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だらだら書きますので、だらだら読んでもらえるとありがたく。

時々、会いに行く


息が詰まるような暗い夜、自己嫌悪で気持ちがぐんぐんと急降下している自分に気付き、何もかもを終わらせたいと願うとき。
私は時折、『彼女』に会いに行きます。


小学校一年生の『彼女』のクラスには、普段はにこにこしているのに、怒りが体内に満ちると、おそろしいほど粗暴な振る舞いに及んでしまう少年がいました。
身体が大きくて力の強い彼が暴れ始めると、クラスメートは全員、彼の傍から逃げ出します。机と椅子を倒し、ノートを引き裂き、暴れ、目に入るものを全て殴りつけ蹴りつける彼は、皆から恐れられていたのです。
ある日、彼はいつものように怒りの発作に見舞われ、クラスメートの女の子を殴りつけたあと、髪を掴んで床に引き倒すと、どかどかと蹴りを入れました。
大人のいない教室で、子どもたちはどうすればいいのかわからず、壁際に集まって目を見開き、震えていました。
女の子は泣き声をあげ、彼はうつぶせに倒れたまま身動きできない女の子の背中の上で狂ったように飛び跳ね、蹴りつけました。


震えながら一部始終を見守っていた『彼女』の顔は、蒼白になりました。『彼女』は以前、両親から、
「人間の背中には脊髄というものがあって、それが傷つくと、一生歩けなくなるときもある。だから背中の怪我には気をつけなさい。背中を痛めてはいけないよ」
と聞かされたことがあったのです。


その大事な背中の上で。あんなに恐ろしいことが起きるなんて。


次の瞬間、『彼女』は
「やめてよ! セキズイがきずついたら、どうするの」
と彼を怒鳴りつけていました。
振り返った彼の歪んだ顔を見た瞬間、『彼女』は強烈に後悔しました。膝が震え、涙で視界が霞んでいます。
「あるけなくなったらどうするの。なんでそんなことするの」
それでも『彼女』は精一杯虚勢を張って、彼を見据えながら一歩前に進みでました。
(いっしょうけんめいがんばれば、かてるかもしれないし。わたしはこのクラスで、2ばんめにせがたかいんだから)
『彼女』はそう考えたのですが、もちろんそう、現実はそれほど甘くない。


最後には、大人たちが教室にやってきて、『彼女』を救い出しました。
けれど大抵の場合、彼らが子どもたちの世界で何が起きているのか気付くのは、ちょっと遅すぎるものなんですよね。
その頃には『彼女』はもう、めちゃめちゃに殴られ、蹴られ、雑巾のようになって、教室の床にうずくまり、泣いていました。


「あのときは怖かったでしょう」
と私が尋ねると、『彼女』は震えながら頷きます。
「こわかったよ。おもいだすと、いまもこわいよ」
「たくさん泣いていたね。痛かったね」
「うん、いたかったし、こわかったし、くやしかったし……あたりまえだけど、ぜんぜんかてないんだもん、わたし」
「あの男の子は年の割には、とても力が強かったからね。勝てないとわかっている相手に向かっていくというのは、あまりにも無謀すぎるねえ?」
「うん、そうだねえ」
「じゃあ、どうしてそんなことしたの? 先生が来るまで、待っていればよかったじゃない」
「だって、センセイがまにあわないかもしれないよ? おんなのこのセキズイ、こわれちゃったかもしれないよ?」
「いくらなんでも、一年生の男の子の力は、そこまで強くないだろうから、間に合わないことはないでしょう。それに、あなたは子どもなんだから、そうなったとしても、誰もあなたを責めない」
「えーとね」
『彼女』は眉を寄せ、考え込みながら、喋りました。
「わたしがうごかなかったせいで、だれかがあるけなくなることは、わたしがなぐられることよりも、もっとこわいとおもうよ。ちがう?」
「それに、もしもセンセイがまにあったとしても、わたしはじぶんが、おんなのこをたすけようとしなかったこと、ゼッタイにわすれないよ」
「コドモはトモダチを、たすけなくていいの? あるけなくなるかもしれないトモダチを、しらんぷりしてほうっておいてもいいの?」
「じぶんはオクビョウでヒキョウでイヤなヤツだとおもうことは、なぐられることより、つらいかもしれないとおもったの」


そして私は、『彼女』に会いに行くたびに感じる気持ちを、またしても味わいます。


ああ、なんだか、参るなあ。


この子はたぶん、身の程知らずの無謀なお馬鹿さんではあるのだけれど、ヒーロー気取りのどうしようもない愚か者ではあるのだけれど、私はそれでも、『彼女』が好きだ。


「じぶんがばかだなあ、とはおもっているけど」
そう言って泣きそうに顔を歪める『彼女』の頭を、私は撫でます。
「大丈夫。あなたはたぶん、なかなかのいい子だよ」
「ほんとう?」
「本当。私はねえ、あなたが幸せになってくれるといいなあ、と思ってしまった」
「じゃあ、おねがいがあるの」
『彼女』は真剣な顔で、こちらを見上げました。
「わたしにウソをつかないでね。わたしをしあわせに、してあげてね」
「わたしががんばるといったら、それをしんじて」
「わたしががんばれなくなったら、すこしやすませてあげて」
「わたしをみすてないで」
「わたしをきらってもいいけど、それだけにしないで」
「いま、わたしをすきだとおもってくれたなら、そのきもちをわすれないで」
「わたしをころさないで。おわりにしないで」
「お願いだから。私にチャンスを頂戴。簡単に駄目になったなんて、嫌なヤツだなんて、決めつけるのはやめて」
「私は、私たちはまだ、なんとかやっていけると思うよ」


そこで私は、元の場所に戻ります。


鏡の中には、六歳だった『彼女』の、成長した姿が映っています。
「酷い顔してるなあ」
私がため息をついたので、『彼女』も悲しそうな顔で、息を吐きました。
「実際ときどき、酷いヤツでもあるしなあ。嫌いになっちゃうときが、あるよ」
「でもまあ、それだけじゃないんだよね。忘れていたけど。思い出したけど」
「あの子のことは、嫌いになれないなあ」


『彼女』がいてくれてよかった。
恥の多い人生の中で、それでも嫌いになれない、好きでいられる、『自分』が。
おかげで私はまだ、私を終わりにしないでいられる。


『彼女』を幸せにしてあげたいなあ、裏切ったらいけないなあ、と思いながら、私は鏡の前を離れました。


息が詰まるような暗い夜、自己嫌悪で気持ちがぐんぐんと急降下している自分に気付き、何もかもを終わらせたいと願うとき。
時折『彼女』が、私に会いに来てくれます。


だから私は、明日も笑おう。
そうしてちょっとは、マシな人間を目指そう。