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だらだら書きますので、だらだら読んでもらえるとありがたく。

実践的愛され研究その1

とか言いつつ、研究というほどのものではないんですが。
あと最初に言っておきますが、これからここに書くことは、大学で習った心理学の知識(しかも忘れかけ)と、周囲の人間の経験などをつなぎ合わせて何となく思った内容であって、私自身は恋愛経験がトシのわりには貧弱であるため、多少は机上の空論的だろうなあとは思いますよ。
では本題。


ピアノ・ファイア−非モテ非モテと言うけれど

「愛に見返りを求めてはならない」

「愛は求めるものではなくて、与えたり、感じ取ったりするもの」

という世間知を真摯に受け止めるだけで、どうでも良くなる問題ですよね、と。モテないってこと自体は。

という記事を読み、その後その記事についているコメントやブクマコメントに目を通してふと思ったことを書いてみます。
世間知が世間知として認識されるに至るには、実はそれなりの根拠があるんじゃないってことで。


私は幼い頃『ペリーヌ物語』というアニメの再放送に夢中だった時期がありました。
で、その中に超感動して、いまだに覚えている台詞があるんですよ。
「ペリーヌ……ひとに愛されたければ、愛することから始めなさい……」
これはペリーヌのお母さんがいまわのきわに残す台詞なんですけれども、画面の中でペリーヌがお母さんに「はい」とか言うのと同時に、画面の外で私も「はい」と頷いちゃったくらい、そのときは感動してしまったわけでー。


あー、さてここで唐突に心理学の話をしましょう。「好意の返報性」という専門用語のハナシ。
人間というのは他人に好意を抱かれると、自分も相手に好意を抱きやすくなるって、ただそれだけの話なんですけどね。専門用語だから難しそうな印象を受けるけど、言われてみればそうだねえってかんじでしょう?
自分のことを罵ったりけなしたり嫌ったり悪口を言いふらす相手よりも、褒めてくれたり優しくしてくれたり好いてくれたりする相手のほうが、好きになっちゃうじゃないすか一般的には。
好意には好意を返したくなるし、ある程度返してしまいがちな生き物、それが人間。
だからひとに好かれる手っ取り早い方法は、相手のことを好きになって、相手のためを思った振る舞いをすることですよ、というのが「好意の返報性」を利用した処世術でございましょうねえ。
そしてまあ、これは結局ペリーヌ母(名前失念)の遺言とも通じていますね。
好かれるためには好きになれー、ちゅーことですわ。


はいはい、でもここで必ず出てくる反論があって
「だけど私は好きな人に嫌われたことがある」
「嫌いなやつ、変なヤツに好かれてもうざい」
ってやつですねー。
うん、それはねー、なぜかっていうと、「好意の返報性」というのはあくまで、「そういう傾向がある」って話であって、「必ずそうなる」ってもんではないんだよねー。
人間は基本的には相手に好意を寄せられると、自分も相手に好意を返したくなるもんだが、それは基本であって、例外もいっぱいあるんだよねえって話です。


そんでここで素直に認めちゃいますが、世の中は平等には出来ていませんねえ。
他人に対して抱いた好意が返報される確率というものを仮に「返報率」と名付けましょうか。今私が作った用語ですから、正当な心理学やってるひとに「返報率ってなんですか」とかくれぐれも質問しないでくださいね。
返報率は、ひとによってさまざまで、個人差がありますね。返報率が高いひと、低いひと、いろんなひとがいます。返報率が低いひとは、悲しいことが多いでしょうね。中には差し出した好意を最初から受け取って貰えないことすらありますし。
……みたいな話をすると必ず、「ほらみなさい、美人はいいわよね、返報率が高くて。アタシみたいなブスは好意を抱いても返ってきたことないわよ」と誰も外見の話をしていない段階で勝ち誇ったように外見について言及なさる方が現れそうな気がしますが、そして外見は確かに無関係じゃないんですが、もしもあなたがそのような不公平を是正したいのであれば、ここは一度黙りなさい。
外見の美しさというのが能力であり才能であり、美しく生まれついたひとが幸運であることは確かですが、だからといって「美しく生まれつかなかった不幸」を嘆き続けてなんかいいことありますかって話ですねえ。そもそも絶対的に誰もが平等で公平な世の中が、私たちが生きている間に実現されるとも思えませんし。
「泣いて世間が優しくしてくれるかーっ、泣いてる暇があったら笑えー」
という台詞が西原理恵子先生の『ぼくんち』に出てきたかと思いますが、名言。
事態を好転させたいのであれば、嘆いたり、不公平をあげつらっても仕方ないのです。どうすれば好転させることができるのか、対策を練りましょう。
好転させたくない、嘆くのがキモチイイからこれを一生続けたいんだ、という方はどうぞご自由に。それもあなたの権利です。


外見の美しさは確かに、返報率を左右する一つの要素ですが、他にも数多くの色んな要素があります。そして、若く美しい時代というのは、永遠には続かない。
ならば、美しさ以外のどんな要素が返報率を上昇させるのか見極めて、それを身に着けたほうが実践的なんじゃない、というのが私の考えです。そういう要素なら若さをうしなったあとの何十年という人生でも使えるわけだしー。


で、ここで話を最初の「ピアノ・ファイア−非モテ非モテと言うけれど」に戻します。


私は好意の返報率を高くする方法の一つに、「見返りを求めない好意を他者に差し出す」ことがあるんじゃないかと思っています。
だからこそ「愛に見返りを求めるな」というのが世間知として認識されてるんじゃないのってことです。


なぜなら、「好意の返報性」などという心理学用語を知らない人間でも、大抵のひとは、その法則をなんとなく心の裡で感じ取っているものですから。
それゆえひとはしばしば、「好意によって好意を取り立てられる」ことを恐れるのです。
「あたしがこんなに好きなんだから、アレをあげてコレをしてあげて尽くして大事にして愛したんだから、あなたも同じだけのもの返しなさいよ」
というプレッシャーが世の中には存在します。自分が先に差し出した好意をたてに、どこまでも相手から好意をしぼりとろうとする人間が、この世界にはいるのです。
そんな人間に関わるとろくなことにならないですよね、大抵。


そもそも人間というのは、自分が「してあげた」ことは克明に見えるのに、相手が「してくれた」ことは気付かずに過ごしてしまうことが多いのです。自分が差し出した好意をたてに好意を取り立てようとする人間ならば、その傾向はなおのこと強まっている可能性が高い。危険。赤信号。にげろー。


ですから、「このひとに好意を取り立てられるようなことになったら嫌だ」と思う相手に対しては、「あなたの好意は要りません」と最初から拒絶したり、「受け取るけど絶対返しません。それが嫌なら好意を差し出すことをやめれば?」と冷たい態度をみせることは一つの処世術であり、身を守る手段になるわけです。
「いくらあたしが好意を差し出しても、こいつから取り立てるのは無理そう」
と思わせたほうが、
「よし、もっと押せばこいつから好意を取り立てることができそうだわ。プレゼント攻勢をパワーアップしましょう」
などと思われるよりずっとずっと安全。保身は大事だよ。


そもそも好意というのは心の中の領域ですから、そこを強引にどうにかしようとすれば、相手に嫌がられても、思えば仕方ないんですよね。
自分の好意は、自分の意志で自発的に差し出したいと思っている人間が、世の中には多いのです。
好意というのはある意味において、この世で一番高価なコインですからね。その高価なコインを無理に取り立てよう、購おうとすると、相手の逆鱗に触れてしまう場合も。
差し出す好意だって高価なコインの筈なんですが、実はこのコイン、相場が変動しやすくて、自分が思っているほど他人はそのコインを高く評価してくれないのはありがちな話ですよ。
もちろん思った以上に高く評価されちゃうこともいっぱいあり、そのへんが「隣の席の女の子を好きになる童貞という病」にも通じている気がします。隣の席の子のちょっとした親切=好意を、実際の大きさよりでかく感じてしまった結果、大きな好意を自分の中に抱え込んでしまうことになっちゃうのかもしれませんねえ。


そこで、「見返りを求めない愛」の話ですよ。
「このひとは好意を差し出しているけど、見返りを求めていない」
と相手に思われれば、とりあえずその好意は受け取って貰える可能性が高いんですよね。
受け取られるだけじゃ返報につながらないじゃん、というご意見もあるでしょうが、しかし最初から受け取って貰えないよりはマシじゃないでしょうか。
少なくとも私は、好意を拒絶されるよりは、返ってこなくてもいいから、受け取って貰えた方が嬉しい。
そして、一度受け取られた好意は、その場ですぐに返報されないとしても、後に返報されることもあったりするわけです。拒絶された好意は、その可能性すらないわけで。


私は「見返りを求めない愛というか好意」というのは実は、相手からの好意を引き出し、相思相愛にいたる道を作るのにたいへん有効なツールなのではないかと考えています。
だから「愛されないと嘆く前に、まず自分から見返りを求めずに誰かを愛せ」という言葉がよく使われるんじゃないかと思うのですね。
そうすれば結果として、愛される可能性も高くなるんじゃない、という。
あれお前それ言い出したら結果として見返り求めてるじゃん、というツッコミがここで入るかと思いますが、「見返りを求めるわけじゃないけど、返ってきたら嬉しいじゃん。天にも昇る心地じゃん」と言い訳しておきましょう。
だったら、見返り求めてるワケじゃないんだけど、返ってくるといいな、返りやすくするためにはどうすればいいのかな、くらいのこと考えちゃいましょうよ。自分のために。


とか言い出したところで無闇に長くなってきたし、疲れてきたので、続きはまた明日。そこでその先のことを考えてみるつもりです。