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だらだら書きますので、だらだら読んでもらえるとありがたく。

なぜひとは結婚したがるのか?

みたいな話がちょっと前、ココとかココで繰り広げられていましたよ。
どの話も興味深かったです。確かにねー、これは謎ですよ。
結婚と恋愛の違いはどこかしら、なんで敢えて結婚したがるのかしら私たち?
でもまあこのへんは、ひとによって理由なんて千差万別なのかもしれません。


とりあえず、私には他人の心の内なんてビタイチわかりゃしませんので、自分の話をします。
かつて私は熱烈に猛烈に激烈に、ある男性と結婚したくなってしまって、いても立ってもいられなくなり、しょうがないので会ってすぐさま半泣きになりながらプロポーズしたら断られてしまって全泣きした!とゆー経験を持っています。ふはは。
そんでまあ、その相手ってのは、九年間一緒に住んで、今年の春別れた元の彼氏さんですけれどもー。
ああ、でもそのプロポーズ自体はもう数年前の話で、断られた後も私たちは一緒に暮らし続けたんですよ。


さて、なぜあのときのシロイさんはあんなに結婚したかったのか?
これはわりあいはっきりとした、具体的な理由がございます。


元彼氏と私は、九年間一緒に住んでいました。
これは生活の面から言うと、結婚しているカップルとそうは変わらなかったということです。
毎日同じベッドで眠り、一緒にごはんを食べて、同じ場所に帰って。
もっと一緒にいたいと思ったことはなかった。私たちは可能な限り多くの時間を、一緒に過ごしていたわけですから。
だからこそ、結婚しなくちゃとか結婚したいと焦ったこともなかったのですが。
しかしそこには罠があったのです。


一度、彼が約束した時間になっても帰ってこないときがあって、何時間我慢しても帰ってこなくて、不安になって、携帯もつながらなくて、これは絶対向こうの身に何かあったわ、と私が悲劇的に確信してしまったことがありました。
結局何もなかったんですけど。彼が唐突にゲーセンに寄ってみたくなっただけだったってゆー。
でもね。これがきっかけで、私は気付いちゃったんです。


私はドナーカードを持ち歩いていますが、近親者の欄にサインしてくれたのは父親です。
職場で「緊急連絡先を教えて下さい」と言われたときも、実家の連絡先を書いています。
これは結局、彼の場合も同様なわけです。
たとえば私たちがビール運搬トラックに轢かれたりしたとき、その事実を知るのは、まずお互いの両親なんですよね。


私の両親と元彼氏は、わりと仲が良かったので、そういうことが起これば、両親はすぐに元彼氏にも連絡を入れてくれたでしょう。そこは確信できた。
だけど、私のことを嫌っている、元彼氏のご両親は?
私は帰らぬ彼を待ち続けながら、一晩過ごすことになるのかもしれない。
もしかしたら彼の葬式に、私は呼ばれないのかもしれない。


てなことを考え始めたらね。
怖くて怖くて、泣きたくて辛くて、吐き気すらこみあげてね。


一緒に生活して、間違いなくお互いがこの世で最も身近な人間同士で、家族であり恋人であり親友でもある間柄だと、そう信じているのに?
私が作った食事を食べて、彼の身体は動いてるのに? 彼のワイシャツを洗ったのは私なのに?
私が着ているコートは彼のプレゼントしてくれたもので、それをクリーニングに出してくれたのも彼で、私が眠れずに泣いた夜、涙を拭いてくれたのは彼なのに?
毎朝目を覚まして一番最初に見るのがお互いの顔なのに?
おはようと言っておやすみと言って、そうやって毎日暮らしているのに?
誰も知らない悩みをお互いに打ち明け合っているのに、細かなところを誰よりも知り尽くした人間同士なのに?


そういう細かな事柄の積み重ねは全部消えて、なぜなら私たちの関係は役所の書類に記載されるようなものではないから、公式な文書のどこにも残らないから、だから緊急連絡先なんてものにはなれずに後回しにされてしまうの?


入院先に着替えや細々としたものを詰めて持っていくことは許されるの?
彼に付き添ってもいいの? もしかしたらそれも駄目なの?
ただの一般の見舞客と同じ扱いになるのかしら私。それともそれすら認められないのかしら?


たとえばひとはこれから自分が死ぬんだと確信したとき、とても怖くて不安でさみしくて辛くておそろしい気持ちになるんだと思うけれど、そういうときに好きな人に手を握って貰えたらちょっとはラクになれるかな、と私は常々思っていて。
だから私は出来れば自分に何かがあったとき、彼に手を握って貰いたいというのが、二番目の望みで、一番の望みは、自分が彼の手を最後に握る人間になりたいってことだったりしたのだけど。
緊急連絡先に記載されない人間には、もしかしてそれは出来ないことなのかしら?


結婚できれば。
妻として公式な文書に記載されれば。
緊急連絡先として私の名前と携帯の番号が堂々と記入されるようになれば。


私は彼の身に何事か起こったとき、真っ先に駆けつけることができるのだ。
彼のために動くことが許されるのだ。


私たちがお互いを最も身近な人間同士として親しく暮らすことができるのは、何も起こっていないから。
平穏無事で健康な生活を続けることが出来ているから。


病めるときも健やかなるときも。富めるときも貧しきときも。
私たちの関係は、健やかなるときしか続かない。それじゃ嫌なのに。駄目なのに。
病めるとき、貧しきときこそ、傍にいなければならないのに。そう思えるひとだから、一緒にいることを選んだのだろう?


もうこれは、疑問の余地がない。
私はこのひとと、結婚しなくては駄目だ。
ひとの身に何が起こるなんて、誰にも判らない。今日無事な人間が明日も無事でいるとは思えない。
私は彼の身に何か起こったとき、真っ先に駆けつける人間でありたい。
介護や看病や付き添いが必要なときは、できるだけそこに関わりたい。
だったらもう、他のことなんてどうでもいいよ、結婚して下さいと頼もう!


とゆーのが、私がかつて、他人様に唐突にプロポーズするにいたった経緯でございます。
まー、なんつーか、ほんとひとの身に何が起こるかってことは判らないので、今の私はそんな風に思った相手から、ばっちりふられてしまったわけですけれども。


でもまあ、一瞬とはいえ、結婚というものに対してあそこまで一途に突っ走れたときってのは、気持ちよかったですよ。


世間が言うから結婚した方が良いのかなーと思って。
これだけ長く付き合ったら、どうも結婚するものらしいよ?
結婚すると、税制とか有利じゃん?
相手が結婚したがっているみたいだからさあ、断る理由もないしさあ。
結婚相手としては適当だな、と思えるひとに会えたし。
イイトシだからねー。ここらで落ち着くよ。


みたいなことを並べるんじゃなくてさ。もっと強烈な経験なんだもの、あれ。
……ああ、でもそれは判りませんね。そういうことを言っているひとたちも、本当は強烈なナニカを経験して、照れ隠しでああいうことを言っているのかもしれないか。ま、とにかく。
熱い確信が身体の中を吹き荒れて、耳の奥で血潮がごーっと渦巻きながら流れて「結婚しろ!」と叫んだあのとき、私が感じた圧倒的な「正しさ」といったら。


もうあんなに強烈なモノを私は二度と味わえないかもしれないし、そもそも結婚しないかもしれないし、出来ないかもしれないし、結婚するとしてもあんな気持ちになった上でのことではないのかもしれない。
というか、きっと違うだろうな。違ってよいのだと思うし。
ただとりあえず、ああいう熱い気持ちが自分の中にあるのだということを教えてくれただけでも、私は元の彼氏に感謝しなくちゃならないよねえと思う次第。