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だらだら書きますので、だらだら読んでもらえるとありがたく。

きんべんなうたうたいのおはなし その2

続きです。その1はコチラ
特にサスペンスフルだったりエンターテイメントだったりする展開はありません。先に言っておきますが。


その後うたうたいはいつの間にかヘッドホンを使うのをやめて、普通にステレオから音楽を聴くようになっていました。心遣いをうしなった彼に対して、私の評価は下落したわけですが、一方で彼の地上最自由な歌声(わかりやすく言えばど下手で音がでかい)が伴奏でごまかされるようになり、苦痛はいくぶん軽減していました。
「隣の部屋の人間がうるさい? なら壁を叩いてやればいいじゃん」
とセキゼキさん(仮名)に言われたりもしたわけですが、私は平和主義者。そんな隣近所との人間関係が気まずくなりそうなことは断固として避けたいと考えていました。そもそもそんなことして再びうたうたいがヘッドホンをつけて歌い始めたら、やだし。
……しかしそんな風に考えていたのも、既に過去の話です。

のめやうたえのおおさわぎ

ある晩、うたうたいの部屋で飲み会が開かれました。
平日の夜。私は明日も仕事。けれど隣の部屋からは大勢の人間が勝手気ままにがやがや中。
けれど私は許そう、と思っていました。だって彼らは大学生。人生でいちばん自由な時代。平日の夜に時間を忘れてみんなで飲み会なんて、あの年頃じゃなきゃできないことです。
あと数年すればうたうたいだって、満員電車に詰め込まれて残業に苦しむ、疲れた勤め人になるのです。いわば今は執行猶予期間です。
「人の子よ、束の間のモラトリアムを楽しむがよいぞ。この先のさだめも知らずに、哀れなことよ。ふはははははははは」
私は魔王口調で呟きました。
「さて、それはそれとして、我はもう眠りにつくとするわ……ってあああっ!?」
ギュオオオオオオーン!
突如として隣室でかけられていた音楽のボリュームが大幅に上がりました。
そう、その夜、うたうたいはヘッドホンを使わず、ステレオで音楽をかけていたのです。ほかの人間の前で一人きりヘッドホンをつけたまま歌いまくるわけにもいかないでしょうから、妥当な行為ではありましたが。
しかし、だからといってこの音量は……しかも時刻は午前1時12分。
「きさま……この間親切にしてやった私に対してその態度は何事だ……この時間に大幅ボリュームアップで新発売ってそれはねえだろうがああっ」
私はそのとき初めて、壁をどんどんと殴ってしまいました。すると
「ガンガンガンッ」
壁を殴り返されました。え、私、喧嘩売られてる? 私がさらにかちんときたそのとき、非常識なボリュームが少し下がりました。飲み会仲間の中にはきっとまともな人間もいて、そのひとが周囲をたしなめてくれたのでしょう。
「わかればよいのだよ。騒ぎすぎない程度に楽しんでくれたまえ」
私がそう考えて部屋の電気を消し、ベッドにもぐりこんだ次の瞬間。
ドゥーン! ドゥーン! ドゥンドゥドゥーン!!
またしても音楽が最高音量にアップ。こっちの部屋を監視してタイミング見計らってんのかと思うくらいの絶妙さ。
「だからこの時間にその音量はなんだああああっ、自由すぎるだろ、お前らいくらなんでも自由すぎるだろうがあああああぁぁぁぁぁっっ」
かっと頭に血が上り、私はさらに壁を強く叩きました。手が痛い。
ガンガンガンッ。そしてまた叩き返される壁。
「ふ、ふふ、ふふふ、ふふふふふ……君の考えはよおくわかったよ、うたうたいくん……」
「私のこの間のちょっとした親切――確かに特に役立たなかったけれども――に対して君は、こんな風に報いるのだな……。それが君のやり方なのだな……」
「よかろう、ならば戦争だ!」
「恋愛と戦争においてはすべてが許される! 君は今後その言葉の意味を深く思い知ることになるだろうっ」
私はぎりぎりと歯軋りしながら、その晩は眠りにつきました。

ふくしゅうするはわれにあり

怒りに震えながら眠りにつくと、ろくな夢を見ません。
その晩私は、寝ている間ずっと『隣室の騒音がやけにうるさくてイラつく』という夢なんだか現実なんだかわかりゃしないような夢をみていました。
特に明け方ころに見た夢はひときわ喧騒に満ちており、怒りに満ちた若い女性の声が甲高く響いたかと思うと、今度はどたどたばたばたと大勢の人間が部屋のドアのすぐそばを動き回るという、非常に落ち着かないものでした。


翌朝、私は「昨晩隣人が非常にうるさかった」という愚痴メールをセキゼキさんに送りました。

今までの平和主義を撤回するときがついに来た。
こうなったら、昭和49年に起きたピアノ騒音殺人事件(団地の隣室のピアノがあまりにうるさく、注意しても改まらないため頭にきた隣人が母子三人を殺害した事件)の記事をコピーして、隣室の郵便受けに突っ込もうかと思う。

セキゼキさんの返信は早かった。

早まるな。冷静さを失っているぞ。脅迫罪で警察に駆け込まれるかもしれないじゃないか。

む、それは困るな。それでは第二の策を講じるとしよう。

わかった。じゃあわら人形をオンライン注文して、その注文ページをプリントアウトしたものを郵便受けに入れておくだけにする。ありがとう、ナイス忠告。


すると昼休み、私の携帯が鳴りました。
「あれ、セキゼキさんだ。なんだろ……もしもし?」
「わら人形の注文セットって、ありゃあいったいなんだ?」
「え、セキゼキさん、知らないの? そういうネット通販しているサイトがあるんだよ。私はまだ買ったことないけど、けっこう有名で……」
「そういう話をしてるんじゃない! なんで君はそう、極端な方向に走るの? 隣人とは仲良くやっていきたい、気まずくなりたくないって、昨日まで言っていた人間のやることじゃないだろ!?」
「だって! 壁を叩いたけどぜんぜん隣がおとなしくならないんだもん……もう他にどうしていいか思いつかなくてさ……」
「ばかー。そういうときは普通、まず不動産屋に苦情だろうが。それでも駄目なら警察とか。いきなり自ら手を下す必要はないんだよ! しかもそんな方法で」
「おお。君頭いいな。そんな手を思いつくとは」
「うん、おれが特別に頭いいわけじゃないね。普通の人が普通に思いつくことだねこれは。むしろこれ以外の手を思いついて実行しようとするのがおかしいね」
「そうだね、ヤツの社会的信用を次第に失墜していくさまを見守ることにしようじゃないか。さっそくこれから電話するよ!」
というわけで私はその後、不動産屋に電話をかけ、あまった昼休み時間は、ネットでわら人形セットの通販サイトを眺めてストレス解消したりしたのでした。

ひとをのろわばあなふたつ

不動産屋さんの対応は、予想以上に真剣に私の訴えを受け止めてくれた様子でしたので、その日、帰路をたどる私の足取りは、なかなか軽やかなものでありました。
しかし。
我が家まであとわずかのところで、その足はぴたりと止まりました。
私の部屋のほど近く、うたうたいの部屋のドアの前にあるあれは……
「血……みたいにみえるけど?」
おそるおそる近寄ってしゃがみこみ、眺めます。
「やっぱり血だ……もう乾いているけど。すごい量……」
そこにはちょっとした血だまりと形容してもいいほどの、血のあとがありました。
「い、いったいなにが起こったんだろう」
そのとき私の頭の中をよぎったのは、昼休みに眺めていた、呪いグッズの通販サイトのことでした。
(……ままま、まっさかー。私はわら人形、買ってないし。あんなに高いもの、本気で買うつもりないし、丑の刻参りするほど暇じゃないし、ただネットサーフィンしてただけだし……買わないで眺めているうちから呪いが発動するほどの品だから高いってわけでもないだろうし……ていうか! 呪いなんて存在しないし! だからうたうたいが大怪我したんだとしても、吐血したんだとしても、私とは無関係!!)
私がそんなことを考えながら血だまりを凝視していると、後ろから男性の声がしました。

めいたんていとうじょう

「なにやってんの、そんなところで?」
びくっとした私が立ち上がって振り返ると、そこにいたのはセキゼキさんでした。
「ちちちち、ちがうのちがうの、ここに血だまりはあるけど、確かにあるけど、でもそれは私のせいじゃないの! 私はほんとうに、いかなる手段によってもうたうたいの負傷に関与してないの! もちろんカオス理論とかバタフライ効果とか、そういうことを言い出すと、もしかしたら関与しているかもしれないんだけど、でもそれじゃきりがないと思うの!」
動揺のあまりわけのわからないことを口走ってしまう私。これが殺人現場で、声をかけてきたのが警官だとしたら、私は間違いなく逮捕されていたことでしょう。
「ちだまりぃ? んなもんがそこにあるの? ちょっと見せて」
セキゼキさんの言葉に私はがくがくとうなずきながら場所を譲りました。
「どどど、どうしてセキゼキさん、こんなところに?」
「いや、シロイが心配で……というか正確には、頭に血がのぼったシロイがわら人形と殺人記事のコピー以外の新たな思いつきにしたがっていたらと思うと、いろんなものが心配になってきて、様子を見にきたのね。そしたらまあ……血だまりねえ?」
「えっ、ちがっ、マジでほんとにそれ私のせいじゃないです信じてくださいお願いですから、そんな正体不明の血だまり、私ほんとに知らないです!」
「正体不明っていうか、これ、鼻血のあとっぽいよな。このかんじ」
へっ、と私は間の抜けた声を出しました。
「はなぢ? チョコレートの食べすぎとかで出るアレのこと?」
「うーん、というか酔っ払い同士、喧嘩でもしたんじゃないの? 飲み会だったんだろ、ゆうべ。この乾き具合からすると、そのくらいの時間は経ってそう」
「あ。もしかして」
私はそのとき、自分が今朝見た夢のことを思い出しました。ひょっとしてあれは、夢ではなかった?
「あいつら、明け方に喧嘩していたのか……? あの女の子の声と、どたばたした音がうるさかったのは、ドアのすぐ前で喧嘩していたから?」
「そう考えると、辻褄は合うよね」
確かに。買ってもいないわら人形の効果と考えるよりは、よほど納得ができます。
「ううう、なんで明け方に喧嘩なんてそんな傍迷惑なことを……」
「理由もなんとなく、見当つくけどなおれ」
「とおっしゃいますと?」
「だって。隣でする女の子の声、ときどき変わってたじゃん」
「! あれか!!」
そうなのです。
隣のうたうたいの部屋からは時々、若い女性の声もしていまして、しかもその声が一種類ではなかったのですね。
それに最初に気づいたのは私ではなく、うちに遊びに来ていたセキゼキさんでして、
「隣に来ている女の子の声、前と違う子だよね?」
「……ほんとだ。うーむ。浮気なのかなあ。ばれたりしないのかなあ」
なんて会話をしていたことがあったのですが。
「ついにばれたのか、うたうたいの秘密の社交が」
「その可能性はあるよなあ。喧嘩の音がしたとき、女の子の声もしていたわけだろ。酒でみんなの頭がゆるーくなってる明け方にうっかり浮気がばれるようなことを、彼が言っちゃって。女の子が怒って。その子に気があった他の男が怒って。表に出ろ、とか言って」
「そして流血沙汰になって、大騒ぎか」
「そんなとこじゃない?」

うたうたいはしずかにくらしたい

その後。
うたうたいの部屋は、びっくりするほど静かになりました。
音楽も聞こえず、歌声も聞こえず、どんな女の子も声も聞こえなくなりました。
私の勝手な憶測ですが、彼はきっと、新たな環境での一人暮らしの自由を、ちょっとばかり満喫しすぎていたのでしょう。
開放的な気分で音楽をきき、開放的な気分で歌をうたい、開放的な気分で部屋に女の子を呼び……そして思わぬしっぺ返しを受けた?
鼻血を出したのがうたうたい本人だったのか、その対戦相手だったのか、正確なところはわかりません。
セキゼキさんが推測したような出来事が一切起こっていなかった可能性もじゅうぶんにありえます。
ただまあ、鼻血を出したのが誰だったにしろ、うたうたいはきっと、ちょっとばかりたいへんな思いを味わったでしょうしね。しかもその直後に不動産屋さんから注意がいったわけですしね。
自由すぎたおのれを反省したのか、もうこりごりと思ったのか、なんにせよ、うたうたいが最近、静かに暮らすひとになったことは確かです。
めでたしめでたし。


だらだら長々と続いたわりに、さしたるオチもなくて、申し訳ありませんでした。
このような文章に最後まで付き合ってくださった方々には、深く感謝しております。
ありがとうございました。