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だらだら書きますので、だらだら読んでもらえるとありがたく。

サービスマンの心得

以前住んでいたアパートのほど近くに、素敵なワインバーがありました。
そこのオーナーソムリエのクレナイさん(仮名)は、まだお若いのにシニアソムリエの資格を持つ博識な方で、世界中の名だたるワイナリーを旅して回った経験を持っていたりするのに、決してそれを自慢するようなことはなく、気さくで明るくて話の面白い、爽やかな方でした。
要するに、かなりのいい男だったんすよ! 顔もハンサムとはちょっと違うけど、私の好きな顔だった*1。店も本人の人柄を反映してか、洒落ているけど肩の凝らない、落ち着ける雰囲気だったし、出てくるものはみな美味しかったし。お気に入りの店でした。


で、その店に何回か通って、クレナイさんとちょっと親しくなってきた頃、友人のMがこんなことを尋ねました。
「クレナイさんて……モテるでしょう? 女性のお客さんに連絡先を聞かれたりとか、そういうこと多いんじゃないんですか?」
するとその瞬間、クレナイさんはすっと背筋を伸ばして笑みを消し、真剣な顔で答えました。
「確かにそういうことはありますね……けれどお客様に連絡先を聞かれた時点で、サービスマンとしては失格なんですよ


「ええっ、なんでですか?」
驚く私たちの顔を見ながら、クレナイさんは静かに続けました。
「サービスマンは、お客様と適切で快適な距離を保たなければなりません。適切な距離が保たれるからこそ、お客様は店に通ってくれるのですから。遠すぎても良くないけれど、近すぎるのも同様に良くないのです。
女性のお客様がぼくに連絡先を尋ねてくる時点で、その距離は近すぎるのです。もしもぼくがそれを断れば、そのひとは気まずくてこの店に来なくなるでしょう。逆に、もしぼくが連絡先をお客様に教えれば、その方はこの店以外の場所でぼくと会おうとするでしょう。
つまり、女性に連絡先を聞かれたその瞬間に、店は一人のお客様を失うことになるのですよ。だからサービスマンは、そのようなことが起こらないように、距離をしっかりと計らなければならないのです


「おおおー、なるほどー……なんつーか、プロフェッショナルですね。本物のプロっていうのは、そういうものなんだ。お客の連絡先ききだしてナンパしてるようなサービスマンは、まだまだってことですねえ」
Mと私は感心しながらため息をつきました。
「まあ、若い頃は未熟だったというか、それでもけっこう聞かれてしまいましたけどね……」
渋く呟くクレナイさん。


このひとほんとマジかっこいいなあ、プロのサービスマンてこういうものなんだなあ、仕事に誇りを持って筋の通った生き方をするって憧れるよなあ、プロの誇りのあるひとは卑小な欲望に惑わされないものなんだ、と私が敬意のこもったまなざしでクレナイさんを見上げたとき。
キッチンから、一人の女性が姿を現しました。


クレナイさんの彼女であり、調理担当として一緒にこのお店をやっているアオイさん(仮名)です。
アオイさんはMと私の前に、サラダを置くと、軽く頭を下げて、再びキッチンに消えました。


「それにほらー、今はね、後ろのキッチンから見張ってる怖いのがいるじゃないですかー。だから連絡先聞かれても、どうせ教えられないわけですし、さみしいけど仕方ないですよねえ」
アオイさんがいなくなったのを見計らって、クレナイさんは小声で付け足しました。


キサマ……なんだかんだいって実は、お客と連絡先交換してたろ! 楽しみながらしてたろ!? 役得いっぱいだった時代があるんだろ、ああーん?
私の感動を返してくれ、今すぐ耳揃えて返さんかーい!!


などと心の中で叫んだ、春の午後。

*1:帯をギュッとね!』の斎藤くんに似てる気がします。髪型は全然違うけど。