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だらだら書きますので、だらだら読んでもらえるとありがたく。

キミとボクとは友達か?−その2−

「男女間に友情は成立するのか?」という問いかけに意味なんてないよ、だって既に成立事例が一例はあるはずだから、証明問題としては終わってるもん、てかそもそも世界中がヘテロセクシャルの人間ばかりだと思っていることがまず大間違いだろ、と私は前回書きました。
つーわけで、もうそれで結論は出ちゃっているよな、「その2」を書くのはやめようかなと思ったんですよ。つか、なんで前回タイトルに「その1」とか書いちゃったんだろうと苦しんでいるんですが、さてさて。


この話題、その後なかなか盛り上がっとりますね。
この世界は広くて、友情も恋愛も実に多種多様ですので、いろんなカタチがありえるし、あっていいと思うし、どのカタチが駄目だとは言えません。
だから皆、いろいろ語り合えばいいと思いますが、「自分以外の人間は、全員自分じゃないんだぜ」ということだけは忘れないようにしようね、と思いました。


ところで私思うんですけど、「男女間の友情」について、ナシ派のヘテロ人は、そのひとの生活において異性との間に友情を「成立させる必要性がない」ということなんじゃないのかな、と。


たとえば私、学生時代は麻雀をよくしたんですが、あれは一人ではできないゲームで(コンピュータゲームなら出来るけど、対人のほうが面白い)、仲間が必要になってしまうんですね。
そして、麻雀仲間というのを女性だけで作るのは難しいんですよね。麻雀する女性は、少ないから。
私が最も麻雀漬けだった頃は、大体週に二回から四回は徹夜して打っていたわけですが*1、その相手というのは、皆男性なわけで、それだけの時間を共有し続ければ、そこにはある種の仲間意識っていうか、友人関係が成立するわけですよ。
というか、この状況で友人関係が成立しなければまずいでしょ。


「男女間に友情なし! だからあたしはこれほど親しくなった男性とは恋愛するしかない」
などと言い出したら、私は同時に何人もの男性と恋に落ちることになって、とてもじゃないが身が持ちません。
かといって
「男女間に友情なし! だからあたしは男のひとたちとこれ以上親しくならないの!」
などと言い出して、かなりの時間を共に過ごす人間同士なのに、自然に増していく親密度を途中でセーブするのも不自然でしょう。疲れます。


私にはあの時「男女間で友情を成立させる」以外の選択肢がなかったわけです。*2


刺繍が大好きで手芸部に所属する男性などにも、同じことが言えるでしょうね。
世の中には「男女間で友情を成立させざるを得ない状況がある」のです。


これは別に麻雀や手芸などの極端なものを持ち出さなくても、「男も女も大勢いて、全員が一致協力していかなければならないサークル・職場」などに所属したことのあるひとなら、判ってもらえることでしょう。
親密度が増すのは当たり前の状況、場合によっては仲間意識と絆すら生まれてくるのだけど、だからといって親しい異性全員と恋に落ちるわけにはいかないよ、という事態が、自然と発生するわけです。
つまり、「成立するよ」派にとっては、ある意味そこは成立させないと死活問題のときがあるんじゃないの、というのが私の考えです。それは生きていく上での必要技能の一つですらある。


だから、なんつーか私は、男性側のレンアイとか性欲に繋がりかねない気持ちが盛り上がっているときに、それを萎えさせるのウマイですよ。(全然自慢になってない)
萎えさせてなおかつ、切られないことがウマイんじゃないか、とも思います。
「こいつを女として考えると萎えるんだけど、まあそれでも関係は切らずにおこう」
と思わせるのがウマイっつーの?


それがどのくらいウマイかと言いますと。
以前私は一人暮らし中に、テレフォンセックスを目的として電話をかけてきた見知らぬ男性相手に、ちょっとしたジョークと小咄を披露してあげて爆笑させ、最終的に相手が
「今日俺はとにかくテレフォンセックスしたくてしょうがなかったんだけど、君と話していたらどうでもよくなった。てか、たぶん君とテレフォンセックスするよりも、こうやって話を聞かせて貰える方が面白かった。ありがとう!」
と感激して礼を述べながら電話を切ったことがあったよ、というくらい。
私はそういう技能を、がんばって身に付けた人間なのです。


まあ、その技能を習得した弊害というのもばっちりありまして、惜しむらくは好みの男性に出会えたとき、「萎えていても盛り上がらせる」とか、「あらためて女として見て貰う」とか、そういう技能を発揮しようとしても駄目なの。私にはそういう技能、イイトシしてほとんど身に付いてないのです。なんてこったー。
もう男友達は増えなくていいよ……彼氏とか欲しいよ……誰か私を女扱いして……(心の叫び)


で、まあ、私の貧弱なレンアイ問題はどうでもよいので、ここで話を戻しますけどー。


みやきち日記−「大ノンケ帝国は謎がいっぱい」のお話は、このへんに繋がってくる気がするのです。

「自分の性的指向の対象となる性別の人間とは、『サカって恋愛(つーかセックス)する』または『近寄らない』のふたつにひとつしかない」というノンケさんってのが本当に存在するらしいってことです。これは驚きだ。すげー驚きだ。


私はヘテロセクシャルの人間なんですけれども、確かにこのへんの驚きはmiyakichiさんと共有してまして、「成立しない派のひとはすごいな! よっぽどしょっちゅうさかってるんだな」と思ったりしたんですけど、考えてみるとこれ、実はけっこう違っているのかも。


人間は大抵、いくつかのコミュニティを行き来しながら生きています。
両性が混合されて作られているコミュニティも、同性だけで構成されているコミュニティも、両方存在するわけですが、同性コミュニティしか経験せずに生きているひとというのが、しばしばいらっしゃるような気がするのです。
わかりやすい例でいくと、中高男子校でそのまま理系の大学に進んで、研究職になってしまったひととか、周りはもうずっと男性しかいない状況になるわけですよね。
そういう状況で生きるヘテロ男性は自然と、普段は同性コミュニティの中で、同性とだけ仲良く遊んで生活して、性交渉や恋愛の必要性を感じたときだけ、異性を求めるという生活スタイルになりやすいのじゃないか、というのが私の推測です。
観察者日記:after school and DENJIHA−「男と女の間に友情が成立するかって」
とか
pal-9999の日記−「まぁ、要するに男が女と友情したくないのは
このへんの話は、まさにそういうことを言っているんじゃないかと思います。


ニンゲンカンケイにおける友愛とか絆とか仲間意識とか遊び相手とか、そういうものは基本的に同性と一緒にいればすべて満たされるから、わざわざそこで異性を求めるってのは、つまりはやりたいってこととイコールなんだから、友情とかごちゃごちゃ言うなよ! 友情が欲しけりゃ、わざわざ女を選ばねえよ! やれない女に用はない!!
成立しない派のヘテロ男性はそんな風に考えていることが多いのかもしれません(というか、突き詰めるとそうなる気がする)。それはそれで一つのライフスタイルですよね。
私はヘテロ女性の立場から、ほとんど同じ事を言っているひとに会ったこともあります。女性コミュニティの中でのみ生きてきた彼女は、
「男友達はいない」
「彼氏が欲しいときは、コミュニティを出て男性を探しに行き、適当な人をみつけて親しくなる」
という実に明快な人生観の持ち主でした。


で、そういう生活をしているヘテロセクシャル者は、「性的対象者と親しくなっても恋に落ちない技能」が必要ないんですよねきっと。
彼らが生活しているコミュニティには、性的対象となりうる性別のひとがいないんですから。


ところが、同性愛者の方はきっとそのへんが違ってきて*3、性的対象となりうる性別の人が全くいないコミュニティだけで生活することが、非常に困難なのではないでしょうか。
だってそれは、異性のみで構成されるコミュニティで、唯一の異分子として生活するということですから。そんな状況、あり得ないとは言いませんが、滅多にないと思います。
そうなると、同性愛者の方は自然と、「自分の性的対象者となる性別の多くの人間と親しくなりながらも、その全員とは恋に落ちない」という状態をキープしなければ生活が成り立たないのだと思うのですね。


というわけで、「性的対象者となりうる性別の人間と親しくなりつつも恋に落ちない」というのはある種の人間にとっては必須技能なんじゃないの、というのが本日の結論ということでよろしいでしょうか。だからこそ、自分は友情を抱いていたつもりだった相手が、こっちに恋愛感情を抱いていたときは、相手や自分を無駄に責めずに「まだまだこの技能に関して修行不足だなあ自分」と思えばよろしいかと存じます。


ところで、話がちょっとずれるんだけど、男女間の友情話になると時々、ある種のヘテロ男性は
「それは高望みだよ」
「女ってほんと友情好きだよねえ。そんなのあり得ないって。幻想みてる。求めすぎ」
とかおっしゃったりするようですが、私は実際には、
「異性と親しくなった以上はやりたいよ。親しくなったんだから、友情とか言わずにやらしてよ」
という発想のほうが、考え方によっては高望みのような気がするんですけど、気のせい?

*1:なのにその後数年間遠ざかったら、ルール大半忘れちゃったよ。点数計算できないしさあ。

*2:実際、その頃の麻雀仲間だった男性で、今も良い友達ってひとはいますよ。もう麻雀を一緒にすることは滅多にないけど、お互いに困ることがあったら自然と助け合うし、連絡もマメだしねえ。「友情」というものに関して、かなり厳しい判断基準をもうけているひとでもお眼鏡にかなうくらいの親密な関係だと思いますよ。

*3:私はヘテロセクシャルの女であった経験しかありませんから、推測です。