆発音が響いたような気がしました。


この凄まじい加速ならば、もしかしたらあの先頭のアサクサキングスに詰め寄ることが出来るのかもしれない。
ウオッカ、いけえええ」
歓声がそこら中から聞こえました。気がつけば私自身も大声で叫んでいました。
ウオッカがすごい勢いでアサクサキングスに詰め寄っていくように見えた次の瞬間には、並ぶ間もなくアサクサキングスをあっさりと抜き去り、更に突きはなし、一歩ごとにリードをひろげながら、ゴールラインを駆け抜けました。


セキゼキさんは何度も何度も、この日のダービーの話をしました。
ウオッカが馬群を割って、真ん中から抜け出てきただろう? コースの真ん中を、定規で線を引いたみたいにまっすぐに走っただろう?」
テレビで見るとどの馬もまっすぐ走っているように見えますが、実際には馬というものは必死であればあるほどフォームが崩れて体がぶれ、左右によれて走ってしまうことが多い生き物なのです。まっすぐ走るためには訓練と生まれ持った素質の双方が必要となります。
「あんな風にまっすぐ走る馬は珍しいんだよ。それなのにウオッカはまっすぐに走った!」
セキゼキさんが特定の馬を応援することがほとんどなくなってしまってから、もう何年も経っていました。
そのセキゼキさんが、ウオッカの話題になると、何時間でも饒舌に話しました。


ダービーの勝利直後、ウオッカの前には洋々たる前途が待っているように見えたのですが。
その年、ウオッカがレースに勝つことは一度もありませんでした。
セキゼキさんと私は、ウオッカのレースを見るために何度も競馬場に足を運び、そのたびに失意に沈みました。
ウオッカは確かに強くて良い馬なのだろうが、それはやはり所詮牝馬の強さでしかなく、一流の牡馬と比べられるものではないのだろう、という見方をする人が次第に増えていきました。
デビュー直後から活躍し続けていたウオッカは要するにただ早熟な馬だっただけでこれ以上成長することもなく、ダービーはたまたまその年の牡馬の層が薄かったのだろう、という意見もよく聞きました。
ウオッカの評価が低迷していくと共に、セキゼキさんが落ち込んだ様子を見せることも増えたように思いました。
「もうウオッカの応援やめようかな。だって期待を裏切られるのが辛くてしょうがないんだもの。ウオッカは好きだけど、もう勝って欲しいとか思いたくない」
などと言い出したこともありました。
その後うつが発症したセキゼキさんは、ついに
「おれが会社に行ける日なんて来ないよ。ウオッカがもう勝てないのと同じ」
と吐き捨てるように口にするようになりました。


2008年6月8日。
その日の東京競馬場のメインレースは安田記念でした。
安田記念は外国の馬も参加することのできる1600mの国際競走です。当時の世界ランキングで1600m部門1位の香港馬をはじめとする強豪馬がずらりと並ぶ大レースに、ウオッカも出走することが決まっていました。
その日、セキゼキさんと私は、アパートのテレビの前に座っていました。私が体調を崩したために、東京競馬場まで出かけることが出来なかったのです。
とはいえ。
本当はそれ、ただの言い訳でした。
セキゼキさんの病状は、薬が効き始めたとはいえまだまだ不安定な日もあって、だから相変わらず人混みは苦手で、でも競馬場は絶対に大勢の人で混み合っていて。
そのストレスに耐えて観戦したレースでまたしてもウオッカが負けました、なんてことになったら。
もはや徹底的に、絶対的に、完膚無きまで何もかもが駄目になってしまうんじゃないかという、そんな暗い予感が、私にはありました。


ウオッカには勝って欲しい、勝って欲しいけど、もうそう思い続けることに私たちは疲れた、いっそ諦めることができれば楽になれると思う、諦めたいと思う、期待することが辛い、期待しないで済めば、期待させないでくれ。
そんな風に考えながらも、私はウオッカのことが気になってたまらず、競馬中継が始まる時間には、布団から抜け出してパジャマのままテレビの前に座り込みました。
セキゼキさんもやはり、そわそわした落ち着かない様子で、テレビの前に腰を下ろしました。


ゲートが開き、全馬が一斉に飛び出しました。
後方に控えてじっとパワーを蓄え、レースの終盤、持ち前の瞬発力で一気に先頭に立つ、というのがそれまでのウオッカのスタイルでした。
ですがこの日のウオッカは、意外にもかなり前方にポジションを定めました。
(その場所でいいのウオッカ? そんな場所にいて自慢の瞬発力を生かすことは出来るものなのか?)
レースが最後のコーナーから直線に差し掛かったとき、ウオッカはコースの内側へ最短距離で切り込むように動き、進路を確保するとそこからドン、と加速しました。
信じられないような迫力とスピードでウオッカは先頭に躍り出て、速く更に速く前へと進みます。
残るは数百メートル、他馬もいっせいに勝負をかけ、これでもかとラストスパートをかけていますが、ゴールラインを超えるまで、ウオッカと他馬の差はぐんぐんぐんぐんと広がり続けました。


「やっぱり強い、ダービー馬はやっぱり強かった、ウオッカはやっぱり強い!」
実況アナウンサーが声を張り上げるのを聞きながら、私は呆然と座っていました。
やがてセキゼキさんがおずおずと言いました。
「これ、都合の良い夢とかじゃないよね?」
「都合の良い夢だったら、私たちは競馬場にいて、ウオッカの勝利に山ほど賭けて、今頃山ほど勝ってると思う。なのに、待ち望んだウオッカの勝利なのに私たちは自宅にいて、テレビなんか見てるんだから、実はそれほど都合良くない。だから、つまり……」
「…現実だな? ウオッカは勝ったんだな?」
ウオッカは、現実に、勝ったんだよ」
うわあっ、と私たちは喜びの声を上げて立ち上がりました。
ウオッカが勝った!」
「なんだよもー! 応援するのやめなくてよかった!」
ウオッカはやっぱり強かったんだ! 待っててよかった!」


翌日。
セキゼキさんはいそいそと競馬雑誌を買いに走り、ウオッカの大きな写真を何度も何度も、広げて眺めました。


その後7月になって、セキゼキさんの復職が失敗して。
病状が更に悪化して、夜中に洗剤飲もうとしちゃったりして、他にもそういうことはたくさんあって、セキゼキさんにとって苦しい夏は、いつまでも長く、長く続いて。
それでもセキゼキさんは、少しでも調子が良い日は雑誌を開き、ウオッカの写真を眺めました。


やがてセキゼキさんは、その写真を雑誌から切り取りました。
調子がうんと悪い時、セキゼキさんは話すことも動くこともできなくなって、ただじっと部屋の中にうずくまり、何もない壁を見つめていることが、よくありました。
セキゼキさんはその壁に、ウオッカの写真を貼ったのです。
その日からセキゼキさんが見つめるのは、のっぺりとした壁ではなく、ウオッカの勇姿になりました。


「秋になったら、またウオッカのレースがあるから。だから夏は越えたい」
8月も後半に差し掛かった頃、セキゼキさんがそう言いました。
セキゼキさんが未来について、将来について、前向きな言葉を口にしたのを初めて聞いた、と私はその時思いました。
病気は続くだろう、薬はこれからもずっと必要だろう、職場の風当たりはどんどん強くなるだろう、休職期間はいつか終わって、それから?
何も楽しみにできない、何かいいことがあるとは思えない。


だけど、本当はそうじゃなかったんだな、と私は気づきました。
病気が続いても、仕事が辛くなっても、秋にはウオッカのレースがあるのですから。


ウオッカはまっすぐに走っていた」
セキゼキさんは何度も噛みしめるように言いました。
「それはレースの時だけじゃなくて。ダービーの後ずっと勝てなくなっても、おれたちが勝手に絶望して、期待しなくなっても、ウオッカはずっとまっすぐに走っていたんだよ。勝とうとしていたんだ。いつでもまっすぐ、ゴールの方を見て、最短距離で走っていたんだよ」


秋が近づき始めた頃、セキゼキさんは薬の過剰服用をやめ、決められた量を、決められたときにだけ飲むようになりました。
眠れない夜が少しずつ減ってきた、と私が感じるようになり。
調子が悪くなってからは、ほとんどやめてしまっていた料理に、セキゼキさんは再び、積極的に取り組むようになりました。


私のアパートの壁には、ウオッカの写真が二枚並びました。
2007年のダービーと2008年の安田記念
ウオッカの次のレースは、着々と近づいてきていました。


続く