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だらだら書きますので、だらだら読んでもらえるとありがたく。

きんべんなうたうたいのおはなし その1

私のアパートの隣の部屋には、“勤勉なうたうたい”が住んでいます。

はたらきもののうたうたい

隣の部屋の男子大学生が、とにかくよく歌っています。
午前二時に
「すべての子守唄が嫌いになりそうだ……歌声聞きながらなんて眠れないよう」
などとぼやきながら眠りにつくことがざらにあります。
午前六時五十分に
「うーねむい、起きなきゃ……って、こんな朝早くから歌ってるのかよ隣は」
とつぶやきながら目を覚ますことも珍しくありません。
彼の歌声はほぼ全ての時間帯を制覇しています。
日曜日の昼、私が家にひきこもってだらだらしているときも、彼はしばしば歌っており、そんなとき私は
「たまの日曜日くらい歌ってないで外出すればいいのに」
と自分のことを棚に上げてつい思ってしまうのでした。


いったいどれだけ歌っているんだ? 勤勉すぎるだろ!
もし君の仕事が部屋にこもって歌を歌い続けることなら、かなりのワーカホリックだよ!!
週末くらい、休めよ、というか、聞き手としての私を休ませてくれよ、お願い。たまには静かな在宅タイムが過ごしたいの……
そんな風に考えるようになった私は、いつからか彼を“勤勉なうたうたい”と心の中で呼ぶようになったのでした。

あかぺらじごく

勤勉なうたうたいは、どうやらヘッドホンで音楽を聴きながら歌っているようでした。
たまに歌声が途切れて、「やれやれ、やっと終わった」と思った数秒後に、再び勢いよく彼が歌いだすときがあるんですが、あれがちょうど、CDとかで一曲終わって次の曲にうつるときと同じくらいの間なので、そういう見当がつくわけです。
隣近所に騒音を響かせないようヘッドホンを使用してくれる彼の心遣いを私は高く評価しますが、そこには一つのワナがありました。
ヘッドホンをつけたまま歌っていると、自分の歌声は聞こえなくなります。
そのため、うたうたいの歌というのは、音量や音程の調整がなされていない、すばらしく自由なものになるわけです。
えーと、つまり率直に表現すると、「しょっちゅう音程が外れるかなり下手な歌を大声で歌っている」んですよね彼。
そんな歌声に、おはようからおやすみまで暮らしを見つめられるというのは、わりと神経にくるのですよ。
伴奏があれば、音程がはずれていても、他の楽器の音でビミョウに誤魔化されるけど、無伴奏だと、全然ごまかしが効かないんだなあ、ということを私は今更ながら実感しました。アカペラコーラスやっているひととか、ほんとみんなすごいわ。


その他にも
「気分が盛り上がったときにサビだけ急に歌う」
「気分が盛り下がったらしく、半端なところで歌が止まる」
「途中で曲を変えたらしく、唐突に別の歌を歌いだす」
「聞こえてくる曲がなんとなく聞き覚えがある気がするのだが、音程がしばしば大胆にはずれるため、何の曲だかそこでわからなくなってしまう」
などの行為も地味に神経にきます。

あらしのよるに

さて、昨年、ある台風の夜のこと。
食料が尽きた私は、遠出を避け、近所のコンビニに向かうことにしました。
雨風の吹きすさぶ中、ドアの外に出ると、隣の部屋の前で若い男の人が狂ったように自分の体のあちこちを叩いていました。
(うわ、ひょっとしてこのひと、隣の住人? “勤勉なうたうたい”の顔を、初めてまともに見てしまった……しかしこのひと、いったい何をやってるんだろう)
私がそんなことを考えていると、彼は突然こちらに駆け寄ってきて、話し始めました。
「すみません、ぼく、隣の部屋の者なんですが、どうも鍵を外出先に忘れてきてしまったようなんです」
「それはたいへんですね」
そう答えながらも、(なんだってこのひと、私に向かってそんなこと言うんだろう。引退した金庫破りにでも見えたのかしら)という疑問が頭から去りません。確かにこんな天気の夜に鍵をなくすというのはかなり気の毒な事態ではありますが、だからといって一般人である私に、できることはありません。
「なので、鍵を貸してください。同じアパートだし、隣同士だし、鍵が似ていて開けられるってこともあるかもしれないでしょう!」
「はいっ?」
ええええ、何言ってんの君……一体いつの時代のどんな安普請の話してんのよ。ここ新築よ一応。モニターインターフォンもついてセキュリティ重視が売りの一つなのよ? それなのに隣の部屋の鍵で部屋のドアが開けられるんですよ実はって、そんなことあったら私は即引っ越すよ!
などという言葉が喉元まで出掛かったのですが、私はぐっとそれを飲み込み、「どうぞ」と鍵を差し出しました。うたうたいの説得に無駄な労力を使いたくなかったのです。それくらいなら、とにかく無益な試みを実践してもらって、自分の考えの過ちを本人に自覚してもらうほうがラク
ガチャガチャガチャガチャ。
「あれっ、なんでだろう、あかないみたいです」
『なんで』じゃないだろう、開いたら困るだろう、よかった開かなくて。そう思いながら私が、貸した鍵を受けとろうと手を伸ばすと、うたうたいは縋るような表情でこちらを見ました。
ううう、そんな目でこちらを見るな、私にどうしろって言うんだよ!?
「あ、そうだ。不動産屋さんに電話をかけて、予備の鍵がないか聞いてみましょうか?」
思わずそんな要らぬおせっかい発言をしてしまう私。
「お願いします」
「じゃ、ちょっと部屋の中にある不動産屋の契約書類みてきますんで……」
私がそう言ってドアを開けて室内に入ると、うたうたいがついてきて、一緒に部屋に上がろうとしました。
「いやいやいや! 今ひとに見せられるような部屋じゃないですから!!」
慌てて彼の鼻先でドアを閉め、鍵とチェーンをかけました。
なんだ今の。当然のようにあがりこもうとしやがって。ありえないだろ。なんか危ないひとなんじゃないでしょうね、彼……うーん、それとも極度に動転してああなっちゃっただけなのかなあ。だとしたらかわいそうかなあ。
その後私は不動産屋に電話をかけましたが、既に事務所が閉まった後らしく、留守電でした。
私がチェーンの隙間から彼に、
「誰もいないみたいですね。留守電です」
と伝えると、彼は
「そうですか」
と軽く答えてもう一度ポケットに手を突っ込むと鍵を取り出し、
「あ、すみません。ありました」
と言って、自分の部屋の中に引っ込んでいきました。


えっ、鍵って、そんなすぐ見つかるところにあったの?
一体今までの流れは、なんだったの?

というところで

特にこの後衝撃的なオチがあったりはしないわけですが、だらだら長くなってきてしまったので、次回に続きます