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だらだら書きますので、だらだら読んでもらえるとありがたく。

ゲームの名は「屈辱」

デヴィッド・ロッジの『交換教授』という作品の中に、「屈辱」という名のゲームが登場します。
ルールは簡単。
ゲームの参加者は、「とても有名で大勢のひとが読んでいるけれど、実は自分はまだ読んでいない作品」の名前を、順番にあげていきます。
他の参加者が一人その小説を読んでいればポイント1。二人ならばポイント2。本を読んだことのある人間の人数分、ポイントが加算されていきます。


「オルコット。『若草物語』」
「え、お前あれ読んでないの? おれは読んだよ。1ポイントだな」
「あたしも読んだ……これで2ポイントか」
とか
「『暗夜行路』は?」
「おれは読んでない」
「読んでないなー」
「あら、誰も読んでないね。チョイスがちょっと渋かったかな。ポイントゼロ。」
とか、そんなふうな会話を交わしながらゲームは進んでいくわけです。


そしてゲームが終わったとき、勝者は
「誰もが読んでいるような本をその場で最も読んでいない人間=その場でもっとも教養のない人間?」
みたいな不名誉な栄冠を勝ち取ることができるってゆー。だからこそゲームの中は「屈辱」であるわけですね。


私はある日の飲み会で、この「屈辱」というゲームを、やり方を少し変えて行うことを提案しました。
本のタイトルの代わりに、
「とても一般的で多くのひとが行っていると思われることなんだけど、自分にとっては贅沢なので、やれていないこと。でもやりたいと思っていること」
を順番にあげていくことしたのです。
この場合、ゲームの勝者が勝ち得るのは
「誰もが一般的に行えることが、一番出来ていない=この場で一番の貧乏人?」
という称号です。


あっという間に、酔っぱらいが私を含め四人集まり、ゲームは開始されました。
「部屋にテレビがある?」
「いきなりすごいところをつくな! 問答無用でポイント3かよ。てかシロイ、お前テレビ持ってないの? ほんとに現代人?」
「あ、そうか、シロイさんはテレビのブラウン管を割ったから。まだ新しいの買えていないんですか……気の毒」


「一足一万円以上の靴を持っている?」
「ここ半年以内にタクシーに乗った?」
「デパ地下でケーキを買ったことがある?」
「学食で390円の栄養定食じゃなくて、480円の特別定食を週に二回以上食べる?」
などなど、涙ぐましいようなささやかな贅沢を尋ね合うゲームが佳境に入ったとき(それにしても当時は学生だったとはいえ、みな呆れるくらい貧乏だなあ)、一人の女性が、思い詰めたような表情を浮かべて、口を開きました。


彼女はベコヤマ・サリコさん(仮名)。といっても当時はまだ旧姓でしたが。
「この話は今まで、なかなかひとに出来ずにいたんですが」
そう言ってサリコさんは、悲しげな笑みを浮かべました。
「このゲームは、いい機会だと思います。きいてください」


私たちの大学では、新入生の9割が、家賃が月一万円で済む学生宿舎に入居します。そして大半の人間が一年間を宿舎で過ごし、二年目に入るときに、アパートを借りるのです。なかなかお財布に優しいシステムでございましょう?
学生宿舎の個室には、風呂がありません。それゆえ一年生の間は皆、宿舎の共同浴場を使ったり、アパートに住む友人のもとに、風呂を借りに行ったりします。
一つ年下のサリコさんは、当時はまだ一年生でした。


「私はあの日、どうしてもお風呂に入りたかったんです。シャワーでいいから、浴びたかった……だけど、諸々の事情がありまして。風呂はしまっていたし、お金も節約したかったし」
共同浴場は一回170円かかります。
「一回100円のシャワーもあるので、あれを使うことも考えましたが……あれは100円で7分30秒しか使えませんよね。ということは、もしもその時間内に身体を洗い終えることができなければ、200円かかってしまうので、かえって高くつく。そこで私は、学内施設を徹底的に調べました」
私たちの大学には、学生ならば無料で使用できる、各種の体育施設があります。たとえばプール。たとえばジム。そしてそういったところにはしばしば、シャワーもついている。
サリコさんはそこに、目をつけたのです。
「タダで利用できる温水シャワーは、プールに付属している一カ所しかありませんでした。他は有料だったり、温水じゃなかったりして。本当に切羽詰まったら、冷水というのも考えましたが、できればそれも避けたかったし」
そしてサリコさんは、シャンプーやボディソープなどのお風呂道具を持って、その唯一タダの温水シャワーに向かったのです。


「プールに付属しているシャワー施設だって言いましたよねさっき。だからそこを使っているのは、プールの後に塩素を洗い流しに来ているひとが大半で……というか、私以外のひとは全員そうだったんですけど。みんな水着着たままシャワー浴びてましたよ。仕切りもないしね! その中で私は……私はたったひとり、マッパになって……みんなに『ええー、何事?』という顔で見られながら、頭と身体を、めっちゃ泡立てながら洗いましたよ!! 誰もそんなことしてないのにね。『このひと何しにココに来たの?』って思われてるんだろうなとか考えましたよ。何しにって、風呂に入りに来たんだよって話ですけどね。この広い学内で、そんなことしてるの、私ひとりでしたけど、それが何か!?」


ごくり、とその場にいた全員がつばを飲み込みました。
たった170円の風呂代が払えなくてそんなことになるなんて。
なんて……なんて屈辱的なシチュエーション!
そして思えば、私たちが今プレイしているこのゲームの名はまさに「屈辱」!!


「サリコさん、あなたがチャンピオンです」
「とにかく今ので100ポイントくらい稼げたと思う」
「あなたこそが真の屈辱チャンピオンですよ! You win! 世界タイトルは無理でも、今ので日本タイトルくらいはとれたんじゃ?」
「てか、連絡くれれば、風呂くらい貸したのに。水くさいなあ」


てなわけで私の友人のベコヤマ・サリコさんは、今では二人の娘の良き母として穏やかな日々を過ごしていらっしゃるのですが、子どもたちの知らない過去には、日本チャンピオンになったこともあったという輝かしい経歴の持ち主であったりするわけです。
ひとに歴史ありとは、まさにこのことでございます。


そしてそんなベコヤマ・サリコさんがなんと、14日のオフ会に参加してくださるそうで。
「ええっ、幼い二人の娘たちは?」
「夫のカンタロさん(仮名)が面倒をみてくれます」
「カンタロさん、それでいいの?」
「いいですよ。サリコさんが楽しいのが一番だし。ぼくもたまには娘たちの愛情を一人占めしたいし」
てな流れがあったのでございます。


つーわけで、14日のオフ会に参加なさる方々は、往年のタイトルホルダーにも会えることが出来て、ちょっとラッキーだなあと思ったしだい。