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だらだら書きますので、だらだら読んでもらえるとありがたく。

偉くなくても強くはなれる

はじめに

今回のお話は、諸々の事情をかんがみまして、だいぶ事実を改変しております。
フィクションと思ってお読みください。
あなたが実際に似た話を知っているとしても、それはおそらく偶然の一致であり、この話とは無関係です。


本文

シロイさん、駅までなら送っていこうか?
いいのよもう、どうせ通り道なんだから。それに誰かとお話しながら帰る方が楽しいでしょ。遅い時間なんだし、このへんは道が暗いし、駅まで歩くのは危ないでしょ。だから遠慮しないで。
ふふ、いいでしょう、この車。最近、かなり契約、とれてるからね。思い切って買ったの。実はこの車を誰かに自慢したかった気持ちもあったりして。だって私、この車見るたびに思うのよ、自分はここまで来れたんだなって。ほんと、嬉しくって。
この仕事、最初の頃は辛かったけどねえ。私は営業の才能がないって、何度思ったか。契約なんてとれなかったし、お給料もちょっとしかもらえなくて、ぜんぜん生活できなかったもの。しょうがないから、夜は別の仕事をしてた。
って言ってもオバサンだから、お水の仕事なんかはできなくてね。深夜の工場勤務よ。あの頃は確かに、身体がすごくきつかったなあ。
私ほら、専業主婦だったから。離婚しても、なかなか仕事がみつからなかったのよね。まあそれは、別れる前から予想していたから、いいんだけど。
慰謝料? だって私のワガママが原因の離婚だもの。貰えるワケない。私がただあのひとと暮らすのが心底、嫌になって、別れてくださいって頼んだの。あのひと、びっくりしてたなあ。オマエ自分がどうなるのかわかってるのか、それでいいのか、野垂れ死にだぞ、なーんて、言われたわね。
でも野垂れ死にでもいいから、別れたかったのよね。


何がそんなに嫌だったか? そうねえ、一番嫌だったのは、クリームシチューをしょっちゅう、作らされたことよね。
私、牛乳アレルギーなの。それでね、牛乳が混ざっている湯気を、吸い込むとね、もうだめなの。体中あちこちぶつぶつになって、息が苦しくなって、しばらく動けなくなるんだな。
あのひとね、シチューが大好きで、とにかく好きで、一日三回食事しても、それとは別にふっとシチューが欲しくなったりする人だったのね。変わってるでしょ。
飲んで帰ってきて、食べてきたから食事は要らない、シチューだけあっためて出してくれとか。
夜中に小腹がすいたからシチューが欲しいとか。
あのひとが急に欲しくなったときのために、冷凍庫の中は凍らせたシチューでいっぱいだった。シチューのストック、いくらあっても、すぐになくなってね。ちょっと時間が空くと、いつもシチュー作っていたような気がするな、あの頃の私。
まずいシチューを作ると怒られて、作った分を捨てなきゃいけなかったから、足りなかったというのもあるわね。ほら私、牛乳アレルギーだから、シチューの味見が出来なかったから。それでもだんだんあのひとの好みをつかんで、まずいと言われることは減ったけど。
でもやっぱり、シチューを作るのは辛くてね。シチューって牛乳使うから、鍋から牛乳の混ざった湯気があがって。いくら換気扇を回しても、その湯気をまったく吸い込まないってことは出来なくって。いつも私、シチューを作った後、具合が悪くなって、寝込んでた。


あのひとが自分で作ればよかったんじゃないかって? そうね、私も、それは言ってみた。自分で作って食べてくれないかって、頼んでみた。
そしたら、怒鳴られたの。家事はオマエの仕事だろう、おれが外で苦労して稼いできた金で養って貰っているくせに、おれに家事を押し付けるのかって。
それ言われると、なにも言えなくてね。
いろいろ試してはみたんだ。レトルトのシチューをあっためて出すとか。豆乳でシチュー作るとか。でもぜんぶ駄目。レトルトのときは、家事がオマエの仕事なのに、手を抜くんじゃないって言われた。豆乳使ったときは、こんなまずいものを食わせるな、自分がラクをするために変な小細工をするな、オマエは家事をなんだと思ってるんだって、やっぱりずーっと、説教された。
シチューを作った後、私はしばらく動けなくなって、畳の上に横になる。あちこちにぶつぶつが出来て、息もひゅーひゅー言って、みっともなかったんでしょうね。あのひとは、私を見て、また怒った。いちいち大げさに騒ぐな、いやみな演技はやめろ、シチューがまずくなる。おれはオマエのために毎日外で苦労してるんだから、一番の好物くらい、好きに食わせろって。


浮気もしない、酒タバコ賭け事は一切やらない、暴力もなかったし、真面目で、いいダンナだったとは思うのよ?
シチューさえたっぷりあれば、他のおかずがなくても、文句を言わなかったし。
それでも嫌になってしまったのね。私のワガママで離婚したっていうのは、そういうこと。
あら、そんな風に言ってくれたの、シロイさんくらいよ?
みんな呆れた顔してたもの。どうしてシチューくらい作れないんだって。大げさに騒ぐなって。
でも結局、大げさに騒いで、別れちゃった。ふふ。


実家には帰らなかった。帰ってこいとは言われたけど。
え、理由? そうね、私、別に両親と折り合いが悪いわけじゃないしね。でも実家に帰るってことは、しばらくの間にしろ、親の金で暮らすってことになるでしょ。それが嫌だったのよ。
私は、自分の手で稼いだお金だけで、生活したかったの。そのお金がどんなに少なくて、どんなに苦労することになっても。それこそ、野垂れ死にしてもいいから、自分以外のひとのお金を使いたくなかったのよ。


シロイさん、私はこれ、すごく大事なことだと思うのね。
あのね、人間て別に、稼いでるほうが偉いわけじゃないのよ。でもね、稼いでるほうが、強いの。だってお金って、すごく強いでしょう?
おれは外で苦労して稼いでるって言う人が、ほんとに苦労してるとは限らないの。それは私が自分のお金を稼ぐようになってからわかったことね。だって私、仕事は楽しいもの。苦労することはそりゃ、あるけど。でもどんな立場の人間も、それなりに苦労はするもんよね。違う?
ひとはみんな、自分は苦労してるって、思うの。そうすると他人は苦労してないように、見えてくるの。
でもね、おれは苦労してる、わたしも苦労してるの、そんな言い合いになったら、勝つのはお金があるほうよ。
札束で頬を叩くって、言うじゃない。お金があれば、お金で相手を引っ叩いて、言うことを聞かせることが出来るの。
ひとは別に、偉い相手の言うことを聞くとは限らないもの。だけど強い相手の言うことは、聞くしかないわよねえ? 自分よりずっと強い相手が、自分を殴りつけようとしていたら、そりゃ従うわよ。


だってねシロイさん、私いろんなひとに言われたわ、「シチューを作ったくらいで死ぬわけじゃない、なら我慢しろ」って。「何かアレルギーが出ないように工夫をしろ」って。
でもある日、私思ってしまったの、「じゃあ、あのひとは?」って。
夜食のシチューを食べなければ、あのひとは死ぬの? シチューを食べなくてもなんとかなるように、あのひとが工夫してもいいんじゃないの、私じゃなくて? 死ぬわけじゃないんだから我慢しろって、どうして私は、あのひとに言えないの?
それで気づいたの、私は弱いんだなって。だから我慢しなければいけないんだなって。


愛ねえ……確かに愛があれば、いくら自分が強くても、弱い相手を引っ叩いて無理やり我慢させるのはいけないって、思えるんでしょうね。でも、愛が冷めることって、別に珍しくないものね。
そうなったら、せっかく自分は強いんだから、弱い相手に我を通してもいいかって、そう考えてしまうのは、不思議じゃないわね。
お金は冷めないものねえ。ずっと強いままで、そこにあるもの。
だから、私は自分のお金が欲しかったの。自分以外のひとのお金に頼りたくなかったの。誰かのお金によりかかるくらい、怖いことはないなって、思うようになったから。
仕事を始めたばかりで契約がとれなかった頃、身体はいつもくたくたで、部屋に帰ると倒れて寝るだけだったけど、その部屋は狭くて古くて家具もろくにない、がらんとした部屋だったけど、すごく気分が良かったなあ。
どんなに小さな部屋でも、ここは自分のお金だけで手に入れた場所なんだ、ここにはお金を盾にして私を思い通りにしようとするひとはいないんだって思ったら、ほんとに気持ちが、すーっと楽になった。
自分が強くなれたような気がした。


……そろそろ駅が見える頃ね。ロータリーで降ろすのでいいかしら? ごめんなさいね、変な話しちゃって。
あら、勉強になりましたなんて、言ってくれるの? そう言われると逆に、おかしなこと教えてしまったんじゃないかって、心配になってくるわね。
ああ、そう、うん、よく知ってたわね、そうなの私、もうすぐ再婚するの。
いいひとよ、すっごく。優しくて。一緒にいると、大事にされてる気がする。
実はそうなの、仕事をやめてもいいよって、言われたの。今まで苦労したんだから、ぼくがラクさせてあげるって。
でもあのひとも、昔は優しかったの。私を大事にしてくれたの。
少し違うかな、あのひとは最後まで、あのひとなりに優しかった。あのひとなりに、私は大事にしてくれた。あのひとはちっとも、悪いひとじゃなかった。
だけど、強い立場にいる人間が、その強さを使わないでいるのって、とても難しいからね。
ほんとはお互いのどちらが強くて、どちらが弱いかなんて関係なく、助け合えたらそれがいいんだろうけど。
だからねえ、やっぱり私、やめないでしょうね仕事。やめられないわよ。怖くって。


さ、着いた。気をつけて帰ってね。
うん、そう、明日も仕事があるものね。それってほんとに、大事なことだから、ね。