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だらだら書きますので、だらだら読んでもらえるとありがたく。

マーカ・テンドーさんのこと

マーカ・テンドーさんは最も多くの世界タイトルを受賞した日本人マジシャンです。
「ULTIMATE MANIPULATOR(究極のテクニシャン)」と呼ばれ、世界各地に大勢のファンがいらっしゃいます。
後進の育成にも熱意を持って取り組む方で、自宅の近所の大学のマジックサークルにしょっちゅう顔をだしては、マジック道具の調達をしたり、乞われて技術指導を行ったりしていました。
私は幸運にもテンドー邸の近所の大学に進み、マジックサークルに入り、それがきっかけでテンドーさんと知り合うことができました。
これは本当に、素晴らしい幸運だったと思います。


テンドーさんというのは、明るくまっすぐなやんちゃぼうずが、そのまま大人になったような人でした。
たとえば、田舎の学校に転入したばかりの子どもが、知らないことばかりでまごついているとき、テンドー少年はその子どもの傍に駆け寄り、こんな風に話しかけることでしょう。
「なあなあ、お前、カブトムシ好き?」
「うん、好きだけど……」
「じゃあさ、これからカブトムシがうんととれる林に行かないか? おれが案内するよ!」
転入生はそれ以外にも「川遊びにぴったりの渓流」や「釣りのできる静かな淵」、「甘酸っぱい桑の実がいっぱいに生った茂み」など、多くのよきもの、すばらしい場所を、テンドー少年に教えられることでしょう。転入生はあっという間に当初のまごつきを忘れ、心の底から楽しんで笑うようになるでしょう。
そして、もし転入生が「ありがとう」と礼を述べれば、テンドー少年はきょとんとした顔で「何が?」と聞き返して来ることでしょう。
「いろんなこと、教えてくれてありがとう。本当に助かったよ」
そう言われたテンドー少年はぱっと嬉しそうな笑みを浮かべた後、照れくさそうに「そうだろそうだろ」と茶化すような口調でごまかし、
「それより、今度はあっちの田んぼに行って、ザリガニを釣ろう!」
と言いながら、駆け出して行くに違いありません。


マーカ・テンドーさんというのは、そういうひとです。
底抜けにひとが良くて、驚くほど親切なのにその自覚がなく、自分の知るよきもの、すばらしいものを、ひとに分け与え続けることに、何の疑問も抱かないひとなのです。
テンドーさんのおかげで私たちは、珍しくて貴重で素晴らしい体験を、数多く味わうことができました。
私たちが興奮して感想を口にすると、テンドーさんはにこにこしながら、
「よかっただろ! 絶対君らが喜ぶと思ったんだよー、いやー、よかったよかった」
と言いました。
私は国内外の多くのプロマジシャンの素晴らしいショーを、本当にたくさん見ることができました。それは、本来ならば、多くの時間と手間とお金をかけなければ不可能なことで、場合によっては、時間と手間とお金をどれほど費やしても不可能なことです。
私がそのような経験をできたのは、ひとえにマーカ・テンドーさんのおかげです。
テンドーさんはマジックが好きで好きでたまらず、それゆえにマジック好きの仲間たちがもっと多くの素晴らしいものを見ることができるように、尽力するひとなのです。
「君らが喜ぶと思ったから」、ただそれだけのシンプルな理由で、他人のために動けるひとなのです。


後に私は、テンドーさんがマジック用品の販売を手がけるようになったとき、その業務の一部を手伝わせていただきました。
それは身震いするほど新鮮で、楽しい経験でした。
ある日、商いを終え、マジック用品を片付けているとき、テンドーさんが傍らに居た友人Mと私に向かって、こう言いました。
「助かったよ、ほんとにありがとな。お礼はどうしようかな……そうだ、たとえば君らの結婚式で、おれが無料でマジックするってどう?」
Mと私は、あまりのことに言葉を失い、ぽかんと口を開けました。
「あれ? そんなの必要なかった?」
「必要あります! これ以上必要なものなんて、他に何一つないくらいです!!」
勢い込んで私たちは断言しました。


数年前、私は、人生で一番と言っていいほど、辛い思いを味わいました。
それは長く続き、数ヶ月経っても、数年経っても、癒えない傷がぐずぐずと痛み続けるような辛さでした。
それでも、辛くて辛くてどうしようもない、真っ暗闇の中に取り残された気分になるたびに、私の目の前を明るく照らし出してくれたのは、テンドーさんの言葉でした。
いつか。
テンドーさんは、私のために、ショーを行ってくれるのだ。そのとき私は、最前列の一番いい席に陣取ろう。
スーパーアリーナ席でマーカ・テンドーのミリオンカードを見る。
こんなに素晴らしいことが、他にあるだろうか?
テンドーさんが約束してくれたのだから、私はそれが果たされるようにがんばろう。諦めるのは、もうちょっとがんばってからにしよう。
長い間、テンドーさんの約束は、私の人生を明るく保ち続けてくれました。


テンドーさんが癌になったと聞いたのは、今年になってからのことでした。
お見舞いに行った私は、状況が決して楽観視できるものではないと知りましたが、それでも絶望からは程遠い場所にいました。
テンドーさんは運も心も強い人なのだから、病気になど負けるはずがないと確信していたのです。
だってそうでしょう、テレビの中のスーパーヒーローは敗北なんてしないのだと、子どもたちはみな信じているものでしょう?
私にとってのテンドーさんは間違いなく、輝かしいヒーローなのですから。


次に私がお見舞いに行ったとき、テンドーさんは眠っていました。
抗がん剤の副作用で衰弱し、ずっと眠ったままなのだと、今のテンドーさんは耳もほとんど聞こえないし、声もあまり出ないのだということでした。
私はテンドーさんがもしかしたら目を覚ますのではないかと期待しながら一時間ほど待ち、それからベッドの傍らに置いてあった会話用のホワイトボードに「起こしたくないので帰ります。また近いうちに来ます」と書いて、病室を出ました。
そしてそれが、今生の別れになりました。


世界的なプロマジシャン、マーカ・テンドー師は、2009年5月26日に永眠されました。
49歳でした。


あまりに早すぎる、と思います。
私がテンドーさんに受けた恩は、とうとう返せずに終わりました。そのことが悔やまれてなりません。
おかしいな、こんなことあるわけないのに、というのが正直な気持ちです。
テンドーさんはいつも元気でエネルギッシュなひとなのに、ステージ上で見事に輝いていたのに、それはほんのちょっと前のことなのに、こんなことあるわけないでしょ、と毎日思っています。
そのせいか、最初の涙が出るまで二日かかりました。


一昨日の夜、テンドーさんの夢を見ました。
テンドーさんと私はショーについて話し合っていました。これまで見てきたショー、これから見るショー、本当に素晴らしい、身震いするようなショーについて。
「さあテンドーさん、次のショーを見に行きましょう」
私の言葉に、テンドーさんは首を振りました。
「なんだかおれは疲れちゃったから、もういいよ。行かないよ」
「そういえばテンドーさん、お顔の色が少し悪いですね。うん、だったら、私も行かないですよ。残ってテンドーさんとお話したいことも、たくさんありますし」
「それはよくないな」
不意に、テンドーさんが笑みを消しました。
「ショーはまだ続いているんだから、あなたは見てきなよ。おれはシロイより前に、たくさんいろんなショーをみたから、もういいんだ」
テンドーさんの言葉には、不思議な重みがありました。逆らいがたい、ヒーローの言葉。
「わかりました。行きます」
私がそう言って席を立つと、後ろからテンドーさんが声をかけました。
「おれは本当に疲れちゃったから、あなたがここに戻ってきても、もう帰って、いなくなっているかもしれない。だけどそんなことは本当に気にするなよ。気にしないで、ショーを楽しめ!」


目を覚ました後私は、また少し泣きました。
The show must go on! 何があってもショーを中断してはならない。
ショーという生き方を選んだ人間が口にする言葉として、これほどふさわしいものがあるでしょうか。
ショーは続いているし、続けなければならない。テンドーさんが居ても、居なくても。


それが夢でしかなくて、ただの思い込みや無意識の反映に過ぎなかったとしても(私はそんな風に思うことはできませんが)、それでもいいんです。
テンドーさんならきっとこう言ってくれるだろう。テンドーさんが私にそう思わせてくれた。それだけでも、私はテンドーさんに感謝します。テンドーさんはすごいな、と思います。


燕尾服の似合う、長身のマジシャン。プロマジシャン、マーカ・テンドー師は、本当に格好のいい方でした。
最後まで、ヒーローであり続けてくれました。


テンドーさんは今、いつものように颯爽と歩きながら、新たなステージに向かっているところなのでしょう。
どうかそこがテンドーさんにふさわしい、明るい場所でありますように。
私はそう祈ります。


テンドーさん、今まで、本当にお世話になりました。
どうもありがとうございました。


……テンドーさん、私は毎日、とてもさみしいですよ。さみしくて悲しいです。
私はテンドーさんが大好きなんです。私だけじゃなくてたくさんたくさん、同じ気持ちのひとがいますよ。
それなのに、もうお会いできないことが、残念で仕方ありません。





マーカ・テンドー師のミリオンカード

youtubeで海外の有志の方が、あげくださった動画を見つけました。
Mahka Tendo Manipulacion - YouTube